捕盗庁《ポドチョン》がない!
いえいえ、本当の話です。
王朝も中期――と言えば、李氏王朝は二十七人王様がいますから、お洒落に三分割して十代目からを中期としましょう、ここでは(多分、王朝史研究の場では違う分け方をすると思いますが)。
その頃になると、制度も法律も固まってきて、お馴染みの官庁や制度が当たり前のように出てきますから、当たり前に小説でも名称を出してオッケーな訳ですが、初期となると、馴染んだ名称ではなかった! ということが結構あります。
書かない内に発見した場合、「危なかった!」で済みますが、書いたあとで発覚した時はどうしようもありません。
しれっと書き続けて、ツッコまれたら「……ああ、そうみたいですねぇ。まあ、脚色というコトで一つ」とか言うしかない訳ですが……(目が泳ぐ)。
例えば、タイトルの通り、『捕盗庁』がない時代がありました。
今、六代王・端宗が主人公の話を書いてるんですが、その当時のことです。
じゃあ、その頃はどうやって警察業務をこなしていたかというと、色んな官庁がサブメインでローテーション分担、みたいな感じかな、と史料を読んでいると推し量れます。
はっきり書いてある訳じゃないので、推測するしかありません。
当時、警察業務をメインに請け負ってたらしいのが五衛という組織です。
ちょっと話が逸れますけど、五衛のメイン業務は都の治安維持ではなく、国の防衛。つまり軍隊です。
前述したように、捕盗庁のない時代、都の警察業務は複数の官庁がサブメインで担っていました。
その、複数の組織の中心にあったのが五衛です(多分)、という意味ですので、誤解のないようにお願いします。
で、話を戻しますが、五衛という組織について調べると、仕組みが中々煩雑で、実は未だに理解できていません(朝鮮王朝史の先生が欲しいです。できれば日本語も分かる方←)。
名称一つとっても、『五衛』になったのが端宗の時代より少しあとらしくて、その前は『五衛都総監』で、じゃあその名称でいいのかと思えば端宗の時代はまた違う名称だったらしいんですが、それが見つからなかったりするので(泣)、作中ではもう五衛で通してますが。
この辺、言っちゃあ何ですが、日本語の●ィキペ●ィアは藪医者のように宛になりませんし(すいません)。
五衛という組織用の建物がちゃんとあったのか、それすら今のところ史料がヒットしませんので……orz
第九代王・成宗の頃からは、目立った犯罪(=主に窃盗だったらしい、というのは余談。余談ついでに言うと、『“盗”人を“捕”らえる』というのが『捕盗庁』の名の由来のようです)が起きる度に、捕盗大将という臨時役職をいちいち任命していたらしいです。ただ、それが割と頻繁になって来た為に、「じゃあもう、専門の部署を作ろう」ということになってできたのが捕盗庁で、ちゃんと『捕盗庁』の名前が出てくるのは十一代王・中宗代になってからなんですねー。
あと、内禁衛もそうです。
内禁衛という名称になったのは、七代王・世祖が即位してからで、じゃあその前の名称が何だったかというと、見つからない!(泣)
親衛隊のような組織としては、三代王・太宗の頃の設立らしいんですが、内禁衛として創設されたのは世祖が王になってから。
じゃあ、端宗の頃は何という名称だったのか、がはっきり出て来ないので、便宜上内禁衛にしてしまってますが。
それと恵民署も、端宗時代は恵民局という名称だったそうです。
これは、たまたま内医院について韓国語版ウィキを調べていた時に、ついでにリンク先に飛んだら出てきた情報で、マジ「危なかった!」案件でした。
ちなみに、アウトだったのは『貰冊店』。
あれ、実は登場するのは第二十一代・英祖、二十二代・正祖の時代なんです。
娯楽としての小説が民の間に出回りだしたのが、ちょうどその頃らしいんですね。
史料の読み込みが足りないと、こういう事態にもなります。気付いたのは『仁祖反正』も第五幕くらいまで書いたあとだったので、今更設定変更が利かなくなってたっていう……(脚色ですが何か←)。
©️和倉 眞吹2018.
[参考資料]
◆庶民たちの朝鮮王朝 水野俊平・著(敬称略)
◆ウィキペディア(日本語・韓国語版+Web翻訳機)




