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不安

 毎日の習慣どおり昨晩も酒を飲んだ髭面は、宿の部屋の中でぼんやり天井を眺めていた。


 一昨日は、店が良かったのだろうか、それとも日が良かったのだろうか。随分楽しい時間を過ごせたが、昨日は正直、あまり面白くなかった。

 最初にこの街に感じた印象と同じような陰鬱な奴らが、沈み込んでちびちびと煽っている様子が面白いはずもない。


 名も知らぬような相手……自分と同じように酒場に集う馬鹿共と一緒になって、一期一会の馬鹿騒ぎをするのがバッカスの趣味であったが、昨日はそんなことをできるような空気でもなかった。


 不味い酒ってのは良くない。酒が美味い日は何があろうと良い日だが、その逆は最悪だ。


 ごろんとベッドの上で横になる。

 昨夜店で漏れ聞こえた会話から、やはりここの景気は良くない様子だと判断できた。


 薬の蔓延もそうだろうが、否が応にも感じ取れる嫌な閉塞感は、この街だけで感じるものではない。


 これは、人々が共通して感じている不安の匂いだ。今にも魔族たちが現れて全てを奪われるのではないかという、そんな不安。

 そして性根の腐った者たちが、そんな不安を糧に金儲けを働き、弱い者が泣く。


 魔王がいなくなっても、平穏などまだまだ先だと痛いほどに思い知らされる。


「ティアマリアが落とされたのが……本当に痛かったな」



 今年の春の事だ。


 堅牢な壁により、また常駐する使徒によって平和が保たれていたあの地は、魔族らの手によって蹂躙された。


 ……尖兵として現れ、致命的な一撃をかましていったのはかのヴァーミリオンだ。バッカスも聞いたときは耳を疑ったが、よりにもよって当主が出張ってきたという。

 ガストロシオン・ヴァーミリオン。

 前代の魔王の右腕には、かつて手傷を負い戦闘力を落としたなどという前評判があったものだが。

 そんなもの全くあてにもならぬ様子で、堂々高く巡らせてあった魔力の保護を受けた街回りの壁を、それこそ焼き菓子を砕くかのように薙ぎ払い、その周囲にいた衛兵をも葬っていった。


 殆ど防衛の意味がなくなるまで街の風通しが良くなったのは、僅か半日であったという。


 ――奴への義理は果たした。俺の仕事はここまでだ、後は任せるぜ。


 暴虐を働いた人狼は、それだけ言って去っていったという。


 無論、それだけで済んだはずがない。


 後の控えにいたのが、『赤爪』と『白痴』、そして今まで行方が掴めなかった『玉鱗』だ。


 散々暴れた父親の後を継ぐように、道なきところをも道にして縦横無尽に血煙を上げていった『赤爪』。

 一つずつ、避難所等を執拗に、徹底的に訪問・・し、そして血塗れで次の訪問先を探していった『白痴』。

 そして……避難しようとした者の最後の寄る辺であった内海への脱出船……そのほとんどに穴を空け、無辜の民を海の底に沈めていった『玉鱗』。


 かの地に生存者はいたものの、彼らは皆今現在まさに、使い捨ての労働力にされていることだろう。


 ……かつてない規模の、かつてない速さでの攻勢だ。正直、あれほど名の売れている奴らが一気に来るとは予期できなかった。準備を始めてはいたというが、それにしても戦力の投入数が多すぎる。万が一『赤爪』らを失っていたら、今後にも影響が出るであろうに。リール・マールの情勢が落ち着いた今こそ、必要なのはあそこの地固めだろうが。あんな無謀を働いてまでティアマリアを喫緊に必要とした事情でもあったというのか。


 ……では、何故だ? 何故あれほど戦力を出してきた? 今後に繋がる戦略も見えず、性急すぎる。あれではまるで……八つ当たりのような。魔王がやられたってんなら、まずは新たな魔王の選別のために内側に意識を向けるもんじゃないか?


 ……こちらの出していた防衛戦力である『先生』は、自身少々ならず傷ついたものの、何匹かの強力な魔族を……何より『赤爪』に手傷を負わせて撃退するという戦果を挙げた。

 だが、それも孤軍奮闘。赤爪との戦闘後、すぐに戦線を離脱し……結局は負け戦になってしまった。生きて帰ってこれただけ儲けものだろう。


 ティアマリアを奪われたのは別問題として、それよりも『玉鱗』を取り逃がしてしまったのが致命的だった。

 あのはぐれ・・・の殺戮人魚は外海に放逐されたと聞いていたが、ディアボロに属し、内海での行動の自由を許されているのであれば……。


 ぞっとしない話だ。

 内海に面した全ての地が、ティアマリアの憂き目を見るのではないかと皆怯えている。

 それだけ、殺意を持った人魚というのは厄介な存在だ。人は、内海を介した流通に多くを依存している。

 故にサリアは、幸いにも一般的な人魚が人間に対して敵対的でなかったため、『人魚だけは魔族とみなさない』という約定を定めざるを得ず、また人魚たちに対する人間以上の優遇策を取らざるを得なかったのだから。

 ……エルフたちに対するように。


 ――たかが数日で、曲がりなりにも大都市が普通落ちるか? ティアマリアの政治屋どもの腰が重かったんじゃないか?

 いや、そうとも言い切れない。堀がもう少し手入れされていて、接近警戒の策をもうちっと厳密にしていれば、少しは時間が稼げただろう。……何隻か、船を出すことも出来たかもしれない。


 だが、たかが一冬で、壁外の堀がああも都合よく埋まるか?

 ……街の膝元で堂々工作が出来たというなら……寒さに強い獣人、かつ人の目を避けられる特質を持つ奴らの仕業か……。

 高波が――これのおかげで船の数もだいぶ減り、高台も破壊されていた――見計らったかのように、戦の前に押し寄せてくるもんか?

 ……人魚だけは怒らせるな、漁師に聞いたことがあるが……小規模とはいえ、自然災害まで起こせるのが敵に回りやがったか。

 

 ……アロマ・サジェスタ。やはり一筋縄でいく相手じゃねえやな。人魚まで引っ張り出してきやがって。魔王がいなくなってなお、前のめりに来やがった。

 大局的にみりゃ、あの攻勢は確かに不自然極まりないが……結果的に引かなかったのは、あの時点なら絶対的に正解だったんだろう。事実こちらは、随分と士気がそがれて右往左往だ。

 ……あの小娘がいる以上、そうそう短絡に攻めるのもいかんな、こちらの被害が増えすぎる。


 最終的に勝てる戦なら、いかに損を減らすかを考える必要がある。


 ……が、それは民衆には分からん話だろう。今を苦しむ彼らには。


「リリィだけじゃねえ、イヴの馬鹿まで行方くらましやがるし……アイツがいれば、イスタへの警戒を外すこともなかっただろうに……」


 ……去年の魔王討滅作戦は、イスタが狙われているという『半識』イヴ・アートマンの持っていた事前情報を元にした故に性急であったことは否めなかった。

 魔王がいなくなったとて、彼女が立てたイスタ防衛案を上層部が予算だのなんだので打ち切らなければ、落とされることがなかったかもしれないというのに。


「馬鹿坊主共が。神様拝んでるだけで国が立ち行くもんかよ」


 ……結局は、詮無い話だ。魔王は死に、ティアマリアは落ち、今も民衆は苦しんでいる。


 ……ああ、畜生。

 明日、明日だ。今はとりあえず、明日の仕事だ。


 所詮自分も一人の人間、出来ることなど一つずつでしかない。


 それが分かっていながら、バッカスは気分が晴れぬままベッドから起き上がり、着替え始める。


 今日は本当に、ただの気晴らしのために街をぶらつくことにした。


 ……気晴らしにちょうどいい間抜けの顔が、ふと脳裏をよぎった。

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