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蛇と日不見3

 ヒミズは、恐慌状態に陥った。端的に言うなら、それだけだった。


 手当たり次第に体に仕込んだ武器を投げ、それらはすべて避けられるか、又は消された。あるいは食われた。

 ただひたすらに、目の前の怪物が死に絶えることを希求し、そして企ては全て失敗した。


 最後に手元に残ったナイフを投げようとした瞬間。

 自分の身を護る最後の手段を手放そうとしていたことで漸く、我に返った。


 ……相変わらず、男には傷一つついていない。ただ、いくらか服が破れていただけだった。自分が今までの訓練を経て得た投擲術が相手に与えた影響は、それだけだった。


「……借り物の服なのに。これじゃ、もう返せない……」


 この期に及んでそんな事を心底残念そうに言う男が、ヒミズは恐ろしくて仕方がなかった。

 しかし、やや冷えた頭のおかげで、今の自分の立ち位置に気づく。


 後ろにドアがある。自分が入ってきたドアが。

 ……逃げられる? そうだ、この怪物に食われることなく、自分は逃げることが出来るかもしれない――!


「だぁめだよ、そっち行っちゃ駄目」

『ヒッ……!』


 ……駄目。駄目だと、そう命じられた。

 怪物にそう言われたからには、自分は逃げることなど出来ない。許されない。


 ……いやだ、いやだ、いやだ! 己は、ここから生きて逃げ延びねばならない!

 恨みを晴らす。そう、サリア教を、使徒を、この手で滅さない限り自分の生に意味などない……!

 知ってしまったんだ。町や村から離れて生きて、全部諦めて、でも知ってしまった。奴らがまだのさばっていて、アイツらを殺すチャンスが出来てしまって。知ってしまったから、再燃した恨みが自分の体を突き動かしたんだ。


 でも、怪物は駄目だという。

 殺される? それで済むのか?

 あそこの……自分が殺した奴らの皮を着せられる?

 剥ぐのは誰だ、おれ自身か? どうやって着る、自らやれと?

 ……ああ、きっとそうだろう。目の前の存在は、そういった趣向を喜ぶに違いない。そうして……狂気を演じて狂気に堕ちて、そうしておれは。


 ……食べられる? 生きたまま、人の姿をした人でないものに?


 いやだ!


『ゆ』

「……ゆ?」

『許して、くれ……頼む、見逃してくれ……』


 ……先ほど自分は、許しを請われた。あれから半刻も経っていない今、自分は、涙さえ浮かべて命乞いをしている。

 あまりに、あまりにも惨めで、自分はこんなにもか弱い生き物であったのか、と。頭の片隅で、己は己を嘲笑している。


 許されるはずもあるまい、自分は先ほど――嬲られた。こいつは、自分を手酷いやり方でからかったのだ。許してだなどと、無害な一般人のように――この怪物と同じように駄目だと、そう言ったのだから。


 おれは死ぬのか。これ程の恥を晒して、復讐もできないまま。

 いやなんだ。そんなのは、いやなんだ……!


 ……怪物が、口を開いた。



「いいよ」

「……え?」


 思わず仏法僧の(ひそみ)……隠形の為に声の出処でどころを消す業すら忘れた。


「いいよ。反省したならいいよ。出て行ってもいいさ」

「ほ、本当か?」

「本当さ。僕は嘘が嫌いなんだ」


 自分は何を言っている。奴の気が変わらぬうちに逃げればいい、だって奴は、退出の許可を与えてくれたのだから……!

 は、早く。回れ右して、さっさと……!


「でもね」


 振り返ろうとした瞬間、再度かけられる声。

『でも』……なんだ。

 やめてくれ、条件など。

 自分がお前に差し出せるのは命しかなく、そしてそれは見逃してくれるのではなかったのか。


 改めて怪物に振り返る……震える口元からは、涎。目の端からは、涙がこぼれた。


 男は、襤褸切れと化した服の肩口を――ああ、幸いにも肩口だ。もうあの中身は見たくない――自ら破る。








 ――露わになったそこには、先ほどの袖の内側に負けず劣らず……己を恐怖の極に叩き落すものが浮かんでいた。








 ……そんなこちらを気にした様子もなく、怪物は不機嫌そうにこう続けた。


「弁償くらいはしていって。お金、あるだけ置いてって」


 ――これ、借り物だって言ったでしょ。僕、一文無しだから。


 そんな怪物の言葉に、懐に残していた有り金を入れた袋を投げ放って、今度こそ後ろに向かい、全力で走り出した。


 そのまま廊下を駆けながら、あの怪物が服を己で引き裂いたことにより肩口から覗いたものを想起する。それで、やっと自分がこれまで致命的な間違いを犯していたことに気づいた。


 目に映ったのは、自分がかつて教団から殺されそうになった原因そのもの。

 偶然だった。たまたま自分が手隙なときに近くにいた為に頼まれた。そう、高位の司教が持っていた資料を運ぶ羽目になり、その隙間から見えてしまった禍々しい紋様。口を滑らせて、己がそれ・・を見たのを知られた事こそが、自分が『不浄』として排斥される理由となった。


 あれは。



「……よう、どうしたい。さっきまでとはえらい違いじゃねぇか、ドタバタ足音たてやがって」


 階段を降りきったところで出会ったのは、先ほどまで殺すと決めていた使徒。しかしその顔を見て、むしろ自分は安心した。

 ……コイツは、どれほど強かろうが、あの化け物とは違う。殺せば死ぬ生き物だ。

 アレとは違う。あんなものは、この世にいてはいけない……! 



『き――貴様の差し金かっ、あの化け物は! サリアは、アレを敵としていたのではなかったのか!』

「……あァ? 何の話だ?」

『とぼけるな! アレがお前らの言う秘蹟ひせきだというなら、おれは何故……! 何でおれは見捨てられた!?』

「……話が見えねえが。まぁ、いいさ。来やがれ」

『っ、この期に及んでそれか!』


 ギリ、とヒミズは歯を食いしばって、言う。


『騙しやがって、世界を救うだなんて! アレがお前らの研究成果だってんなら! 人間の敵は……貴様らの方じゃないか!』


 ……バッカスは、何も言わずただ構えた。


「くたばれ! この――神の僭称者どもがァッ!」


 全力の……恐怖と理不尽から解放され、それらが怒りへと変換されたヒミズの一撃は、隻腕になってなお、いや、そうなった経緯の故にかより冴えた。


 しかし。

 これまで身を隠し続けることで優位を得ていたヒミズは、まさにその怒りによりこの場に至って再び、己の身を隠す技術を忘れた。

 なりふり構わぬ怒声に加え、適切な間合いからの適切な踏み込みは、バッカスに明確に己の位置を知らせることとなり、そして。




「馬鹿が」




 ……バッカス・ドランクス。使徒が第五位、通称『気酔』。


 別名、『酔いどれ』。

『タイマン上等』。

『髭が汚い』。

『コワ非モテおじさん』(全て身内による命名)。


 そして……『壊し屋』。


 バッカスの存在を知る魔族らは、例外なく彼の名を聞いて震え上がる。この男、使徒の中でも三番目の古株である。


 過去の魔族らによる大攻勢では多大な戦果を挙げ、またそれ以外の戦闘でもありとあらゆる敵を駆逐し、今なお無敗を誇る怪人である。


 故に。



「――『无二撃にのうちいらず』」



 ヒミズは、一撃のもとに葬り去られることとなった。






 ――この世界には、怪物が存在している。魔族や獣人のみならず、古より恐怖を世に繋いできた、怪物と呼ばれるモノが存在する。それらの足跡のいくつかは、故あって悪魔の所業とも表現された。


 この事実は教団における最高秘匿事項であり、中でもヒミズが関わってしまったものは、その危険度がアグスタという魔の領域全てをすら上回る、人類にとっての最大最悪のそれ。


 伝説……あるいは御伽噺でしかなかった『それ』が実在していた、いやしている・・・・という証左。それが、かの者が力を分け与えた証であるという『刻印』の存在であった。


 かの人の生き血をすする化け物に関わるものを見てしまったからこそ、不運なヒミズは日陰の中で生きることとなった。


 そしてまたそれを遠因として今、日陰者のまま……生きている間にヒミズとしての素顔を知られることもないまま。


 日が変わるまさにその瞬間、日の当たらぬ時間と生涯にて、孤独な日不見ヒミズは生を終えた。

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