女性の記録
日本でも平安時代はそうですが、朝鮮王朝の時代も、大抵女性の名前は残っていません。
いえ、残っていると言えば残っているのですが、例えば『●●チェ氏』と行った具合で、苗字しか残っていません。
王室の女性は、それでも父親の名前は残っているんですけど……。
稀にフルネームが残っている女性は、八割方悪女(笑)。
悪女でもフルネームが残ってない人もいますが、悪い人は記述が多いような気がするのは何でなんだぜ(ギャフン)。模範的で理想の王妃である程記述に乏しく、好きに妄想捏造してくれ給へと言わんばかり。
良い人(非悪女)でもフルネームが残っているのはファン・ジニとか大長今辺りでしょうか。
この二人に関しては、日本ではドラマ『チャングムの誓い』や『ファン・ジニ』でお馴染みですので、今更私がくどくどしく言う必要もないでしょう。
また、悪女に関しても『チャン・オクチョン(禧嬪チャン氏。第十九代王・粛宗の側室であり、一時王妃だった)』『チョン・ナンジョン』『チャン・ノクス(第十代王・燕山君の側室)』等はやはり有名ですね(ちなみに彼女達は、俗に朝鮮王朝時代に於いての『三大悪女』と呼ばれています)。
後は文定王后ユン氏(※1)、貞純王后キム氏(※2)等。
……後々暗殺されちゃう皇后ミン氏辺りに関しては、ほぼほぼ未勉強(不勉強ではなく)だもんで、突っ込まないでいて下さると有り難いのですが。
さて、これから書きたいネタの一つに、サン(正祖)×宜嬪ソン氏の話があります。
まあ、ドラマ『イ・サン』のサンとソンヨンのラブロマンスなんて、先に本家本元でやっちゃってるので、二番煎じと言えば二番煎じなのですが。
このドラマで使われた宜嬪ソン氏の名前ソンヨンは、勿論創作です。
繰り返すようですが、基本、王室の人でさえ、女性は大抵下の名前は残ってません。
稀ーにオクチョンやノクスのように残っている女性もいますが、本当に稀な例です。
サン(十六歳)×宜嬪ソン氏(十六歳)の話は、実は賞に応募する際に、一度書いてます。
落選しましたので、また練り直して再挑戦するつもりなのですが、先日、たまたま某ウェブ百科事典の宜嬪ソン氏のデータを見ていたら……名前残っとったがな……(呆然)。
勿論、某ウェブ百科事典ですから、百パー信用できるソースかは定かではありません。
実録に明記してあるよりも多い子供の数が(某ウェブ百科事典に)載っている王様もいたりしますが、私が所持している実録は日本語訳&要約バージョンですから、「……これにたまたま載ってないだけかも……」とか思ったりする訳です。
宜嬪ソン氏の記録は、『(略)名は徳任。(略)』とかサラっと書いてあって、愕然としました。
「へー……名は徳任……って、誰の名前?」
と思わず二度見。
翻訳機で確認したところ、『トギッム』と読むらしいです。正確なところは分かりませんが。
まんま読んだら『トクイム』でもよさ気だし、寧ろそっちの読み方の方が個人的には好きなんですけど、ハングルの法則に則って読むと、前者の方が正解ぽい。
後日、韓国人の知人(正確には母の知人なので、母から訊ねて貰いました)に伺ったところ、『ドクイン』だと教えて下さいました(母によると、訊ねた際に、「年配の方の名前っぽいですねー」と言われたらしい……ま、確かに年配ですよね。生きてれば三百歳越えでしょうか……)。
『臨海君』も『イムヘグン』と『イメグン』と二通りあるんですが、実録には後者で記されてるので、私は自作品の中では後者説を採ってます、というのは余談。
しかし、それにしても、……どうしようかな、色々と。
【用語解説】
今回は長くなったので、本文中に入れちゃいます。
※文定王后ユン氏…第十一代王・中宗の三番目の正妃です(ちなみに、彼女に右腕として仕えていたのが、三代悪女の一人であるチョン・ナンジョン)。
チャングムに出て来た皇后様、と言えばお分かりになる方多いと思います。
ただ、この王妃様、あのドラマでは凄く聡明で公平な王妃様として描かれていましたが、史実はヒドい人です。
何しろ、自分の生んだ息子を王位に就ける為に、前の王妃様が生んだ世子様をそれはもう執拗に殺そうとした方ですから。白雪姫の継母も真っ青ですね(いや、同レベルか?)。
次の王位に就いたその世子様、後の仁宗を最終的には本当に暗殺したのではないかと言われていますが、事実の程は定かではありません。
ちなみに、仁宗が世子時代に、文定王后が東宮殿に火を掛けて仁宗を殺そうとしたことがありました(以下、参考資料『朝鮮王朝実録日本語訳版』)。
その時、彼は泡を食って避難するのかと思いきや、「そんなに義母上が私を殺したいと願うのなら、望み通りにして差し上げるのも孝行の一つ」と言って逃げようとしなかったそうです。夫を置いて逃げる訳には行かないと、仁宗の妻も夫と運命を共にしようとしたとか……なんていい子達なんでしょう。というか、二十一世紀の日本人にはその発想が理解できない……そこまでしなくていいよ、と言ってあげたくなります。
その時は、父親である中宗の呼ぶ声に、焼け死ぬ前に脱出して事なきを得ましたが、その後仁宗は放火犯を追及することは決してしなかったそうです。推理するまでもなく、犯人は王宮の中にいたのに!(と、金●一少年風に)。
その後、即位した仁宗でしたが、結局九ヶ月という短い在位で生涯を閉じます。
十三代王には、文定王后の望み通り、彼女の生んだ慶源大君が就きました。チャングムのドラマで、疫病で死に掛け、最終回には王位に就いていた、あの子です。
仁宗に子がなかったので、彼の異母弟である慶源大君が王となれたのですが、一説によるとこれも仁宗の文定王后への気遣いのおかげだそうです。自身が死んだ後、弟が王位に就けるようにと、わざと子作りをしなかったんだとか。
健気過ぎます、仁宗……(涙)。
自分を殺そうとする継母に対してこんなに尽くしてくれる良い子なのに、絆されずに初志貫徹した文定王后、ある意味凄い人。
余談ですけど、『天命』というタイトルのドラマでは、史実通りに描かれていた文定王后ですが、彼女が生きている彼を「仁宗!」×2と呼んでいたのが非常に納得できませんでした。
と言うのも、王様の名前は全て諡号……つまり、亡くなった後に付くものなんです。他の王様、例えば宣祖もそうですし、粛宗、英祖、正祖……彼らのあの名は、生前には決して呼ばれることのない名前でした。
もし、タイムスリップできたとして、当代の王様を、例えば「仁宗」と呼んだとすると「誰それ?」と言われるだろうということです。
※2:貞純王后キム氏…第二十一代王・英祖の継妃(※3)。
英祖の父である粛宗が、自分の代の時に「側室を王妃にしてはならない」という法律を作っちゃったので(まあちゃんと粛宗なりに理由があったのではありますけど)、英祖は初代正妃が亡くなった後、新たに若い王妃を迎えざるを得ませんでした。
かなりの年の差夫婦になった上、正祖と純祖親子は彼女に振り回されまくって大変でした。詳しくは、ドラマ『イ・サン』をご覧あれ!(まあ、ドラマはあくまでフィクションですが……)
※3:継妃…王の存命中に初代正妃が亡くなった時に迎える、二番目以降の正妃のこと。
©️和倉 眞吹2018.