Hopeless hope in Hope 4
◇ ◇ ◇
――ああ、君か。分かってるよ。順調さ――
――便利だろう、これ。チャイルドとロットンの共同開発だ。離れた相手とも会話できる……まあ、旧世界ではありふれた事だったらしいけどね――
――そもそも奴らは秘密主義者だから。これもどうやら、相当前から実用化していたらしいが……なに、そんな事よりアイツの様子? そう心配せずとも良い――
――今は……おっと。はは、案外と手が早い。子供を誑かしているようだ……どうした? 火遊び未満だ、そうカッカすることもあるまい――
――今度は一週間後……聖祭の日に連絡するよ。だから、そっちはそっちできちんと契約は守る事だ。荷物の事が大事ならね――
――分かっているならいいさ。じゃあ、また――
何事か会話をしていたらしきその人影は、宙に浮かんだ魔法陣を一撫でして、それを消した。
……理解できんな、趣味の悪い奴だ。
そう、最後に呟いて。
◇ ◇ ◇
「あら、また来たのね子羊さん」
「ええ、参りましたよ子羊さん」
相も変わらず、僕の軽薄な挨拶の返しに彼女は笑った。
僕自身も、彼女の軽妙な言葉遣いは気に入っていたので、頬が緩む。
彼女との最初の逢瀬(と言うのも馬鹿らしいが)は、四日前。毎日来ている訳だから、これで都合五回目の邂逅となる。
「巡礼と言ってもね、この街には教団の施設ってこの教会と文書館しかないのに。いつまでここに留まるの? ずっといる訳でもないんでしょ?」
「そりゃまあ、そのうち出ていきますが。まだ司祭様に御挨拶も出来てないんですよ僕ぁ」
「あはっ! 何やってんのさ。それじゃあなた、ここで私とお喋りしに来てるだけじゃない」
「よく言うよ」
……二日目は、お昼過ぎに来ようとしたら、どうやって気付いたものか。
敷地内に入った瞬間にフラウトちゃんがお出迎えをしてくれて、「もうお昼食べた?」と問いかけてきたもんだ。
シスターがあんまりお小遣いをくれないから、固いパン一切れしか食べていない。
正直お腹が減っていたので、しかし食べてない訳でもないので、仕方なしにこう言ったのだ。
『おお、神よ、この哀れな子羊に日々の糧を恵んでください』
そう願えば、別に神でもない子羊の同類は、仕方ないわね、と満面の笑みでクッキーを懐から差し出し、ベンチの方を指さして。
『私とお話ししてくれるなら、分けてあげる』
……そんな事を言ったのだ。
二人並んでクッキーを摘まみながら、他愛もない事を話した後、さて、折角だし司祭さんに顔出しくらいはしておこうかと思っていたのだが。
『じゃ、今日はもうお帰んなさい。明日からはお昼に来てね』
なんて言われて追い出されたのだった。
それから今日に至るまで、お菓子だのパンだのを用意して待ち構えてくれている。
『今日は天気がいいね』
『敷地に猫が入り込んでくるから、こっそり餌やってるんだ。可愛いの』
『ね、知ってる? 噂になってるんだけど、魔王が勇者様に倒されたんだって。ほんとかな』
『……実はね、結構前から使徒の方々が何名か行方不明になってるらしいの。あ、これ内緒だよ』
……いつものベンチでどうでもいいような世間話を嬉しそうにぶち込んでくる。
そして僕が司祭さんに接触しようと思って、立ち上がろうと腰を浮かせば、そろそろ帰れと促してくる。
これがルーチンになってしまっていた。
シスターは、僕がここに通う事に何も言わない。
彼女が僕に与えた指示は、この街に着いた時に言われた一つだけだ。
『今はまず、この街で、自分がどういう存在か……人間がどういう存在か、見つめ直してみるといい』
……僕が今、主に関わっているのは、フラウトちゃんだけだ。
彼女との会話だけで、自分と『人間』を知るというのは、ちょっと無理がある気がするのだが。
だからと言って、この関係を断ち切ろうとすれば、彼女の笑顔が失われてしまうのではないか。
……それはちょっと、躊躇われた。思い上がりかもしれないけれど。
「……そういやさ」
「ん?」
「あなた、私の歌につられてここに来たんでしょう? それで、ちょっと合わせてくれたよね」
「ああ……なんか、聞いた事はあったんですよ、あの曲。聖歌って事すら知らなかったけれど」
「結構上手だったよ。……ね、ちょっと歌ってみてくれない?」
「ええ……僕がぁ? 歌うの?」
「うん。駄目?」
「駄目じゃないけどさ……」
……よくよく考えれば、歌なんざこれまでやった事無い気がする。
それを、よりによって本職の前で歌えってのは……ちょっとハードル高くないかね。
「ね、お願い。あなたの歌を聞いてみたいな」
「んむぐ」
可愛い女の子が、小首を傾げつつーの両手を合わせてーのお願い。
そんなんされてしまえば、こちらとしてはもう、断る選択肢など取りようがない。
女の頼みを断るな、とは、昔誰かに言われた気がするし。
しょうがない。
恥ずかしいけど。恥ずかしいけどやってみよう。
どれ。ちょいと発声練習。
「んマ゜~~~♪」
「び、美声……! だけどなんで裏声なの!? 真面目にやってよ!」
真面目だっつうの。喉のとおりを良くしただけだっつうの。
「ん、ん、あーあー」
よし。
「……いと高くおわしませ、主は尊く。我が身より離れがたき原罪を……ッ!」
ズキンと。一瞬、ひどい痛みが走った。
蜂にでも刺されたかと思ったけれど、この寒い中飛んでいるとも思えない。
左肩辺り……先っちょの無い僕の腕の付け根辺りが、まるでナイフで抉られるように痛い。
……けど、すぐにそれは収まった。
どしたの、と、不思議そうにこちらに顔を向けるフラウトちゃん。
不思議なのは僕の方だが、とりあえず不審に思われないように、キリの良い所まで歌い切ろうと頑張る。
「――あわれんでくださいませ。あなたにまつろう子羊のなき声を聞き入れてくださいますよう――」
……いつものように、目を閉じて。
気持ちよさそうに体を揺らして、彼女は僕なんかの歌に聞き入ってくれていた。
彼女の唇がそっと開いて、僅かに歌うように、だけど声は出てこない……まだ。
予感があった。彼女は多分……。
「「あなたの杖が指し示す先に向かい、真っ直ぐな道が敷かれますように――」」
……やっぱりそうだった。僕の想像は当たってた。
こうやって、最後のフレーズを、誰かと一緒に歌いたかったんだろうな、って。
あの時、フラウトちゃんを見かけた時の僕と、おんなじように。