第4話
乗り越し精算で改札を出た僕に、彼女は自分の名前を名乗った。
「私、めぐる。春野めぐる」
春野めぐる。
素敵な名前だと思った。
「僕は秋山優って言います」
互いに名乗り合い、駅を出る。
駅周辺は、終着駅とは思えないほど閑散としていた。
バス停は薄汚れたベンチがあるだけで他に何もなく、タクシー乗り場にはタクシーが一台も停まっていなかった。
けれども、ロータリーの真ん中に立つ桜はとてもきれいに咲いていて、桜に力を入れている場所なんだと思った。
互いに名乗り合ったことで、春野さんが言ってきた。
「似たような名前ですね」
「あ、そ、そうだね。めぐるとすぐるって」
「苗字も。春と秋なんて。春がめぐり、秋がすぎる。なんだか、一句詠めそう」
「僕のすぐるは、優しいって意味のすぐるだけどね」
「あ、そうなんですか。でも、なんとなく優しそうなイメージだから、ぴったりですね」
彼女の言葉に、にやける自分がいる。
本当に。
本当に、信じられなかった。
僕は今、今朝見たあの女性と会話している。
きっと今日のみずがめ座の運勢は100点満点に違いない。
「めぐるって、どう書くの?」
「平仮名です。母も平仮名だったから、子供にも平仮名でつけたかったみたい」
「へえ」
不思議にもするすると、言葉が出てくる。
女性と一度も付き合ったことのない僕なのに、なぜか彼女とは自然と会話ができていた。
それが余計に嬉しかった。
「あ、桜並木公園って、あそこじゃないですか?」
春野さんが指をさす。
そこには、けっこう大きなアーチがあり、公園の入り口を示していた。
「思ってたより、大きいね」
「思ってたより、小さいですね」
お互いに真逆のことを言い合い、顔を見合わせる。
「大きい……ですか?」
あ、しまった。と僕は思った。
僕が終着駅で降りたのは、この公園に来ることを目的としているのだった。
思ってたより大きいということは、もともとそんなに期待していなかったということになる。
「あ、えーと……」
「そうですね。思ってたより、大きい……かも」
彼女は、何かを察したのかくすりと笑った。
「いや、小さい……かな」
「もう、どっち?」
もう、という言い方がなんだか親しみがこもっていて僕はドキドキしてしまった。
「小さいです」
なぜか敬語になる。
彼女は「あはは」と笑った。
「秋山さんって面白いですね」
「そ、そう?」
面白いと言われて悪い気はしない。
僕はなんだか妙に嬉しくなった。
「行きましょう?」
「うん」
彼女に誘われるまま、僕らは桜並木公園の『思ってたより大きい』アーチをくぐり抜けた。
「うわあ」
僕らは、アーチをくぐった直後、感嘆の声をもらした。
桜並木がずっと続いていて、見事なまでの桜が左右に咲きほこっていた。
「きれい」
「ほんとに」
本当はあまり期待していなかった。
きっと名前負けしているところだろうと思っていた。
それが、いい意味で裏切られた。
「桜並木公園って意味がわかりますね」
「そうだね」
僕らは、満開の桜を眺めながらゆっくりと歩き出した。
公園内はかなり奥行きがあり、桜並木が僕らを導いてくれるかのように奥へと続いていた。
全体の景観を重視しているのか、「お花見禁止」の看板がそこかしこに目につく。右手には、大きな池が見えた。
ちらほらとベビーカーを押す女性や、ジャージ姿でウォーキングを楽しむ老夫婦、サングラスをかけてランニングする男性の姿なんかが目に映る。全体としてほんわかとした雰囲気の場所で、隣を歩く春野さんの存在がより一層僕の心を幸せに満ちあふれさせた。
「秋山さんって、桜に詳しいんですか?」
桜の木を眺めながら歩いていると、春野さんがそう尋ねてきた。
「え?」
「だって、すごく真剣に眺めているから」
「そ、そうかな? 別に全然詳しくないよ」
答えながらもドギマギしてしまう。
春野さんに顔を向けると緊張してしまうから桜を見ているんだ、なんて言えるはずがない。
彼女は「そうなんですか」とちょっと嬉しそうに笑った。
その笑顔がまた可愛くて、ドキドキしてしまう。
「ねえ知ってます? 桜って何百種類も品種があるんですよ」
あまり植物に詳しくない僕は、彼女の言葉に驚いた。
「え、そんなに!?」
「桜っていうと、ソメイヨシノやシダレザクラばっかりイメージされますけど、細かく見ていくと何百種類もあるんですって」
「へえ」
感心する僕の言葉に満足したのか、春野さんは「ふふ」と笑った。
「って、ネットに書いてありました」
「ネットかい!」
思わずパシンとツッコむ素振りを見せると彼女は顔を背けてクスクスと笑いだした。
ヤバい、可愛い。
「不思議ですね、秋山さんってなんだか初めて会った人じゃない感じがします」
「あ、それ、僕も思った!」
こうして一緒に歩いていると、どことなく懐かしさを感じる。
まるで以前から知っていたかのような不思議な感覚だった。
春野さんが僕と同じ気持ちを抱いていたことに感動する。
「よくわからないけど、どこかで会ったかのような、そんな気がしてて……。こういうの、運命の出会いっていうんですかね」
思わずポロリとつぶやいた一言に、自分で「あ、ヤバい!」と思った。
けれど彼女は引かずに笑って答えてくれた。
「かも……しれませんね」
否定をしない春野さん。
僕はもう天にも昇る気持ちだった。
それから僕らは、他愛のない話をしながら長い桜並木をゆっくりと歩いた。
その間、僕は彼女についていろんなことを知った。
今年、大学1年生になったこと。
駒大駅近くの私立大学に通っていること。
本が大好きなこと。などなど。
そのどれもが、本当に他愛もないことだったけれど、それでも一つずつ紐解かれていく彼女のすべてが、僕には眩しかった。
「秋山さんは? 何学部なんですか?」
「僕は文学部。っていっても、あまり本とか読んでなくて、将来のために大学に通ってるって感じ」
「そうなんですか。おいくつなんですか?」
「21歳。今年、大学4年生」
「わあ、じゃあもう就職活動だ」
その言葉に、ドキッとする。
そうだ、僕は今まさにその就職活動で絶賛お悩み中なのだ。
正直、僕は将来何がしたいのか自分でもわかっていなかった。
僕は何がしたいのだろう。どこに就けるのだろう。
そもそも、どこかの企業が僕を採用してくれるとは思ってもいなかった。
引っ込み思案で、目標も何もないダメ人間。
こんな僕が就ける職業なんて、まったく思いつかない。
僕は一気に現実世界に戻されて、慌てて耳をふさいだ。
「わあ、言わないで! もうちょっと、学生気分でいさせてえ!」
耳を抑えながら首を振る僕に、彼女は「しゅーかつ、しゅーかつ」と面白そうにつぶやく。
こんにゃろう。と思いながらもニヤける自分がいる。
僕は楽しげに笑う春野さんに反撃を試みた。
「ふんだ! 君だって2、3年後には就職活動するんだからね。他人事じゃないんだから」
けれども僕の言葉は「私、数年先のことは考えないから」というセリフでちゃっかりかわされた。
くそう!
「でも」と彼女は言った。
「秋山さん、きっといいところに就職できますよ」
「そ、そう?」
「はい、絶対に! だって秋山さん、いい人ですもの!」
「……そ、そうかな?」
「そうですよ。いい人です!」
「本当はおっかない人かもよ?」
「あはは、それはありませんよー。だって……」
「だって?」
「あ……、な、なんでもありません!」
はぐらかすように彼女はぴょんぴょんと片足で飛び跳ねながら僕の前を突き進んでいった。
だって……、なんだろう?
気になりながらも、その可愛い仕草に目が行ってしまう。
「ほら、見てください! カルガモの親子がいますよ!」
彼女は池を指差して話題を変えた。
見れば、池には母ガモと数羽の子ガモがスイーと水面を泳いでいた。
「うっわ、可愛いなあ!」
僕はさっきの言葉を忘れてカルガモの親子に声を上げた。
あまりの可愛さにキュンとなる。
「うん、可愛いねー! すっごく可愛い」
彼女も声を上げた。
二人で「かわいいかわいい」を連発する僕らは、端から見たらどう映るだろう。もしかしたらバカップルに見えるのだろうか。
そんな妄想をしながら、僕はにやける顔をおさえるのに必死だった。
母ガモは自由奔放に水面を泳ぎ回っている。その後ろを子ガモが必死についていく。そんな子ガモに、春野さんが「がんばれー」と声を上げる姿が眩しかった。
僕らは、しばらく時間を忘れてカルガモの親子に魅入っていた。