Hopeless hope in Hope 11
――いつもの時間、いつもの……私が勝手に待ち合わせ場所だと、そう信じていた教会に、今日、あの人は来なかった。
その理由は、きっと昨日の、彼自身が口に出す事を望まなかっただろうちょっとした言葉。
……私は、あのくらいで傷つきはしないし、むしろ彼が私の内面に触れようとしてくれたことに、小さな喜びすら覚えたのに。
神様は、傷ついている人にこそ必要なのだと、私は司祭様から教わった。小さい時、親に捨てられたと泣いていた私に対して、あの人はそう言ってくれた。
不貞腐れて、人生をひねた目で眺めていた私に対して、心配してくれて、何度も優しい言葉をかけてくれた事は分かっている。
……色んな人を傷つけて生きてきた私かもしれないけれど、それに気付いた以上は、今の自分のままでなんていられない。
私は、自分の歌で、これまで見ようとしてこなかった人と同じくらいは、いいや、それ以上の人の慰めになってあげたい。
ソプラノ様は、聖歌とは神に捧げる歌だとそう言ったけれど、神様は人が喜ぶ事をきっと望まれるはず。人が幸福になる事を、きっと。
――あの人を探しに行きたいと、そう言った私を、皆が止めようとした。
いいえ、それは親切心によるものであったから、してくれた、が正しいのだろう。
司祭様も。
室長も。
同室のあの子も……私の事を心配してくれて、私の行いを止めようと。
……それらを振り切って、彼らが傷つく事は、自分の決心と矛盾するのではないか。
そうも思ったけれど、まずはそれ以上に、私が知る限り一番苦しんでいるあの人の傍にいてあげたかったから、何か一つでも、彼の癒しになる事が出来るんじゃないのかと。
そんな思い上がりを、私は自分で肯定した。
……彼らの気持ちを無下にする。それは分かっていたけれど。
もう夕方だというのに、彼らの目を盗んで外に抜け出して。
そして、すぐに捕まった。
私の手を掴んだのは……教会の人達の手ではない。
この手の形……マメの位置は、農具を扱ってきた手じゃないし、書物をめくって来た手ではない。
威圧的な態度で、抵抗すればどうなるか分かっているだろうと、欲望を潜ませた声で、複数人がゲラゲラと笑いながら、私を大通りから外れた道へと引きずり込んだ。
「いやー……まさかな。態々自分で教会から出てきてくれるたぁ思わなかったぜ」
「ずっと狙ってたんだがなあ、明日でいなくなっちまうとか聞いたら、なあ? 無茶しようと思ってたところにカモがネギしょってきやがった」
「日頃の行いが良いんだよな、やっぱ。神様とやらは見てくれてるもんだわ」
……下品に笑いあう、男の人達。
その下卑た声に潜んだ欲望から、これから私に何をしようというのかも、分かろうというものだった。
「そんなに怯えんなよ。別に殺そうって訳じゃねえ、ちょっと大人しくしてりゃ済むさ。なんなら楽しめばいいじゃん」
「そーそ。アンタだって面倒は嫌だろ? なぁに、ちっと恵まれない俺たちを慰めてくれりゃそれでいいの」
「犬にでも噛まれたと思って忘れな。まあ、ガキが出来ちまったらほれ、立派に育ててくれや。そういうのもアンタら教団の仕事だろ?」
「なんなら別に声出してもいいんだぜ? 助けて神様ぁ、なんつってよ!」
「そっちの方が興奮するしな。なあおい、声が商売道具なんだってな? ちっと俺らに披露してくれや」
ふざけている。
私の歌は、声は、こんな奴らを楽しませるためにある訳じゃない。
「……神様は、こんなこと、お許しにはなりません……」
震えながら、ようやくそれだけを言うことが出来た。
だけど男たちは、そんな私の言葉を聞いて、楽しげに笑うだけだった。
「知らねえよ、んなの。懺悔すりゃいいんじゃねえの、確か」
「恨むんならテメェを女に産んだ親を恨めや」
「目ぇ見えねえ器量良しだ、どうせその内どっかの誰かにヤられるんだから……教会の過保護ジジイ、マジ邪魔だったわ」
……こんな人たちが、現実に存在している事は知っていた。
だけど、実際に自分がこんな目に遭うだなんて、真剣に考えた事はなかった。
こんなに醜悪な行いを、これほど楽し気に行う人が本当に存在するだなんて、思いたくもなかった。
未だに現実感のないまま、ただ怯えている私。
男達の一人が、光を映さない目元に手をやり、「本当に見えねえの?」と瞼を撫でてくる。
「離れて! 私に触らないで!」
思わずその手を振り払った瞬間、頬に衝撃が走った。
肌を打つ甲高い音が先に聞こえて、次いで、じんじんとした熱が広がっていく。それでやっと、自分が殴られたことが分かった。
「泣くのは良いけどさ。抵抗すんな、ウゼェから」
「おい顔を殴るな、萎える」と、どこまでも下種で自分勝手な言葉を仲間から受けながら、男は私の胸元に手を伸ばしてきて、そして服の一部を引きちぎった。
ひ、と声にもならない悲鳴が、喉の奥から漏れる。
冗談じゃない、やめて、嘘、こんなのは嘘……。
「あー……やっぱいいなこれ。こう、無理矢理って最高だわ」
「あ、おい見てみろ、泣いてんぜおい。こういう奴でも涙は出るんだな。面白ぇ」
叩かれて、倒れ伏した私の上に跨る男は、こちらの頬を掴みあげて、威圧的な声で。
「オラ言えよ、神様助けてって。それ聞きながら犯すの、楽しみにしてたんだから」
こんな人たちに、私は穢される。力もなく……大声をあげたくても、引きつって声も出ない。
……声が出たとして、本当に助けてくれる人がいるとは思えない。こんな外道を働くことに手慣れた様子の彼らに、立ち向かってくれる誰かがいるとは思えない。
それでも私は、叫ばなければいけない。
私は、自分の身を、最後まで守る努力をしなければならない。私に残った武器は、声だけだから。
……なのに、怖くて声が出せない。私の喉は、殴られた痛みを二度味わうのを拒絶するかのように、張り付いたかのように声を出してくれない……!
悔しい。
悔しい。
なんで私は、こんな人たちに抵抗も出来ないの……!
……なんで神様は、私の事を助けてくれないの……!?
『貴女は、神様を恨まなかったんですね』
――ふと、あの人の言葉が頭をよぎった。
そうだった。私は、神様に私を憐れんでくださいとは言わないと、あの人にそう言った。
……こんな奴らに、私の信念を、気安く変えられてたまるものか。
たとえ穢されても、私は自分の思うように生きてやる。こんな人たちに負けてたまるもんか。
あの人に、自分の耳の事を伝えた時にだって、勇気を振り絞った。そして私は、ちゃんと伝えられた。
勇気だ。勇気を出そう、あの時みたいに。
せめて、どうなったって、臆病な私のままでいるだなんて、絶対に嫌だ……!
神様には縋らない。そんな都合の良いように、私は神様に助けを求めはしない。
……ただ、あの人に。私の歌声が綺麗だと言ってくれたあの人に、顔向けができない真似はしたくないから。
私は叫ぶ。
「助けて、誰か――!」
……声に、僅かに魔力が混じった。今まで上手くできなかったその技法が、この瞬間、人生で一番上手にできた。
だけどその、思いの外響く声に驚いた男達は、先ほどまでは声を出せと言っていたくせに、慌てて私に猿轡をはめてきた。
また殴られた。
乱暴に押し倒され、今にも事を為そうと、ベルトに手を触れる音が聞こえた。
……ああ。
もう駄目か、と、そう思った瞬間。
「……フラウトちゃんから、離れてください」
ここ数日で聞きなれた声が、その場に小さく響いた。