史料に於ける間違いの件
仁祖反正関連。ネタバレ注意。
世子イ・ジルとイ・イチョムのキャラ設定資料を作っていた時の話です。
前にも仁祖反正の話は書いたので、二人の関係性については知ってました。もう作中にも出ている通り、ジルの奥さんの祖父ちゃん(外祖父)がイチョムです。
で、ジルの家族のプロフを書きながら、史料Aを確認しました。
「えーと、ジルの奥さんはパク・スンジョンの娘ね。で、パク・スンジョンは一五六二年生まれっと……」
ここで、ハタと気付きました。
……何かおかしくないかと。
だって、ジルの奥さん……と毎回書くのもアレなので、以下は世子嬪(※)と表記します。世子嬪はイチョムの外孫、ということは、イチョムの娘の子である筈です。
そして、スンジョンの娘ということは、イチョムの娘とスンジョンが結婚して世子嬪が生まれたということになります。
ここだけ聞くと、何も問題ないように聞こえるかも知れませんが、スンジョンと舅であるイチョムは、二つしか違いません。
そして、ジルと世子嬪の間に長男(生まれた年内に早世)が生まれるのが一六一四年……ジルが十六歳の時に最初の子が生まれる訳で、ということは当然世子嬪も子を産める年でなくてはなりません。
ジルと上下二歳くらい違うとしたら(例によって、世子嬪生年不詳なんで)、十四歳……だと厳しいですかね。と言っても、宣祖の娘の一人・貞慎翁主なんて、最初の子を十四で生んでますし……(目眩)。ということで、それくらいだと仮定すると、最低でも十四年以上前にイチョムの娘とスンジョンは結婚している必要があります。
しかし、繰り返しますが、スンジョンとイチョムの年齢差は二つです。
いくら何でも、二つしか違わない男に娘を嫁がせるでしょうか。
イチョムの結婚がどんなに早くても、両班ですから(これが王室だとまた話が違って来るんですけど)、十五歳くらいと仮定して(←しつこいようですが、史料無しorz)、すぐ生まれたとしても十六歳の時の子だとすると、その時十四歳だったスンジョンが、生まれたばかりの赤子と婚約する特別な理由があったと考える方が不自然です。
絶対おかしい、この史料A間違ってるだろ、とネットでスンジョンの名前で検索掛けましたら、案の定でした。
と言っても、ハングル版の史料とウィキペディアしか引っ掛からなかったので、翻訳して調べたら、『孫娘が世子嬪になって云々』という文言がしっかりと。
ついでに家族の名前までちゃんと載ってました。
『息子 朴自興
妻(多分……翻訳機に掛けたら、全然意味の違う言葉になってましたが、多分合ってる)イ・イチョムの娘』
とあったので、間違いありません。
ああ、よかった……危うく意味のない年の差婚になる所でした。
それにしても、三十八歳くらいで、もう孫がいるのか……と言っても、前述した貞慎翁主、十四で生んだ長女が(いつ嫁いだのかは史料が今のところ見つかりませんが)、一六二一年時点でもう子供いますからね(この時点で貞慎翁主は三十八歳)。
まあ当時の平均寿命を考慮すると、早婚→初産が低年齢になるのは仕方ないのかも知れませんが、それにしたって三十八歳で既に孫がいるというのは……(白目)。
©️和倉 眞吹2018.
【用語解説】
※世子嬪…皇太子妃。