第9話
夢じゃなかろうか。
僕に、彼女ができた。
それも、とびきりの。
幸せすぎて死んでしまいそうだった。
長い夢でも見ているんでなければいいんだけど。
僕は帰ったあとすぐに夏目に電話をした。
『もしも……』
「OKもらった!」
相も変わらず、『し』を言う前に切り出す。けれども、この嬉しい報告を1秒でも早く夏目に伝えたかった。
『OKって?』
「彼女だよ、彼女! 電車で一目惚れした彼女! 今日、デートしたんだけどさ、別れ際に告白したらOKくれたんだ!」
『ち、ちょっと待て。今日!? 会ったの昨日だろ!?』
驚く夏目が滑稽で、思わず笑ってしまう。
「うんうん、でも本当なんだ! もうどうしていいかわかんない!……フゴー」
『落ち着け。また鼻息で音が割れてる』
「あ、ごめん」
慌ててスマホから顔を遠ざける。
『でもよかったな。21歳にして初彼女か』
「うん、初彼女! くうう、生きててよかった」
『泣くな泣くな。また音が割れるぞ』
「泣いてないやい!」
『ははは、でもまあ、本当によかったよ。お前は全然女っ気なかったからな。心配してたんだ』
「うそ? 心配してくれてたの?」
『当たり前だろ。で、どんな女の子? 紹介しろ』
「うーん、やっぱり教えたくないなあ」
『昨日言ったろ? とりゃしないって。なにより、お前の彼女になったんだ。とるわけがない』
「うん、わかった。そのうちね。ふふふ、これからはバラ色の恋人生活が始まるのだー」
『ハイテンションなのはわかるけどな、現実に引き戻していいか?』
「なに?」
『彼女ができたんなら、今後のためにもこれからは真面目に就職活動を……』
ピッと通話終了ボタンを押す。
ごめん、夏目。僕はしばらくこの夢の時間を続けたいんだ。
無言になったスマホをテーブルに置くと、僕は夢見心地のままベッドに横になった。
また、夢を見ていた。
雲の上にたたずむ僕の前に、今日彼女になったばかりの春野さんがいる。
「春野さん!」
思わずニヤけながら、彼女に声をかける。
けれども、僕はすぐに真顔になった。
目の前の春野さんは、すっごく悲しそうな顔をしていた。
ポロポロと涙を流していた。
どうしたんだろう。
何があったんだろう。
言いようのない不安が僕を包み込む。
「春野さん?」
僕が声をかけると、彼女は泣きながら謝った。
「秋山さん、ごめんね。ごめんね」
「何がごめんなの?」
「私……、私ね。もうじき……」
けたたましい着信音でまた目が覚めた。
時刻は11時50分。昨日と同じだ。
相手は「公衆電話」となっている。春野さんに違いない。
今日も『こっそりと抜け出して』かけているらしいとわかり、慌てて電話に出た。
「もしもし、春野さん!?」
『あ、秋山さん』
「こんばんは」
『こんばんは』
夢の中のトーンとは違い、明るい声にホッとする。
「ねえ、今どこ? 迎えにいくよ」
『ううん、大丈夫』
「だって……」
公衆電話だと、電話代がバカにならない。
そんなに長電話をするつもりもないけど、彼女にばっかり負担させるわけにもいかないと僕は思った。
『本当に大丈夫だから。会ったら余計、帰りたくなくなっちゃうし』
その言葉に思わず口角がゆるむ。
本当に、春野さんは僕の彼女になったんだなぁという実感がわいてきた。
「そっか。こっそり抜け出してるんだもんね」
『そうそう、こっそり。だからまた明日、会いましょう?』
「うん!」
願ってもないことだった。
僕からも言いたかった言葉だ。
「じゃあ、会う楽しみは明日にとっておかなきゃね」
『うん、楽しみはとっておかなきゃ』
猫なで声でささやく春野さん。耳の奥がむず痒い。
むふふ、と僕は心の中で笑った。
そして僕らはまた駅前で待ち合わせをする約束をした。
午前10時、時間厳守。早すぎてもダメ、と言っておいた。
「ごめん、待った?」からの「ううん、今来たとこ」
一度でいいから言ってみたいんだと伝えたら、笑って了承してくれた。
※
午前10時。
僕は駅前のオブジェの前でそわそわしながら待っていた。
春の陽気が暖かい。まるで僕の心を象徴しているかのようだった。
早すぎてもダメ、と言っておきながら僕の心は「はやく会いたい」の一心だった。
はやく会いたくて会いたくてたまらない。
10時を1分すぎたあたりで、春野さんが遠くからパタパタと駆けてくるのが見えた。
笑顔が眩しく光っている。
今日の服装も素敵だった。
大きく手を振っているので、僕も手を振り返した。
「ごめん、待った?」
「ううん、今来たとこ」
やった、念願の「今来たとこ」だ。45分も待った甲斐があった。
「ほんとに?」
嘘だと知っている春野さんが意地悪く聞いてくる。
「えー、疑うの?」
「ふふふ、疑いません。私の彼氏は、今来たとこです」
春野さんの口から「私の彼氏」と言う言葉が出てきてドキッとする。
そうだ、春野さんは僕の彼女なんだという嬉しさがこみあげてくる。
だから僕も言ってやった。
「僕の彼女は1分遅れです」
「あー、ひっどーい!」
ポカポカと僕を叩きながら嬉しそうに春野さんが笑う。
あまりの可愛さに立ちくらみしそうになった。
「今日は、どこに行く?」
「秋山さんの行きたいところに行きたいです」
「ぼ、僕の……?」
ヤバい。
あまりに浮かれすぎてて、デートスポットを全く調べていなかった。
行きたいところ、と言われてもまったく出てこない。
ピキッと固まった僕に気づいたのか、春野さんが口を開く。
「映画! 映画観に行きたい!」
「い、いいね、行こう行こう!」
こうして僕らは2度目のデートを始めたのだった。