四、黒い手
ガンデンに向かいながら、男はグロウスタインについて軽く教えてくれた。
グロウスタイン。
10年前に狼ノ国にできた新興国。今ではかつての蛇ノ国、猪ノ国、鷹ノ国の旧四国の領土をグロウスタインが一国として治めている。
”神族と人間が平等に共生する社会”を掲げている。そのための施策に熱心で、特に魔力の研究が盛んに行われ、その研究院は国の中心的な機関となっている。
「僕はその研究院で、昨日ちょっと説明した再現研究というのを行っていて、それを専門とした研究所の所長をしているんだ。
あ、そういえば僕、名乗った?」
ハッと思い出したように男がキョウに尋ねた。
キョウは首を振る。
「そっかあ。ごめんごめん、すっかり名乗った気になっていたよ。僕の名前はアイザックと言います。よろしく。」
いまさら、自己紹介をされた。
「俺はキョウ、こっちはミヤマ、で先にあなたの国へ行ったのがハナ。」
「うんうん、知ってる知ってる~何度も呼んでたからね。」
アイザックは再現の研究をしていて、魔力を正しい手順を踏めば誰もが常に必ず同じ効力で使えるようにしたいらしい。
キョウの心にむくむくと新しい感情が芽生え始めた。どきどきと心が高鳴る。
「それが錬金術…。」
そしてポツリとこぼれた。
「お、興味あるかい?新しい研究員は大歓迎だよ。」
アイザックが両手を広げた。
キョウはもう一つ、昨日から気になっていたことについて彼に聞いた。
「あなたの右手のそれも再現研究と関係あるの?」
アイザックの右腕は昨日のハナの毒で服が溶け切ってしまっている。今になっては腕の炎症もだいぶましになっているがキョウの関心は肘から下にあった。手は手袋をしているのでよくわからないが、アイザックの手から肘にかけて、黒くなっているのだ。昨晩の化け物の炭のようなボロボロの手とは異なり、真っ黒な痣が肘から下を覆っているようだ。そしてそこに青い筋が血管のようにうっすらと伸びている。
昨日見たときから地味に気になっていたのだ。
「これは、」
アイザックはその黒い痣を左手でそっと撫でた。
「これは再現なんかじゃない。…気にしないで、なんでもないから。」
それだけ言うと前を向いて、また歩き始めた。
するとそれまで黙ってアイザックとキョウの後ろをついてきていたミヤマがキョウの袖を引っ張って、小さな声で囁いた。
「俺、昨日、夜中目が覚めたの。あの人、右手の黒い痣のとこ、抱えて苦しんでた。痛そうにしてたよ。」
そうか、
きっとただの痣ではないのだろう。
「そういえば、ミヤマ、昨日のこと、どこまで覚えてるんだ?」
ミヤマは朝起きて、特に騒ぐことも慌てることもなく、後についてきた。
「アイザックが助けてくれたとこまで。次に気づいたときに、アイザックが苦しそうにしてるの見たんだ。すごく怖かったんだけど、しばらくしたら起きた俺に気づいて全部話してくれた。」
そうだったのか。まったく、頑固なのか聞きわけがいいのかわからんな。
キョウはミヤマの右頬をつまんで引っ張った。
「いたい!!!!」
キョウの手をはたいて手で頬をさする。
「そういえば、俺、街へ行くの初めてだ。」
キョウは生まれてからこれまで街へ出た記憶がない。
「俺も街は初めてだ。村とは違うのかな。」
ミヤマは虎ノ国の村出身だというのを前に聞いたことがある。
「ガンデンは土地は広いけど多くの人が住んでるわけではないからそこまでにぎやかな街ではないね。七日森とは少し違うけどあそこも土が恒常的に固いんだ。だからそれに負けない硬い木が育つんだけどそれがまた香木揃いでさ、そんで水分を多く蓄えてるもんだからその木の皮で肉やら何やら巻いて焼くと香りがよくて肉もふわふわでめちゃくちゃ美味いらしいんだ。それ食べようね。」
そうまくしたてるアイザックの口からヨダレがこぼれた。
本当にこぼした、拭け。
しかしキョウもミヤマも昨晩から何も食べていなかったのでアイザックの話はかなり魅力的だった。
「その木の皮自体が名産品だから、服とかには不向きだけど、鞄なんかは丈夫だしいい香りだし人気だよ。それも買おうね。」
「ガンデンに行ったことあるの?」
ミヤマが聞いた。
「いや、僕はないんだが、研究員の中にガンデン出身がいてね、その子に教えてもらったんだ。は~楽しみだねえ。」
アイザックがスキップした。
ミヤマも目がキラキラ輝いている。
そしてキョウもアイザックの話に、初めて訪れる街という、想像だけだった世界に足を踏み入れることに僅かながら期待しているのであった。