ライムライト
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何も失われていない。
少々変わるだけだ。
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――――翌日、一時の少し前。
この調子でいけば、公園には一時には着くことができるだろう。
一時。
均時のための時間。
昔、均時自身が冗談交じりに言っていた。
約束の時間までの一時間は均時のために使う最後の覚悟の時間だ。
ゆっくりと歩きながらも一歩一歩、覚悟をより確かにしていく均時。
今帥嗣が向かっているのは、町外れ、とはいっても団地の裏手にある山との境目あたりにある公園なので帥嗣の家からもそれほど離れていない。
そして、均時の家からも。
ただ、団地の裏とはいっても団地そのものに子供があまりおらず、遊具の老朽化も進んでいるということもあって、ほとんど子供は訪れることはない。
そんな、寂れた公園。
そんな、二人きりになるには絶好の場所。
その場所に今、到着。
帥嗣は腕時計を見て時間を確認する。
現在の時刻、ちょうど一時。
当然だった。帥嗣がそうなるように、歩みを調節したのだから。
今から一時間、均時のことを帥嗣は待ち続ける。
あれだけ酷いことをしたのだ。均時は来ないかもしれない。
それが怖かった。
泣きたいぐらい怖かった。
耐えきれぬほど怖かった。
逃げたいぐらい怖かった。
怖くて。
怖くて怖くて怖くて。
本当に怖くてしかたなかった。
そうやって一回、怖くて逃げだした帥嗣が、もう一度怖さの中へ向かおうとしている。
でも、今は一回目とは違う。
一回目はただ、均時の強引さに流されただけ。それから怖くなった。
その怖さは正直今も続いているが、それ以上に、怖さ以上に均時が愛おしい。
怖いくらいに、愛おしい。
だから、泣かない。
だから、耐えきる。
だから、逃げない。
だから――誓う。
「はぁ……落ち着け……」
深く息を吐いて、心臓を落ち着ける。
少しも動機はゆっくりになりはしなかったが、精神的にやらないよりは幾分かましになった。
入り口でいつまでも立っているわけにもいかないので、公園の奥へと帥嗣は入っていく。
元の色がわからなくなる程、錆びついた滑り台。
風につれるだけで軋むブランコ。
整備されておらず、硬くなってしまっている砂場。
朽ちかけて座っただけで折れてしまいそうなベンチ。
二人っきりになるには絶好の場所だったかもしれないが、告白にはあまり向かない場所だった。
いまさら遅いのだが、悔いる。
こういうことに対して疎い帥嗣でも、この状況はあまりに雰囲気が良くない。
が、そんなことは今更どうしようもないことなので、早々に考えを切り替えようとし、公園の真中から山を見上げる。
紅葉色付く山。そしてその上には最近建てられた、教会のように白い大豪邸。
「あそこまでとは言わないけど、もう少しマシなところで……」
空しすぎるので、帥嗣は途中で言うのをやめた。
いつまでも見上げていたくなるような綺麗な建物ではあったが、吹き下ろす乾燥した冷たい風が辛くなり、帥嗣は一度うつむいてから振り返る。
「あ……」
帥嗣は振り返ったことを半分後悔、半分歓喜した。
現在の時間は午後一時十五分。帥嗣がここに来てから、まだ十五分しか経ってない。
来ないんじゃないかというのは、とりあえず杞憂に終わった。
「やっほー」
数日前に見せた乱れようはなく。
昨日見せたような歪さもない。
二週間ほど前までは当たり前だった、白前均時がにっこりと笑って公園の入り口に立っていた。
ただ服装はいつもは被らないような男物の黒いニット帽に、いつもは着ないような分厚いパーカーという色気の欠片もないスタイル。
帥嗣にはそれだけなのに全く別人に見えた。
でも、昨日のような確信のなさはなく、間違えようもなくそれは彼女だった。
心拍数がどんどんあがっているのが耳で聞こえる。
今までにない感情の高ぶり方。
「…………やっほー」
覚悟はしていたもののあまりに動揺しすぎて、相手の言ったことをおおむ返しにすることしかできない帥嗣。
二人の関係を鑑みると、あまりに間抜けな光景だった。
落ち着け。
落ち着け。
落ち着け。
帥嗣はひたすらにそう頭の中で繰り返す。
「やっほー」
何の反応もない帥嗣に対し、もう一度均時が言う。
それでも帥嗣は何も言えなった。
「………………」
「………………」
風の音と、ブランコがきしむ音だけが聞こえる静かな静寂。
そんな現状をまず乱したのは、均時の方だった。
「ね、ねぇ……」
自分が何を言われるのか判別がつかないらしく、恐る恐る、笑顔を強張らせながら均時は尋ねる。
「あ、あのね、そ、その、えっと……」
が、言葉が続かない。
恐怖心の方が上回っている。
帥嗣と同じように。
「あー、言えた立場じゃないけどまず落ち着け」
「う、うん……」
今度は怖さを押し殺しながら、均時をなだめる。
あからさまに変な会話の空気。
二度目の静寂。
二人が落ち着くために、十分。
二人して十分間、その場に立ち尽くす。
「今日呼んだのはあれだよ、ね……?」
今度も先に口を開いたのは均時。
帥嗣は内心、まだ怖がっていた。
傷つけるだけ傷つけて、自分がやろうとしているのは――さらに酷いことを自分はしているんじゃないかと。
都合良すぎることをしているんじゃないかと。
だが――
「この前の事。ごめん、ほんとに、ごめ、んね」
目に一杯の涙を溜めて――
「すごい迷惑、だったよね。あんな事、何の、意味も、ないのに、ね」
泣かないように上を向き――
「どうし、たんだろ。何でも無い、のに、馬鹿、みたい、だよぉぅ……」
もう一度笑顔無理矢理こちらに向ける彼女が――
「うぐっ、ふぇ、わぁぅ……」
少しずつダムが決壊するようにホロホロと――
「わぁぁぁ……」
ついに堰を切ったように泣き始め手も、決して帥嗣を責めることなく――
「――ス―イ――――ごめ――ん――――――ね――」
許しを請うように、涙でグシャグシャになった声で謝る姿に、目の前が真っ暗になった。
……馬鹿か。
何やっているんだ。
何がしたいんだ。
やることが分かってるのに何迷ってんだよ。
それで――また自分勝手に均時傷つけてんだろうが……っ!
走った。
いや、飛んだ。
均時との間にあった五メートル以上の距離を一瞬で零にする。
もう何も関係ない。
もう何も見えない。
もう何も止められない。
もう何も離さない。
もう――均時を離さない。
体全体で、均時を抱きしめる。
「ふあっ!」
泣きぬれた顔が驚きへと変わり状況が理解できていないように、声を上げた。
それでも、均時が理解するまで力強く、逃がさないように一回り小さい均時の体を腕の中にしまいこむ。
きっと理解しても離さない。
きっと――離せない。
十分経っても。
二十分経っても。
一時間経っても。
「ふぁー……スイだぁー……」
でも、均時が自分の状況を理解して、帥嗣の気持ちを感じ取るには帥嗣の予想より早いものだった。
そして、落ち着くのも。
「ちょっと……痛いよ、スイ……」
「……ごめん。もうちょっと……このままにさせてくれないか」
「うん……いいよ」
もう、どちらが何をしたのかわからなくなっていた。
しっかりと、その場に均時がいることを確かめるように、体をくっつけ合う。
そんな帥嗣をなだめるように、優しく後ろに手を回す。
そして、また、十分。
それから、均時の耳元で小さく囁く。
「俺が言いたいのはな、そういうことじゃないんだよ。この前のことじゃ……ない」
そう、俺はもっと都合のいいことだ。
俺にとって都合の良すぎること。
「うん、わかった」
帥嗣と同じように、耳元で囁く。
「謝ったりするのは、全部を含めて俺だと思う」
「ううん、そんなことないよ」
「許してもらおうなんて、虫が良すぎると思う」
「ううん、全部許してあげるよ」
「お前に気を使ってもらってばっかりだと思う」
「ううん、それが私の自然だから」
「お前には全然釣り合わないと思う」
「大丈夫、自信を持って」
「そんな俺でも、都合の言っていいか?」
「うん、いいよ」
帥嗣の言うことを何一つ肯定せず、帥嗣そのものを肯定する均時。
どんなに傷つけられても、優しい均時。
だから、この優しさに甘えないように、ここに誓う。
「謝らないで済むように、頑張るな」
「うん」
「許してもらえるように、頑張るな」
「うん」
「お前を守れるように、頑張るな」
「うん」
「釣りあえるように、頑張るな」
「うん」
「だから――」
「うん」
「言ってもいいか?」
「……うん」
涙ぐむ均時の声。
涙ぐむ帥嗣の声。
冬を告げる、冷たい風の中で、そっとつぶやく。
「大好きだよ」
一応完結です。
めちゃくちゃぼかして、省いて、改変しました。なので、小説をそのまま読み取ってしまうと、裏話をしたときにはたかれそうです。
でも、十四話以内+四万字以内という縛りに加え、『榎凪といっしょ!』の第二部の伏線を色々含ませようとすると、これが限界でした。作者の精神状態を含めて。
こういう恋愛ものは初めてですから……。
因みに、この話の投稿が遅くなったのは、帥嗣が均時を呼び出すシーンを何度か書き直し、結局完成しなかったからです。
字数的にも入りませんでしたし。
それもこれも、霧崎雀空のとの無駄な絡みを書きすぎたせいです。書いてる方は面白かったですが。
まぁ、言い訳ですけど。
言い訳ついでにもう一つ。
サブタイトルと内容は全くと言っていいほど関係ありません。●で挟んだ最初の方に書いてあった言葉に会わせただけです。
最終話がチャップリンの『ライムライト』、ヘッセの『知と愛』のもじり。
その格言でさえ、内容に沿っていたか定かじゃないですし。
ごめんなさい。
とりあえず、謝りますけど。
遊びすぎました。
まぁ、内容の謝罪話はこんなところです。
後書きそのものもこんなところです。
付け加えの報告としては『榎凪といっしょ!』の第二部をまだ書き始めてもないので、四月半ばくらいの投稿を始めそうなことくらいです。
では、またの機会に会いましょう。