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あなたに贈る、地獄の唄

 ……今年の春。

 勇者であるサリー・スノウホワイトとその騎士アビス・ヘレン。彼らが魔王クリステラ・ヴァーラ・デトラとその従者であるナインをくだした後の事。

 政治的な事情から直後に行うことが出来なかった、魔王を打倒したという朗報。それが世界中に、法王の名において発表されようという直前……即ち、ティアマリアが魔族の反撃によって奪われる前の事。


 一時的な平和の中、マリア・スノウホワイトとサリー・スノウホワイトは、長い別れの期間を経て、セネカの首都シュリにて再会を果たした。


 ……これは、期待していた役目を既に果たした勇者に対する報酬という名目でもあり、また用がなくなった彼女を手放すにあたって都合のいい理由を上層部が用意したという意味もある。


 ……勇者としての看板の役割をいつまでもサリーが果たせるなどと、教団はそれほど甘い考えで動いてはいない。

 勇者の名前も顔も教団の外部に出さなかったのは、あくまでもサリーが魔王の力を奪うこと、それのみに期待していたからであり、また教団内の幾人かの思惑としては、使徒の中でも敢えて顔を売らなかった者に魔王打倒の名誉を下げ渡すためでもある。


 法王の息子にして、今後のサリアを担っていく役目を持つ少年。

 ムー・ザナド。

 彼こそ魔王の討滅を成し遂げた英雄として、教団は大々的にその功績を発表する心積もりであったのだ。


 あの突然変異の魔王さえ……教団が五百年以上待ち望んでいた『ヴァーラ・デトラ』の力、それを完全に生まれ持ってしまったクリステラさえ無力化してしまえば、後はいかに魔族らが持っているパイを上手く切り分けていくか。それにより、このホールズの覇権をいかに……どれだけ早く握るか。それだけの話であるのだから。

 ……かの力を扱えればなお良かったが、サリーにその才覚はないのは既に分かっている。

 彼女の仕事は、既に終わった。万が一必要となれば、また懐に入れれば良い。


 教団の前途はもはや明るい。故に、親元から離された哀れな小娘に、少しばかりの褒美をくれてやろう。



 ……上層部の考えなど、少女とその母には全く関わりのないことだ。

 サリーは、母親の居所について……ナインに言われたことを鵜呑みにしたわけではない。ないが、頼れる情報はそれしかなかった。

 不自然なほどに物わかりの良い上層部の力を借り、今まで散発的に許されていた捜索に比べ大規模に……セネカとフォルクスの国境周辺にその手を入れれば、マリア・スノウホワイトの名はすぐに出てきた。彼女が無事であることも知れた。


 そこからはとんとん拍子に話が進み。



 ――借り受けた大聖堂の中の一室で、母娘は再会する運びとなった。



 ……じっとりと湿り震える手を組み、ひたすら祈りながら、椅子にも座らずにサリーは母が現れるのを待っていた。

 その肩を、動けるまで快復したアビスが優しく握っている。


 久方ぶりの再開に水を差すことを恐れたアビスはこの場にいることを遠慮したが、サリーのたっての願いで同席することとなった。


「あ、アビス様、来てくれるかな、ママ、あたしに会ってくれるかな……」

「……勿論。今日、ここに。すぐにでも来られるだろうさ」

「い、いまさらとか。貴女なんて知らないとか、言われないかな……」

「……君の母君なんだ。そんな筈はないだろう。……君と会えるのを、心待ちにしている。絶対に」


 あまりの不安からくる緊張と、長年の希望の成就への期待。それらが相まったサリーの様子は、もはや恐慌寸前であった。

 肩に添えた手に、少しだけ力を籠める。何も言わず、ただ何があっても自分がついていると、そう伝えたかった。


 それによってほんの少しだけ緊張が解けたのか、アビスの方にサリーの頭が僅かに傾いたとき。


 部屋の入り口の扉が、開いた。


 ……昼の強い逆光で、入場者はシルエットしか見えない。

 教団からの付き添いの者は気を遣ったのか、爪先すら見せずにそのまま引き下がり、そして両開きの扉は、縦に光を細らせていき……途絶えさせる。部屋の中に、一人の女性を残して。



 ――ああ、会いたかった。ずっと、ママ、あたしずっと探してたの。



 優しい明かりと、窓から差し込むガラス越しの陽光だけが室内に満ちている。

 一歩、二歩と近づいてくる、記憶と比べて僅かに変わってしまった……昔より小さく見える、あの人の姿。



 ――ねえママ。あたしの格好、変じゃない? 髪は、ええと、大丈夫かな。もう一回鏡を見ておけばよかったな。もし乱れてたら、昔みたいにまた、髪をすいてくれる……?



 ……お互いの顔がしっかり見えるほどに近づいたとき、気付けばサリーは俯いていた。

 ああ、お母さんはどんな顔で自分を見ているんだろう。あたし怖いんだ、表情を近くで見るのが怖い……。

 嫌がられては、いないだろうか。疎まれては、いないだろうか。

 ……詳しい事情は知らないが、奴隷の身に落とされていたと聞いた。

 ……貴女のせいで、こんな人生を送る羽目になった。そんな言葉を、もしぶつけられたら……。



 ――お母さん。あたしまだ、貴女の事をそう呼ぶことが、許されるのかな……?


 ――ママ。あたし、まだ、貴女の娘でいていいかなぁ……?



 肩に添えられた手の感触に勇気をもらって、唇を噛み締めながら顔を上げた。その拍子に、目から水滴が飛び散った。


 ぼやける視界の中で、目の前まで来た母の顔を見る。

 彼女は……マリアは、震えながら両手を広げていた。その顔には……苦労したのだろう、記憶と違い、僅かに皺が刻まれていた。

 でもそれ以上に、その顔には、喜びの色がこの上なく溢れていて……!


 ――ママだ。この人は、自分のお母さん……。だって記憶違いなんかじゃなかった、やっぱり私、ママそっくりに育ってた。

 ママも泣いてる……泣きながら笑ってる。あたしに会って……喜んでくれてる……!



 今にも自分から抱き寄せようとしていたマリアに、サリーは泣きながら飛びついた。


「ママ、ママ! 会いたかった、ずっと会いたかった! ママぁ……!」

「サリー……あなた、ああ、こんなに大きくなって……!」

「話したいこと、いっぱいあるの! 嬉しい、あああ、ママ……ずっと夢見てた……あったかい……!」

「……うふ、やだもうこの子ったら。おっきくなっても、甘えん坊さんのまんまなのね……」

「いいもん! あたし、甘えん坊だもん! これから今までの分、たっくさん甘えるんだから……!」


 とめどなく溢れ出る涙を胸元に擦り付けるサリーの頭を、母は優しく撫で続けた。


 ……ひとしきり泣いて満足した様子のサリーに、母は優しく問いかける。


「それで、そちらにいらっしゃる貴女の良い人。そろそろ紹介してくれる?」


 サリーは真っ赤になった。



 ――――――――――――――――――――



「アビス・ヘレンと申します。御母堂様、拝謁が叶い光栄です」

「さ、サリーの母のマリアです。娘がお世話になりまして……」


 あたふたと慌てるサリーがようやく落ち着いた頃、アビスは胸に手を添えて頭を下げる。

 いかにも騎士然としたその様子に、恐縮しながらもマリアは答礼した。


「……何よママってば。そんな目で見て」

「サリーったら、こんな立派な方を捕まえて……」

「つ、捕まえてって何さ!」


 ぷんぷんと頬を膨らませて両手を振り回すサリーは、今までよりも幼く見えた。これが本来の彼女の姿なのだろう。

 そう微笑まし気に見てくるアビスを、少女は恨みがましく睨み付ける。


「積もる話もあるでしょう。ボクはここで一旦……」

「ううん、一緒にいて。アビス様、あたしと一緒に、ママとお話しして?」


 席をはずそうとしたアビスだが、未だに興奮の残るサリーの潤んだ目に足を止められて、結局その場に残ることとなった。

 マリアに対して目礼するが、にこやかに返されては確かに立ち去る方がよほど無礼だ。


「……今までの話、聞かせてくれる? 私もね、話したいことがいっぱいあるの」


 サリーは、母の手を握りながら、昔と違い自分と同じ高さにある目を見つめて言った。


「私もよ。色々大変なこともあったけど、嬉しいこともあったの。でも、先にそっちから教えてくれる? 大変だったでしょう、今まで……」


 ……サリーは、連れてこられた時の辛さを語った。

 母と離れた寂しさを語った。

 アビスと出会えた喜びを語った。


「でも、何より聞いて。魔王を倒した話! あたし達は、これからきっと、平和な世界で幸せになれるんだ!」

「来る途中で少し耳にしたけれど、本当に、あなた達が……?」

「あら、疑っちゃう? ママ、疑っちゃう? やぁなの!」

「ええと、だって、それは、まあ……」


 困ったようにマリアはアビスに視線を向ける。

 心得たように、またサリーの視線に後押しされ、アビスはそれが真実だと告げた。


 ……言えないことも、当然ある。魔族の子供を人質に使ったことも、その内の一人に、自害を命じたことも。

 サリーは、使者の少女が己の命を絶ったことを知らない。アビスは、知っている。

 ……一生言うつもりなどなかった。

 彼女たちの笑顔が曇らないことだけを、アビスは祈っている。


 話は進む。


 どのように魔王を打倒したのか。その、人類の最大の関心事について。


 ――ええ、聞いて。


 城にたどり着いた後、『黒花』の案内を受け、『赤爪』の揶揄を振り払い。

 そして、人々を苦しめる『無限』の魔王と……魔王にかしずく『悪魔』と出会ったの。



 マリアは、目を見開いた。


「人間が、魔王の城に……?」

「ええ。彼は、間違いなく人類の裏切り者でした。人類の滅びを望むと、そう、言っていました……」

「そんな……」


 信じたくはなかった。人々の営みを否定する、自分たちの生を疎む存在である魔王。そんなものに縋る人間がいただなんて。

 そんな恐ろしい話が、この世界にあるだなんて。まるで、世界全てを呪うかのように、人間が、魔王のために働くなんて。


 ――既に日は翳っている、それほどにサリーは話し通しであった。

 サリーの話は、楽しい思い出ばかりではなかった。辛いことも沢山あったと、時折涙も流した。そして今、人々自身の中から、人々の生を全て否定する者がいたと聞いて……。


 ……サリーと離れてから楽しかったことは、ほとんどなかった。だけど今、娘と再会できて、生きていてよかったと心底思える。

 そして何より、娘と離れていた時間は辛いものであったけれど、嬉しいこともあったのだ。

 人間は、けして、けして汚いばかりではないと。世界は冷たいばかりではないと、そう教えてくれた人がいた。世を恨みそうな自分を、救い上げてくれた人がいた。

 だからこそ、サリーに話してあげたかった。己の全てをなげうって自分のことを助けてくれた、優しい男の子の話……。


「……いったい、どんな人だったのかしら」

「……彼の名前は」


 言い辛そうに……思い出すのが辛いかのように、アビスは言い淀んだ。

 ……彼が言いたくないのであれば、自分が。サリーはそう思って。



 ――黒髪で……あまりに淀んだ黒目の悪魔。そいつの名は……。

 ……ファミリーネームはハーヴェストだって。偽名だろうけど悪い冗談だ。

 ……『収穫』だなんて。人々の命を刈り取るつもりであったのか。本当に、趣味が悪い……。


「…………」


 ――何故、あの悪魔は、母の名を知っていたのか。

 一瞬よぎった悪寒を振り切って、サリーは口を開いた。



「……ナインよ。そいつは、『名無し』のナインって名乗ってた」







 ――ああ、それこそが最早失せた悪魔の一刺し。

 勇者と母と、その騎士に致命傷を与える、死後の一撃。







 ……別の名前もあったみたいだけど、と、そう続けようとして。サリーは、両肩に衝撃を受けて驚いた。


 男の名を出した直後、マリアが、劇的な反応を見せたのだ。正面から顔をのぞき込み、両肩を力いっぱい握りしめて来た。


 多少の痛みはある。しかしそれ以上に気になったのは、いきなりの、手加減のない無体な行為。

 思わずどうしたのか問おうとしたが、母の尋常ではない形相を見て、開きかけた口を閉じる。


 マリアが、先ほどよりなお目を見開き、必死な様子で震える口を開いた。


「あの子と会ったの!? いいえ、そんなこと……! それよりどうしたの、あの子は、あの子は無事なの!?」


 ギリギリと強まるその握力に、サリーは呻いた。


「ママ……ちょっと、い、痛い……!」

「こ、答えて! あの子は……ナイン君はどうなったの!?」


 ひたすらにあの子はどうしたの、と問いただすマリアを見かねて、アビスがサリーとマリアの双方を傷つけぬよう、引き離した。


 蒼白な顔となったマリアを、怯えたような表情で見つめるサリーに代わり、今度はアビスが、彼女を庇うように。


 ナインについて、告げた。


「……致命傷を、与えました。手加減できる相手でもなかった。きっと……いや、間違いなく……」


 ――死んだ。


 アビスはそう告げた。


「……え?」


 まるで現実を疑うかのようにマリアは、呆けた音を口から漏らす。

 そして、いっそ縋るかのように……嘘だと言って欲しいとでも言いたげに、再びサリーに顔を向けた。

 その顔は、血の気の引いた様子と相まって、まるで能面のようで……一切の感情が一瞬にして抜き取られたようなものだった。


 ……これは、きっと話すべき事ではなかったのだ。

 サリーはそれをようやく理解したが、かつて母自身から教わった、物事は正直に話すように、という教えに従って、真実を告げる。


「……本当よ。アビス様の言うように、あいつは……ナインは、私たちが殺した」


 それを耳にしたマリア・スノウホワイトは、え、と音にも満たない息をもう一度吐き出して。

 能面の顔に……一つ一つ、じわじわとその内面を染み出させ、絶望を形作っていく。


「そん、な……神様、嘘よ、そんなの嘘……」


 勇者の母は、途切れ途切れにそう呟いて、一歩、二歩と後ずさり。

 子供がイヤイヤと駄々をこねるが如く頭を振って、そして己の体を支える地面を失ったかのようにそのまま崩れ落ち……膝を着いた。


「な、ナイン君…………ぁあ、ああああ……うああああぁっ……!」


 悪魔を唯一『人間』とみなした女は。

 悪魔が唯一『人間』とみなした女は。


 顔を覆い、身も世もなく泣き崩れた。



 ――たかがその名を呼ばわるだけで、人を深く傷つける。

 

 ゆえに男は、悪魔であった。

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この話が何気に好き。因果が巡り巡って勇者一行を背後から刺す。 本人の意図した、しないに関わらず触れたものを狂気、絶望、堕落に導く。まさしくナインは悪の魔性に相応しい。
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