遺教七臣2~ハン・ヌンインのその後~
仁祖反正関連。ネタバレ注意。
七臣の一人で、それまで検索でもヒットしなかった内の一人でもありましたが、後日調べものをしていて偶然行き当たりました。
以下の四人は、私が調べた限りでは、仁祖反正の物語(現在一六二一年)時点での所在は以下の通り。
◆ユ・ヨンギョン…一六〇八年に宣祖の遺書を握り潰した咎で処刑。
◆シン・フム…仁祖反正の物語時点では生存しているのは分かってます(ネタバレにつき、詳しくは言いませんが)。
◆ハン・ジュンギョム…同じく、物語時点では存命。綾陽君の妻の実父。
◆パク・トンニャン…物語時点では存命中だけど、流刑先が転々としてて、都には不在だった。
――という所は判明しているのですが、他三人は史料が見付からず……ホ・ソンは凄い微妙なのでグレーゾーンで、脚色して良さそうなのは、残る二人かな~、と思ってたのですが……いや、見付かって良かった。
危うく、物語時点で亡くなっていた方を使う所でしたよ(なんて言ったら、●●なんてとっくに……ではありますが、それはそれ)。
ハン・ヌンインは、一六一四年に死去していました。
ある資料によると、永昌大君が生まれた年には右議政(※1)の座にいたらしいのですが、一六一三年の七庶の獄(※2)で、遺教七臣の一人だったことから官職を剥奪され、追放された安山の地で、翌年に亡くなったようです。
六十一歳でした。
残るソ・ソンは、本当に出て来ないので、既に色々と捏造済みですが……いや、ハン・ヌンインが亡くなっているのは分かっているから、こっち使った方がいいのか……今ならまだ間に合いますけど。
©️和倉 眞吹2018.
【用語解説】
※1:右議政…副首相。
※2:七庶の獄…西暦一六一三年勃発。癸丑の年に起きたことから、癸丑の獄とも言います。
庶子の扱いに不満を持ち、自暴自棄になって強盗殺人を繰り返していた七人の両班の庶子達が捕らえられたのに乗じた大北派(※3)が謀反を捏ち上げ、永昌大君(当時七歳)の失脚を狙った事件です。
目論見通り、永昌大君は王子としての身分を剥奪され、江華島へ流刑に処されました。
その他、永昌大君の母方の親戚を始め、永昌大君を支持する小北派(※3)他の朝臣も処罰され、この件で大北派は、大半の政敵を一掃することに成功しています。
※3:大北派、小北派…どちらも当時の朝廷にあった政党の一つ。