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――ナインは、ピュリアの羽根を……特に尾羽の手触りを好いていた。
ちょっと大胆に、いつもよりやや背中側が開いたデザインのおべべを着てきたピュリアが、普段スカートの中にひっそり収めている尾羽を、お尻の上にぴょこんとはみ出させて、見せびらかしたことがある。
あのふわふわしながらもしっかりとした、艶のある羽根が光を受けて輝くのを眩し気に眺めていた。それに飽き足らず、撫でさすって、セクハラだと頭突きを喰らっていた。
あの子は鼻を押さえて笑った。ピュリアはスカートを押さえながらほっぺたを膨らませて、そして笑った。
どっちも笑ってた。それを見た私も笑ってた。
あの時は、笑えてた。
私にはどうやっても、羽根なんか生やせない。まして空を飛ぶことなんか。
……あの子を地面の軛から解き放ち、風を裂いて共に空の旅をしたピュリアは、その時の話をする度に誇らしげな顔を見せた。
後で、あの服は彼と一緒に選んだものだと聞いた。暫く、声が出なかった。
……私は、彼と一緒に空からの景色を見る事も出来ない。それが悔しい。
◇ ◇ ◇
――『黄昏』の歌姫、ピュリア・ハープ。
彼女は、シャイターンにおいて権威ある団体が開催する歌唱コンクールで、無名ながらも突然入賞して名を馳せたキワモノの神童として有名だったらしい。
キワモノの、とつくのは、路上で歌ってはおひねりを貰っては逃げて、警邏だのチンピラだのとの鬼ごっこを楽しむ悪癖が知れ渡っていたからだ。
しかし彼女の情感溢れて極まるに至った美声は、人魚と同様、とりわけ音楽的素養に恵まれた種族であるハーピー種の中でも無二と評されたと聞いている。
自由な気風で有名なシャイターンにおいても権威主義を保っていた有名な学院ですら、彼女の素行に目くじらを立てこそすれど、その歌声にケチをつける事は出来なかったという。スカウトの話すらあったとも。
そんな彼女が歌で食べていく道を捨ててディアボロへの派遣を受け入れたのは、何故だったのか。
『なんでアンタ、ディアボロに来たの?』
『ええやん別に。大したこっちゃないわ、暇つぶしよ』
まだ付き合いが短かった頃は、そんな言葉が返って来たものだけど。
同じ情報部局同士、ご飯とかを一緒にするうちに段々と仲良くなっていって。
暫くしてからまた同じ質問をしてみれば、もうちょっと突っ込んだ回答を得ることが出来た。
……歌う理由が分からなくなったからだと、彼女はそう答えた。
どれだけ気持ちを込めて歌おうとしても、気が付けば眼前、誰にでもない広い空間に向けて声を響かせている。
技術的には間違ってはいないのかもしれないが、それがどうも物足りなくなった、と。
彼女はそう言って口を尖らせた。
『……笑わんといてな。好きな相手でも見つければ、歌への考えも変わるかもしれんって思って』
『なんなら世界の果てでも見てみれば、一人でも歌いたい気分になるかも……ここにおれば、あっちこっち行く機会もあるやろし』
『……まあ、前に言ったとおりなんよ結局。楽しい事探しよ、ウチがここに来たのは。暇つぶしの、時間つぶし。おもろい事が好きなだけ』
そう言って、ケラケラ笑っていた。
私はそれを、なんとか無表情のまま聞くことが出来た。
……私は一時、彼女の身辺調査を担当していた。
勿論裏切りを想定するほど厳密なものではないが、彼女ら飛行部隊の重要性を考えれば、あまりに身元の不確かな者を組み込むことは許されないから。
……貧しい集落の中でも年長の彼女が、歌でようやく食い扶持を稼いでいたと聞いている。
彼女がシャイターンの軍楽隊に編成される直前の事だ。
使徒第八位の『怨音』の攪乱によって致命的な被害を受けた、彼女が入隊する予定であった隊が解散させられた事も知っている。
推薦を受けて学院に進んだとて、本来費用を支払って学ぶべきその場所で、何人もが生活するに十分なお金を提供してもらえるとは到底考え難い事だ。
希少種である彼女らだが、かつてないほど緊張状態にあるこの剣呑な世相にあって、ただ歌だけで食べていくのが簡単でない事は想像に難くない。
……ディアボロは、禁断の森を挟んで人間領と接している上、内海からの攻撃による危険も多い。
この地へ派遣されたハーピーに対しては、十分な補償がされるはずだ。まして、命を落とそうものなら。
……それでも、彼女が贅沢をしている様子はあまり見た事がない。
書類なんかじゃ、誰かの中身など何一つ分かりはしない。
本当のところ彼女が何を考えているのか、いたのか、私は何一つ知らない。
ただ、彼女という存在を把握するために、何も知らない風な顔を装って、私は彼女を謀った。
彼女は、話を聞いていくうちに俯いてしまった私の頭を、その翼で優しく撫でた。
彼女は賢い。そして優しいから、ずるい。
私は、ただただ、卑しい。
……彼女が定期的に送っている故郷への手紙とその中身は、『検閲する必要がない』、私がそうなるように取り計らった。
僅かな償いにもなりはしない、そんなの分かってる。
ただ、私は彼女の事を尊敬していた。嘘じゃない。
だって、私の知る限りの彼女は、自立した素晴らしい女性だったから。
……アロマ様。本当の事を言うなら、身内に疑惑の目を向けるこの仕事……苦手じゃないけど、得意じゃないです。
即座に上の文を削った私は、ただ彼女の中間評価書に『優秀』と一つ、備考欄に『直接戦闘不適格』と一つ、それぞれ判を押し、アロマ様に提出した。
◇ ◇ ◇
――特に冷え込みが強かった、今から一年前の冬のある日。
すっごく忙しかったけど、ようやく休憩がとれた私は、ピュリアを誘って城下にお買い物にでも行こうかなって。
そんな事を考えながら、城の中を歩いていた。
庭園の方に近づいたとき、鼓膜を撫でてきたのは、美しい歌声。その優し気な調べには覚えがあった。
その際、咄嗟に息を潜めて気配を隠したのには理由がある。
これは、サリア教の讃美歌だ。しかも歌っているのは……。
(ピュリア? あの子がなんで……)
誓って言う。
私は、ピュリアがディアボロを裏切るなんて毛ほども考えてはいなかったし、彼女の歌声を耳にした際にも、彼女を疑いはしなかった。
ただ、自分の能力の特性上、他国への侵入機会が多かったからこそ。
この美しい曲調自体に、神への尊崇を高らかに歌い上げる讃美歌というものの存在意義そのものに……私達獣人や魔族への殺意が内包されていることを良く知っていた。
なんであの子が、こんな歌を……。
(あれ? ……ナインだ。なんでこんなとこに)
そこに現れたのは、私の人間の弟。
飛び去って行く他のハーピー達。
そして、私は見た。
ピュリアがあの子と。
ピュリアが、あの子を。
ピュリア。
あなた。
…………まず、ナインがその場を去った。ピュリアに対して僅かな言葉をかけただけで、いっそそっけなくも見えた。
ピュリアも、しばらく立ち呆けて、すぐに飛び去って行った。
私は、ずっとそこに居た。
「……見つけたんだよね、ピュリアは。歌を届けたい相手」
……そこは素直に祝福させて。おめでとう、ピュリア。
でもさ。
あんたがあたしを裏切ったから、あたしだってあんたを裏切る覚悟が決まったんだ。
あたしだって、我慢してたのに。
ナインが構ってくれないの、必死に我慢してたのに。
元はと言えば、あいつが私に罅を入れたのに。なのにずっと放っておくから。
見てたよ。
あの時、ねえピュリア、貴女何をする気だったの?
ナインは気づかなかったみたいだけど、殺気くらいあたしにだって読めるよ。臆病だからね、あたし。ナイン以上に怖がりだから。
殺そうとしたね。
あたしの弟を、あたしに黙って。
やるなら一緒にやろうねって言ったのに。
どうしようもない時は、あたしたちで責任とって、皆で死のうって、そう約束したじゃん。
ゲームオーバーは、あたし達みんなで一緒にって、そう決めたはずなのに。
◇ ◇ ◇
私に入った罅が、今、取り返しがつかないくらいに大きくなってしまった要因は、大きく分けて三つある。
その内の一つが、アンタだよ。アンタの所為だよ、ピュリア。
あの時の、ナインを見るアンタの潤んだ目……あたしはそれが、どうしても許せなかったんだ。
「……誘ってくれたよね。ピュリアは」
ピュリアは、私に言ってくれた。この城から消えてしまったナインを探すために、丁度いいお仕事をもらったって。
ウチと一緒に行こうって、声を掛けてくれた。
……嬉しかったよ。だけど……。
『あたしは、ここを守るだけ。弱いからね……でも、分かるでしょう? 弱いなら弱いなりのやり方があるの。ピュリア、あたしは貴女と一緒には行けない』
『…………』
『弱くて、だけど空を飛べる貴女は、自分に出来る事を見つけた。それは尊重するよ。でもきっと、あの子に一番必要なのは居場所だから。だからあたしはここを守る、ここで待ってる』
『……そか。分かった、ナインの捜索はウチに任せとき。アイツを出迎える役割は、アンタに任せたからね』
私は、彼女の誘いを断った。
……だって、ピュリアが、こそこそと私に見えないよう、知られないようエヴァ様に接触していた事も知っている。
それは、私に気を遣ってのことかもしれないけれど……とても不愉快だった。
……嬉しかったんだ。誘ってくれた事は、本当に。
あの娘は、大事な友達だから。私を誘ってくれて、その上で私の気持ちを尊重してくれた事、本当に嬉しかった。
だけど許さない。
私に出来ない事が出来るピュリアが、許せない。
ナインとの距離が、きっと私より近いあの子が許せない。
あの子と二人きりの時間をたくさん持っていたあの子が、どうしても許せない。
あの子をあたしから勝手に奪おうとしたことが、どうしようもなく許せない。
ピュリア。あたしの大切な親友。
許したい。けど、許せない。
許す、許さない、許す……人の事なんて言えないか。言えないけど。
……許されないのは、私だろうけど。