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taffees

one Wish left

作者: 外並由歌


 店内に人が入るとクヲンは一瞥して切り替える。自分一人の空間、から、他人一人の空間に、感じ直すのが昔からの癖である。お陰で客がいる間の自分の作業は身にも頭にも定着しない。客と空気と空気のような意識の自分。オーナーにはもうその必要はないのになと笑われる。笑われるが、いつまでも抜けない癖であるし、癖を塗り変えるほどの客足のない店番では治りようもないというものだ。そう開き直っている。

 時刻は昼で、入店してきたのはハニーブラウンの波打つ整った顔の女だった。高等学校に通うくらいに見えるが、今日は平日で彼女は私服だから童顔なだけかもしれない。髪と殆ど変わらない色のコートから伸びる足は黒のタイツを着用しているようだが、うっすらと肌色が覗く膝を見るだけでクヲンは寒くなれた。ここで意識を切る。

 女はどの棚にも向かわず、店内を見回すことすらせず、真っ直ぐに勘定台まで歩いてくる。やがて多少重い音をさせて、クヲンの頬杖をつく前に何か紙を出した。再度自分の存在を認め、その紙を見る。薄い箱の簡単な構造を示すようなイラストで、箱の外側はピンク色で塗られており、文字が載っていた。“PRIMARY COLOR”。

 彼女は日本語で何か言った。クヲンはドイツ語が一番聞きやすいのだが、日本語も聞けなくはなかった。ただ、充分理解出来るわけではないため、英語で話して貰えるよう頼む。自分だって日系じゃないくせに配慮はないのかと、怒りではなく単純な興味で考えながら。女は面倒臭そうに顔を歪めて英語に直した。


「これを売ってるって聞いたんだけど」


 そっちの棚、と右の方を指差すが、単に流通の少ないガムを探しに来ただけならこんな聞き方をしないだろうとなんとなくクヲンは分かっている。やはり彼女は苛立たしげに「買わないから」と返してきた。じゃあ何をしにきたのかと少々おどけて問うてみる。苛々する女性をつつくのが特別好きな訳でもないのだが、コミュニケーションとしてその必要を感じたのは、彼女は厳しい性格の持ち主だと思われたからかもしれない。すぐに叱る女性や冷たい女性は苦手だ。上手い具合に解れてほしいものだが。

 彼女はさしてその道化に取り合わず、用件だけを伝える。


「これを買ってく女の子がいなかった? 私より背が低くて、同じ高校生なんだけど」


 なんだこの人高校生だったのか、という感想は現れかけて消える。“原色”のピンク——ローズを買っていく少女。数ヶ月前に初めて来たときは、確か学生服を着ていた。切り揃えられた顎までの黒髪や、多少呆けた様子や、確認に使える特徴は幾らでもあったが何より特定出来る事実があったのでそれで端的に済ませることにする。


「被爆した学校で殺された子?」


 相手は急に、怒りや憎しみの表情をあらわにした。長い間の後、重たく鋭い声音で一言、肯定する。

 “ローズ”の友人がここまで来て一体何をするつもりでいるのか、聞かずとも予想出来た。少なくともクヲンには。友人の死を悼み、追想の為に同じガムを購入しにきた訳でも、各地に残る友人の記憶を集めている訳でもない。

 取り敢えず、労う。「よくここまで来たね。警察ですら辿り着かなかったのに」殺人事件であることは確からしいし、ならば情報を集める為にここに来ても可笑しくなかったのではないかと思うが、“ローズ”関連ではこれまで誰も来なかった。「いや、辿り着こうとしなかったって言うのが正しいのかな」何しろ外が関わっているから。

 少女は聡く、情報隠蔽の単語を呟いた。R2は真実の追求をして他国と衝突するより、国内で痛みを押さえ付けることに腐心する国だった。だからこそクヲンもここにいる。この国は違法に存在する外国人だらけだ。


「あの子にあったことについて知ってること、全部教えて」

「つまり犯人を探してる訳だよね」

 彼女は取り出したメモから視線をこちらに移した。「知ってるの? それともあなたなの?」

「……単なる予想。というより勘、かな」

「言ってみて」


 まるで教師のように偉そうだ。そう思って僅かに肩を竦め、彼女がはじめに出した紙を見、クヲンから見て右にある棚を見、ミント、と答えた。話してしまっていいのかと、微妙な躊躇を感じて不思議な気持ちになる。お得意様だからなのか、一応友人にカウントされているからか、自分の過去を掘り下げられることを恐れているのか。どれだって大したことないとオーナーなら言うだろう、だなんて、想像までしている。

 彼女の反応は女子高生のそれだった。すなわち軽蔑に近い感情の音を伴うHaの発音にすべての疑問を載せていた。丁寧な英語に直せば「I don't know what you mean」あたりだろうか。不真面目な勉強の成果はこうやってふと現れる。日本語は聞けるし話せる、通常なら。クヲンの場合それは全て素直に取り込まれなかったし、今現在忘れることに努めている。どこの養育機関か知らないが、彼は随分の素直か真面目かのどちらかだったと推測できる。


「このガムは全部で十二種類で、そのうちのグリーン、ミントをよく買っていく人がいてさ。この子」イラストのPRIMARY COLOR を指先で叩く。「ローズの子と、よく話してた」

「……そいつだっていうの?」

「アラブ系の人で、一時的にR2にいて、多分不穏な仕事をしている、不真面目な」(そして素直な)「人。二十歳過ぎくらいじゃないかと思う」

「根拠は?」


 だから勘だって、と口にして心の中では、同じ境遇にあった人間の、と付け足す。

 鏡を見てご覧よと言われたのを“ミント”に会う度思い出していた。まるで野生児だ、と、即座には納得しがたい例えをされた。「野生で獰猛な動物と生死の駆け引きをしている人ってこんな目だよ、きっと」オーナーはそう言うと笑い転げた。そういう奇人なのだ。でも同じことをクヲンは“ミント”に思った。獲物を狙う野獣のようなその鋭い瞳を一体どこで手に入れて来たのか。今目の前にいる少女もなかなかきつい睨み方をするが、まだ全然可愛い方だと思う。けれど、いつかは同じ瞳になりそうな予感もしている。

 そしてやがてクヲンの「教師」になるのだと言われれば納得してしまいそうだった。過去にこの教官がただの娘だったころに出会えたら撃ち殺してやると思ったことがある。それが今なのかと錯覚はしない。

 じゃあ、その人に関することも全部教えて、と少女は言う。結局みんな話すことになるのかと残念に思った。面倒臭い。


「“ミント”が来たのは半年とかそれくらい前。あの学校が爆撃を受けた後だよ。PRIMARY COLOR を見つけて、ミントを幾つか買ってった。随分あのガムが好きみたいで、人気のない商品なのにもう流通してないレッドが置いてあることについてわざわざ褒めてってくれるくらいだった」

「それで」

「帰ったのは二週間くらい前。“ローズ”が死んだ次の日」

「ネア」

「…なんて?」

「ローズじゃなくてネア」


 ああ、と相槌を打ちつつも、どうでもいいじゃないかと思った。

 出身などの情報を話すよう促されたのでそれに従う。


「本人曰く中東から来たらしいけど多分嘘。多分ね」

「根拠は?」

「中東の小国は俺の出身だから」


 相手のメモする手が止まり、疑わしげな視線を寄越された。クヲンの肌は中東で生まれたと言うには白過ぎるので無理もない。

 実際、生まれとしてはヨーロッパである。けれども、少年期の大半は中東で過ごした事実がある。その中での記憶にある社会情勢と“ミント”の語るそれとでは、何か根本的なズレがあるように感じた。それが根拠だ。

 そう伝えると、半信半疑な様子で少女は何度か小さく頷き、わざわざそれも書き留めた。そんなことまで書かなくてもいいのにと思う。


「不穏な仕事って何?」

「それも多分だって。いろんな人に謝罪しに来たって言ってたんだ」

「それが不穏なの?」

「外国にわざわざ謝罪の挨拶回りをしにくるなんて、余程重要な相手で余程大事な取引だろ、普通。そんなのまともにやるんだったらあんな不真面目な人一人に任せるとは思えないね。真面目な同伴者がないと失敗する」

「…つまりまともじゃないってこと?」

「お前頭いいね」頭のいい女は苦手だ。「金とか脅しとかでどうにかなる、ってことかもしれない。一回、相手が泣き叫んで鬱陶しかったなんて愚痴も零してた」

「ふつうの取引相手でふつうの取引なら泣き叫ばないわね」

「そうだね」


 そして、ふつうの不穏な仕事人ならそんな話を関係ない人物にはしない。だから“ミント”は真面目ではなく素直なほうだと結論づけている。任務に対して不真面目なところは共通するため、クヲンは感情移入しやすかった。解らないことといえば“原色”のミントをあれほど気に入っていた理由くらいだ。PRIMARY COLOR の味はどれも嫌いではなかったが、あの手を抜いていることが一目で分かるパッケージを前にまともな金を出そうとは思えない。けれど、帰国間際に全種買い占めて行こうとしていたときは「いつかやると思ってたよ」と言おうと思うくらいには彼らしいと感じたものだ。

 あの日、“ローズ”のためのピンクを残そうとしたら急に買うのを止めるだなんて言ったから、そちらのほうが驚いた。後に「空爆の生き残りでテロリストに狙われているかもしれない」“ローズ”が死んだという噂が流れてきて、やはり死んでしまったかとか、これまで“ミント”は気付かず彼女と話していたんだろうかとか、“原色”の購入をやめたのはあのタイミングで後悔したからなのかとか、だとしたら馬鹿だとかいろいろ感想を持った。馬鹿で、愛しい奴だった。


「あと、人を探してるとも言っていた」

「人?」

「特徴聞いたけど覚えてないって言ってたね。なんか、一瞬見ただけの人を探してるって。それもR2に来た理由」

「……わざわざ」

「そう、わざわざ。一応、女子学生だとは言っていたけど」

「………、…待って、それって」


 話の流れから、“ローズ”に纏わる噂が“ミント”の不穏かもしれない仕事と結び付いてしまうのはごく当然のことと言える。ここで、上司が外国で見初めた女子を婚約者として連れ帰るという仕事だったんじゃないかという考えに到ることはないだろう。その上司がクヲンのオーナーのことを指すなら話は別だ。いつかそういう無茶な振りもされるかもしれないなと、手元のメモを凝視して唇を震わせた“ローズ”の友人を前に考えた。不謹慎だが元来こういう性格なのだ。ジョークと不真面目がクヲンの生きていく術のようなものだった。

 空襲を起こしたのもミントの男、と小さく彼女が呟いた。内心では正解、と唱えつつも口先では「かもね」と無責任な応答しかしない。この勘はほぼ確実だと自負していたが、結局みな憶測の域を出ない。散々濡れ衣を着せておいて、やはり探していたのは上司の結婚相手で、その探し人には別に婚約者がいたからそっちの話はなかったことにしてくださいと謝罪巡りをして、その中で相手方の親戚の奥さんに「それだけは許しません、それだけは!」なんて泣き叫ばれたのだという落ちも有り得る。

 だとしたらあの獰猛な目は賢く気高い女性を判別するスペシャリストの目だ。この話はオーナーにはやめておこう。「ならクヲンも優しく麗しい女性を判別できるはずだ、さあ西ユーラシアへ行っておいで」と無茶振りされる未来が眼前まで迫ってしまうに違いないからだ。「パスポートは発行しないよ、僕らの基本は不法入国じゃないか」言いそうだ。

“ローズ”の友人はしばし何やら考え込んで、それ以上無駄なコメントはせずに他の情報を求めた。疑いをかけられているような気分になったのは事実その通りだからかもしれない。


「“ミント”は他には特にないな。このガムのミント風味を週一で六つずつ買っていったことと、日本語が話せたことくらい」

「日本語?」

「割と自然に。理由は聞いてない」

「ふぅん……」彼女は訝しげだがクヲンも嘘は言っていない。

「大体、俺とは英語で話してたしね。日本語は“ローズ”相手に」

「ネア」

「ネア相手に使ってたから」

「勝手に呼び捨てにしないで」

「ネア-chan(ちゃん)。英語で呼び捨てにするなって言われてもさ」


 というか、女子は何故友人が自身の所有物であるかのような口ぶりで話すのだろうか。ジャパニーズカルチャーなのかグローバルスタンダードなのか、クヲンの身の回りにたまたまそういう女性が集まるのか一般的なのかは知らないけれども、聞く度違和感を覚える。


「それじゃあ、ネアのことは」

「ここには三回来たね。九月に一回、十月に一回、十一月の頭に一回。三回ともローズを三つずつ買ってたけど、最後のときだけパールも一箱買っていった」

「白いの?」

「そう。お金崩れてたし、“ミント”と半分こしたみたい」

「なんで」

「食べたかったからじゃない?」

「じゃなくて、」このとき多少苛立ちを見せた。「どうしてネアがその男とガムを分け合うの」

「知らないよ。聞いてないし」


 腑に落ちない顔をしていた。彼女は“ミント”が仇敵と知っているから、仲良く同じガムを噛んでいる光景を思い描くのが難しいし許しがたいんだろう。当の本人達はその当時互いを何一つ知らなかったということに想像が及ばないらしい。それほど見失っている。冷静を欠くと聡明さが霞むよ、と言ってあげたい。

 少女はそれなりに積極的に息を吸って、すとんと吐き出すと、「いいわ、続けて」とペンを持ち直す。言わなくても冷静になったところは彼女の美点だとクヲンは心から思った。世には言っても冷静になれない大人もいる。


「あの子が初めて来た日に“ミント”も店に来た。話し掛けてたのは多分、あの子がPRIMARY COLOR を持っていたからだ。あのガムのよさを理解する同志を求めていたみたいだし」

「じゃあその時から知り合いなの」

「そうだろうね。十月は、彼女はぼうっとしていた。750円必要なのに600円しか出してくれなくて、足りないって言っても上の空だし」

「“ミント”は来たの?」

「“ミント”も来たね。先か後かは忘れたけど」

「金額は覚えててそんなことは覚えてないの」

「五百円硬貨に五十円玉二つ出されたんだ。いろいろ惜しいなと思ったからよく覚えてる。百円と五十円を間違えたのかと思うけど両方百円玉にしてもまだ足りないし、というか五十円二つってすっきりしないよ、百円玉一枚にして欲しくなるだろ」

「人の友達にけちつけないで」

「じゃあ人の記憶にけちつけないで」


 不愉快げな表情をされ肩を竦める。

 店の暖房が一度かたんと音をさせて止まり、再び唸り出した。あれは一体なんの音なのだろうと前々から疑問に思っているが、詳しく調べてみる気にはならない。なぜならクヲンは勤勉ではないからである。

 他に話すことが無いのを確認して「これくらいかな」という言葉で終わろうとする。相手はまだメモを仕舞わず、「“ミント”の名前とどこに帰ったのか予想だけ教えて」と言ってきた。ネアは、戦闘機はグレーだったと言っていた、とも。機体のカラーだけで国を特定出来るわけが無いのに、とクヲンは呆れた。けれども、情報を総合すれば特定は不可能ではない。オーナーに頼めばあの馬鹿みたいな情報網できちんと答えを探してくるだろう。

 クヲンはそこまで彼女にしてやる気はない。「さあね」と答える。「あと、名前は知らないよ。必要がない限り聞かないし言わない主義なんだ」


「私シェスカっていうの。あなたは?」

「クヲン。偽名だけどね。というかお前話聞いてた?」

「偽名なら、必要だろうとそうじゃなかろうと名乗ればいいでしょ」クヲン、と書き下す。

「嫌いなんだ、この名前。ここのオーナーが付けたから」

「だったら本名名乗ったら?」

「本名はもっと嫌いだから捨てたよ」


 あっそう、とつれない返事をして、漸く彼女はメモをコートのポケットにいれた。挨拶らしい挨拶もしないで身を翻し去っていこうとするので、声だけで制止を試みる。シェスカは立ち止まったが振り返らなかった。右の、商品棚と営業側の雑用棚の間に隠れる窓から陽が差し込んでいて、埃っぽい光の道を築いている。道の向こう側に、復讐をするのかと問うが、彼女はなんの反応も示さなかった。

 やめたほうがいいよと一応言ってみる。相手がテロリストかもしれないから生死を案じてそう言ったのではなく、必要ないと思ったから言ったのだ。だから、意味ないよ、という言葉も付け加えておく。その時だけ、少し頭をこちらに向けかけたのが見えた。


 店内は薄暗い。節電のためか面倒臭いためか知らないが、電灯ははじめからついていない。対比で、日が高いときは店の向かいの公園の砂が真白く光って嫌に明るかった。

 クヲンの見る外はいつもこうだ。“ミント”も“ローズ”もその友人も、それぞれあそこへ出て行ってしまった。光の庭と形容すれば聞こえがいいが、実際は苛烈な世界である。クヲンもそこへ行かなければならないときがあった。銃を携えて、閃光(ひかり)戦場(にわ)へ。屋内から外へ出たときの一瞬何も見えない白の世界。思い出したくもない。血にも死にも殺しにも怯えてはいない、けがれも罪も覚えていない、ただただ自分の平穏のために。

 長い溜息をついて、自分でも珍しいと思ったとき、背後からこめかみを殴打された。人の拳だ。それを咄嗟に掴んで、立ち上がり様に肩を背負って、「いた、いたた」カウンターの向こう側に投げる。痩身の白いスーツ姿の男が無様に転がり落ちた。


「次やったらぶっ殺す」

「ほーら中指は立てない。ていうか痛い、クヲン、腕折れたらどうしてくれるの」


 綺麗な英語を並べ立て、へらへらと笑いながら彼は颯爽と立ち上がった。腕が折れるなどと言ったが、無様ながらも即座に受け身を取るような抜目ない男の骨が折れるとは到底思えない。彼、リンガルトは黒人で、大きな瞳を細めていることが多い柔和な男だった。癖のある髪は一本残らず頭の形に沿って編み込まれており、手には絹の白い手袋を着け、スーツの生地と揃いのハットを被っていることが多い。一風どころではなく変わった人物である。

 すぐ近くの棚の、勿論商品である西洋菓子を開封してそれをつまみながら彼は言う。「しかし珍しいね、君が僕を放り投げるなんて。どうせまたくだらない考え事をしていたんだろう?」丁寧にブロックサイズのウエハースを口に詰め、菓子の袋を棚に戻し、手袋についた生地の粉を軽快に払い落とす。

 リンガルトはいつもクヲンに切り替えをさせる隙を与えない登場をした。今日もそうなった、と溜息をひとつつき、「確かにくだらなかったよ」と返事をする。「どうせまた盗み聞きしてたんでしょ、オーナー」


「盗み聞きとは人聞きが悪いなあ。青少年の素敵な囀りに耳を傾けていただけなんだよ。隠れてね」

「それを盗み聞きと言うんだって」

「君が“ミント”くんの名や出自を尋ねられたそのとき、ぱちんと指を鳴らして『オーナー』と一声掛ければ颯爽と私が現れ、『君が私を呼ぶのを待っていたよふっふっふ』とスモークを焚きながら五秒ですべて調べ上げるという格好いいシーンが演出出来たんだけどなあーあ残念!」


 それは困るんだよ、と勘定台に頬杖をつくと、オーナーは白けたように急に真面目な顔になって「勿論止めるところまでやったよ」と平淡に言った。このテンションの落差は彼にはよく有ることなので、もしかしたらこの男は行動と内心では感情の浮き立ち方が違うのではないかとクヲンは時々疑う。

 店内に転がったままの帽子を拾い上げ軽く払って頭に被ると、彼は勘定台に腰を下ろし足を組んだ。カウンターはそう大きくもないから必然的にクヲンの頬杖は移動を迫られる。


「あの子のお祖父さんと僕は友達でね」

「どうなってるんだよ、オーナーの人脈は」誰と会ってもその知人を挟んだ先にはリンガルトがいる。

「彼女に何かあったらそりゃもう困るんだ、僕が」


 それはそうだろうなと思った。彼はほぼ人脈の広さ、情報網の濃さで生きているようなものだから、一つ穴が空けばいくらかが駄目になることもあるだろう。だからなんとかしなければね、と光の庭を見据え静かに言った男に対し、だったら“ローズ”を助けたらよかったのにと呟いてみる。彼になら無理ではないとクヲンは思う。“ミント”が“ローズ”の学校に爆弾を落として行ったのを食い止めることすらこの奇人には出来たのではないかと思える。

 それを察したのか否か「君にとっての救世主が真実世界の救世主とは限らない」と、オーナーは静かに言った。最低だと思ったので被っている帽子を後からはたき落とす。「俺は二人とも気に入ってたのに」

 振り返ったリンガルトは何やら嫌な笑みを浮かべていた。大仰に組んだ足をほどいた彼はリズミカルな音を立てて店の床に降り立ち、道化が観衆に礼をするような格好で帽子を掬い上げながら、友達は沢山つくるといい、と軽やかに言った。そのまま投げて寄越した帽子をクヲンは左手で受け取り、頭に被る。


「なんでもできる神様がいると世界はつまらないだろう?」

「ネアが殺されたのは面白いとは言い難いね」

「言っておくけど、僕はシェスカを止める気はあんまりないよ」

「……はあっ?」


 やりたいようにやらせないと、若い者は大いに冒険するべきだからね。言いながらリンガルトは店の出口へと歩んで行く。思い出したくもない、光の庭へと一歩踏み出す。君も行くかい? 差し出した手の先で弄んだ言葉はドイツ語だった。ドイツ語だけは話せないんだ、などと言って英語でしか会話しなかった道化が。

 思わず立ち上がって身を乗り出しかけたけれど、急にくだらなくなって椅子に腰を落とした。自分は不真面目で意欲のたりない人間だ。帽子を投げる。吸い込まれるようにオーナーの指先にそれが掛かった。面白そうに笑った声が尾を引いて光の中に消えて行く。

☆クヲン(17)♂

タフィーの店番。

元どっかのテロリスト構成員。

何に関しても大した執着を見せない。

自分でもそういうのよくわかってない。


☆リンガルト(42)♂

リンガルトはファミリーネームでドイツ読み。リンガード。

奇人。手を貸すポイントがいまいちわからない

平気で法を破るタイプ。いい人とはいえない。

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