蔓延る人々
世の中には現実も空想もネット世界もなにもかにもが理解できていない人がいるらしいです。そんな人を念頭に作りました。
いつもいつも思うのだ
小説を読む事が好きではない。
直ぐに文学がグチャグチャ幅を効かせようとしてきます。
ウザいです。
これは同調圧力では無いでしょうか。
江戸川乱歩賞が日本では賞としては一番高額なのですよ多分。
何故か芥川賞や直木賞や角川がでかい顔をする。
………KADOKAWAバンザイ!! ∩( ´∀`)∩
巷で話題の社会貢献率は江戸川乱歩の社会貢献率がより大きいのは明白。因みに潜在的な社会貢献率も含んでいます。
世の中の大半の非論理的な発想等、江戸川乱歩を読めば一挙に解決する。
論理的な思考とは何かを学べるからです。
さて、何故この世に江戸川乱歩の少年探偵団シリーズがあるのか。
或いは、アガサ・クリスティーのポアロシリーズ等があるのか。
この流れでは少なくともシャーロック・ホームズのシリーズは含めるべきではない。あれは探偵小説です。
推理小説ではありません。
何故、論理的な思考力が乏しい癖に、自身の頭が良いとか思うのだろうか。
まあ、世の中の論理的思考力で全て解決する訳ではないが、江戸川乱歩やアガサ・クリスティーを読み、名探偵の師事を獲ながら事柄を捉えていけば、どれだけ自身の知能が使い物になら無いか理解できるはずだ。
世の中って本当に恐ろしい。
因みに探偵小説と推理小説の違いは、大雑把に言えば、探偵小説は探偵の活躍する姿を見せる事しか考えない。
推理小説は、論理パズルをベースにして文面で肉付けをした代物を言う。其のみとは言えないけど。
松本清張とかは……。何か良くわからない。多分推理物? らしい。
個人的には何あれ? って感じなので。スミマセン。
【考える葉】ってなに? 面白いの?
良く分からないものが流行るなぁと思いました。点と線の話と多分同じ様な内容。
それはさておき、論理パズルのライトノベル版の様な江戸川乱歩やアガサ・クリスティーを読む事が出来ず、犯人を当てる事も出来ないのに、週刊誌チョロッと見ただけで犯人が分かるとか、あれは被害者じゃないとか『私達僕たちは分かる!』とウザく言ってくるとか、面倒な事半端無い。
そもそも、故意の犯罪以外件の案件では、犯罪者も含め情報弱者になる確率高いし、故意の犯罪で犯罪者以外が事件に於ける情報弱者になる確率高いから。
警察でさえ情報弱者から抜け出す為に組織捜査やっているのに、捜査権の無いマスコミとか週刊誌の情報だけで、クーラーの効いた部屋で寛ぎながらとか、酒飲みの肴にするだけの人々に、犯人が分かったとか、被害者じゃないかどうか分かるとか、世の中嘗めるのもいい加減にしろ! と言いたい。
当たったから。私達俺分かる!
とか、思っている人には、思考の且つ無形の知育道具を進呈しよう。只だから。けど、馬鹿だと理解できないかも。
とあるところに、自分はサイキック能力があると、豪語する男がいた。その男の所に学者が来て確かめたところ、男は確かに数回に一回位のペースで当てることが出来たと。
人々は数回に一回とはいえ当たった事が凄いと褒め称える。
だが、学者は宣言する。彼はサイキッカーではない。と。
人々も男も不満を持つ。が、そう言う事なのだ。
学者は言う。確かに男は当てた。しかし、それは次の状態である。4枚のカードの内、ランダムで一枚を指定する。指定させたカードを当てよ。と。
そして、男は数百回に渡る同一の実験の結果実に25%の確率で指定されたカードを当てる事が出来た。
更に20枚のカードの内の1つを指定して同一の実験を数百回に渡る同一の実験の結果当てる事が出来た値が実に5%まで下がった。
これでは他の人よりも何かの能力があるとは言えない。と言って学者は去っていった。
さて、これ等を念頭に浮かべ考えた時、彼女彼らは数学に於ける確率論的に当てる事が出来たのか。
それとも超能力があり、常人よりも見えないものが見えたのか。果たしてどちらだろうか。
分からない人は数学を学んでね。
この考えの肝は、そもそも全ての人は数学的に当てる事が出来るのある。
それは4枚の内一枚と言うものであっても、その状況下で人の集団が当てる事が出来るのはどの程度か? に対する答えとして、この賭けは、4人に一人が当てる事が出来る。と出た。
つまり、この賭けの確率の集団への提供は4分の1となる。
では個人が引く場合はこの賭けの確率の提供はどの様になるのか。
それもまた、4分の1となる。
4枚の内一枚と言うものは、常に4分の1の確率を、引く対象に提供するのである。
ではその状態で当てているのは人並みである事が分かる。
能力の保有者は“人よりも当てる事ができる”が前提の為、4分の1よりも当てる確率が高いか低くなければ、某かの能力保有者とは言えないのである。
ところで何故、4分の1より低い確率の人も能力保有者として認定を受けるのか。
もう一度言うが、人並みは4分の1となるので、4分の1より低くなる事など有り得ないのである。
数学的確率で4分の1となるのが普通であり、若しそれが満たされないのであれば、それは何らかの因子による影響が、4分の1よりも低い結果を呼び寄せているのである。
つまり、その因子が、何かの影響となるので、何の影響であるのか証明出来ない場合は何らかの能力の保有者と認識せざるを得ないのである。
そして、これは20枚の内一枚と言うものであっても同じである。能力の保有者であるなら20分の1よりも多く或いは少なく無いと能力の保有者とは言えない。
なので、20分の1となる確率を提供する賭けを行って、5%の当たりの結果は人並みであるので、能力の保有者とは言えない。
つまり、このやり方を応用すれば、某かの些末な情報から、或いは事件に対する情報弱者のマスコミの報道から、事件に対する情報弱者である警察が、体制を総動員して捜査しているのにも係わらず、警察よりも先に事件の真実を証明して見せているのだ! と言う戯言が、事実か騙りなのか証明出来るのである。
言いたいのは1つである。
『私・俺そういうの分かる人!』は錯誤である。当たった事のみを覚え、外れた事を忘れる。その様なご都合主義者であるにも係わらず、『人々が見落とす事でも自分は見逃さず、辻褄を合わせて真実の姿が見える』など妄言も甚だしい。
生ゴミが! 病院行って頭直してこい!
理論値だから。録に学校も出ずに社会出てから仕事終わりに酒のんで、ゲームしてべらべら気分のままになんも考えず生きてるだけの人間に理論値通りの能力なんて身に付くわけ無い事ぐらい理解できる頭を持ちましょう。
大学入るだけで満足してその後遊び呆けて、録に勉強もせず小論文こなした程度で自画自賛して、自分は高みにいると勘違いするなんて馬鹿としか言いようがない事を理解しましょう。理論値ですよ。理論値!
冷静沈着で頭が切れて目端が利いて自分は人が見落としがちな情報から、物事を積み上げて見えないものも見えるとか。
学習意欲の無く方向性の違う学を得た程度では、件の能力身に付きません。無理ですから。ただの門外漢にしか成れません。そんな生活や人生設計で理論値通りの能力なんて身に付きませんから。
能力をつけるなら、努力と努力の方向性が適切であることが重要ですから。それらを踏まえずに、『私俺分かる!』は有り得ませんから。