1 プロローグ
暗黒と凍えるような風のみが彷徨う、真冬の幕張の住宅地。その中心部くらいに俺の家はある。
今は冬真っ盛りと言っても過言ではない一月。時刻は夜の八時。他の家庭では家族団欒の晩御飯のお時間だろう。それに倣うかのように、前まで一人暮らしだった我が家も晩御飯ではあるのだが……まあ残念なことにプチパニックが起きていた。
「ほんとに良いの? 晩御飯お世話になっちゃって」
申し訳なさそうに我が家の椅子に座っているのは幼馴染の南雲楓。
今日は、両親が仕事の都合とかで一日帰れないようで、本来一人で晩御飯を食べることになっていたらしい。今朝、楓に会ったときにそんなことを言っていた。だから日ごろお世話になっていることも考慮して、『今日の夜は我が家で食べないか』と招待しておいたのだ。
楓が少し遠慮した態度をとっているのはそのためだと思われる。
「いや全然。むしろ助かったくらいだよ、食材が余りまくっちゃってさ」
丁度楓がいてナイスタイミングだった。
しかし正直なところ楓が来たところで余った食材はまったく減らない。未だ我が家の巨大冷蔵庫の中には莫大な量の食材が埋められている。
「じゃあ今日はお言葉に甘えてお世話になろうかな。いただきまーす」
楓はそう言うと俺が渾身の力で作ったパエリアを口に運んでいく。
「……どうよ?」
ごくり、と息をのみ感想を待つ。一人暮らしが長いのでそれなりに料理スキルには自信があるのだが、他人に意見を求めるということに緊張はやむを得ない。
目線の先の楓の評価は、
「おいしぃ、さすが聡ちゃん。料理人になれるよこれ!」
かなり高いようだった。楓は表情だけでなく声色も明るくして答えてくれる。
「どれどれ…………あ、自分で言うのもなんだがこのパエリアおいしいな」
「そういえばなんで食材余らせちゃったの? 聡ちゃんなら二人分の食材くらい間違わないでしょうに」
二人分――もちろん二人目はパエリアをテンポよくスプーンで食べ進めていく楓のことではない。
二人目は今、俺の隣でテーブルにおでこから突っ伏している女の子――アンジェという常識知らず、ポンコツ、迷惑かつ役立たず……エトセトラ、のニート同居人のことだ。
そんなアンジェの周辺には数えきれないほど無数のポテトチップスの袋やら炭酸の空ペットボトルが散乱しており、まるでアンジェが働きたくない人のシンボルとしてそれを具現化させているようだった。名づけるのであれば『ニート神』。
ちなみにこんなにも食材が余ってしまったのもこのポンコツのせいだ。「今日のご飯はパエリアとかサバの味噌煮とか(以下中略)が食べたいですー」とか言うから、スーパーから決死の思いで超激重の買い物袋を持ち帰ってきたというのに……。
家に帰ってきてみれば、広がっているのは親切にもランチョンマット……ではなくポテトチップスの空き袋や清涼飲料水の空ペットボトル。もちろん怒り心頭ですよね。
このエピソードを聞いた人が勘違いしてしまうかもしれないから一応言っておくね。この家の主は俺です。
「ぐふぅっ。ソーマさぁーん、もう食べれませんよぉ」
「駄々こねてないで起きろ! こうなったのもお前が全て原因なんだから」
少し力を抜いてアンジェに脳天チョップを食らわせる。
「ぶへっ」
アンジェが両手で頭を押さえる。思いのほかよく効くところにミラクルヒットしたのか、先ほどのような痛そうなジェスチャーを見せた。
「お前がそんなクソ自堕落な生活を送っているからこうなるんだ」
「ソーマさんの料理はおいしいですけど、ここまでお腹が極限値だと苦でしかないです」
「お前にはあとこれだけ食べてもらうからな」
「ソーマさん、実は私を殺そうとしてるんじゃないんですか?」
アンジェの目の前、ポテトチップスの空き袋の上にアンジェにとっては物理的にも精神的にも重い大皿のパエリアを置いた。
そんな実に内容の薄い会話を聞いていた楓が、
「なんでアンジェちゃん、ご飯前にそんなにポテトチップス食べちゃったの?」
そうニート神に訊ねる。
「実は私数日前からポテトチップスの妖怪、『ポテト男爵』に憑りつかれていまして」
「そんなのがいるの!?」
アンジェがついた即興の嘘に即刻ひっかかる楓。学校の成績はとても良いはずなのに、なぜか日常生活においてはド天然をぶちかましてくる。楓は引っかかったが、もちろんそんな妖怪などいるわけがないし、『ポテト男爵』ってただの男爵イモじゃねぇか。ちなみに言ってしまうとポテトチップスに男爵イモは滅多につかわないぞ。
「いるわけないだろそんな雑魚そうな妖怪。アンジェに騙されるな楓……」
一同に冷静にツッコミを入れた。それにしても普通に女友達に嘘つきやがったこいつ。
そんな嘘つきニート神=アンジェに「やれやれ」と言わんばかりの視線を向ける。
オレンジ色のかわいい感じのボブカットが特徴的過ぎて最初に目に入る。明らかに現実離れしているなぁ。
そんな珍しい毛色の持ち主――アンジェを見るとどうしても感じることがある。
なんとも残念、ということ。何が残念ってこのニート神がモデルもうらやむであろう超絶美少女だからだ。アンジェに最初に出会ったとき、「かわいいなぁ」と思わずにはいられないほどに美少女なのだ。
外見のみだったら楓と共に天下を取れるんじゃないかってほどに素晴らしいお顔つきなのだが、本当に、本当に至極超絶ウルトラハイパー残念なことにそれに性格が伴っていない。天は二物を与えず、とはこういうことなんだね。改めて考えさせられたよ。
しかも。
しかもこいつは人間ではない。天使なのだ。
ちなみに俺がキ〇ガイか精神異常者で、妄言を吐き散らしている、ということではない。本当に天使なのだ。アニメの世界のように天使の輪っかや、純白の翼が生えているわけではない。だがこいつは天使なのだ。まごうことなき天使なのだ。
うん、俺も信じたくはないよ。何かの手違いで自称天使が我が家に来てしまった、ということにしたいよ。夢オチでも全然オッケー。
「ちゃんと食えよー?」
俺はアンジェにそう告げると、また目の前の食卓に目を向ける。
作ったのはパエリアだけではなく、他にも肉類やら魚類などがある。
いろいろな食べ物に視界を広げていくと、それに呼応するように今度は、
『ねぇねぇ次はこれ食べてよ』
と、そんな甲高い幼女の声が脳内に響く。我が家にいる女性陣の中では『艶のあるかわいい声』『気怠そうな声』に続く三番目の声。
ちなみに『脳内に響く』というのは決して比喩表現などではなく、実際に体感している現象だ。俺の脳内に人がいて、そいつが俺の脳内に伝えている。いわゆる脳内プログラムというやつだ。名前はフクっち。
だから当然俺だけにしか聞こえない。しかも存在もしないため一応俺はフクっちと声を出すことなく、脳内でコミュニケーションを取っている。
再度いうが俺はキチ〇イでも精神異常者でもない。これも本当の話なのだ。俺の脳内に幼女が寄生しているのだ。
『はいはいわかりました』
俺は言われた通り、『これ』と指されたサバの味噌煮を口へ放り込む。
『あーおいしいっ。しみるねぇっ! やっぱ聡兄流石だわー』
『そりゃどうも』
俺はこの悲惨かつ意味不明な非日常な状況に疲労困憊し、そっけない返事をフクっちにする。
3.5人の食卓を見渡す。俺を含めて冴えない男と完璧幼馴染、ポンコツ天使に脳内寄生幼女。
あぁ、超美少女の幼馴染がいるだけで本来それは劇的に非日常のはずなのに……。
あぁ、意味不明な動機でポンコツ天使が同居しているし……。
あぁ、俺の脳内に幸せをカウントする元気なロリっ子が寄生中なわけで……。
あぁ、てっきりラブコメ展開だと思ったんだけどなぁ。
もしこれが漫画やライトノベルで言うところの、ラブコメだと言うのならば…………。
『俺の人生初ラブコメが想像以上に非常識で前途多難な件について』
そんな長文タイトルがお似合いだろう。