第2話
僕の通う大学は、そこからさらに3駅ほどいったところにある。
小高い丘の上にある私大で、自慢ではないがこの辺りではそこそこ名前の知られた大学だ。
けれども、だからといってそれがイコール就職に結びつくわけでもなく、今年大学4年になった僕はすでに就職浪人という言葉がひっそりと脳内についてまわっていた。
まわりの学生はみんな3年の秋からすでに就職活動を始めているのに、僕はいまだガイダンスのひとつも参加していないからだ。
「はあ、まいったな」
掲示板に貼られた多くの企業名を眺めながら、ため息をつく。
各企業の採用情報や資料集めをしなければならないのに、やる気がおきなかった。困るのは自分だぞ、と自分に言い聞かせるのだが、頭が働かない。
やる気の起きないまま貼りだされた企業名を流し読みしていると、ひとつの会社が目に止まった。
「駒大不動産」
駒大駅のすぐ近くの会社だった。
すぐに今朝見たあの女性のことが頭に浮かぶ。
どこか雰囲気が大人っぽくて、でも見た目は子供っぽくて。
ああ、ヤバいヤバい。
と思いながらも、気が付けばやっぱり僕はあの女性のことを考えていた。
駒大駅で降りた彼女。
いったい、彼女はどこの人なのだろう。社会人には見えなかった。あの辺りの大学に通っているのだろうか。
いや、もしかしたらあの辺りに住んでいるのかも。
深夜のバイトの帰りか何かで朝帰りしている可能性だってある。
でも、今朝の様子だとそれはなさそうだった。
ほのかに匂ったバラの香りが思い出される。
「ああ、ダメだ。やめろやめろ」
僕は答えの出ない妄想にどうしようもなくなって、頭をごんごんと拳でこづいた。
そんな僕を不審がってか、一人の男が声をかけてきた。
「秋山?」
振り向くと、そこにいたのは友人の夏目だった。
「あ、夏目」
就職活動中なのか背広を着ている。背が190㎝もあるからそれだけで目立つのに、背広を着て色気を漂わせているこいつはどこかの怪しいホストのようで、まわりの女子学生たちの視線を一気に集めていた。
「どうしたんだ、ひとりで自分の頭たたいたりして。就職活動で狂ったか?」
「お前と一緒にすんな」
僕は口を尖らせてバシッとその厚い胸板をたたく。
夏目はその見た目とは違ってすごくいいやつで、どんな相手ともすぐに仲良くなるという珍しい男だ。
実際、大学に入って友人の一人もできなかった僕に声をかけてくれたのは夏目だった。
けれどもそれで損することも多く、見た目のチャラさと相まって軽く見られる傾向がある。
そのため、いまだに就職活動で1次面接を突破できないでいた。
ただ、それでへこたれないところがこいつらしいといえばこいつらしい。
「夏目は? 今日面接?」
「ああ。見事に落ちた」
「落ちた? 結果ってすぐに出るもんなの? まだわからないんじゃ……」
「何度も受けてるからわかるよ。面接官の『君、なんでここに来たの?』って感情がひしひしと伝わってきた」
「ああ、そう。そりゃ残念」
一度も面接試験を受けたことのない僕にとって、それ以外になんて言えばいいかわからなかった。
けれども夏目は気にするふうでもなく「次、頑張るさ」と笑ってみせた。
「ところで秋山。本当にどうした? 何かあったって顔してるぞ」
夏目のこういうところは本当にすごいと思う。
彼は相手の異変をすぐに見抜くスキルを身に着けている。
僕は平静を保っていたつもりだったけど、どうやら見抜かれていたようですぐに異変を察知されてしまった。
「かなわないなあ」と思いつつ、僕は今朝一目惚れした女性のことを告げた。
とたんに夏目はニンマリと笑顔をにじませる。
「おお、そうか。ついに秋山にも春が来たか。まさか大学4年になって、一般企業ではなく女性に心をときめかせるとはな」
「一般企業じゃなくて悪うござんしたね。でも、どこの誰ともわからないし二度と会うこともないだろうな」
「いいや、わからんぞ。一度あることは二度あるとも言うし、会えると思っててもいいんじゃないか? それに、もしかしたらお前に会いたくて駅で待ってるかもな」
「あはは、ないない、絶対ない」
僕は思いきり頭を振った。
「もしそうだったら、僕の一生を彼女に捧げるよ」と誓った。
夏目も「ははは」と笑いながら言う。
「ま、それは冗談として、もし、もう一度会うことがあったら声くらいかけろ」
「あ、うん。言われなくてもわかってる」
そうだ、今朝はそれで後悔したんだ。
次もし会えたら声くらいはかけたいとは思っていた。会えればだけど。
「でも、がっつりはダメだぞ。相手が引いちゃうからな。やんわりと、ソフトにだ」
「ソフトにって?」
「お暇でしたらお茶でもどうですか、とか」
「ソフト……かな? それになんだか古いよそれ」
こいつが言うと、恐ろしくチャラく聞こえる。やっぱり夏目は見た目で損をしている男だなと思った。
「まあ、それが難しければさりげなく『コンタクトを落としてしまったので、一緒に探してくれませんか』とかでも」
「さりげなくないし。僕、裸眼だし」
「ははは、まあなんでもいいからとにかく声をかけろ。男ならがーっといけ、がーっと」
「あれ? がっつりはダメなんじゃなかったの?」
「場合によりけりだ」
結局、なんて声をかければいいかうやむやにされてしまったけれど、僕は彼から勇気をもらった気がした。
どこの誰ともわからない彼女。
もし、もう一度会えたら必ず声をかけよう。
そう誓ったのだった。




