Hopeless hope in Hope 10
――結局僕は、次の日のいつもの時間、彼女のところに行かなかったんだ。
合わせる顔が無かったから。
僕は醜いから。
◇ ◇ ◇
自分は、最低な人間である。その担保を他人に与えられたのは、むしろ救いであったのかもしれない。
シスターの言葉の一言一句、全てがまったくそのとおりで、この陰鬱な気分は神の慈悲だかお叱りだかであるなら、ありがたい事であった。
自分は醜くて、フラウトちゃんは綺麗だった。
そもそも、近々どこか遠くに行くという彼女の人生にこれ以上関わる必要も意味もない。
それに、自分みたいな人間が彼女に近づくのは、結局何かしら悪影響を及ぼすだけであってさ。会いに行ってどうしようってな話さ。
昨日はごめん、僕がそう言えば、彼女はきっと「何が?」……そうやって、僕の事を許してくれただろう。
馬鹿げた話だ。
謝りに行くんじゃなくて、許されに行くだなんて、流石にそこまで恥ずかしい真似ができるか。
彼女はまたねと言わなかった。
それ以外の言葉を使ったのは、僕のこんなみっともなさも許容してくれての事じゃなかったのかなあ……?
合わせられる顔が無いんだよ、フラウトちゃん。
僕は君に嫉妬して、君の足首を掴んで、この底辺まで引きずり降ろそうとしたのさ。
「あっは」
ああ不味い。お酒ってのはいつ飲んでも不味いなあ……。
――嬉しい時も、悲しい時も、いつだって酒が救いだ。
そんな迷言を言い放ったバッカスさんの流儀にならって、飲みたくもない酒を求めて、僕は酒場で飲んだくれていた。
というか、最初に頼んだ麦酒を一杯空けただけで、既に思考が不明瞭になっていた。飲んだくれるというより、潰れていた。
「おい兄ちゃん。大丈夫か?」
「だいじょぶだいじょぶ」
「吐くなら便所で頼むぜ」
「いぇーい」
マスターがなんか言ってきたから、こっちもなんか返す。なんて言ったかは、もう覚えてない。
……くだらない話だ。そもそもフラウトちゃんなんか会ってまだ一週間かそこら。
彼女の方だって、こんな浮浪者に構ってるよりか生産的な、やるべき事があるだろう。ひひひ。あーあバッカらしい。
こんなに思いつめてるのはどうせ僕だけさ。
……万が一にもフラウトちゃんやい、君を支える誰かが欲しかったんだってんなら、もうちょっと頼りがいのある相手を見つけな。
あはは、ああ愉快愉快。僕なんか結局ほらみろ、約束も守れないでこうやって社会との不適合を楽しむのがお似合いなのさ。
いやいや待て待て、もともと約束なんかしてなかったじゃないか。勝手に僕がそう思い込んでただけ。彼女はいい迷惑だったのさ。
お歌が大事な彼女の練習時間まで奪って、食い物恵んでもらってさ。
あっはは、死ねばいいのに僕。
――行こうとしたんだ、ちゃんと。教会に。
そしたらさ。教会の敷地外で待ち構えてた司祭さんがさ。こう言った訳よ。
『……身の程を弁えなさい。彼女は、明日をもって貴方の様な者とは立場が変わるのです』
おっしゃるとおりでさあ。言いにくい事言わせちゃってごめんなさいねぇ。
実際彼、結構なんかね、罪悪感を覚えてたもんね。目ェ見りゃわかるよ、こんな僕にもね。
……大事なんだろうなあ、フラウトちゃんの事が。
言うか言うまいか迷って、それでもさ、変なリスクを彼女が追わないようにさ。僕の様なもんを追い出しにかかったって訳さ。
そんで、僕には返す言葉が一つもなかったって訳。
たまんないね。
「マスタぁ、おかわりぃ……」
「やめとけって。オレぁこの仕事始めて長いけどよ、お前より酒弱い奴見たことねえよ」
「うるさいですぅ! 酒だ酒! ないならおっぱい揉むからな! 酒出せないならミルク出せミルク!」
「出ねえよ馬鹿」
きつそうな目付きをした赤毛の女マスターは、ちゃんとおかわりと、加えてお水もくれた。
「せめて水と交互に飲めや。ウチでぶっ倒れられちゃ困るんだよな。変な混ぜもん入れてるなんて噂がたっちゃ商売あがったりだ」
「あはぁ、優しいのねえ。誘ってんのぉ……? 今なら僕ってば簡単におちちゃうわよ……?」
「気持ち悪い兄ちゃんだな。女誘いたいなら、手に職つけてからにしな」
「グラスで埋まっちゃってさあ。他のもん持てないんだよぉ」
見てみろこの手、片っぽしかないんだぞ。
……最初っから、こんな僕に出来る事なんかひとっつもなくってさ。仕事も出来ないからバッカスさんだって僕に巡礼しろなんて言ったんじゃないの?
あの人を疑いたかないけどさ、ひひひ、今の自分を見てみるに、やっぱり僕めんどくさい人間じゃん?
関わりたかないよねえ、そりゃ。厄介払いが出来て喜んでるに違いないや。
シスター曰く、今の僕は百点満点だ。この街でやるべき事は終わったんだよ。
……自分が薄汚い事はちゃんと理解したからさあ、じゃあほら、僕は次にどうしたらいいのさぁ。
――そう自分を卑下する事なんかないわ――
――あんな女の言う事に惑わされてどうするのよ――
――頑張れ、頑張れ――♡
「うるっせぇんですぅ! アンタはいつもそれだ、そればっかりだ! 頑張れないの! 頑張ったっていい事なんかなんもないの!」
「妄想のお友達と話しはじめんの、やめてくんねェかな」
ぐいっと一息で、おかわり麦酒を飲み干した。
苦い。くさい。不味い。
ますます目眩もひどくなる。頭痛もどんどん増していく。
……目の前の女の応対に、ひどく腹が立った。
「ガロンさんもさあ! いつもはもうちょっと優しくしてくれたじゃん! 小娘に踊らされた僕を慰めてみろ! 乳首出せオラ! ちゅーちゅーされんの好きだったろ!?」
「全然売り上げに貢献してない相手に言いたかないがね、アンタ飲みすぎ。オレぁガロンとやらじゃないよ、誰だよソイツ」
「……誰ですガロンって。マスター何言ってんの?」
「知らねぇよ! もう帰れお前!」
……お店を蹴り出されちゃった。まだ飲み始めてから一刻も経ってないのに……ああ、でももう日も落ちてきた。
帰ろうかな。帰って、また……シスターに小馬鹿にされるんだ。それもいいかもしれない。
美人さんに虐められるの、癖になってきそう。
……ちゃんと僕のダメなとこ、叱ってくれる誰かがいてくれればさ、ギリギリ僕はまだ人間でいられるんだ……。
駄目なんだよ僕は。ちゃんとした目標が定まってないから、足元がふらふらするんだ。お酒飲んでるからじゃなくて。
ねえバッカスさん。自分を探せって言っても、前提条件としてさ、自分に価値が無いとか、醜いとか、そんな事ばっかり気付いちゃったら、僕はどうすりゃいいのよさ。
『探せよ、だったら』
ああ、確かにあなたはそう言ったね……だけど探すほどに、自分の醜い所が見えてくるのって、結構辛いもんじゃんか……。
最初に良い所でも見つけられれば良かったのに、幸先が悪すぎるよ。本当に自分に価値があるかなんて、誰が……僕が? 決めろって? 決めろって事だよなあ。
あの親父そんな事言ってたもんなあ。
でも、その過程で誰かの足を引っ張る事に、僕は耐えられそうにないなあ……。
そう、人の夢とか、目標とか、そういうのを気軽に踏みにじるっての、僕は大嫌いなんだ……。
――――!
――けて――!
……おいおいおい、どっかであったシチュエーションだぞこれ。
具体的に言うなら、ウルスラで、サンドバッグになった思い出が蘇るぞ。
また多分裏路地だよ。
いつだって裏路地の方だよ。こんな繁華街なら、そりゃそういう事もあろうよ。
――そんで、大体、僕がこう言うのを聞き遂げるのは甲高い子供の声なんだよなあ……。
……いいさ。
いいとも。前の時と、結局僕はあの時となんもかわりゃしないのさ。
空手で身軽。なんもなし。
まあ、精々あの時とは違うと言えそうなのは、暫定的にでも名前がある事と、子供が泣くのは我慢がならんと、それがはっきりしている事だけ。
何、だとしたら結局僕の出来る事なんか一つだけだ。
喧嘩なんざ出来やしないが、殴られて済む話ならそのようにいたしましょうかね。
――殺せるもんなら殺してみやがれ。
その価値があるってんなら、今度はバッカスさんもいないんだ、殺されてもガキだけは逃がしてやるからな、覚えていやがれ……!
そんな我ながらよく分からない意気揚々さで……脚だけは内心の恐怖を隠せずにガクガクしながら声の聞こえた暗がりに顔を出してみると。
――男どもに服を破られ、今にも乱暴されそうなフラウトちゃんが猿轡をされ、開かぬ目から涙を零してそこにいた。
インスタント・メサイアの第一部の方に、「サイドストーリー」を追加いたしました。
お時間がございましたら是非ご覧くださいませ。