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aLice IN (uncer) wonDERlAnd 4

 ……そんな彼女は今この場において、こちらの姿を認めて僅かに小首を傾げた。

 そして開口一番、こう言い放った。


「用意はできた?」


 共に拝謁に伺ったアロマ様の傍に控えていたから、私はその場の様子をしっかり目撃してしまっていた。


 一瞬の沈黙と、苦笑交じりの僅かな悪意が、音となって部屋に零れる。


 ――意味の分からぬ事を。王たる心構え……準備を問いたいのはこちらの方だ。事前に伝えておいたはず。


 ――またまたこれは、殿下はお戯れが過ぎる。いや、今がどんな状況か分かっておいででないのか。


 ――やはりまだ彼女には御簾の内側に籠って貰っていた方が。


 ……彼らから嫌味の声が上がったのは、仕方のない事だと思う。客観的に見て、彼らだって自身を左遷したアロマ様に対して含むところはあろうが、優秀な人たちであることは知っているし、何よりこの地の事を思って努力してきた方たちだ。


 かつてないほどの混乱の最中、お飾りだとしても『白痴』じみた采配をする者に上に立たれてはたまらない。ましてや会話もままならないとは。


 ……そういう考えを持つのは、自然だ。


 怒りすら含んだ彼らの失笑――もし彼女の機嫌を損ねればどうなるかなんて、分かっていただろうに。あるいは、傷を負った自分の姿を見せてでもアロマ様の暴挙をただそうとしたのか――に目を向けず、殿下はちらりとこちらを……アロマ様の方に目線を向けた。


「足りるのかしら」


 流石のアロマ様も面食らったようで、ずっと忙しかったからか少しクマの浮いていた目を見開いていた。


 あの方でも分からないことがあったのか。私が聞く程度の事ならなんでも答えてくださるアロマ様が答えに窮するのは、いっそ現実的な事ではないとまで思っていたのだけれど。


 ……もちろん、この位で貴女への尊崇の念が損なわれるわけではないですよ、アロマ様?


 こんなことを言うのは良くないと思うけど……以前よりあった『殿下は正気ではない』という噂は、最近偶に城内に響くようになった狂声で余計に真実味を帯びていたところだ。


 そんな殿下の言葉がアロマ様の慮外であったからと言って、別にそれは、仕方がないのでは?


 ……あー、これ駄目かなあ。アロマ様、赤っ恥かいちゃうかなあ。八つ当たり位なら付き合いますよう。


 ……そんな私の不敬な予想は、斜め上に外れた。


 やっぱりアロマ様はアロマ様だったので、彼女の発言の意図自体は分かっていたらしいのだ。

 ただ、殿下がまさかこんな手段を取られるほどにお怒り・・・になっておられるとは、その点については予想外だったみたいで……。


 ……アロマ様は震える声でこう返した。


「お考え直しを。民への刺激も強すぎます」


 苦渋に満ちたアロマ様の言いぶり、そして表情。

 内容がさっぱり見えない会話。


 首を捻る重鎮達と私を尻目に、殿下は続ける。


「じゃあ、私がやろっか」


「……いけません。匹数も多いのです、あまり反発心を煽るのは」


「じゃあ、私が自分で全部やるね」


「……いえ、分かりました。お心のままに。三日……いえ、二日お待ちを」


「じゃあ、うん。街はずれの西のからね」


 アロマ様は、黙って頭を下げた。俯いた顔は蒼白で、口元が引きつっていて。

 私も、彼らも、何がアロマ様をそんなに……そんな顔をさせるほどに追いつめているのかさっぱり分からないまま、彼女の部屋から退室した。


「……」

「アロマ様?」


 アロマ様は、そのまましばらく沈黙を保っていた。

 静かなその場で、誰かが口を開こうとした瞬間、彼女は俯いたままだった顔を上げて、声を張った。


「これから言う数だけ、材木を掻き集めなさい。復興に用いる建材には手を付けないこと。もし足りなくば、代用となるもので結構。一定の強度があれば問いません。長短二本で一組、長さは……」

「宰相殿、急に何を言われるか」


 アロマ様の物言いが癪に障ったか、先程殿下を揶揄したうちの一人であるギッシュ卿が苛立たし気に口を開いた。


 彼はアロマ様の元々御実家と懇意にされていたので、十分な調整……見返りがあっての事だったろうから領境に飛ばされた事自体はさして恨みに思ってはいないようだが、それはそれ。前陛下への忠誠心も高かったとのことだし、遠距離にあってもアロマ様や陛下の治世に度々口を挟んでいたのを覚えている。


 今回こちらに呼び戻されたのも、アロマ様に対して辛うじて中立的な立場の方だからだ。むしろ反対派とのパイプもこちらが把握できている分、扱いやすいとの思惑があっての事だろう。


 ……彼からの手紙をアロマ様が受け取るとき。

 機嫌が良ければその忠義と進言に感謝を、と余裕の微笑みを浮かべた。

 機嫌が悪ければ私の尻尾が握りつぶされた。にぎにぎと、芯の形が分かるほどに。しばらく歪みが戻らないくらいに。執拗なまでに。ちょっと痛気持ちいいくらいに。

 故に私は、機嫌が悪いときを見計らって……閑話休題。


 ともあれアロマ様は、そんな彼の不機嫌さを孕んだ言葉に首を振る。

 せめて説明を、との追及の前に、彼女は自身の言葉足らずを謝罪して、言葉を継ぐ。


「最早我らでどうこうできる段階にはないのです。迅速に、効率的に動かねば……彼女の希望は果たされず、そしてそれはこの地に不利益が引き起こされると同義」


「……サジェスタ卿。貴殿に、殿下と個人的な交誼があることは周知の事実。先程の、無思慮からの発言でないのは貴殿の様子から我々とて分かる……この指示が、本意ではないことも」


「……」


「答えられよ。殿下は何を我らに求め、そしてその目的は何か。あの方は、何をなされるおつもりなのか」


 アロマ様は、僅かに顎を引いて、再び俯いた。さらりと零れた髪が、彼女の表情を隠した。


「……確信したのは、足りるか、と。殿下のその言葉です……正直に言えば、部屋に入った時の彼女の表情で予想はついてしまいましたが」


「……?」


「丁度昨日、彼女と傷ついたこの地の復興について話す機会がありました。彼女は既に、必要な物資の量、予算、計画などについても……独力で調査し、把握をされておられました。勿論、錯誤や拙いところはありましたが……」


「それは……喜ばしいと言っても良いのか」


「……彼女は、捕らえた人間についてもある程度理解しておられます。数は膨大、維持するに当たっては有用性も、リスクもある……養うに当たって掛かる費用についても、彼女は……」


「……見縊っていたかな。サジェスタ卿、それが貴女の出任せでなければ」


 ギッシュ卿の揶揄も、言葉ほどには重くない。別にアロマ様を疑っての発言ではないのだろう。

 ……ただ、彼女が言葉を繋ぐほどに、表情の陰が深まっていること。それは、この場の全員が気付いていたから。



 ――何匹までなら、殺していいか。一面的な意味に限れば、それも彼女は把握している。



 ぽつりとそう呟いたアロマ様は、殿下の仰った意図をその場の皆に明らかにした。


「この地で鮮血街道アケルダマを再現する。磔という可視化された恐怖によって、民の動揺も、人間の反骨も、全てを抑えつける。殿下はそう仰っているのです」


「……馬鹿な」

「我らが、皆が住まう地を更に血で穢すおつもりか」

「西の……まさか、あそこに千は居るぞ……」


 重鎮らの言葉を受けてなお、アロマ様は言を変えない。


「殿下は既に命を発されました。そしてそれは……最善かどうかは別として、我らが取るに相応しき選択肢の一つであろうと思料します」


「しかし!」


「……お早く。あの眼を見ましたか……殿下がああなってしまっては、陛下がいない今、誰も手綱を握り切れません。実現可能な選択肢が取られた事を幸運に思うべきなのです。さもなくば……」


 ――少なくとも、まだ使いみちの残っている人間ども全てを、殿下に殺させるわけにはいかない。


 ――ようやく取り戻したこの地を安定させるためにも時間が必要。今、人間を皆殺しにしてしまえば……。


 ――陛下が戻られるまでは、致命的な段階まで……取り返しのつかない状況まで持っていくわけにはいかない。



 ……そう。

 殿下は聡明だ。彼女はその時から今に至るまで、出来もしない事を指示する事はなかった。


 最初に発した命……その方針からぶれることなく、彼女はテキパキと復興と、そして磔を。


 並行して。

 精力的に。


 ……これまでの黒一色の流儀を捨てて、白い豪奢なドレスを身に纏った白痴の殿下は。

 地獄をここに打ち立てるんだ、現世に地獄を引っ張りこむんだ……ってさ。


 ここから地獄を、姉では出来なかった人間の地獄を始めるんだって。


 見惚れるほどに可憐な笑顔で、町はずれ、西の端。

 血の気を失って青褪めた民衆の前で。

 まさに命が奪われつつある、立ち並ぶ磔の前で……彼女はそう言い放ったんだ。


 ……子供の声が聞こえた。母の脇腹が槍で刺され、その死を嘆く声が。

 血を吐くような。

 突っ伏し、掠れて、なお続く。そうしてきっと、もうすぐその子も。

 ……ああ、ほら、刑吏に引き立てられていく。


 殿下は……エレクトラ・ヴィラ・デトラは笑った。

 私より年下の彼女は、残酷を喜んだ。人間嫌いの私にすら哀れを感じさせたあの声を聞いて、妖艶に、淫靡に笑った。


 かつての陛下そっくりの白いドレスを身に纏い、かつての陛下そっくりの顔で。


 だけど、かつての陛下と正反対の表情で。


 かつての陛下と正反対の正義で。


 ……そんな彼女は、あまりに美しくって、怖かった。

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