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無自覚な目覚め

 階段を上りきり、目についたドアを開け放つ。そして部屋の中に入って、叩き付けるように閉めた。

 その途端に生臭い臭いが鼻を刺した。部屋の中の光景も、一瞬視界に入った。


 だけど、それらを頭の中で処理する暇もなく僕は、振り返ってドアノブを確認する。


「か、鍵、かけなきゃ……こ、こっ、殺される……!」


 幸いにもきちんと鍵がついていたので、ガチャリとそれを回す。

 ……本当に大丈夫か? そう不安になってガチャガチャとノブを捻って前後に動かすと、ちゃんと固定されていた。


 いや、まだ安心できない。鍵が内側から掛かっているとなれば、僕がここにいることが、僕を殺そうとしているアイツにばれる。

 ほ、他の部屋のも……駄目だ、細工してる時間なんかない。部屋を出ることなんか恐ろしくてできない。そもそも出来るかどうかも分かんない。

 じゃあなんだ、僕はここで、殺されるのを待つだけか。いや、タイミングを計るんだ。アイツはこの部屋に入ろうとしたとする。すると鍵がかかってる。開けるために、工具か鍵か何かを探すだろうきっと。その瞬間だ、ドアを開け放ってアイツの後ろを出口に向かって駆け出すんだ……馬鹿か僕は! そんなんするくらいだったら階段の上で隠れて待ち構えて突き落とせば良かった! いやこれもダメだ、アイツは姿が見えない、見えなかった。それに、僕にそんな大それたことが出来るわけもない。

 意味が分かんない! なんでだよ、なんで見えないんだ。卑怯だよそんなの、姿も分かんない相手に何ができるっていうんだ……!


「ん、待てよ……」


 よく考えたらここは三階だ。飛び降りても上手くいけば怪我だけで済む。

 ま、窓の方を見てみよう。今からなら間に合う、そうだ、勇気を出して頑張って、足だけは折らないように気を付けて飛び降りちゃおう。


 そう思って、ドアの木目を睨み付けていた自分の顔を、部屋の方に向ける。


「うぉあっ!」


 ……さっき一瞬目に入った光景は、自分の身を守ることで埋め尽くされていた僕の脳内でちゃんと認識できていなかった。


 そこにあったのは、死体、死体、死体。

 首が裂けて虚ろに開いた目をあちらこちらに向けている、人だったもの。

 とくとくと、傷口から僅かに垂れ続けている血液から、彼らの命が損なわれたのはさほど前ではないことが理解できてしまった。


「こ……れも、アイツがやったの、か……?」


 きっとそうだろう。だってアイツは、最初に僕の首を狙った。手口がおんなじで、それで、ぱっと見じゃあ分からないくらい沢山の、これだけの人数を平気で殺せる奴が、今僕を殺そうとしている。


「なんだよ、なんなんだよコレ。どうなってるんだよっ……!」


 なんでこんな事が出来るんだ。彼ら、人間だぞ。なんでこんな……酷いことが出来るんだ。どんな化け物が襲い掛かってきたってんだよ。同じ人間がこんなことするってのか? まさか!

 だってほら、まだ触ってみたら、彼らはきっと温かいのに。温かかったのに、死んだら冷たくなって、何も考えられなくなって、今まで生きてきた何十年が、彼らが育んできた誰かとの関係も、家族との繋がりも全部なくなっちゃうのに。なんでこんな事が出来るんだよ。信じられない、惨すぎる……!


「ああ、こ、こんな……」


 こんなに沢山の人が死んでて酷い臭い、酷い光景。酸鼻をきわめるとはこんなときに使う表現だろう。


 あまりに醜悪な光景、何人かはお腹までやられたのか内臓までこぼれ出していて、彼らの中身の匂いが鼻に入り込んでいると思うと、何故か。





 何故だかお腹がぐうと鳴った。





 ……僕は、そういえば、最近全然ご飯食べられてなくって。

 心優しい人たちは、僕に食べ物を僅かに恵んでくれたけど。

 沢山の人の死体がここにあって。それらは、一言でいうならお肉の塊であって。

 新鮮なお肉がここにはこんなにあって。


 ……お腹減った。そうだ、僕は最近ずっとひもじい思いをしている。空腹ってのは、良くない。


 飢え死にする人は世界にきっと一杯いるのに。なんでこんな、もったいないことするのさ。

 だってこんなに、人は死んで、そこで終わりで、もう使いみちなんかいくつもない。彼らの死体は、お――




「お……?」


 ――背筋が冷えた。

 僕は今、何を考えた?


『お』……なんだ。『お』の後に、僕はなんて続けようとした?


 恐ろしい? 違う。

 お可哀想? 僕はそんなに言葉遣いがきれいじゃない。

 きっとそうじゃない。僕は彼らを見て……。


 気付きたくない、なんも考えたくなんかない。自分がさっきどんなことを考えたか分かっちゃった、分かっちゃったから目をそらすしかない、絶対に意識にのぼらせたくなんかない……!


 ……そこで、ガチャリとドアノブが回る音がした。


 さっき僕がやったように、何度かの押し引き。そしてすぐに、キンと甲高い音がした。

 ゆっくりと、ドアが開いていく。ドア自身の厚みだけ開いたときに、チャリンと金属片が床に落ちた。


 あれはきっと、鍵の閂の部品だ。


 この、今にも僕の首を切り裂こうとしている怪物にとっては、僕が縋った防衛策すらなんの意味も持たなかった。分かってた。ほんとは分かってた。多分、鍵なんざ気休めにもならないなんて。

 窓? 無駄だ、もう間に合わない。


 ……ぼ、僕は。ここで死ぬのか?


 嫌だ、死にたくなんかない。生きる理由がなくたって、怖いのは嫌だ、こんな風に怯えながら、彼らみたいに冷たくなるだなんて嫌なんだ。


 ドアが、完全に開ききる。未だに相手の姿は見えないままで、だけど確かに僕の死の具現はそこに居る。


 誰か助けてくれ、僕を殺さないで、許して、許してくれ……。



「ゆるして……」



 僕の口から、心の底からの願いが、零れ落ちる。



『駄目だ』



 僕の敵は、姿を見せぬまま、淡々とそれを切り捨てた。


 そして。



 ――あら、そう? なら、私もこの子も許しはしないわ――

 ――ほら、頑張りなさい。胸を張って、前を向きなさい――

 ――まだ死んではいけませんよ? 今の腑抜けた貴方では、私の贄にするには足りない――



 ……誰かが、僕の背中を優しくさすってくれた、気がした。


 それで僕は、きっとさっきの見えない何かが僕の首元に飛んできているような気がしたから。


 ……最近、お肉を食べられてないから、歯痒くて……。そう、噛みごたえのあるもの、欲しかったんだよなぁ……。


 ガチリ、と虚空に向かって顔を突き出して噛みついたら、歯の間に固い感触。

 ずる、と恐らくは飛んできた勢いのまま僅かに滑って、喉の奥に僅かに触れたそれ。

 ……柔らかい方がいいけど、固いのも悪くない。ガギリとそのまま顎に力を籠めると、口の中の見えない何かは粉々になった、と思う。


 ……金属の臭いで、口の中が満たされた。


「……うぇ。まっず」

『な……!? 馬鹿な、ありえん!』


 ぺっぺと口の中身を吐き出せば、さっきの閂が落ちたのとおんなじように、チャリンチャリンと金属音。

 うっすら響く誰かの声、それは僕を殺そうとする相手の声。


 ……争うのは、怖い。喧嘩なんか出来やしない、ましてや人殺しを相手にするなんて冗談じゃない。

 だけど、さっきの……無残な死体を見たときの感覚を思い出す方が、よっぽど怖い。


 取りあえず、声は聞こえてる。誰かは、ここにいる。ソイツは僕の敵。


 ……あなたが悪いんだ。僕に、こんな光景を見せるから。僕は、誰かと争いたくなんかなかったのに。


 ねえ見えないあなた。きっとヤヌスちゃんも一緒にいるんだろう? お前、姿が見えないつってもさ。そうやってさ、僕になんか投げつけて、それも見えなくしてるってんならさ。ねえ?

 ……ヤヌスちゃんといえば、さっき『目を凝らせば見える』みたいなこと言ってた。


 じゃあ。


 ――あの子を傷つけたくはないし。見えるってんなら見てやろう。見えないのに居るって、そんなの不愉快だ。見えないんなら失せろ。いなくなれ。いるってんなら見えやがれ。


 そう思って、右目に力を籠めると……ぼんやりと何か、輪郭が浮かび上がってきた。

 真ん中の辺りが濃くて、末端の方が薄い。上に丸いのが乗ってて、その下に二本の突起。ストンと落ちて、また二本。この形は……人の形。脇に抱えられてるのは……きっとアレがヤヌスちゃんか。

 ……なんだ。どんな化け物かと思ったら、人間かよ。


 人間が人間を、殺したのか。お前、同胞を随分気安く殺したのだね。

 姿も見せずに、こんな風に、子供が玩具で遊んだ後みたいにあちこちまき散らして。


 そうやって人の命を奪ったのが、お前という存在か。


 気に食わない。そう思って、恐らく本当に人間が相手だとしたら顔があるはずの場所を睨み付けた。そろりと小癪にも位置を変えようと脇に移動しているそいつを、目でじっと追う。


 ……そうすると、少しだけ、輪郭が揺らいだ。震えでもしたかのように。


 ――ああ。

 ――なんだ、良かった。


「……君も僕とおんなじ臆病者か。生きる価値のない、くだらない存在なのか」


『な、に』 


 僕と同じでビビりで、顔も出せない卑怯者で、おまけに許すこともできやしないんだって。

 そんなにも僕とおんなじなら。だったらこいつは、殺しちゃっても、いいかな……。



 ねえ、――様?

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