Hopeless hope in Hope 5
……気持ちよさそうな、だけどやっぱり、どこか寂しそうな表情で、彼女はこちらに振り向いた。
「私、この歌が好き。優しくて、だけどどこか切ない気分になる」
僕も、好きです。
おんなじような感想があるけれど、僕の場合、この曲の響きは、どこか懐かしさを感じさせてくれるから。
これ、きっと昔の僕が好きだった曲なんじゃないだろうか。
僕は、本当にサリア教団の末席にでも所属していたのかもしれないね。
それとも、一般の教徒さんでも、これほど好きになるもんだろうか。聖歌。
……いい歌だけどさ。
「……あのさ。歌詞の中でさ、『あわれんでください』ってあるでしょ?」
「ええ。確かあれ、教義の中でも重要な部分でしょう? 神の御心に、自らを委ねるって……他の曲もちょっと調べましたが、よく出てきますよね」
「うん……だけど私、聖歌隊員としては失格かもね。聖歌は大体好きなんだけど、このフレーズはあんまり好きじゃないの」
――別に、神様は私の事なんて、憐れんでくれなくてもいいのよ。
彼女は、そう呟く。
「私はただ、真っ直ぐに生きたいの。誰にも邪魔されたくない。私の信じる道を真っ直ぐに進めれば、それでいいんだけどな」
「ふうん。その道ってのは?」
そう尋ねると、彼女は少し遠くを見るように……瞼は閉じたままだけれど、顔を少し上に向けた。
つられて、ほけーと空を見てみるが、水の上に薄い布切れが漂うような形の雲しか見当たらなかった。
ちょっとだけ冷たい風が吹いて、彼女が震えたから、自分の上着を貸してあげた。
……ちらりと横目で伺うと、彼女は、何かを躊躇っているようなそんな顔で、ありがと、と小さな声で言ったきり。
そのまま暫く、彼女の口は閉じたまま。
開かない彼女の目は、一体どこを向いているものだろう。
「……耳が良いのよ、私。だからね、人より歌が上手になれた……生まれつきこんな目でさ。心配した両親が、小さい時に修道院に押し込んだの。そこからずっと歌もやってた訳だからね」
ようやく言葉を発した彼女。
――まあ、当たり前っちゃ当たり前かも。
言ってペロリとお茶目に舌を出し、フラウトちゃんはふんわり微笑む。
「前に聞かれた事、教えてあげるね。なんで目が見えないのに歩けるのか。貴方の腕が無いのが分かったのか……私さ、周囲の音響でね、ある程度はどこに何があるかっていうのが分かっちゃうんだ」
「あらま……ほんとに? そんな事できるの?」
「流石に外だと、教会の周囲くらいじゃないとまだ自信ないけどね。出来るようになったのはつい最近」
「すごいなあ。めちゃくちゃ便利じゃないですか、羨ましい」
……それにしたってすごい特技だ。
自分も片目が無いんだから、その半分くらいの耳の良さは欲しいもんだね。
今のままじゃいいとこなしだ。羨ましい。
……いや。
あんまりにも、そりゃ、卑しい考えか。
彼女がいっつも笑っているから、彼女がどれだけ目が見えないで苦労したか……僕はついつい、その辺り無神経になってしまいそう。
自分が自分の身体について能天気だからって、彼女もそうだって勝手に思うのは失礼すぎる。
初対面の時、僕が目について尋ねた時、彼女はやっぱり傷ついていたのかもしれない。
僕は、やっぱり人の気持ちが分からない人間なのかなあ。
そう思ったのだけれど、むしろ彼女は傷ついたというよりは、びっくりしたような、……少しだけ嬉しそうな顔をしていた。
「信じてくれるんだ」
「信じない理由もないでしょ」
僕がそう言うと、彼女は、「やっぱり変な人。……勇気出してみてよかった」なんて言って笑った。
……何で彼女がこの事を話そうとしなかったのか、少しだけ分かった気がする。
僕が能天気で、無神経だから、彼女は自分の事を話せたんだとしたら。
……僕は、自分がお馬鹿な事を、ちょっとだけ嬉しく思う。
――驚く筈がないわよね。だって貴方は知っているもの、そういう力。その程度、難なく出来そうな相手と戦った事すら――
「……明後日にさ、この教会でお披露目会があってね。私、ソロで歌える機会をいただいたの……司教様方のお眼鏡に叶えば、セネカの首都、シュリにある大聖堂の所属に引き上げていただける」
彼女は、こちらに再び顔を向けた。
ちょっとだけボーっとしてしまっていた事を申し訳なく思いながら、伝わるだろうか、軽く頷くと、彼女は言葉を継ぐ。
「歌よ。歌が私の全てで、私の道……自分の歌を、どこまでも遠くへ届けたい」
「……立派じゃないですか。でもいや、しかしこりゃまた、随分大層な目標を掲げちゃいましたね」
「……へへ、受け売りだけどね。尊敬している方がこう言ってたの、『私の歌で、全てを振り向かせてやるんだ』って。シャイターンにいたっていう『黄昏の歌姫』の評判なんか、私の歌でかき消してやるって」
……人間の金持ちとか、大きな声じゃ言えないけど司祭さんとか。
そんな地位のある何人かが、魔族一派にいたっていうその『なんとかの歌姫』の歌をたまたま耳にしちゃった所為で、親魔族派に宗旨替えしてしまったというのは割と有名な話だ。
何せ僕の耳にも届いている。
最近は活動していないらしいけれど……まあ、人の信仰をひっくり返すくらいに凄い歌だってんなら、一度は聞いてみたいもんだね。
……ソイツは気まぐれらしいし、所詮は魔族だ。殺されちゃいそうだし、変な妄想するのはよしとこうかな。
……まあ、フラウトちゃんが尊敬してるお偉いさんとやらがサリア教に所属しているってんなら、そういう醜聞を吹き飛ばしてやるってのはまあ、立派な志なんじゃなかろうか。
「凄いんだよあの方。まだ私よりちょっと年上くらいなのに、神様すらも歌で振り向かせたいって……そう言ってた。憧れちゃったんだ、そんな彼女に」
――私もそう。神様は、私の泣き声なんか聞き入れてくれなくてもいいんだ。
見えぬ筈のその目で、見える者より遥か遠くを見ながら、彼女は言う。
「……あの方なら、それも可能だと思う。私も、遠くの遠くまで……神様にまで、自分の歌声を届かせてみたい」
フラウトちゃんは、大事に大事に……その言葉を抱きしめるように両手を胸元に添えて、そう囁いた。
翻って、僕はと言えば。
……真っ直ぐな道を望む彼女に対して、羨望と、もう一つの感情が沸き上がってきた。
――妬ましいの――?
――自分より年下の小娘が……自分の不遇を恨むこともなく、こんな風に聖人じみた事を言う、その有様が――
――貴方は、そうはなれなかったものねえ――
――貴方は、誰かを、何かを。……神を恨む事しかできなかったのですからね――
「……貴女は、神様を恨まなかったんですね」
自分の耳を疑った。
今のは、誰の言葉だ。
僕か。そうだっていうのか。本当に?
……何考えてるんだ。
何を考えて僕は、今、フラウトちゃんに対してあんな事を言ったんだ……?
そんなこちらの、みっともない内心の狼狽を知ってか知らずか、彼女は僕の言葉が聞こえなかったかのように――耳が良いと言ったくせに――全然関係ない話を振ってきた。
「……声を聞けば分かるわ。あなたは……きっと優しい人」
「……今まで世間話に付き合ってた時点で気付いてほしかったもんですがね」
「あ、そういうこと言うの? 若い女の子とお話しできたのよ? それも神に仕える清らかな乙女と……みょうちきりんなおじさんがさ」
「自分で言うかな、そんな事」
「アハハッ、いけなかった? ……やだもう、何拗ねてんのさっ!」
そんな風に、いつもより長くお話は続いた。
だけど。
……僕は、あの薄らみっともない……嫉妬じみた言葉を口に出してしまった時からずっと、俯きながら彼女の優しい声を聞いていた。
仕舞いには、うん、うんと、阿呆のように。
彼女の、こちらを慰めるような調子の言葉に、相槌を打つばかりになっていた。




