無知と愛 03
「ちわっす」
「よっ!」
そんな短い会話で弥彦との朝の挨拶を済ませた。
弥彦と帰るのは日によって別々だが、朝一緒にに行くのは決まって弥彦一人だけ。帥嗣には弥彦以外にも友達は多くいるが、他の友人は朝練があって朝がもっと早かったり、朝が苦手で行くのがもっと遅い。
そういうわけで、弥彦と帥嗣はいつも二人で登校している。二人は毎朝顔を付き合わせているだけに、親友と呼べるくらい仲が良かった。とは言っても出会ったのはつい最近、高校に入ってからだ。
「そういえばさ、昨日ふと思ったんだけど、『プラスチック』と『ポテトチップ』ってどっか響きが似てるよな」
「いや、全然似てない。『チッ』しか被ってないだろ」
「逆に言えば、『チッ』も被ってんだぜ?」
「確かにそうかもしれないけど、やっぱり似てないとおもうぞ、弥彦」
「なよるて似がき響かっどてっ『プッチトテポ』と『クッチスラプ』、ばえ言に逆」
「響きが似てるってことより、咄嗟に文章を逆から喋れる弥彦のスキルの方がよっぽどすごいと思うぞ?逆に言えばの使い方を根本的に間違ってるし」
「ついでに知ったんだけど」
「完璧に無視かー」
「『プラスチック』に『プラスっぽい』って意味はないんだな。高校生になって初めて知ったよ」
「僕は『プラスチック』を知らなくても高校生になれるってことを、高校生になって初めて知ったよ」
他愛のない会話。
でもその日は、いつもと少し違っていた。
「そういやさ」
唐突に話が変えられ、帥嗣はビクリとする。
とりあえず、笑った顔もせず苦い顔もせず今までと変わらないであろう無表情ともとられそうな顔で俺は振り向いた。
弥彦が唐突に話題を変えるのはいつものことだったが、聞かれたくないことがある帥嗣にとって、帥嗣は話題転換の度にびくつかなければならない。
「最近どうなのよ、ん?」
弥彦の話の切りだし方はいつも曖昧。
なので、帥嗣は当然聞き返した。
「ん、ってなんだよ。はっきり言えよ」
「またまた、隠しちゃって。知ってんだぜぇー?」
弥彦は嫌らしい笑顔を浮かべ、俺を肘で小突く。帥嗣は鬱陶しそうにそれを叩き、再度訊き直した。
「だからなんだよ。嫌な奴だな」
「嫌な奴……うーん、最高の誉め言葉だな」
「キモい奴だな」
「と、友達にキモいって言われた……」
「キモいは傷つくのかよ。そういう部分が益々キモい」
「に、二度も言われた……親父に言われてトラウマなのにっ!」
「随分はっちゃけてる親父さんだな……」
息子にトラウマになる程、キモいと言う親父。
その光景が色んなトラウマになりそうだった。
「で、ホントなんなんだよ」
話が大分脱線したので、帥嗣は再度弥彦に尋ねた。
一拍、考えるような間を置いて、弥彦は軽い口調で切り出した。
「結構噂になってるぜ、お前と白前の事」
「あ、あぁ……」
帥嗣は尋ねたことをすぐに後悔した。
白前――白前均時とは帥嗣の彼女だった女性だ。もっとも色々あって一月前に別れ、帥嗣としてはあまり掘り返して話したい話題ではない。
もしかすると、最初に話をはぐらかしたのは、その為かもしれない。
きっとそんなことはないだろうが。
弥彦が意識したとするならば、こういう場合むしろ、飄々と傷に塩を塗り込むような聞き方をするはず。
「まぁ、色々あって……」
言葉を濁すしか出来ない帥嗣。
自分から聞いておいて心象の良くない切り返しではあったが、これ以上の反応を帥嗣は思い付かなかった。
「色々ってお前なぁ……」
「じゃあ、ドロドロあって」
「ドロドロって愛憎劇?」
「あぁ、実は二人は兄妹だったりする。昼ドラの世界だ」
お互いが苦い顔をする。
誤魔化したが気まずいだけだった。
「それは置いといてさ、本当のところ、俺は心配してるんだぜ?だって高校のうちから……なぁ?考え直したらどうだ?」
よもやあの弥彦の口から心配事を吐かれるとは、帥嗣は思いもしていなかった。
なので帥嗣は軽くあしらうように、そっぽを向きながら返事をする。
「そんな大事じゃないだろ」
そう、結局終わった――終わらせたことであって、現在のことではない。均時には悪いことをしたと思っているが、戻りようのないことだ。
しかしながら、男女カップルが別れたぐらいで、弥彦は何故深刻に心配しているのだろう?
確かに今の自分からは考えられないほど、ベタベタしたバカップル時代が帥嗣と均時の間にはあった。が、今時の高校生にとって別れただのフラれただのはそう珍しいことではないだろう。
そう軽く考えていた所為なのかどうなのかはさておき、弥彦が言った次の言葉に、帥嗣は足を止めてたっぷり十秒間硬直した。
「何言ってんだよ!人生は一度しかないんだぞ!?今から婚約なんて早すぎるだろ!?」
―――………………ハァ?ナニヲオッシャッテイルノデスカ?
「そりゃお前たちが本気なら俺は心の底から祝うぞ。なんともめでたい事だ。仲人だって式場準備だって、友人スピーチだって、ちょっと恥ずかしい思い出話暴露だって、回想VTR製作だって、二次会の幹事だって、ハネムーンのドライバーだって、何だってやってやる。だけど、本当によく考えたことなのか?今からもう将来の道を完全に決めちまうなんて……それに少しは相談して欲しかったぞ。一応親友のつもりだったんだけ――」
「って、待てコラッァァァァァァァ!!!」
ようやく普通の処理速度を取り戻し、そうして一瞬でそれを振り切ってしまった帥嗣の脳と体が爆発してしまった。
「ど、ど、どどどどどどっどおど!!!???」
一緒に弥彦も爆発した。
おそらく、
「どうしたんだ!?」
と言いたらしかったが、冷静な判断力と言葉を失った二人にそんなことが分かるはずもない。
特に帥嗣にとってはそんなの知ったことではない。彼にとって一刻を争う緊急事態なのだ。非常事態なのだ。
帥嗣は弥彦の肩をがっちりつかみ、揺さぶる。前へ後ろへ、右へ左へ。張り子の虎のように首がカクカクと、折れてしまうのではないかと心配になるほど速く振れる。
「お前そんな事誰から聞いたんだ!吐け、吐け、ハケェェェェェェ!!!」
あ、結構楽しいかも……。
帥嗣が半ばヒステリーを起こしながら快感をに目覚めている最中、弥彦が一人の名前を吐いた。当然上手く言えるはずもなく、何度も繰り返しているうちに弥彦は舌を噛んだ。
が、名前を聞き出した帥嗣は弥彦を用無しと言わんばかりに投げ捨てた。道端に捨て置かれた弥彦の姿は、あまりに憐れだったが、朝とはいえ、場所は商店街。その時間、そんな場所でうつ伏せに倒されていては晒し者以外の何でもない。
憐れというより、残酷なだけだった。
それでも帥嗣は弥彦を歯牙にもかけず、学校へ。
別に普段からの恨みをついでに返したわけではない。断じて違う。
それにしても噂に背びれ尾ひれがついたところでこうはならないだろう。それほどに話が歪んでいる。むしろ真逆だ。
どうやったら事実と噂の内容が正反対の極地まで行くのやら、と考えている内に帥嗣は一つの危惧に至る。
このままだと学校での立場というより社会的立場が危ない。
今まで幾度となく人の噂話をしてきたが自分がされる側になるなんて思っても見なかった。今までやられてきた人々はこんな心境だったのだろうか?
それならば悪いことをした。謝る。だからこんな事をしないで助けてくれ!頼む!
意味もなく懺悔しても始まらない。
早く何か対策をたてなければ、と帥嗣は歩を速めた。
噂に疎い弥彦に伝わったぐらいだ。当然教員にも知れ渡っているだろう。
帥嗣は教職員がこんな馬鹿げた噂を信じないことを切に願うしかない。
もしかしたら、流石にないと思うが、万が一、万が一にもだ。教職員が信じてしまったら……笑えない冗談だ。考えただけでも恐気が走る。下手をすれば停学も覚悟しなければならないだろう。
「んなことになったら、昴さんに顔向け出来ないっての……」
比喩ではなく、本当に。
首から上がなくなってしまうかもしれない。
悪態ではない、しっかりと存在する可能性だ。
そのおかげか、おそらく生涯で一番速く走っている今現在、後ろから、
「お、覚えてろよ……」
なんて何処の三下悪役かと思わせる台詞を発して倒れた事なんて気づくはず無かったのは言うまでもない。
そして、SHR終了後に遅刻して学校に着いた瞬間に、弥彦に左ストレートを決められることも、俺にとって言うまでもないことでもあり、知るよしもないことだった。