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その定説、本当に本当?【1】

 Web翻訳機の力を借りて、韓国語のウィキペディアも漁るようになってから結構経ちます。

 読み込む内に感じたのは、日本語に訳された史書・定説と、韓国語のウィキペディアに記された事柄の誤差、そこから生まれる疑惑です。


 とは言え、ウィキペディアもまるっと頭から信用はできないようなことは、以前から聞き及んでおりますが、日本史なら話半分に割り引けるところ(子供の頃から授業で習ってることが多いですから)、他国語のそれとなると、「本国の人が書いてるんだから、(朝鮮王朝史について書かれた)日本語のウィキより信用できるかなぁ」とか思っちゃう訳です(何)。


 というわけで、今回は、『定説、間違ってない?』第一弾、行ってみます。


【チマバウィ伝説】

 韓国時代劇、及び歴史知識の下地がちょっとでもある方は、聞いたことがあると思います。

 ドラマ『チャングムの誓い』でも、王様がポソッとチャングムに愚痴る場面があったのを、記憶されている方も多いでしょう。

 知らない方の為に、以下ざっくりあらすじです。


 尚、以下の内容は、二〇一八年十月三十一日現在、地上波で放映中の『七日の王妃』の史実ネタバレ(ドラマのネタバレではありません、念の為)を多分に含みます。史実を知ることでドラマの展開を推測できちゃうのがお嫌な方は、ここでユーターンお願いします。


 宜しいですか?


 では以下、閲覧自己責任でどうぞ。


***


 クーデターで王位に就いた(就かされた?)第十一代目王・中宗チュンジョンは、最初の正妃・シン氏との別れを余儀なくされてしまいます。

 なぜならシン氏は、クーデターで廃された燕山君ヨンサングンの正妃の姪、つまり、クーデター軍からすれば、罪人の親戚だったからです。

 罪人の親類を、国の母に据えておくことはできない、今すぐ廃位して宮殿から追放すべきという上訴が山のように上げられます(まあ、それは建前で、王妃の座に就いたシン氏からの報復を恐れたからだというのが本当のところみたいですが)。

 しかし、中宗にとって、王妃・シン氏は相思相愛ラブラブの恋女房。どうして手放せようかと散々抵抗しましたが、そこは祭り上げられた王の悲しさ。抵抗しきれず、泣く泣く離縁し、シン氏を追放します。

 彼女の在位は、歴代王妃中最短の七日間でした。

 その後、新たに正妃を迎えた中宗ですが、どうしてもシン氏を忘れられません。

 中宗が王宮から、シン氏が住んでいる方角を度々眺めていると、人伝に知ったシン氏は、夫婦でいた間によく身に着けていたチマを、王宮から見える山の上の岩に広げ、「私は元気ですよ」と伝えるようになりました。

 けれど、そんな二人の密かでささやかな交流は、やがて朝臣の知るところとなり、朝臣たちはシン氏の居所を移動してしまいます。

 やがて、第一継妃(ケビ)だった章敬チャンギョン王后ワンフユン氏は、王女と王子を一人ずつ産むのですが、二人目の子であり、のちの第十二代王・仁宗インジョンを産んで、僅か六日で息を引き取ります。

 この時、中宗はここぞとばかり、愛する妻を呼び戻そうとシン氏の復位を言い出したのですが、反対が多く叶いませんでした。

 それでも、生涯中宗が真実愛したのは、シン氏一人だけだったということです。


***


 ――というのが、広く知られているお話。

 もう、何て美しい純愛! クーデター軍が悪魔に見えてくる悲恋だぜ、と思い込みたい方は、ここでそっと引き返してください(何)。


 ……ええ、私自身、随分長いこと、このチマ岩伝説を信じていました。


 しかし、最近、必要に迫られ、中宗と周辺人物の韓国語版ウィキペディアを手当たり次第当たったのですが……ホントにホントか、純愛チマ岩伝説? と首を捻り出しました。


 なぜなら、側室のプロフには『中宗が章敬王后の死後、第二継妃にしたかったけど、出自の問題で叶わなかった側室』とか『中宗が最も愛した側室』とかいう記述が多すぎるんです。

 勿論、公式記録でない以上、本当かどうかは五分五分ですが、本国には日本よりも史料が多いだろうことは、想像に難くありません。

 そして、シン氏を含めると、彼が生涯持った妻は、正室三人、側室九人(子がいない女性も含めて)、産まれた子供の数は一ダース超えの二十人。

 当時の後宮は、まさに子をもうける為の場だった、というような史料もありましたが、それにしたってやっぱり床を共にする以上、そこには何らかの感情があるんじゃないかと思うんですよ、だって人間のすることですから。


 という前提の下に考えると、生涯シン氏一人が聞いて呆れます。

 いやいや、臣下の圧力で仕方なく床を共にしたのでは、と推測したいのは山々ですが、ちょっと無理があります。

 大抵、一人に二人以上は産ませてますもの(一人だけって人もいますけど)。


 いやいやいや、男の子が産まれるまで励めってプレッシャーかもよ、って?

 残念ですが、その推測支持も難しいです。男の子複数人産んでる人もいますし、最初に男の子産んだあとで女の子二人産んでる側室もいますから。

 それに、正妃側室に一人ずつマストで男の子が産まれてたら、厄介なコトになりますよ、継承問題で(なったから起きた事件もありますしね)。


 ウィキペディアのシン氏のプロフには、廃位の時、特に中宗が反対したような記述はなく、彼女のその後についても書かれていないことと、仁宗が即位したあと、彼女の居所を『廃妃宮ペビグン』という名を与え、やっと援助を始めたらしいことだけが記されていました(それにしたって、よりによって『廃妃宮』=『廃位された王妃様が住んでますよ』的な名前は失敬だと思いますけど/怒)。あとは、結婚時期と生没年月日、両親と親類ですね。

 他方、私が長くチマ岩伝説を信じていた理由は、実録の日本語訳版に書かれていたからに他ならないのですが、実録は王様の死後、次代の王とその側近によって書かれるものなので、言うなれば勝者の記録になってしまうのだろうな、というのも最近感じています。なので、どの辺りまで信じればいいのかも迷います。

 勿論、正史をざっくりさらうには最適なんですけど……。


 ちなみにシン氏は、追放後、一人寂しく七十歳の天寿を全うします。

 彼女の名誉を回復し、端敬タンギョン王后の諡号を授けたのは、二十一代王・英祖ヨンジョです。

 端宗タンジョン妃の定順チョンスン王后にしても、夫の死後八十一まで生きていますから、本当に不憫としか言いようがありません。


 ……で、次の話をしようかなと思ったんですが、意外に長くなったので、続きはまたの機会に。


©️和倉 眞吹2018.

[参考史料]

・朝鮮王朝実録【改訂版】:パク永圭ヨンギュ著、神田聡・ユン淑姫スクヒ共訳(敬称略)

・韓国語版ウィキペディア+Web翻訳機

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