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蛇と日不見2

 ……片手に荷物を担いでいる場合ではない。相手とて隻腕の様子であっても、こちらが手を抜く理由にはならず、またそうすべき状況でもない。

 そう考えたヒミズは、縛り上げておいた子供を乱暴に脇に放り投げた。


「んむきゅっ」


 敵は人質に執着していた様子。ギフトが解除された瞬間に一瞬でも気を散らせればと考えたが、相手は僅かにも目線を揺らすことがなかった。


(このガキが大事ではなかったのか……?)


 そう思いつつ、毒を仕込んだ千本を取り出す。

 指に挟んだ三本、まずはこれで相手の出方を読む。避けきったとしても体勢の崩れたところをナイフで仕留める。

 退くわけにはいかない。使徒ならばまだしも、このような輩に後れを取るなど、許せることではなかった。


(そう、先ほどのように使徒ならばまだしも)


「まだしも、何さ」


『――!?』


「誰のこと考えてんのか知らないけれどもね。目の前にいるのはこんなに素敵なお嬢様だよ? 他の人の事考えるなんて失礼じゃない?」


『貴様、何を』


「まだしも。まだしも、なんだ。もしかして、『こいつじゃなければまだしも』? 僕じゃなければ、どうしたっての? ……まさか逃げようって? 僕みたいなチンケなの相手じゃなきゃ、逃げちゃってもプライドが傷つかないって? ……そういうの、親近感わいちゃうなあ」


『っ』


「うふ……ひっひひ、マジウケる。なぁんだ、やっぱり僕の見る目も捨てたもんじゃないや。笑えらぁコイツ、僕並みのビビリじゃん」


『言わせておけば……!』


 ……まだ、自分は冷静だ。このような見当違いな事を言われても、やるべき事を見失うはずがない。

 しかしこの不愉快な口を、これ以上開かせるわけにはいかない……!


 へらへら笑っている口を目掛けて、手にした暗器のうち一本を投擲する。先ほどのように口に入れれば、即死せずとも毒が貴様の自由を奪う。避ければ、次は足に狙いを定めて体勢を崩してくれる。口は災いの元、いずれにせよ貴様は詰みだ――!


「ふ、ひひ」


 避けようともせず、しかし飛来するそれに向かって服に隠れたままの左手を寄せていく相手の姿が見えた。

 それを認めた瞬間、勝利を確信し、接近する。


(馬鹿が、よりにもよって最悪の選択を――!)


 その軌道から、義腕では止まらず肉に刺さると判断した。しかし駆け寄る瞬間、一瞬見えた。今まで相手が晒すことのなかった、しかし肩より先を伸ばしたためにのぞいた左の袖口の中。


 そこには、つい先程まで奴の腕らしきシルエットを保っていただろう筈の義腕が存在していなかった。



(――は?)


 何もない。


 ……正確に表現するならば、その中には、何もないなどと、そんな馬鹿なことはない。ただ何もないと寸前の自分は信じた。信じたかった。

 代わりが……存在している。腕の空間を占めていた棒切れか何かの代わりに、そうだ、違う、何か・・はいる、存在してはいけないものがいる。

 少なくとも、自分が見たことのないものがいて、それは見るべきではないもので。

 いてはいけないものがいるから、自分はそこに何かあると思ってはいけないと信じただけ。


 これはきっと、怖いものだ。


 ない筈がないだろう、そこには、いや、無機的ではなく……違う、そうだ。それはいる。なのに分からない。

 何か……細長くて、だけれど暗いような気はする、視界の内に留まらない。首を切った後の鮮血の色と広がりにも見えた。たわみ淀み、大きいのか小さいのかも。ただきっと、恐らくは淫猥であった。


 広がってなお細っている、細長いことだけは分かった。縦に細長い、あれは生き物? であれば目に映るこれは肉? そういえば、肉色な気もする。

 ……縦の中に縦がさらに二本、そちらはきっと白いもの。生臭い印象を持ったが、自分は今、息を吸えているのか。


 だからいたのだ、そこには何かが。蠢きがあったのだ、それは動く物だ。


 ……冒涜的な生き物だ。死んでなお動いているような。


 ――人間が、これだけの思考を一瞬でできるはずもないのに、まるで世界が時間の進みをこの瞬間で食い止め


(――あ)


 不意に分かった。


『それ』や『これ』や『あれ』やみっともなく散々使って、しかし結局これは、あれだ。

 ただの。



 ――は、と気付いた時には、時間は動き出していた。吸い込まれていった千本も、そこに辿り着く前に――



(……消え、た……?)


 ……重みも、大きさも、きっと全てが。本当は、本当の本当には何もなく、だけどそれらを喰らい得る何かがいて、だから自分には明確な認識が出来なかった。


 ただ細長い。それは確かだ。


 ――形だけはあれど、それでもなお認識し得ないものを、自分は一瞬垣間見た。


 だから、人間の本能として、理解し得ないものに触れてしまった際の常識的な行動をとった、のだろう。

 全力で相手に向かっている体は、無意識に捻って、それに近づかないように。

 ナイフを持った右手は……己が凶器を握っていることすら忘れて、それ・・を押しのけ、遠ざけるように。


 結果、相手の袖の中には、自分の腕だけが潜り込んでいって……そのまま、何に触れる事もなく。感触すら感じず。

 無茶な姿勢を取った所為でそのまま前につんのめり、ごろごろと無様に転がる。転がりながら思考する。


(……あれは)


 あれは縦に開いた口だ。白い牙が並んでいた。一見は、ただのそれ。しかし。

 そう見えた筈なのに、本当は(・・・)何であるか理解できなかった。あれは、口であってそれ以外の何かだ。あるいは暗示的な何かだ。


 ……何にせよ鍛錬を積んだ体は、そう簡単に敵に隙を与えることもない。意識せずとも己の身は、勢いを殺さず立ち上がろうとして、しかし、よろめく。



(……なんだ?)


 バランスが悪い。まるで重い荷物でも持っているかのように、左が重い。

 暗器は、左右対称に仕込み、また使用している。このような感覚、未熟な時分以外であっただろうか……?


 思わず己の左手を正面に持ってきたが、何も問題はなかった。

 では、と右手に視線をやれば。


「……っギィああああッ!?」

「んふ。照れ屋さんが初めて普通に喋ってくれた。だけどちょっとお下品ね」


 ……戯言も、耳に入らない。

 ない。

 ない。

 何もない。

 手に持ったナイフが消えている、そんなことはどうでもいい。

 ――相手の袖に入り込んだ指から肘まで、一切が自分の腕から消失している。取り返しがつかない。己が生涯全てを通じ、これまでずっと付き合ってきた腕が半分消えた。



 ……いや、違う、本当に恐ろしいのは……!



『痛くない! 何故痛みがない!? 断面じゃないか! 他にはなにも、骨も露出して……なのに血の一滴も! 返せ! おれの腕を返せ、何故だ、なんだこれは! 貴様、おれに何をした!』


「あら、またそんな喋り方しちゃってヤぁね。……僕はなあんもしてないよ。僕は」


 恐ろしいのは。

 腕が消えた……いや、奪われたことではない。

 痛みを全く感じぬまま、このような事態に陥ったことでもない!


 恐ろしいのは。

 目の前の男が、この訳の分からぬ事態を当然と思っている様、いいや、それですらない……!


 暗示ではなかった、先のはまさしく明示だった。

 ……奴の、お、おれに対する感情、これは……!



「ん……良くもないけど、悪くもないね。でも、まあ、折角だから頂いちゃったね?」


『何がだ! おれの腕を奪っておきながら、何を! 貴様、さっきから何を言っている!』


「……何の話って……決まってるでしょ?」




 ――味だよ、味。君の大事なおててのあーじ。ねえ、  様? お腹減ってるときは、なんでも美味しいよねー?


 ――ごちそうさまです。うふふふふ。



『…………っ』


 本当に恐ろしいのは、こいつがおれに、食欲・・を感じているという狂った事実……!


 ま、魔族さえ、生で人を喰らうことなど無いというに、こいつは下劣な魔物のように、おれの腕を文字通り喰らったのだ、人の姿をしておきながら、こいつは人間を!

 ヒトを食い物とみなしている……!


「……貴方はちょっとばかり殺しすぎだね。  様も僕も、血は嫌いなのにさ。だから貴方はもう人間じゃない。僕は貴方をさ、人間とみなしたかぁないんだよ」


 どうする。どうすべきだ。

 ……戦う? 馬鹿な。こいつの能力が何も分かっていないのに。

 ……誇り? こだわっていられるか、腕一本奪われておきながら、まともに傷一つ付けられなかった相手だぞ。


「……畜生にまで落ちぶれちゃって。だから姿を見せるのが恥ずかしいの? もしそうならさ、人の皮をかぶせてあげましょう」


『な……に、を、ふざけて』


 声の震えが隠せない。虚勢すらも張れないのかおれは。


「素材はそっちにたんとある。貴方が用意したのがたっくさんある。貴方みたいなのは人間じゃないんだからさ」


 ――ほおら、だから、せめて、ね? 外側だけでもそれっぽく、ね? 

 ――血はもうこりごりだってのに……ねえ、折角の親切なんだぜ、受け取って……頂戴ね?

 ――もう自分のこと、隠しちゃ駄目だよ? 胸を張って生きるのって、大事なことさ……。

 ――ねえ。……ほら、彼女だってそう言ってる。信じてくれてもいいんだよ?

 ――もーいーかい。もーいーかい。心の準備はまあだかな?

 ――もーいーよ、は、いつかしら……?


『ッ、狂ってる……!』


 歌うように……実際、滑稽な抑揚をつけて口ずさみながらじわじわと一歩一歩、ひどくゆっくり近づいてくる男に対し、己の足は自らの意志に関わらず自動的に後ずさる。


 虚勢だと……?

 張れないのだそんなものは。

 かつて英雄を目指していながら。

 化け物を前にして。


 ……化け物……? そういえばおれは、何を相手取っているんだ? 目の前の男は、実際のところ、一体なんだ?

 魔物か魔族か獣人か、いいや、もしかして、本当に見たままで正しいのか? ……こいつは、本当に人間なのか?


 冗談ではない、そんな馬鹿な。

 こんな、こんな人間の存在が、……神よ! 許されてたまるか!


『答えろ、貴様は人間か!?』


 男はようやくその足を止めた。


「……なんかそれ、昔誰かに言われた気がする。化け物カメレオンさんに言われたくはないかなぁ……いや、どっちかっちゃモグラさんの系譜かな? 見つからないように必死な感じ」


『ふざけるな、お前こそが怪物だ! お前は……一体何者だ!』


「……何者って聞かれてもさ」



 男は首を、微かに傾げる。思考したのは僅か半瞬。



 ――覚えてないものは答えようがない。


 ――だって僕は、自分の事を何も知らない。だから僕には答えられる情報がない。


 ――なんもないんだ。僕には名前も……。



 口を開いた。



「ないんだよ」





――あは――♪

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ナインくん!!おかえり!!!記憶を失っても狂気は変わらずーー様も一緒!でも、ナインくん、記憶戻っても色々と耐えられるかなぁ…いや戻らなくてもヤンデレ軍がいるけれど…さ…ほんとバッカスさんの友達兼部下み…
ナインきたぁ!
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