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あなたはだあれ?

「……また、貴方ですか」

「おう、また俺だ」

「人に仕事しろって言っておきながらブラブラ……いえ、なんでもないです」

「言ってんじゃねえか。安心しろ、無職じゃねえよ」

「別に心配なんかしてませんけれど……そんな髭面でも雇ってもらえるもんですか。木こりか何かですか?」

「……言うようになったな、オイ」


 別に木こりを馬鹿にするわけでもないが、それでも腹は立つ。

 この髭は一応手入れをしてんだぞ。


 ――思うところがあってまたあの公園に足を運んでみれば、あの若白髪、今度は玉乗りに挑戦していた。

 意外や意外、割とうまいことやっているものだったが。笑えることに、それが逆に子供の不興を買ったらしい。蹴っ飛ばされて頭から落下していた。

 そして相変わらずゲラゲラと指をさされて笑われて、何が嬉しいものだか子供の去り際にひっそりとにやけていた。


 その様子をからかってみれば、男はぶすりとしたふくれっ面をして、そして上のようなやり取りが始まったわけだ。


「自由人ですね、羨ましい」

「お前ほどじゃねえよ」


 前にも聞いたが、と前置きして。


「なあ、お前、なんでこんなとこにいる?」

「…………」

「一昨日のこと、お前は覚えてねえって言ってたよな」

「……ええ」


 酒を飲んだ時のイメージが残っている所為か、対応に違和感を感じる。終始陰鬱な表情で、この街に染められたような、そんな。

 ……今のこの男の醸す空気は気に食わなかった。


 あの、酔っぱらって騒いだ時の笑顔が、お前の本当の顔じゃあないのか?

 ……ああ。なんでこんなにこんな奴の事を気にかけているのか、不意に分かった。


 最近のアビス・ヘレンに似ているのだ。魔王を打倒した後の、英雄となったはずのあの若造に。

 顔ではなく、この……自分の大事な何かを失ってしまったような、そんな雰囲気が似ている。


「なんつったかな……そうだ、自分の事が分からない、だったか。お前はそう言ったんだよ」

「……」

「……帰る場所がねえってんなら、作りゃいい。まだわけぇんだ、片腕がなかろうがよ、脚が残ってんだろうが。テメェの居場所はテメェで探せ。もしくは作れ」

「傲慢ですね」

「年上の言う事は聞くもんだぜ」

「……傲慢で、お人好しだ。なんだかなあ」


 そう言って、若白髪はすぐ横のベンチにどかりと座って、首を上に向けた。

 つられて上を見てみたが、空は阿呆のように青く晴れ渡っていただけで、それ以外には何もない。雲も、鳥の姿もなかった。


「……ねえ、おじさん」

「あんだよ」

「貴方はどこのどなたです?」


 不意に、場の空気が変わった気がした。


 陽光を遮るものなど何もないこの場所で、いきなり周囲が翳ったような。

 ……いや、雲や霞の発生で起きるような、分かりやすい変化ではない。

 誰かに肩を撫でさすられ、振り向いてみても誰もいない……そんな悪寒が背筋を走った。理不尽かつ不可解な。


 ……理解した。変わったのは周囲そのものではなく、この男の雰囲気だ。


 答える筋合いのない質問だが、何故か答えようという気になったのは、この男の正体を少しでも知っておいた方がいいと第六感が囁いたためだ。


 少なくとも、今のこの男は、あまり良いモノ・・・・ではない。そんな気がした。


「……バッカスだ。生まれはフォルクスだが、故郷は……ここからはちと遠い」


 別に世間に名を隠してはいないが、今回の襲撃に当たって諜報員にはコードネームだけを伝えてある。サリア教団として、あまり表に出したくない内容の仕事……言ってしまえば恥部であったからだ。


 万が一にも支障があってはいけないので、ファーストネームだけを名乗った。

 そこそこありふれた名だ。さして珍しいものではない。


「本当に?」

「ああ?」

「貴方がバッカスさんとやらで、中年の酒飲みで、これこれかくかくの人生を送ってきたとして……」


 そこで物乞いは、首を上に向けたまま、ただ目だけをちらとこちらに向けてきた。


「貴方が今ここに貴方として存在していること。誰がそれを保証してくれるんですか?」

「……あんだよ、禅問答の類か?」


 そんなもの、間に合っていると思ったが、向かいの男の目は、こちらを試すというよりもむしろ縋るような感すら覚えた。


 ……ムカつく目だ。男に寄りかかられる趣味なんざない。


「俺が俺を保証しねえで、他の誰に頼るってんだ。いい歳こいて、甘えた事言ってられっか」


 突き放すようにそう言うと、若白髪は目を見開いた。


「……ああ、そう、なのかも、しれないです、ね」

「自分は違う、そんなん無理だ……って面してんな。ぶん殴ってやろうか。ちったぁ目ェ覚めるかもしんねえぞ」

「うふ、うふふふふ」


 気持ち悪い声で、男は笑い出した。

 陰鬱さと……それだけではない何かを含んだ声。


 下を向いて笑い続ける男に嫌気がさして、バッカスは黙って立ち去ることにした。こういう状態の相手に、何を言っても無駄だと。


 ……それでもまだ、見捨てる気にならないのは何故だろうか。




 ――――――――――――――――――――




 去りゆく髭の男の背を眺めながら、物乞いはぼんやりと口を開いた。


「自分を保証……? 出来やしない……」

「……自分が分からない……? きっと違うな、僕は多分、違う言い方をした……」


 首を傾げ、そのままぽろりと落ちそうなほどに角度を深めていき……不意に戻す。


「分からないというか……知らないんだ。そっちの方がしっくり来るや……」


 どうでもいいことを一人呟き、勝手に納得した様子のその男は、耳に僅かに届いた声を拾う。


 ……子供の声だ。


「…………?」


 声の聞こえた方に向かえば、段々と大きくなっていく声。やはり聞き間違いではなかった。


「ごめんなさい、許して! 弟をはなして!」


 少女が泣きながら、素性の良くなさそうな男に縋っている。男の片手には、両腕を持ち上げられた五歳ほどの少年が少女と同様に泣き叫んでいた。


「っせえんだよ! オラッ!」


 ゴミでも払うように、少女は足で蹴り払われた。

 しかしそれでも、擦りむいた肘など気にもしない様子で、なお少女は縋った。


「ぶつかったのは謝りますから! だからお願いします、その子をはなして! なんでも、なんでもしますから! お願いします……!」

「あァ……? なんでもぉ? 今、なんでもっつったかガキィ……」


 十を少し過ぎた程度の少女に、男は凄むように顔を近づけながらそう言った。


 ……これは、良くない。そう思ったが、自分に何ができるだろう。

 というか、何かすべきだろうか。


 誰か呼ぶべきだろうか。

 自分などの言う事を聞いてくれる人がいるだろうか。

 そもそも、周りに人がいない。ここから離れて誰かを呼んでいる間に、この子にとって良くないことが起きるかもしれない。


 止めるべきだろうか。

 確かに、子供の笑う顔は嫌いじゃない。だけど自分と関わりのない子供たちのために、何かしてやる筋合いがあるものだろうか。もしかしたら怪我をするかもしれない。そんなの馬鹿みたいじゃないか。怪我をしたら、薬を買うお金もないのに。

 無事に済んだって、どうせ顧みられることなんかない。子供が頭を下げて、それで終わりだ。自分は死体になって、それに向かって、ぺこりと下げるだけかもしれない。


 この間風邪で死んだ乞食は、損得以外で動いていた。


 ――俺らはそんなもんだ、惨めなもんさ。だからこそ、長生きしたけりゃお前も弁えろ……と、何人かの同業に言われた。


 そういうのが賢い生き方って奴じゃないのか。




 ……そんなことをやはりぼんやり考えながら、僕は今、チンピラにいたぶられている。


「お前なんざに用はねえんだ……このお嬢ちゃんが責任とってくれるってんだからよぅ……!」


 泣き叫ぶ少女がいる。泣き叫ぶ少年がいる。

 僕はそのまんま、殴られ続けた。


「喧嘩の仕方も知らないカスがよ! しゃしゃり出てくんじゃねえよ!」


 ……腹を蹴られた。地面が傾いて、近づいてくる。右手をついて、ふらつきながらまた立ち上がる。


 喧嘩なんか、したくもないさ。そんなもの嫌いなんだ。争っていいことなんて、一つもないじゃないか。

 人を殴ろうとしたって、僕の左手には握る拳すらない。代わりに右手を振り上げようとしても……震えるだけだ。

 傷つけるとか、そんなの、僕にはとてもできない。


 ……でも。

 体が勝手に動いたんだから、しょうがないじゃないか。


 やめろとも言えず、逃げろとも言えず。僕はただ、彼らの間にその身を割り込ませただけだ。

 何を考えるでもなく、子供を助けたいとか、そんな立派な……立派かなあ……とにかくどんな考えも持てずに、ふらりと。


 ……いいさ。好きなだけ殴りやがれ。

 死んだっていいさ。そういや、誰も困りゃしないじゃないか。僕自身ですら。

 大事なもんなんか……僕には一つもないんだ。


 だって、何も覚えてないんだから。自分の事、なんも知らないんだから。気が付いたらこの街の片隅でうずくまってた。


 精々好きにするがいいさ。痛いのは……別にいい。痛みなんか頭の隅っこに置いておけば、そんなに気になるもんでもない。

 ……ただ、子供の泣き声が……耳障りだったんだ。だからきっとこんな恥ずかしい、似合わない真似をした。

 だから、君らはさっさとあっちに行ってくれよ。逃げろよ。


 このまま意味もなく死ぬんじゃ、僕、ほんとに馬鹿みたいじゃないか。


「……そういや、『頭目』は新しい事業を始めるって言ってたな。手土産にこいつらでも持ってってみるか……?」


 ……言っている意味は、分からない。だけどやっぱり、男の言っていることは良くないことのような気がした。


 塞がってきた目で男のズボンの裾を探し、ようやく掴んで。


 頭にひときわ大きな衝撃が来て、意識が途絶えた。

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