婚約破棄されたらドラゴン令嬢になった件について
「リリアンヌ様!このような些事は俺が、いや、私がいたしますッ!」
そう言って卑屈に笑う男を横目に見ながら、私はヒクつく口の端を抑えながら彼に微笑みかける。 彼は私の元婚約者……いや、婚約者で、第一王子・オルレアン・シルティードである。正直非常に鬱陶しいが、後々のことを考えればこの男を無下にすることができない。
ため息をつきつつ、私は私の生活が一変するきっかけとなった魔法学園の学位授与パーティに思いをはせるのだった。
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「アルバート・リリアンヌ公爵令嬢!俺はお前との婚約を破棄する!」
その言葉を聞いて、私が感じたのは足元が崩れ落ちるほどの衝撃だった。
学位授与パーティのメインイベントである学位授与も一通り済み、卒業生と在校生が学園での最後の時を楽しんでいる中、もう一つのメインイベントとでも言うかのように、5人の男性と1人の女性に取り囲まれ、会場全体に注目されながらの出来事だった。
婚約破棄。婚約を解消したい、という打診でもなく、婚約相手を変更したいという要望でもなく、婚約を解消するという宣言である。
確かに目の前にいるシルティード王子と私の間に恋愛感情はない。だが、逆に嫌いあうほどの感情も持っていなかったはずだ。
ごくごく普通の政略結婚。むしろ幼いころからことあるごとに関わり合いがあり、相手が自分の伴侶に足ると確信できる程度の信頼関係をむすべている分だけ、政略結婚としては恵まれているはずだった。
それに、お互い婚約相手を選択できる身分でもない。
アルバート公爵家に比肩しうる、あるいは王家に嫁を出せるほどの家格の釣り合った家には、現在跡継ぎ等を除き国内に適齢の令息・令嬢はいないのだ。そうなれば当然国外の大貴族、王族との婚姻が視野に入ってくるが、両家は国内での基盤固めの方を優先し、私たちの婚約を結んだ。それは純然たる政治判断による政略結婚であり、そこに当人たちであっても異論をさしはさむ余地はない。
もし仮に意義を申し立てれば、どちらかの家の品位が恐ろしいほどに貶められることになるだろう。こんな条件を与えられたのに王子に愛想を尽かされた令嬢に矛先が向くのか、それとも政治的な婚約を一方的に打ち切る王子が非難されるのか。どう転ぶかは現時点では分からないが。
私は萎えそうになる足に何とか力を籠め、震える声で彼に問うた。どうして、と。
するとシルティードは、いやシルティードのみならず、そこに集まった残り4人の男性。第二王子エラート、伯爵令息レイモン、ギルデロィ商会の息子マードル、そして教師であり子爵家の出でもあるヒューリッヒ。彼らも私の声に反応し、剣呑な雰囲気を漂わせた。
「どうして、だと、ここまで来てしらばっくれるつもりか!いいだろう。そんなに白日の下にさらしてほしいというのなら晒してやろう!お前が俺のアイシャに行って来た悪逆非道の数々を!」
そう言って彼が声高に話したのは、身に覚えのない悪行の数々だった。
曰く、アイシャの行く先々に現れ、足を引っかけたり大勢で囲んだりして授業に間に合わないようにした。
曰く、アイシャの靴を隠したり、教科書を破いたりした。
曰く、彼女の服や食事の中に、虫やカエルを入れた。
それはそれはめまいがするほどに低俗で下品な嫌がらせが、王子の口から私がやった悪行として、まるで鬼の首を取ったかのように語られていった。
私はそれを黙って聞いていることしかできなかった。身に覚えは全くない。それどころかアイシャ……恐らく王子の後ろにくっついている女生徒がそうなのだろうが、彼女を一個人として認識したことすらもおそらくは無かった。
生徒から、王子が最近平民の娘と懇意にしているようだと聞き、婚約者として節度を持って接するように王子に伝えたことは確かにあった。しかし、それは王子に向かって告げた言葉だ。
婚約者を蔑ろにして平民の娘に熱心に接している王子に思うことがあろうと、平民の娘に嫉妬するなどそんなことは考えすらしなかった。
「お前の罪が分かったか!全く、このような女の婚約者だったとは、本当に自分が情けない!!」
そんな風に言われるだけ言われ、私はまるで体の感覚を奪われたように動けないでいた。何故私は、謂れのない批難でここまで貶められなければならないのか。何故彼はこんなに怒っているのか……どうして、私が、なんで、なんで!
そんな時、私は見てしまった。シルティード王子の後ろに隠れた少女、アイシャの顔が怯えたものではなく、してやったりとほほ笑んでいることに。
その瞬間。私は淑女としての所作も何もかも忘れ、喉も割れんばかりの大声で叫び、そして意識を失った。
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魔法学園の学位授与パーティで行われた王子と公爵令嬢の婚約破棄騒動は、顔を顰める者達も多かったが、はやし立てる者達も少なくない数が存在した。王家と公爵家の結びつきが強まるということは、逆に言えば他の貴族家の発言力が相対的に弱くなるということだ。
例えその内容が信憑性の薄い戯言の類だとしても、それを否定するだけのメリットを貴族子弟たちは見出さなかった。
そして、その瞬間はやってきた。
「ふざけるな!」
その声が聞こえた瞬間、会場の空気は凍り付いた。楽団の音さえも消え去り、更にはその声のあまりの大きさに、会場にいる全ての人物がそこを見つめた。
そこにいたのは、リリアンヌ令嬢のはずだったが、それはリリアンヌ令嬢ではなかった。その身は一回り大きくなっており、大まかな見た目は人の体であるものの、その身には赤く燃えるような鱗が随所にうかがえ、頭には巨大な角が現れていた。
「くくくくく、くははははははははは!!」
リリアンヌ嬢の笑いに、皆縛り付けられたかのようにその場で動けず、気の弱い令嬢などはその場で気を失い、しかし、それを支えられる余裕のある者などそこにいないため、ただ倒れるままになっている。
そんな惨状の中、リリアンヌは王子たちに向けて語り掛けた。
「わらわが殺されて、大凡2年と言ったところかえ? まさかこのように早く復活できるとは思わなんだぞ。なあ、シルティード、エラートよ」
「……まさか、紅炎龍王様、ですか」
シルティードが発した名前は、この国を代々守護する4柱の龍王の1柱にして、2年前に老衰で死を迎えた龍王の名だった。
「うむ、王家なら、知っておろう。龍は滅びぬ。契約に基づき、死した肉体を捨て去った我らは、契約を果たしたお主らの血筋の者の体を借りて復活を果たすのだ」
そんな王子とリリアンヌ……いや、リリアンヌの体を借りた紅炎竜王の会話に、未だに意識を保っていられた貴族たちは自然に跪き、頭を深く垂れていた。
龍王は定期的に死に、そして次代の龍になるまでを人の身で過ごす。そうして脈々と守り続けられたこの領土において、龍王の権威というのはある意味王家など比較にならないほどの権力を発揮するのだ。
そうして皆が首を垂れた中、またしても龍王の軽やかな笑い声だけが響き渡る。
「それにしても、愉快なことよな? まさか、わらわを殺した者と、この体の婚約者が恋仲とはのぉ」
その言葉に、会場全体から、気圧されていたはずの貴族たちの驚きや動揺の声が漏れ聞こえる。そして、慌てて振り向いた王子の目には、限界まで顔を蒼ざめさせたアイシャの姿があった。
「ちがう、私は違う! そんなの、この人の言いがかりよ!」
目の前で龍に変貌した姿を見ても危機感を覚えないのだろうか? 往生際悪く、アイシャはわめき散らす。
「そうか? 2年前の銀龍祭の日、死期も近く、弱っていたわらわに死人草の毒を混ぜた供え物を食わせたのはお主ではなかったかの? そして、今身に着けているその胸飾りと頭飾りの材料は、一体何かのぉ?」
面白がるように、しかし、一切笑っていない目でそれを言いきる龍王に、アイシャは胸と髪についていた赤いウロコの様な装飾品を掻きむしるように取ると、隠すように自分の体に抱きしめ、「だって、ちがう」とぶつぶつと言い訳を呟くだけになった。
それを見て、王子が必死に言いすがる。
「アイシャは絶対にそんなことはしない! 彼女は優しくて、明るくて、俺を救ってくれた人なんだ! だから、だから、龍王様を殺すなんて、そんな……」
その言葉に、スッと目が細まった龍王が、先ほどとは打って変わって、冷めた声で続けた。
「では、お主はこういうのじゃな? 龍王の言葉など信じられぬ、こいつの話は聞く価値もない。と? 殺された当人がこうして出張っている目の前で? はっ。興ざめじゃ、あやつの子孫じゃから多めに見ておったが、お主、立場が分かっておるのか?」
その言葉にかけられた怒りは、どれほどのものだったか。その威圧感に、シルティード王子は何度も気絶と覚醒を繰り返し、体中の全ての穴からあらゆる液体を垂れ流して立ち尽くすことしかできていなかった。
「あやつの子孫とはいえ、これでは猿も同然じゃ。生き恥を晒す前に処分してやるのも、慈悲というものじゃ」
そう言って、彼女は王子に向かってゆっくりを歩みを進めていく。その足を止めるものは一人も……。
「待っていただきたい!」
いや、一人だけそれを止める男がいた。いや、一人ではない。その者は何人もの兵士を引き連れ、そして、兵士はその場に来たと同時に、アイシャを拘束し始めた。
一通りのことが終わると、先頭にいた男は彼女に傅き、自分の意志で深く頭を下げた。
「またお会いできて光栄です。紅炎龍王様。復活おめでとうございます。……そして、復活そうそうこのように身内の恥をさらすことになりまして、本当に申し訳ない」
それを聞いて、彼女は龍王が憑依してから初めて、柔らかな笑みを浮かべた。
「おおエリック。久しいのぅ、お主が王になってからなかなか来てくれんので、退屈をしておったのじゃぞ。……と、まあ旧交を深めるのも大事じゃが、今はこいつらのことじゃ。……お主が出張ってきた理由じゃが……もし息子だから、とか適当な理由をつけて減刑を求めるためというのなら、いくらお主でも容赦はせぬぞ」
それを聞いて男、この国の王である、オルレアン=エリック王は、龍となった少女を見据えて答えた。
「儂もことの重大さについては重々承知しております。そして、弱っていたとはいえあなた様を殺した令嬢につきましては、酌量の余地もなし。国家を裏切る反逆者として、協力者がいないかなどの取り調べののち、公開処刑をし、彼女の家も責任を取らせることをここに宣言することとしよう。
しかし、王子の罪は、国家を直接傾けるものではない。勿論王家の品位を下げることにはなりましたが、一番の被害者はリリアンヌ嬢だ。儂は罰を与えてよいのは、被害を受けたものだと思っております。
その結果王家を信用できないというのなら、儂ら王家の命を捧げるのもやぶさかではありません」
それを聞いて、紅炎龍王は満足そうに頷いた。
「なるほど、リリアンヌに任せる、か。お主も覚悟しているようだし、今回はこれで満足しておこうかの。王子とそこの木っ端。感謝するんじゃの。リリアンヌがお主らに少しでも信頼を持っていれば、許されるかもしれんぞ」
そう言って、この国を守護する偉大なる龍王は、たった一人の令嬢に舞台を譲ったのだった。
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気が付くと、国王様が目の前におり、その後ろでは体中からいろいろな物を噴出させて気絶しているシルティード王子がおり、そして、その更に後ろでは跪いているか気絶している貴族の面々がいた。
「……え?これ、どんな状況なんですの?」
茫然としていた私だったが、冷静になると頭の中に急速に浮き上がってくるものがあった。それを辿っていくと、どうやら先ほどまで起こっていたことの記憶のようだ。
そして、その記憶に翻弄され、動揺している私をしり目に、エリック王が私の前に跪いた。
「リリアンヌ嬢よ。この度は本当に済まなかった。謝って許されることではないのは分かっている。
……あなたが王子に、そして王家に与える罰を決めてくれ。儂はその決定に逆らわんし、あのバカ二人にも必ずその罰を守らせると誓おう」
さすがに公爵令嬢とはいえ王様に頭を下げられたことなどない。そのことで一周回って冷静になったのか、私は恐ろしい未来に思いをはせてしまった。
ここで、もし、私が怒りのままに重い罰を与えてしまったらどうなるだろうか。王家には現在、二人しか王子はいない。つまり、ここで両王子の廃嫡や処刑などしてしまえば、王家は跡継ぎがなくなる。エリック陛下は高齢であるからよほどの奇跡が起こらない限りは王家の断絶となるだろう。それだけではない。
この罰はアイシャの取り巻きだった残り3人にも波及するはずだ。ノークス伯爵家、レイモンの家は代々外交関係に長けた家であるし、マードルの実家であるギルデロィ商会はこの国一番の商会である。ヒューリッヒに関しては優秀な教師だったものの、替えがいないわけではないので問題は少ないが、それでも教師が生徒と交際(しかもハーレム要員の一人)となっていたことは、確実に学園の評判を落とすことになるだろう。
これらの全てによる影響が一気に噴出すればどうなるか……貴族社会と国民に起こるであろう大惨事と混乱を想像し、私は顔がさぁっと青くなるのを感じた。そして、考えて考えて、考え抜いて、私はある結論に達したのだった。
「ぐすん……ひどいですわ。シルティード様」
急に泣き出した私に、未だ意識のあった貴族たちは何事かと目を見張ってこちらを見つめた。
「私がこんなにお慕いして差し上げているのに、他の女に現を抜かすなんて。でも、もし、もう一度私を愛してくれるのなら……」
そう、王子に心底惚れていて、裏切られても未練を残す愚かな令嬢を演じることで、王子たちが当然受けるべき罰をうやむやにするという結論である。そんな私の姿を見て、王は芝居がかった態度で驚いて見せた。
「なんと! もしやリリアンヌ嬢はこの愚か者を赦し、あまつさえ婚約を継続してくださると?」
「ええ、きっと、もう一度振り向いてくれると、信じていますから」
全く心にもないことを答えると、最後に忘れないように付け加える。
「他の方も、ほどほどにしてあげてくださいね。きっとシルティード様は、自分だけ罰を受けていないとなれば、気に病んでしまうでしょうから」
「分かった、そうしよう」
そう言ってようやく、私はこの惨状となったパーティ会場から立ち去ることを成功させたのだった。
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そんな波乱の学位授与パーティから数日。婚約破棄騒動の混乱は最小限で済んだ。龍王の逆鱗に触れたといううわさ話は各家の評判を著しく落とすこととなったものの、ノークス家は取り潰しにはならなかったし、ギルデロィ商会は一部利権を手放すことになったが、何とか立て直せる程度の損害で済ますことができた。ヒューリッヒは解雇処分になったが、臨時講師がすぐに来たので問題はなかった。
一番大きかったのは、アイシャ関連だろう。尋問の結果、毒を斡旋した闇商人や、その後龍の一部部位を解体し、自然死した遺体に見えるように細工した人物、龍の素材だと分かりながらも販売に加担した人物などアイシャ本人を筆頭に十人単位で処刑された。
なお、龍の前では家の責任の話も出ていたが、両親も既に他界しており天涯孤独の身だったようで結局殆ど意味のない宣言となった。
尋問の際に「こんなの知らない、ルートになかった」だの「悪役令嬢のリリアンヌが守護竜なんてありえない」などと言っていたようだが……まあ、意味の分からないことは考えても仕方ないだろう。もう死んだ人間のことをうじうじと悩むのも馬鹿らしい。
それよりも、目下問題なのは……目の前の青年だった。
シルティード殿下は現在、私の婚約者として過ごしている。が、その地位は奴隷以下だ。これが私が望んでそれをしているのならまだいいのだが、実際にはそうではない。龍王ににらまれ、気絶と覚醒を繰り返した結果、王子自身が”自分は目の前の令嬢に生かされているだけの蛆虫であり、彼女に尽くすことが自分の存在意義である”と自分を定義してしまっているのだ。
その結果、常に付きまとい、私のことを何でもしようとする残念イケメンが完成してしまった。
そもそもなかった愛情関係が婚約破棄で友情関係さえも失い、更にその後の対応で、もはやうっとおしいを通り越して殺意さえ湧いてくるほどなのだが、ここで彼を遠ざけるとうやむやになっていた令息たちの責任問題が再燃しかねないので側に置いておくしかない。これも私が出した答えなのだ。我慢するしかないのだろう。
少なくとも、この王子が処罰されて消えても安定して国が存続できるくらいに今回の婚約破棄騒動の余波が収まるまでは……。
「全く、我ながら大変なものを抱え込んだものね」
”ふっ、ならば怒りのままに離縁状でも何でも叩き付ければよかったものを。王もそれを無下にはせんかったろうよ”
「そうね。でも、あなたを抱え込むくらいでこの国を平和的に存続できるならそうする。それをしてもいいと思えるくらいには、私はこの国が好きなのよ」
私は体の中にいる同居人に話しかけながら、午後のティータイムを楽しむのだった。
ヒロインポジのアイシャさんはいわゆる乙女ゲーム転生者です。そして、彼女はコレクターでもありました。
龍の鱗は、ゲーム内では龍王の死後、葬龍祭に参加した者が与えられる一枚切りの確定アイテムでしたが、使用法は攻撃力を上げる"炎龍のアミュレット"と、魔力を上げる"炎龍のタリスマン"の二通り+高額売却アイテムと、3通りの使用法がありました。
転生した彼女は、どうにかして二つのアイテムを手に入れるため、炎龍の死の第一発見者になり、鱗をちょろまかす計画を立てました。
また、龍の転生条件はその龍に該当する、一定以上の負の感情で、炎龍の場合は怒りの感情になります。
ゲーム内での第一王子ルートは本来円満解決ルートで、恋仲になった二人を見て本来の婚約者のアルバート嬢が身を引く、という流れでした。
もし、アイシャさんが乙女ゲームの通りに進めいれば、彼女の死後まで炎龍は復活しなかった可能性は高い。
※龍王たち
名前 属性 色 感情
紅炎龍王 炎属性 赤 怒り
蒼氷龍王 水属性 青 悲しみ
碧礫龍王 土属性 緑 欠落感(主に飢えなど)
玄月龍王 空属性 黒 絶望
因みに仮に各龍でアイテムを作ると氷龍は防御能力、礫龍はHP・MP、月龍は習得スキル・魔法に効果があるアイテムになる。