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馬鹿共の饗宴

「三日後に奴らの会合があります。やるとしたらそのタイミングが良いかと。あいつら帳面は残しませんから、経理等の担当者は殺さないでおいた方がいいでしょうね」

「わざわざ聖祭に近いこの時期での顔合わせか」

「……お楽しみがあるんでしょう。その日は娼館の貸切りをしているようで」

「信仰心の薄さもここまでくりゃあ見上げたもんだな。……ハ、あやかりてえ」


 そう言った自分を咎めるような目線で見てくるのは、若手の諜報員の一人だ。

 真面目なのは美徳だが、この程度の軽口は流してほしい。所詮自分は、こういう人間でしかないのだ。

 今回は事情が事情だ、本来自分が出張るような話でもない。

 だからこいつらには自分の身分など知らされていないだろう、もしかしたらただの雇われ暗殺者だとでも言われているのかもしれない。


 年嵩の者は、ある程度こちらの正体を予測しているのだろうか、そんな若手の言葉に顔を青ざめさせていた。


「……いいですか。これは神の権威を知らしめる重要な任務であって……」

「悪い悪い。ともあれ、だ。俺の仕事は明々後日。素敵なパーティーをしっちゃかめっちゃかにしてやるってな、分かった分かった」


 そう言って席を立てば、未だにこちらに不信の目を向けてくる。

 ……こんなのは初めてって訳じゃねえ、気楽にやらせてもらわぁな。


 気楽に、されど徹底的にだ。


 酒は好きだがクスリは嫌いだしな、奴らには地獄を味わわせてやる。




 ――――――――――――


 時間どおりに待ち合わせに来た諜報員と、情報の確認、そして最初で最後の打ち合わせを終えた後。

 ……馬鹿らしいが、何故か自分はまた、あの物乞いのいた公園に足を運んでいた。

 昼前に会ったばかりで再会というのもせっかちな話だが。


 ……アイツは公園の椅子にぼんやりと座って、そろそろ落ちそうな夕日をぼけっと眺めていた。

 季節は冬。この地域は多少温かい方だが、それでも夕方の風は冷たい。


「おい、お前。宿はどうしてんだ」


 そう声をかけると、首も動かさずに目線だけでこちらを見てくるそいつ。

 その横着ぶりには、何故か親近感が湧く。最近セネカにずっといた為に坊主どものシャチホコばった態度や上の傲慢な指図を受けていたからか、さっきの若手やこの男の態度の方が、よほど落ち着く。


「風邪は、今までひきませんでした。寒いけど。……僕が馬鹿だからでしょうか」


 見当違いな返事をしてきて、そいつはまた夕日に目線を戻した。

 えらく今日はでかく見える。確かに綺麗だとは思うが、妙な不吉さがある。


「お前みたいなのでも、ああいうのに風情を感じるもんか」

「……よく分かりませんが。ただ、吸い込まれそうだなあと」

「そういう感想は聞いたことねえな」

「だってなんか、おっきな穴みたいじゃないですか」


 そう言って、黙り込む。

 太陽をそんな風に表現する奴は見たことがない。


 ……だが、満月をそう評した奴が、身近に一人だけいた。

 そいつは、今、行方不明になっていた。


「向こう側には、何があるんだろ……」


 阿呆のように口を開いたまんま、向こうを見続けるそいつは、もうこちらに毛ほども関心を持っていないようで。


 その様子が何故か癪に障り、気づけば自分はそいつの腕を掴みあげていた。

 そして。


「飲みに行くぞ。ちっと付き合え」


 こんなことを言っていた。




 ――場所は、ちっぽけな酒場に移る。


 二人分の麦酒を注文し、テーブルの上には注文どおりの物が二つ。

 自分の方に置かれたそれを困惑気味に眺めているそいつを無視して、乾杯もせずに一息に自分の分の杯を空ける。


 ……自分でもまったくおかしいと思うが、こいつと飲みたかった訳ではない。

 ただ、こいつに酒を飲ませてみたくなっただけだ。

 素面で話しても、こいつはさっきのようにぼんやりとしたまま、こちらを相手にするでもなくぼんやりしたまま話すだろうし、そしてこのままならぼんやりしたまま死んでいくだろう。


 それは別に構わない。

 ただ、少しだけ興味が向いただけだ。理由は自分でも分からない。


 ……いや、理由を敢えて上げるとするなら、いくつかあった。


 ……こいつは、おそらく兵士ではなかったのだろう。襤褸をまとった体は、一見中肉中背。鎧をつけるには細過ぎる。

 だが、自分とて戦で飯を食ってきた人間だ。戦闘者の目で見れば、筋肉自体はよく絞られたものだった。農民の筋肉の付き方ともまた違う。

 ただ物乞いを続けてきただけの者の体ではなかったのが気になった。最近まで、栄養状態がそこまで悪くない環境にいたことも読み取れた。

 それが一つ。


 今一つは、目だ。

 こいつの目が、無性に気になった。別に男色のケはないし、そういう意味でもない。

 顔半分を隠す包帯から逃れている、虚ろに淀んだこいつの右目は、どことなしに自分の第六感に触れるものがあったのだ。

 ……どこか、勘が囁いた。剣呑な匂いがする。

 なのに、こいつの持つ空気には、えらく覇気がない。


 正直こいつの素性は知ったことではないが、こういうのが変にうろついているのは良くないと感じる。

 技能の一つでもあれば、まだ若い、多少体が不自由でもやり直すこともできるのではないだろうか。


 そこまで考えて……結局自分はどうしようもないお人好しなのかもしれない、と思い至り。

 それがやはり気に食わず、バッカスは二杯目も一気にあおった。


 口元に泡をつけたまま正面に目を向ければ、男は未だに手も付けていない。わざわざ自分が奢ってやっているというのに。


 ――この程度の酒量で酔うでもない。つまり、未だに素面のままバッカスはこのようなことを思考した。

 ……なんだテメェ、オレの酒が飲めねえってのか……。


「なんだテメェ、オレの酒が飲めねえってのか!」


 思考と同時に口に出した。


 直情短気である――とはバッカスを知る者からの、彼という人物に対しての共通所感であった。

 かつてローグ・アグニスに対してすら拳骨をかまし、互いに丸二日暴れまわり、訓練所をしばらく使用不能にしたのは使徒のおよそ全員が知るところである。


 全く面倒な中年のその言葉に対し、律儀にも白髪男はぺこりぺこりと頭を下げ、恐る恐る両手で――無論、左手の方は用をなしていないが――杯を持ち上げ、舌でぺろりと酒を舐めとる。上品ではない行為だが、その様なことはバッカスにとってどうでもよかった。


「馬っ鹿やろ、おめぇな、そんな飲み方は酒に失礼なんだよ! 一気に行け一気に!」

「ふええ」


 なっさけない声を上げて、やむを得ず哀れな物乞いは一気にいった……ように見えたが、半分ほど飲んだところで杯を下ろして咳き込む。


「苦ぁ! 臭っ! 飲めないよこんなの。無理無理むーりー……」

「何諦めてんだ! 男なら気合い入れて飲み干すんだよ!」

「女でいいよ、こんなんならもう」


 随分と砕けた物言いが返ってきたことに多少気を良くしたものの、バッカスはなおも無理を通そうとする。


「軟弱な事言ってんじゃねえ! 舌で味わうなんざしなくていい、喉に流し込め!」

「イやよイヤ! もうアタシお家帰る!」

「何言ってやがる家無しが! 気持ちわりい声だしてんじゃねえ!」

「うるさいわねこの酔っ払い! アタシを酔わせてどうしようっていうの!?」


 ――血の気が引いた。


 こい、つは。なんて、ことを……。


 慌てて辺りを見回すが、喧噪の中だ、幸いにもコイツの妄言はさして他の酔っ払いの耳に入らなかったようでほっと一息。


 この上なく薄汚れた物乞い男を、酒に酔わせて持ち帰る、中年男性。


 あんまりにもあんまりだ。絵面がひどすぎる。万が一にもそういう趣味だと思われるのは、たとえ異国の地であっても耐えがたい。いや、生まれはこの国だがどのみち故郷はここから遠いし、長く顔を出していない。それはそれとして。

 そもそも仕事前に騒ぎを起こしたくなんぞない。敵方に顔が知られるのは最悪だ。いやそれ以上に、敵方に情報が回ったとして、その内容が特殊性癖の男色家が襲ってくるというものであれば恥辱の極み以外の何物でもない。突入時に尻を警戒している相手に対して、自分は何をしようというのか。

 普通に……そう、多少なり騒ぐのはいいとして、普通に飲みたかったのだ。それがこのザマだ。


「て、めえ……コラァ! とにかくコラァ! シャレにならねえぞコラァ!」

「なんだコラァ! テメッコラ、喧嘩売ってんなら買うぞコラァ!」

「お、お、言ったな!? おめっ、このオレに言ったなそれ!」

「何よ怖い声だして! 脅しには屈しないわよ! 体は自由にできても心までは……く、悔しいっこんな男にっ!」

「だからそれはヤメろっつってんだよ!」


 そう怒鳴り返したとき、気付いた。

 対面の男の顔は、この上なく真っ赤に染まっていた。いわゆる、出来上がっていた状況であった。


 これっぽっちの酒で酔う人間を、バッカスは見たことがなかった。


 しまった、と思ったのも一瞬、男はなおも騒ぎ立てる。


「そもそもなんだ何様だアンタ、いきなり人の事連れ出して、なんだい偉そうに!」

「んだと! 手前ぇ、オレを誰だと思ってやがる!」


 売り言葉に買い言葉、問われたとして答えられる身分でない癖に、バッカスはまたも怒鳴る。

 すると、負けじと怒声が返ってきた。


「知るか! 何せ僕は自分の事すら知らないし!」

「なんだそりゃ!」


 極まってきたその騒ぎを聞きつけて、他所の酔っ払いも集まってきた。


「なんだなんだ、穏やかじゃねえな」

「喧嘩か? いいぞ、やれやれ!」


 無責任な観衆にも、バッカスは怒鳴りつけた。


「うるせえ! まとめてかかってこい馬鹿共が!」


 そういって、再び前に置かれた……今度は蒸留酒を一気に流し込み、火照った頭に残った最後の理性が殴り合いだけは避けようと働き、机の上にドンと右腕を置いた。

 腕相撲……力比べの体勢だ。


「誰でもいいぜ、オレに勝てたらここの酒代は全部持ってやる! オラ来い酔っ払いども!」


「マジか! やるやる!」

「珍しく景気の良い話が来たぜ、おいお前ら、このおっさん潰すぞ!」

「引っ込め有象無象! この髭親父は僕の獲物だ!」

「うるせえ若白髪! 面白ェ、まずは俺からだ!」


 その日の酒場は大盛況となった。

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