10.1 ジャンヌとジル・ド・レの不吉な兆し
王家の祝賀行事では、功績を挙げた者への昇進や褒美の授与、軽微な犯罪者の恩赦がおこなわれる。
「大侍従ラ・トレモイユが、ぜひ貴公を元帥にと推薦している」
オルレアン包囲戦からランス行軍を経て聖別式の挙行まで、功績のある人間はジャンヌ・ラ・ピュセルを筆頭に多数いたが、ジル・ド・レも破格の待遇だった。以前、政敵のリッシュモン大元帥がブサックを元帥に推挙したことに対抗して、ラ・トレモイユは配下の中からそれなりに実力のある者を同格にしたかったのだろう。
「光栄です」
正直なところ、ジル・ド・レに目立った武勲はなかった。
初対面のときは、危うさを秘めた青年だと感じたが、宮廷に来てからはずいぶん大人しい。ちなみに、ブサック元帥は54歳でジル・ド・レは24歳だ。
リッシュモンがブサックを推したのは経験豊富な実力者を評価したからだ。
しかし、ラ・トレモイユは、大侍従派の手駒として制御しやすい若輩を選んだとしか思えない。
気の利いた人事とはいえないが、トロワ包囲戦でラ・トレモイユを少々邪険にした自覚があるので、その埋め合わせに今回の推薦を受け入れた。
今はまだ、ラ・トレモイユの関心をこちらに引き付けておく必要がある。
その方が、リッシュモンは動きやすいはずだ。
*
ジャンヌ・ラ・ピュセルは貴族に列席することが決まった。
しかも、一代限りの名誉ではなく家族もろともだ。貴族としての称号は「デュ・リス家」、身分を証明する紋章は青地にフルール・ド・リスが二つ、中央に置かれた王冠を剣が守っている図案だ。
フランス王の紋章は「青地にフルール・ド・リスが三つ」と決まっている。
王族関係者や王家にゆかりのあるものは、王の紋章をベースにアレンジを加えたデザインの紋章を使っている。
ジャンヌの一族に与えた紋章は、フランス王としての誠意と謝礼の気持ちを込めたつもりだ。しかし、ジャンヌはそれだけでは満足しなかった。
「希望があるなら聞こう」
「ドンレミ村にも何かもらえませんか」
「ジャンヌの故郷だったな」
「はい! 王様の使いの人があたしのことを調べてたみたいで、あたしが王様に認められたってことを村中が知ってるんですよ。みんなすっごく喜んでくれました」
確かに、シノンで謁見したころ、故郷とその周辺でジャンヌの素行調査をした。政治的にも宗教的にも特に問題はなかったが、辺境の村で王家の役人がうろつく光景はかなり目立ったようだ。
街道沿いの村だから、ジャンヌの英雄譚はあっというまに周囲に知れ渡った。
親兄弟や親戚、故郷の顔見知りはおろかドイツ在住の遠縁までもが、ジャンヌの足跡を追ってランスの聖別式に駆けつけた。
再会を喜ぶ姿を微笑ましく見守っていたのだが、どうも雲行きがあやしい。
帰郷して凱旋するまでもなく、向こうからわざわざ来てくれるとは、なんと暖かく健気な人たちだろうと感動したのもつかのま、ジャンヌの功績に便乗したい人々は、それぞれに都合のいい助言や要求をするようになった。
「あたしだけじゃなくて、お世話になった村の人にも恩返しがしたいんです」
「では特赦としてドンレミ村の免税を認めよう」
「めんぜい……?」
「納税の義務を免除するという意味だ。特別なご褒美だよ」
「できれば、隣のグルー村も入れてください」
「そうしよう」
若くてお人好しのジャンヌは、良かれと思って「故郷の要望」を気安く受け入れ、あたかも自分の希望や助言であるかのように話し続ける。
「いつまでですか」
「何がだ?」
「えっと……。あたしがもらった貴族の名前とか紋章とか……、子孫代々ずっと受け継いでいいんですよね?」
ぶつぶつと念を押すように確認されて、私がうなずくと、ジャンヌの表情がぱあっと明るくなった。
「ああ、よかった! 王様は優しくていい人だから大丈夫だと思ったけど、それでもちょっと心配だったんです」
ジャンヌは無垢な瞳をきらきらと輝かせながら、思っていることを何でも素直に口にする。それは微笑ましくもあるが、時には、虚を突かれたような気分になることもある。
「じゃあ、村の免税もずっとずーっと受け継いでいいんですよね? そういう決まりですもんね……? うん、やったあ!」
私は呆気に取られて、何も言えなくなった。
シノン城で初めて謁見したとき、ジャンヌは「神様は、植物も動物も人間もすべてのものが《《親から子へ受け継がれていく》》というルールをお決めになりました」と言った。
王位継承も同じだ。
国王が所有する財産は、王冠も領地も権利もすべて王太子が相続する。
だから、イングランドに継承する資格はない。
神が決めたルールを破ったらこの世界はめちゃくちゃになってしまうのだと。
「ありがとうございました! みんなもきっと喜びます」
謁見が終わってジャンヌが退室すると、そう遠くないところから歓声が聞こえた。聖女の取り巻きはますます人数が増えた。純粋な信奉者から下心のある者まで、身分も老若男女もさまざまだ。
このころからジャンヌは、神と王家の威光を後ろ盾にして、周囲を取り巻く人たちの要望を代弁するようになった。しかも、聖女の信者たちからすれば、ジャンヌの言葉はほとんど神の声に等しい。
どれほど理不尽な要求でも「神の意志は人に理解できない」と言われたらそれ以上逆らうことは難しい。ジャンヌの声に反論すれば、神に反逆したとみなされる。
しかし、ジャンヌに言わせているのは、明らかに周囲の「人間たちの意志」であり、いつしか「神を騙る人の声」に変わっていたように思う。
ジャンヌに悪意はない。
神であろうと人であろうと疑うことを知らず、ただただ純朴なのだ。
結局、ジャンヌ・ラ・ピュセルの故郷ドンレミ村と隣接するグルー村は、ともに永年免税の特赦が認められ、革命でフランス王政が倒れるまで360年にわたって大きな恩恵を享受した。





