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とりあえず今の僕は

「待たせたな」


 もそもそと座り込んで作業していたおっさんは、大儀そうに立ち上がって、こちらに声をかけてくる。


「いいですもう、別にやる事もないし」


 どうせ無職のこの身である。既に日も変わってしまって、明日は間違いなくいつも以上に遅い目覚めとなるだろうけれど、それも別に構わない。

 中途半端に終わらせるんじゃなくて、今日一日の不条理の総括をこのむさ苦しいおっさんとの会話で締めなければならないってのは、自明だった。


「それが良くないんだよ。若者が暇ってのは、大概良くない」

「年寄りじみた事を言うもんですねえ」

「……口の利き方にはもうちっと気をつかえ」


 ……彼は、未だに僕を警戒している。間違いない。ちらちらと、隠すでもなくこちらの左肩に目線を向けてきているのは、先ほどから気づいている。

 僕の肩口に刻まれた、入れた覚えのない刺青っぽいのが……僕は死ぬべきと彼が判断した何がしかであることは、もう疑いようもない。

 その上で、こちらを突き放しながら、それでも彼は僕に生存という選択肢を残した。

 

「……優しいんだか、冷たいんだか。貴方はいまいち分かんないね」

「大人ってのはかくあるべきだと思うぜ。ガキってのは大事にすべきで、それでも駄々には付き合うもんじゃねえ。そういう傲慢さは、場合によっちゃ許容されんのさ」


 ……短慮な人だと思っていたが、こういう物言いからは知性も感じられる。やっぱり変な人である。


 ……なんか分かっちゃった。自分で言うとおり傲慢さに正当性を認める態度……きっとこの人、広い意味での聖職者崩れだね。教師か神父かまでは分かんないけど。どっちも暴力とはかけ離れた存在であってしかる『べき』だろに。


「なあ死にたがり。駄々ぁ散々吐き出して、ちっとは前向きになれたか?」


 さっきまでよりかはましな目をしてる、と、彼は言う。


「……死にたがり……それも」

「……あん?」

「それもやっぱり、言われたことがある気がする……」

「じゃあ、なおせ。そうすりゃ、昔のお前よりはマシになれたってことだろが」


 正論であるが……正論であるので。反駁しようとしたができなかったので、相も変わらず僕は不貞腐れた顔しかできない。

 だけど、もう揶揄としてではなく、彼にはこう言わざるを得ない。


「貴方は、本当に……強い人なんですねえ」

「……人を導くなんざガラじゃねえが、年寄りにしかできん仕事だ」

「……根に持たないでくださいよ」



 ――バッカスは笑い、そして視線を一瞬だけ地面に落とした。


 導き……出来れば、それは神の手によるものであってほしかったが。神の絶対的な善悪の裁きは、この世では行われない。それを知ってしまったから、自分の裁量で、あるいは教団の利害で人を裁いてきた。


 リリィは……上手くやったもんだろうか。ニーニーナが姿を消す前に言ってたな、あいつは、自分の理想を実現するために教団から離れたと。

 

 ――俺は、あいつとは違う。魔族らの面倒まで見切れるほど、人間の度量を信じてはいない。ただ、同種の隣人同士で手を繋ぐのが精々だと、そう思っている。


 己の目標は、人間が、人間の手で、平凡で平等な世の中を築く事だ。そして自分でできるのは、その土台作りまでだろう。

 自分の代での目標実現は無理でも、次代で。それでも無理なら、さらに先で。

 少しずつでも、そのような世に近づくように。


 ……その為にも、やるべき事が少し見えた。カイネが、使徒以外にも何がしか手を加えているという証拠が目の前にいる。

 それはつまり、あの女の足跡が次代にも残り続ける可能性があると、そういう事だ。

 そうであるなら、まずは彼奴の――どうせろくでもない物に違いない――目論見を潰すための情報集めをせにゃいかんが……。


 顔を上げ、バッカスは物乞いを見る。相も変わらず淀んだ目だが、光が少しだけ見える。今はそれでいいのだろう。


「まあ……取り返しのつかない事なんざ、そうそうねえよ。ましてお前くらいの歳で」

「罪の重さに貴賤も年季もあるもんですかね」

「罪人である自覚でもあるのか?」

「……罪悪感だけが残ってて」

「今は忘れとけ。覚えていられなかったんなら。思い出してから……償う事を考えろ。その方が誠実だ」

「そうかなあ」


 そうかなー、と、重い口調から一転。首を捻っている様子を見て、なんとなくもう、こいつは自分の足で立てるだろ、と。そんな気がした。


「……ちっとは祈っててやるよ。お前の探し物が見つかるように」

「…………」

「少し世界ってもんを見て来い。街を出る手筈くらいは整えてやる。……こんな狭ぇとこで物乞いして、燻ってるよりかはマシだろ」

「……ん」


 男は、割と素直にこくりと頷いた。こいつはこいつでまあ、胡散臭いが悪い奴じゃなさそうだし。

 だが当然、刻印持ちである以上放置もできん。この街に残すのも、それがカイネの思惑であるなら恐らくは悪手。それにヒミズが言った『化け物』という言葉、こいつを指しての事だろうが、それも気にかかる。監視を外すわけにもいかん。

 ……少々気がかりだが、教団の目を使って様子を見ておくか。


 であれば。

 住所不定無職、それだけではコイツの情報を伝えようもない。


「……そういや、聞き忘れてたんだがな」

「あい?」

「お前、名前は?」




――――――――――――――――




 ――名前は、と問われても。ごめん知らない分からない、では納得してもらえないだろう。

 

 よくよく考えれば、彼の「何者だ」との問いに僕は未だに答えられていない。

 ……このヒゲおじさん、名はバッカスと以前教えてもらっている。人に散々絡んできたものの、なんだかんだこちらもお世話になった。そうである以上は仁義の通し様もあるはずで、こちらも答えておいてしかるべきだが、さて。


「ちょ、ちょっと待ってくださいね。心の準備が」

「……?」


 実際名前なんか覚えていないけれども、なら折角だ、この場で決めてしまえばいい。この街を出るという心が決まった以上、名無しの権兵衛でいられるはずもない。はていかに、どんな名前にしよう。


 ……頭に色々よぎらせてみよかい。心当たりでも拾えれば幸い。

 まずは『あ』からいってみよう。


 アリ――


 ズキン、と後頭部に痛みが響く。駄目だ、これ駄目だ、他の他の。

 ってーかさっきのは女の子の名前っぽいし。

 じゃあ次。


 アビ――


「うぐ……」

「おい、どうした? 大丈夫か?」


 駄目だこれも不愉快極まる。何かえらい腹が立つ。おっさんが声をかけてくるが、男に心配されても何も嬉しくない。


 ……順番に行くのはやめだ。適当にいこう。


 なまむぎなまごめなまたまごー。

 かえるぴょこぴょこみぴょこぴょこー。

 このくいのくぎはひきぬきにくいー。

 となりのかきはよくきゃくくうかきだー。すごーい。きみはひとがだいすきなふるーつなんだねー。

 やばーい。ちょべりばー。


「…………」


 しっくりこないなぁ……。


 何かピンとくるのがないかなと思って手あたり次第当たってみても、僕の小麦色の脳細胞から沸いてくるのは意味の分からない文言ばかり。

 ……これ、というのが思いつかない。


 なんか手掛かりとかないだろか。今まで気づかなかっただけで、実は持ち物のどっかに書いてあったりしないかな。

 そう思って目線を下ろしてみても、よくよく考えれば今は見る影もなくなったヒラヒラドレスに着替え済み。手掛かりもクソもない。

 今手元にあって、いつも身に着けていたものと言えば……この羽根くらいか。

 こんなもん見たって、何も思い浮かびゃしないだろうに。



 ――これ、お守り。お願いだから、死なないでね、お兄ちゃん――



 ……口が、勝手に開いた。




 ――――――――――――――――




 下を向いて唸っていた男は、ふいに顔を上げてこちらを見る。

 出てきた言葉は、三文字の言葉の並び。


「……クリス」

「あん?」

「え……あ、クリスってのがなんかそれっぽい、かも」

「それっぽいってなんだよ。お前の名前だろうが」


 初めて聞く、男の名。これが今より後、カイネに縁ある者の呼び名として教団に記録されることとなる。

 無論、この男が善なるモノか、あるいはカイネを始末するに役立つか。または万が一にもカイネに与する者か……それがはっきりするまでは、余計な手出しをさせないように取り計らうつもりであるが。それにしても、白髪にクリスか。こりゃまた随分と……。


「縁起の悪い……」

「……? あんまり良くない名前なので?」

「いや悪い、口が滑った」


 ――人間の敵の代名詞である魔王の座から転げ落ち、今や黄泉路を辿った筈の一人の魔族、クリステラ・ヴァーラ・デトラ。


 白髪で、白い翼を持ち、白いドレスを好んだと聞いている。奴については、今もなお殆ど詳細が知られていない。見かけについて自分が知っている情報といえばこれくらいだ。


 ……今目の前にいる男は、ぼさぼさの白髪頭。纏っているのは気色悪くも女物、白くボロボロに破れたドレス。一瞬取り出し遠い目で見たと思いきや、すぐさましまった一枚の羽根。それもやっぱり白かった。


 ……いや、だからといって、いくらなんでも冒涜的すぎる発想だ。魔王の生まれ変わり、なんてのは。コイツはただの……。


『黄泉がえりって、信じる――?』


「……まさかな」


 不意に思い出したのは、かつてニーニーナから問われた馬鹿げた妄想。

 今、魔王の座は空位となっている。暫定的に奴の妹が代理を務めているらしいが、それも所詮はクリステラほどの脅威とはなるまい。

 あの災厄は、もうこの世にいない。ニーニーナの言葉を信じるならば。


 生あるものは、死ねばそれまで。

 死ですべてが終わる。それが生命の尊さで、救いだ。 

 それを外せば、死を忘れてしまえば、そいつはもう……カイネと同次元の、理外の怪物だ。


「……まあいいさ。なぁおいクリスとやら、一つ忘れてたことがあってな」

「なんでしょう」

「俺は今度お前に会ったら、こうしてやろうと思ってたことがあってなあ」

「……? なんでしょ」


 う、とクリスと名乗った男が言い切る前に、酒瓶を口に突っ込んだ。


 途端に頭をぐらぐらさせ始めた若白髪を引きずり、バッカスは部屋の出口へと向かう。


「う、おおおお……何を……うべぇ、この味、におい……」

「これでちっとは口も軽くなんだろ。も少し話しておきたいことがある、飲みに行くぞ」


 ――まずはコイツの事をもう少し知っとかにゃいかんな。ここの後始末はどうせすぐ来る教団アイツらに任せりゃいいし、コイツを任せる奴も厳選せにゃいかんし、細かい報告は後でいいやと、既に目的地の物色を頭の中で始めた中年を、引きずられている男は恨めしげに見上げた。


「だ、から、お酒は、嫌いだってのに……」



 ――クリス。クリス。またクリス――

 ――んー、ううん。貴方が初めに得た名前だし――

 ――まあいいわ。今はそれでも――






 ――僕の肩をひっ抱えて夜の店に連れ込み、杯をカパカパ空けながらあーじゃこーじゃ言うおっさん。

 血の匂いのする人だった。清潔感の欠片もない髭も生やしていて、第一印象はあんまし良かない。今も正直、良くはない。


 だけど、僕の片っぽ残った眼をまっすぐに……この人は、僕の知る限り、子供以外で本当に初めて僕の事を真っすぐ見てくれた人だった。

 多分人殺しの癖に、なんでか子供みたいな眼の光が見えた。


 ……それが、少しだけ羨ましくって。何があれば、何を持っていればそんな目が出来るのか知りたくって、だからおっさんの言う事にホイホイ乗っかって、どれちょっと、世界とやら見てみようか見てやろうか、と、そう思ってしまった。


 もしかして、この人は僕の知らない何かを持っていて、万に一つ、僕もそれ、どっかで拾ったりできるかな、こんな風に笑えんのかなって。重っ苦しい罪悪感を背中にひーこら抱えたまんま、貴方もそうだろう、なら、僕もいつかそれでも笑えんのかなって、そんな気がしちゃったんだ。





 ……そんなはずはなかったのだけれど。


 結局これは、後になって分かったことだ。僕は所詮ただの凡愚で、先の事なんざなんにも分かっちゃいなかった。


 だから。


 僕はこれから、僕が一番綺麗だと感じたモノを踏みにじる、ほんの短い旅に出る。








 ――バッカスも、『今この時点においては』クリスである男も、知らない事がある。


 大した話ではない。くだらないどこぞの情報屋に係る、ちょっとした余談だ。

 

 彼は、ある情報を持ち帰っていた。情報屋である故に、全く不自然な事ではない。ただ、頭目は全ての情報を彼の死体から得られなかったと、それだけ。男が誰に伝えることもなく、冥途の土産に一人で抱え込んで持って行ったものがあるという、それだけの。


 彼が持っていた情報の一つは既知となり、そして既に終わった話だ。

 使徒が頭目を襲うというもの。


 ……誰にも知られることのなかったもう一つは、次のとおり。

 


 ――この街に向かっている使徒は、一人じゃない。

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