物乞い
指定されていた宿で一晩休み、朝食をかきこんだ後ぶらぶらと街並みを確認しながら歩いていたバッカスは、ふと通りがかった公園に目を向けた。
昼食にするにはまだ早い時分、諜報員との待ち合わせは夕方。
少し時間でも潰していこうと足を向ければ、広いスペースと、資材を再利用したさして豊富でもない遊び道具。
だが、子供は逞しく、こんなものでも全力で楽しむものだ。何人かが飛び跳ねながら、笑顔を見せていた。
そんな様子も懐かしかった。
思わずへらりと己の口元が緩むが、視界の端でどうもおかしな様子が見えた。
何人かの子供が、安っぽいつくりの噴水の前に集まっている。それは別に不思議な話ではない。
その子らの中心に、襤褸を身にまとった物乞いのような男がいた。それもやはり、不思議な話ではない。
なんとなく近づいてみて、変だと思ったのはその男の挙動だった。
ギクシャクとお手玉をしようとしては、落とす。そのたびに周囲の子供らは、それを囃し立てていた。
右手で放り投げ、不自由なのだろうか、包帯の巻かれた、肩口から手先まで真っすぐなままの震える左手で、落ちてくるそれを受け止めようとして……こぼす。
たった一つのお手玉を何度か繰り返して、しかし成功する様子は見られなかった。
「だからおっさんさぁ、いい加減諦めなって」
「前から何回やったって、成功したことないじゃん」
「…………」
そんなことを言われ、しかし男はやめようとしない。
顔にも巻かれた包帯の隙間から見える、眉尻の下がった、どこか諦めたような表情。
なのに一向にやめようとしないのは、一体なぜだろうか。
繰り返される同じ結果。失敗だけが積み重なっていく。
しかし男は諦めない。どころか、段々と動きが大袈裟になっていき、むしろ捨て鉢になっているような様子さえ見せた。
そんな男の滑稽な様子を見て、子供たちは指をさして笑っていた。
やめてしまえばいいのに、成功など全く期待もされていないのに、それでも男は無謀な試みを続けた。
しまいには口で咥えようとして、鼻にぶつけていた。思いの外痛そうな音がした。
見れば、お手玉は服の襤褸切れで作ったもののようで、中に石ころでも入れていたのだろう。
「んんんぅ……!」
鼻血を垂らしながら、それを子供にまた笑われ、ようやく男はその無駄な試行をやめた。
手製らしいその商売道具未満のお手玉を懐に入れ、馬鹿にしながら去っていく子供たちに手を振っていた。
子供の姿が見えなくなるまで……見えなくなってからも振り続けたその男は、ため息一つ、踵を返そうとしたところ。
「何やってんだ、お前?」
そんな男に声をかけたのは、全くの気まぐれからだった。
こちらの声にびくりと肩を震わせたそいつは、キョロキョロと左右を見まわし、ようやく自分が話しかけられたものだと理解した様子だった。
オドオドしながら一、二歩寄って来た際に、先ほどのお手玉と、いくつかの玩具を地面に落とし、慌てて拾い上げようとする。
男は何故か不自由だろう左手を伸ばし、地面にぶつけて、その衝撃で痛んだらしい肩口を右手で抑えた。
……何度かそこをさすった後、落としたガラクタを右手で改めて拾い集め始めた。
自分はそれを、手伝うでもなく見ていた。
「ガキどもに馬鹿にされて、つまらんだろうが。なんであんなことしてんだよ。配給所もこっちの方にゃねえだろ?」
「……憐れんだ方が、子供にお菓子を持たせてくれて……」
その声の色は、思いのほか若かった。
……正直なところ、バッカスは男を物狂いだと思っていた。
自分で物事を判断できない類の者であったら、諜報員に任せてせめて役場に引き渡してやろうくらいにしか思っていなかった、が。
思ったよりしっかりした受け答えであったため、むしろ面食らった。
「……難民の類か? ……それとも戦傷者か?」
「…………」
「言いたかねえなら構わんが。後者だったら、口利きしてやらんでもねえぜ」
魔族らとの戦闘で傷を受けた者が、故郷に帰れず物乞いとなることは、ままあった。
男が手助けを望んだとしたのなら、無論仕事の後になるが、その手続きをしてやる心づもりはあった。
「……子供が……」
「あん? 子供?」
「子供が、笑ってくれるから、です……」
……それが、先ほどの『何故あのような事をしているか』という自分の問いに対するものだと理解するには、数瞬かかった。
確かに、大人の善意で菓子を恵んでもらうだけであれば、あんなことをする必要はないだろう。
それに先ほど言ったように、配給所に行けば、僅かな間ながらも飢え死にすることはないだろう。
この男は、自分の意志で、子供の笑顔を見るためだけに、あんな拙い道化じみたことをしていた。
「馬鹿かお前。いつからンなことしてんだよ」
「…………」
「仕事でも探せ。足が動くんなら、出来ねえこともねえだろ」
「…………」
……辛辣なことを言っているのは、自覚している。
自分の目は節穴ではない。
近くで見れば、男の左腕が、雑に作られた義手でしかないのは分かっていた。
それでもこのようなことを言ったのは、このままでは飢え死にを待つ以外の術がないからだ。
自分から生きていくための努力をした者としない者では、周囲の扱いも異なるものだ。役場の人間からの扱いも当然変わる。
同じ物乞いでも、建物の中で死ぬ者と寒風に凍えながら死ぬ者がいる。ならばせめて、前者を目指すべきだろう。
そう思ったが、無駄なことを言ったのも自覚している。
俯いて答えない、ボサボサに伸び放題の白髪で顔を隠したままのその男を放って、バッカスは舌打ち一つしてその場を離れた。
似合わない真似をしたと、自分に苛立ちを覚える。
飯だ飯、昼飯。
くだらねえ時間を取った、せめて美味い飯でも食ってやろう。
あんな馬鹿では食えないものを。
……ほんの少しだけ沸き上がった、男に対する嫉妬からは、目を背けた。
子供を笑わせる、それだけで口を糊することができれば、どれだけ。
どれだけ。
己の手は、もう血塗れだ。