9.14 ジャンヌの町歩き(2)人質交渉
そのような経緯で、大侍従ラ・トレモイユが血相を変えたアランソン公を連れてきた。ジャンヌ・ラ・ピュセルが、町外れで退却準備中のイングランド兵にいちゃもんをつけて一触即発の状態になっているという。
「ジャンヌは神の声のみに忠実です。私の言うことなど聞く耳を持ちません!」
「だろうな……」
神の声がジャンヌを止めるか、いっそのこと神自身が降臨してその場を収めてくれたらいいのだが、そうもいかない。
現実に存在する中で、ジャンヌを制御できるのは「君主」の私くらいだ。
権威を行使するのは気が進まないが、仕方がない。
「町の北東、セーヌ川沿いの城門だな?」
「はい!」
司教館の中庭を早足で通り抜けながら、手短に場所を確認する。
ここ数日、トロワを包囲している間に、町の見取り図をさんざん見ていたから大体の場所は把握している。
「ところで、ジャンヌを放置してきたのか?」
撤退が決まっているとはいえ、敵軍の中にジャンヌひとりを置き去りにするのは危険だ。
「たまたま通りすがりのフランス軍幹部を見かけたので、彼に託してきました」
付き添いがいると聞いて、ひとまず安堵した。
もしデュノワだとしたら、上手く立ち回ってその場を収めてくれるはずだ。
ラ・イルなら率先して喧嘩しそうだが、もれなくザントライユがついているだろうから大事には至らないだろう。
「確か、ジル・ド・レとかいう……」
「それ、一番だめなやつ!」
やっぱり、私が行かなければ!と決意を新たにした。
ラ・トレモイユが馬の手配を指示しているが、時間が惜しい。
無血開城を成し遂げたいま、トロワ滞在を平穏無事に済ませたい。だから、王が派手に動き回って騒動が表沙汰になるのは避けたかった。
「あ、陛下! 馬ならもうすぐ……」
「準備ができたら、ラ・トレモイユもアランソン公と一緒に来てくれ」
拍車つきの乗馬靴を履いたままで平服に着替えていたのも都合がよかった。
私は、アランソン公が乗ってきた馬に飛び乗った。
「来るときは内密でな!」
馬の腹を数回蹴ると、セーヌ川に面した北東の城壁に急行した。
*
幸い、流血沙汰になる前に間に合った。
ジル・ド・レが鼻息の荒いジャンヌの肩を抱いて引き留めている。
怒れるイングランド兵を止めているのは、騒ぎの発端になったフランス人捕虜のようだ。足枷が目立たないようにつけられている。
「何だ、貴様もフランス軍の仲間か?!」
加勢が来たと思ったのか、怒りの矛先がこちらに向いた。
「王太子さm……、もごご!」
ジル・ド・レがすかさずジャンヌの口をふさいだ。
「いかにも。私はフランス軍の責任者だ」
「言うことを聞かないじゃじゃ馬には、鞭を入れて手綱をつけておくことだな」
「必要ならそうしよう。当方の臣下が、貴殿に何か粗相をしたのか?」
「この女はずる賢い。詐欺師だ。悪魔だ!」
ジャンヌは真っ赤な顔で食ってかかろうとして、脊髄反射的に前のめりになったが、勢い余って口の中にジル・ド・レの指が食い込んだ。
「あの少女は、教会の聖職者から『素行に問題なし』と認められている。悪事を行うとは思えないのだが」
ジャンヌを一瞥しながらそう告げた。
教会の判断は、国家の争いに関係なく尊重されなければならない。
「聖女だと主張するなら、今すぐにここで奇跡を起こしてみろよ!」
「その件について、私は判断を保留している」
ジャンヌは少しショックを受けたようだが、聖人認定は教会の管轄だから、私が軽率に認めるわけにいかなかった。教会の権威を侵害することになりかねない。
私は立場上、人前で発言するときはかなり慎重だった。
「私は世俗の人なのでね。言い分の正しいほうを信じたい。貴殿に正義はあるのか? 少女を『詐欺師、悪魔』とののしる根拠は?」
元を正せば、退却するイングランド軍の中にフランス人の捕虜がいて、助けを求めたことが発端だ。ジャンヌは捕虜の解放を求め、イングランド兵は拒絶した。
「町を明け渡す条件に『人質解放』はなかった。シャルル王に聞いてみろ」
「確かに」
「だから、こいつは身代金をもらうまでうちで預かる」
捕虜は唇を震わせ、涙目でこちらを見ている。
諦めないでくれと必死に訴えかけている。
彼の境遇は、私たちの交渉次第なのだ。
「いいな?」
「だめです!」
ジャンヌが復活して噛み付いた。
文字通り、ジル・ド・レの指に噛み付いたようで、ジャンヌの足元で涙目で悶絶している。痛がっている……というより、喜んでいるように見える。
「まったく、物分かりの悪い女だな!」
「その人を返しなさい! ここで、今すぐに!」
「約束に反して今さらそんなことを言うのは詐欺だ。貴様の言い分は邪悪というやつだ!」
人権意識の高い時読者諸氏はひどいと思うだろうが、これは当時の習慣からいえば普通のことだった。人質とは換金可能な財産で、見返りなしで「《《ただ》》で返せ」というのは理不尽な言い分だ。
とはいえ、味方が到着したのに、敵に囚われたまま連れ去られる境遇は、いかにも哀れなことだった。





