1.10 侍従長ジアックの殺戮(2)
侍従長ピエール・ド・ジアックは、かつてはブルゴーニュ無怖公に仕えていた。
モントロー橋事件のときは、無怖公の取り巻きのひとりとしてあの忌まわしい現場にいたらしい。
「ブルゴーニュ公に仕えていたならば、私は『貴公の主人』の仇敵になる」
「確かに、そう考える者もおりましょう」
事件後、ジアックは家族を連れて私のもとへ来た。
「私は『ブルゴーニュ公』よりも『フランス王』こそ、至高の主君であると心得ております」
ジアックの主張を、言葉通りに信じた訳ではない。
おおかた、無怖公の死で、権力の趨勢が変わると見越したのだろう。
「それに、王太子殿下は、アルマニャック派でもブルゴーニュ派でも分け隔てなく、公平に判断なさる御方だと聞き及んでおります」
そんな風に言われたら追い返しにくくなる。
この男は策士だと思った。
「貴公を採用しなかったら『差別だ偏見だ』と誹謗中傷されそうだな」
私は、フランス王国を二分する派閥争いを解消したいと望んでいる。
それに、人材難でもあったから、出身地域や経歴にこだわらないで謁見を許し、採用している。
「これは、失礼を申し上げました」
「いや、いいんだ。なかなか信じてもらえないが、派閥争いを解消したいと考えているのは本当だ。……私を信じてくれてありがとう」
私は、ジアックを迎え入れた。
ブルゴーニュ派の内情に通じている者は貴重だ。役に立つ人材だと考えた。
とはいえ、私の宮廷はアルマニャック派が主流だから、ブルゴーニュ派出身者は難儀するだろうと思っていた。
ところが、予想に反して、ジアックは数年で「国王付き侍従長」の地位まで駆け上がった。
いまや、私の生活全般を取り仕切っている。
ブルゴーニュ派からの寝返りと、その後のスピード出世のいきさつから、「ジアックは無怖公殺害の黒幕ではないか」と推理する者もいる。
個人的には、あの事件は計画的な犯行ではなく、突発的に起きた不幸だと考えているが、真相はわからない。
宮廷は、生き馬の目を抜くような過酷な場所だ。
ライバルを押しのけて出世するには、高い能力と広い人脈が不可欠だ。
ジアックが「やり手の侍従長」であることは間違いない。
だが、ジアックには想像を絶する裏の顔があった。
***
大元帥アルテュール・ド・リッシュモンは、ジアックを反逆罪で逮捕した。
「あの男は『国王付き侍従長』の立場を利用して、王家の財産をひそかに売却し、莫大な利益をあげています」
大元帥は、王に次ぐ権限がある。
とはいえ、私だって有能な侍従長をいきなり逮捕されて黙ってはいない。
それに、リッシュモンは宮廷入りしてからまだ日が浅い。
「何かの間違いではないか?」
以前から財政難だったから、資金調達のために私の指示で売却した物もいくつかある。
そのことで、侍従長が誤解されて横領を疑われたとしたら、私の落ち度だ。
私は財務方から出納帳と財産目録を取り寄せると、城内外にある王家由来の宝物や武器防具の現物と照らし合わせた。
私はジアックを信じたかった。
心の片隅に、侍従長の窮地を救うと同時に、リッシュモンの鼻を明かしてやりたい気持ちもあったかもしれない。だが、調査結果は失望に終わった。
「ヴェルヌイユ戦の直前、ジアックに武器庫へ行くのを止められたのはこういう訳だったのか……」
モントロー橋事件のとき、16歳の私の体型に合わせてプレートアーマー一式をあつらえた。
私は成人して王太子から王となり、以前よりも格式高いアーマーを身につけるようになった。
だから、きっとジアックは昔のアーマーは用済みだと考えて、なくなってもばれないと思ったのだろう。
私があれをミンゲに与えると言い出したとき、ジアックは内心で焦ったに違いない。
私の指示で売却した物も、利益の一部を不法に横取りしていた。
対イングランド防衛のために、各地域に送った兵站と戦費まで奪われていた。
ジアックは、私の信頼を完全に裏切っていた。
より詳しく会計監査を執行すれば、疑わしい資金の入出金がさらに判明するだろう。
リッシュモンの調査と報告書に、隙は一切なかった。
横領は明らかで、言い逃れる術はない。
「どうか、お許しください!!」
私から軽蔑のまなざしを受けながら、ジアックは必死に命乞いをした。
かつての「やり手の侍従長」は見る影もなくやつれ、髪と無精髭が伸び放題だったが、拷問された形跡はなかった。私は失望と嫌悪を感じながらも、少しだけ安堵していた。
「横領した金銭の全額返還に加えて、懲罰としての罰金刑、または領地没収を言い渡す。それから——」
当然だが、侍従長でいられるはずもなく、宮廷から追放し、さらに敵方への寝返りを防ぐために監視付きで幽閉しなければならないだろう。
気の重くなる話だが、妥当な処分だと思う。
だが、厳格なリッシュモンは違った。
「不埒な反逆者は、即刻処刑すべきと存じます」
リッシュモンは、侍従長ジアックの処刑を提案した。
「大元帥、いくら何でもそれは厳しすぎるだろう」
「王の命を狙った『大逆罪』ならば、八つ裂きの刑に相当します」
「確かに、ジアックのしたことは王家への反逆に等しい。だが、損なわれたのは財産であって、人命ではない」
私がそう言ってかばうと、リッシュモンは押し黙った。
しかし、納得した訳ではないようで、冷徹な視線でジアックを見下ろしている。
「陛下! こうなったからには、陛下のご慈悲だけが頼りです!」
「許すとは言っていない。私は心の底から失望している」
「あぁ陛下、陛下……!」
ジアックはリッシュモンに怯えていた。
がくりと膝をつき、髪を振り乱しながら、私にすがりついてきた。
「陛下は、ブルゴーニュ派出身の私を信じてくださった! 陛下の信頼に応えようと、私がどれほど心を尽くしてお仕えしてきたかを今一度思い出してください! 一時的に悪魔の誘惑に負けてしまいましたが、今後は心を入れ替えて、今まで以上に! さらに励みますから!! だから、だから——」
なりふり構わないジアックに恐怖を感じて、私は数歩、後ずさった。
ジアックの表情に絶望が浮かんだかと思うと、次の瞬間、血走った目が飛び出しそうなくらいに見開かれた。
金属が擦れ合う不快な音がして振り向くと、リッシュモンが剣を抜こうとしていた。
鞘から解き放たれた剣はよく手入れされていて、銀色の光を反射した。
「ひっ……」
「大元帥、何を……?」
リッシュモンは顔色ひとつ変えず、じゃり、と一歩踏み出した。
「侍従長ジアック。確か、貴様は右利きだったな」
「嫌だ……やめて、やめてくださ」
「ならば、悪魔と契約したその右手を切り落とすがいい」
「待て、リッシュモン!」
静止は間に合わなかった。
リッシュモンはためらわずに剣を振り下ろし、私にすがりつこうとしたジアックの右手を一刀両断してしまった。