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第13話

 キッチンは、戦場と化していた。


「すぐるはテレビでも見てて!」


 何度か手を出そうとする僕に怒って、彼女はそう言った。

 仕方ない。

 僕は黙ってテレビを見ていた。


 時たま「きゃあ」とか「ひゃあ」とか、大きな物音が聞こえるけれど、目をつむった。


 そうして、1時間後にはめぐる特製カレーが出来上がっていた。

 ちょうど、ご飯も炊かれたようだ。


 匂いは……確かにカレーだった。


「うん、おいしそうだね」

「でしょ?」


 自信たっぷりの彼女。

 その目は「やれば出来るのよ」と言っていた。


 大皿にご飯をよそい、その上にカレーをかける。ぶっといにんじんとほぼ真四角のじゃがいも、それに水分たっぷりのカレーが、不安をかきたてた。

 テーブルに二人分の水とカレーを置き、僕らは向かい合って座った。


「い、いただきます……」

「召し上がれ」


 震える手で水っぽいカレーをすくい、口に入れる。


「……」

「どう!?」


 キラキラと笑顔で聞いてくるめぐる。

 こ、これは……。


「う、うん……。おいしい!」


 僕はそう答えた。

 カレーは水っぽいけど。

 じゃがいもは半生っぽいけど。

 それでも、めぐるの料理は最高だった。


「よかった!」


 めぐるも嬉しそうにカレーを食べて……。

 目を白黒させた。


「んぐ……。こ、これは……」


 僕は気にせず食べ続ける。

 うん、言いたいことはわかってる。

 すべてわかってる。

 でも、言わなくていい。


「カレー風味の水をご飯に入れた感じ……」


 あ、言っちゃった。

 僕は気にせずガツガツと食べ続けた。


「ご、ごめん……。あれだけ手を出さないでって言ったのに、失敗しちゃった」


 しゅんとなるめぐる。

 ああ、落ち込む姿もまた可愛い。

 僕は励ますように言った。


「めぐるが僕のために作ったんだ。世界一おいしいカレーだよ」

「ほ、本当に?」

「また作ってほしいな」

「ウソでも嬉しい……」


 ぶわっと泣きだす彼女を見て、僕は未来の自分に言ってやりたかった。

「おい、自分! 彼女にも料理を作らせろ」と。

 まあ、この想いも記憶とともになくなるんだろう。そう思うと寂しかった。



 それから、僕はめぐるをベッドの上に寝かせた。

 彼女は「わあ、すぐるの匂いがするー」と嬉しそうにはしゃいでいる。

 ちょっと……いや、かなり恥ずかしかった。

 僕の匂いって、なんだよ。


 ずっと公園で寝ていたというめぐる。

 今日ぐらいは……。最後の日ぐらいはベッドの上で寝かせてあげたかった。


 とたんに、スースーと寝息を立てはじめる。


 と、めぐるはそのまま20歳の姿から30歳の姿に変わり……思いっきり熟睡してしまった。

 30歳の彼女も、とてもきれいだった。

 よくこの2週間、公園で寝ていて襲われなかったな。

 そう思うほどに。


 けれども、その理由はすぐにわかった。


 眠ってしまった彼女の身体が、徐々に透けていったのだ。

 まるで、その存在を神様が隠そうとしているかのように。

 そして、ついには透明になってしまった。

 布団の盛り上がりは確認できるので、確かにそこにいるというのはわかる。

 けれども、完全に彼女の姿は見えなくなっていた。


「なんだ、これじゃ寝顔をじっくり見られないじゃん」


 残念に思いながら、僕は彼女の頬があるであろう辺りに唇を寄せて、おやすみのキスをした。


 そうして、僕は床の上で眠ったのだった。




 また、夢を見ていた。

 雲の上にいるめぐるは30歳の姿をしていた。

 あの時、2回とも会った彼女はすごく悲しい顔をしていた。申し訳なさそうな顔をしていた。

 そして、今の彼女も同じような顔をしている。


 けれども、今の僕にはその理由がわかっていた。


 彼女はもうじきいなくなる。僕の記憶とともに。

 それは最初から決められていたことで、彼女にとってはそれがどうしてもつらかったのだ。


「ごめんね」と何度も言っていたことを思い出す。

 僕は「謝ることなんてないよ」と言ってやりたかった。

 けれども、言葉が出てこない。

 悲しそうな顔をする彼女を見つめるだけだった。


「すぐる」


 夢の中の彼女は言う。そして、たった一言だけ、こう言った。


「今までありがとう」と。




 朝。

 目を覚ますと、ベッドの布団はすでにめくれていた。

 気が付けば、部屋の中がきれいに片付いている。

 料理の後片付けまで終わっていた。


「あれ?」


 でも、めぐるの姿はなかった。

 ドクン、と僕の胸が高鳴る。

 昨夜のように透明になったわけではない。完全に消えていた。

 そして、テーブルの上には書置きが残されていた。


 そこにはただ一言。


「ごめんね」と書かれてあった。


「めぐる……!」


 なんでだ。

 どうしてだ。


 最期の最期まで、一緒にいるんじゃなかったのか。

 僕は書置きを握りしめながら、急いで着替えるとアパートを出た。


 どこにいるかなんて、わからない。


 けれども、探さずにはいられなかった。

 かしわ駅の北口をまわり、彼女が寝泊まりしていた公園に行く。

 しかし、どこにもいる気配はなかった。


 すぐに電車に飛び乗り、駒大駅へ。


 しかし、そこも見当たらなかった。

 僕は夏目に電話をかけた。


『もしもし』


 数コールで出た夏目に、単刀直入に尋ねる。


「めぐる、見なかった?」

『春野さん? いや、見てないけど。何かあったのか?』

「いなくなったんだ」

『いなくなった? どういうことだ?』

「実は彼女、今日で……」


 言おうとして、はたと止まる。

 こんなこと、言葉で説明してもわかってもらえるのだろうか。

 逆の立場だったら、わかりそうもない。きっと「からかってるのか」と怒られるだろう。


 ここにきて、僕はようやく彼女の苦しさを本当に理解した。



 めぐるは、本当は僕に何もかも打ち明けたかったのかもしれない。

 自分は未来の妻で、僕のことを知って声をかけたのだと言いたかったのかもしれない。

 けれども、打ち明ける勇気もないし、打ち明けたとしても本気にしてはくれないと思って、今まで秘密にしていたのだ。



 そして、本当のことを打ち明けた今、めぐるはこのまま僕の記憶とともに消え去るつもりだ。



 僕はスマホから流れる夏目の声を無視して、通話を切った。



 探さなきゃ。



 それが、今の僕が思った一番の想いだった。

 すぐに電車に飛び乗る。


 行先なんて思いつかない。けれども、じっとはしていられなかった。


 僕は彼女と廻ったデートスポットを片っ端からあたった。


 映画館や喫茶店、アンティーク屋さんに古本屋さん。

 この2週間でまわったすべての施設を順番にまわっていった。

 しかし、そのどこにも彼女はいなかった。


 そのことが、ますます僕をあせらせる。


 時計を見ると、すでに午後4時をまわっていた。

 残り2時間しかない。


 僕は駅に戻って、停車駅を眺めていった。

 そこで、ひとつの場所が目に止まる。

 終点の駅。

 つまり彼女が初めて声をかけてくれた場所。


「もしかしたら」


 僕は後先考えずに電車に飛び乗った。

 これが間違っていれば、もうアウトだ。時間がない。


 田園の中を走っていく電車の中で、僕は初めて会った時のことを思い出していた。

 彼女は目の前のシートに座り、静かに本を読んでいた。

 とても綺麗で、一瞬で目を奪われた。

 僕の大好きな大好きなめぐる。



 会いたい。

 会いたい……!

 会いたい……!!



 どうしようもなく、僕はめぐるに会いたかった。


 電車が終点につくと同時に、僕は走っていた。

 改札を出て桜並木公園を目指す。


 思ってたよりも大きいアーチ。今では、思ってたよりも小さく感じられる。

 そのアーチをくぐり、桜並木の道を走る。


「桜、詳しいんですか?」


 彼女の言葉が甦る。

 すでに桜は葉桜となり、ところどころ緑色に染まっていた。


 カルガモの親子を見た場所を通り過ぎ、そのまま走り続けていくと、一人の女性が池を眺めているのが見えた。

 瞬時にめぐるだと気が付いた。


 二十歳のめぐる。

 僕の大好きなめぐる。

 愛するめぐる。


「めぐる!!」


 大声で叫ぶと、向こうにいる彼女が驚いた顔をして僕を見た。


「すぐる」


 距離は遠いのに、彼女の言葉が耳に響く。


「めぐる!」


 もう一度呼んだ。

 めぐるは、一瞬戸惑いながらも僕に向かって駆け出してきた。


「すぐる!」

「めぐる!」


 転びそうになりながらも、一歩一歩近づいてくる彼女。

 僕は手を差し伸べて、全速力で走った。


「すぐる……ッ!」


 つまづいて転びそうになる瞬間、僕は彼女の身体を全身で受け止めていた。

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