表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/24

遺教七臣2~ハン・ヌンインのその後~

仁祖反正(インジョパンジョン)関連。ネタバレ注意。

 七臣の一人で、それまで検索でもヒットしなかった内の一人でもありましたが、後日調べものをしていて偶然行き当たりました。


 以下の四人は、私が調べた限りでは、仁祖反正の物語(現在一六二一年)時点での所在は以下の通り。


◆ユ・ヨンギョン…一六〇八年に宣祖(ソンジョ)の遺書を握り潰した咎で処刑。


◆シン・フム…仁祖反正の物語時点では生存しているのは分かってます(ネタバレにつき、詳しくは言いませんが)。


◆ハン・ジュンギョム…同じく、物語時点では存命。綾陽君(ヌンヤングン)の妻の実父。


◆パク・トンニャン…物語時点では存命中だけど、流刑先が転々としてて、都には不在だった。


 ――という所は判明しているのですが、他三人は史料が見付からず……ホ・ソンは凄い微妙なのでグレーゾーンで、脚色して良さそうなのは、残る二人かな~、と思ってたのですが……いや、見付かって良かった。

 危うく、物語時点で亡くなっていた方を使う所でしたよ(なんて言ったら、●●なんてとっくに……ではありますが、それはそれ)。


 ハン・ヌンインは、一六一四年に死去していました。

 ある資料によると、永昌(ヨンチャン)大君(テグン)が生まれた年には右議政(ウウィジョン)(※1)の座にいたらしいのですが、一六一三年の七庶(チルソ)の獄(※2)で、遺教七臣(イキョチルシン)の一人だったことから官職を剥奪され、追放された安山(アンザン)の地で、翌年に亡くなったようです。

 六十一歳でした。


 残るソ・ソンは、本当に出て来ないので、既に色々と捏造済みですが……いや、ハン・ヌンインが亡くなっているのは分かっているから、こっち使った方がいいのか……今ならまだ間に合いますけど。


©️和倉 眞吹2018.

【用語解説】

※1:右議政…副首相。


※2:七庶の獄…西暦一六一三年勃発。癸丑(ケチュク)の年に起きたことから、癸丑の獄とも言います。

庶子の扱いに不満を持ち、自暴自棄になって強盗殺人を繰り返していた七人の両班(ヤンバン)の庶子達が捕らえられたのに乗じた大北(テブク)派(※3)が謀反を(でっ)ち上げ、永昌大君(当時七歳)の失脚を狙った事件です。

目論見通り、永昌大君は王子としての身分を剥奪され、江華島(カンファド)へ流刑に処されました。

その他、永昌大君の母方の親戚を始め、永昌大君を支持する小北(ソブク)派(※3)他の朝臣も処罰され、この件で大北派は、大半の政敵を一掃することに成功しています。


※3:大北派、小北派…どちらも当時の朝廷にあった政党の一つ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ