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秋色  作者: 椎堂 真砂
12/13

無知と愛 12

「まず、噂の件な」

 青年は俯いて目を閉じ、如何にもやる気なさげな恰好で話を切り出した。

 ちょうどそのタイミングでクラブハウスサンドとブレンドを店員が持ってくる。青年はそのことに全く気付いておらず、話の腰を折るのも悪いと思った帥嗣は直接受け取り、静かに自分の前にテーブルに置いた。

 店員は帥嗣への配慮か、青年に話しかけられたくないだけなのかは定かではなかったが、静かに折り目正しく一礼すると店の奥へ戻っていった。

 店員が去っていくのを見送ってから、テーブルに視線を落としてみる。

 当然、さっき店員が持ってきたクラブハウスサンドが置いてある。

 新鮮な野菜と肉が香ばしい匂いのするパンに挟まれている。

 それ相応の値段がするだけあって、相当美味しそうだ。

 自分で食べないのがもったいない気がし、帥嗣は食べることにした。

 見た目通りの美味しさを噛みしめながら帥嗣は青年の話に耳を傾ける。

「あんな噂、未練もないのに流すか?お前の話を聞く限り、頭はそこそこ良くて明るいんだろ?自暴自棄になったとしてそんな噂を流すにしても、そんな誰でも耳を疑うようなモン、本人が何度も否定してりゃすぐ消えちまうし。性格から考えるとそもそも、別れた事への腹癒せならもっと物理的な手段に出てきそうだ」

「……まぁ、そうですけど」

 急いで口の中にあったクラブハウスサンドを飲み込んでから慌てて返事をする。

「でも、話した通り、あまり普通の精神状態とは言えませんでした。そういう行動に出てもおかしくないほどに。それに否定すれば消えますけど、否定続けないといけない期間が歴然とあります。ちゃんと、自暴自棄のダメージとしては食らうほどに」

 実際、帥嗣の顔しか知らないような生徒からは真偽を尋ねられることはなく、ただ好奇の視線を向けられるだけだ。

 十分に痛い。

 十分すぎるほどに。

 その痛さをごまかす様に、クラブハウスサンドを口に含む。

 美味しいはずの味は……感じられなかった。

「だーかーらー、もうちょい考えろっつーの」

 青年は鬱陶しそうに帥嗣を貶しながら続ける。

「今どきの高校生が分かれたぐらいで普通の精神状態じゃなくなるかよ。それこそそんな荒唐無稽な噂を流すほどに、な」

「それは……」

 帥嗣は返す言葉がなく、言葉が続かない。

 口の中のクラブハウスサンドはとっくに飲み込んでしまっていて、その所為にも出来ない帥嗣は、もう一度小さくクラブハウスサンドを口に放る。

 そんな帥嗣の挙動を一切見ず、帥嗣に差なる追い打ちをかけるように言葉を止める事はない青年。

「そんなことするのは最初っから普通じゃなかった奴か、どっかで普通じゃなくなった奴だけだ。お前の彼女さんは後者だろ、ゼッテー。お前の話を聞く限りな」

「それでも……俺の知らないところで前者だったのかもしれません」

 帥嗣は自分で言っていて、それはないと思えた。

 均時は帥嗣の前では限りなく自然だったし、逆もそうだったと帥嗣は思っている。

 それが今のような事態を引き起こした一因でもあるのだが。

「まぁ、そう考えるのはお前の自由だけどな」

 青年は盛大にため息をついて顔をあげる。

「なっ、てめぇ!人が頼んだもん勝手に食ってんじゃねぇ!」

 先ほどのやる気のなさはどこへ行ったのか、掴みかからんばかりの勢いで迫ってくる。

 その迫力に圧倒され、思わず帥嗣は言い訳をした。

「もともと俺のお金なんですからちょっとくらいいいじゃないですか」

「何言ってんだよ!頼んだ時点で俺のモンになってんに決まってんだろ!?」

 とんでもない理屈だった。

 初対面の人間相手にそんなことが成り立っていたら、世の中他人にたかる人間ばかりになってしまう。

 自分が世間知らずなのではないかと帥嗣に錯覚させるほど、青年の態度は横暴だった。

 そんな青年に対し、火に油を注ぐようなことをする帥嗣。

「あの……いります?」

「いるに決まってんだろ!」

 残り半分ほどしか残っていないクラブハウスサンドを左手でつかみ取り、青年は旨そうに咀嚼した。

 火に油を注ぐような事をした結果、火に水を注いだ結果になった。

 自分で言っておきながら釈然としない帥嗣は、深く考えないことにして話を進めることにする。

「で、次は何ですか?」

「あん?次?」

「最初にまず、って言ったじゃないですか。だったら次があるんですよね?」

「お前記憶力いいな……。普通覚えてねぇぞ?」

「それだけが取り柄ですから」

「ちげぇねぇ。女にも追いつけないんだから体力は期待できないんだろうな」

 現場を目撃されていただけに、下手なことを言えば自分の傷をもっと深く抉りかねない。

 この青年の場合、帥嗣よりずいぶん洞察力がいいらしいから、尚更だった。

「んで、次ってほどでもないが、もう一つ、未練タラタラってことを教えてやんよ」

「え?」

「腹癒せするような奴にわざわざ会いに行って、視線合わせただけで逃げるかよ」

 その通りだった。

 あの均時の行動はいくらなんでも不可解すぎる。

 姿を見せれば帥嗣が罪悪感を感じるから?

 違う。学校にいた方がよっぽど遭遇率が高い。

 昨日一日平然――とまではいかないが、しっかりと学校に来ていた。なら、ショックで学校を休むとも考えにくい。

 走りながら振り返りつつ、少し歪ながらも笑っていた。

 なら、なぜ?

 なぜ、だ……?

 もしも仮に、だ。仮に均時が、ただ――

 

  ――自分の顔を遠くから見にきただけだったとしたら?

 

「っ!?」

 不意に、胸が熱くなった。

 それを隠す様にうつむいて、目をきつく閉じる。

 錯覚。

 何でもない、幻想。

 それなのに、こんなに胸を押さえてかきむしりたいのは、どうしてだ?

「んでもって、もうひとつ面白いことを教えてやんよ、百面相野郎」

 帥嗣の目には入らないと分かっていながらも厭味ったらしい笑みを浮かべて、言葉を途切れさせない。

「なんで、噂の真犯人がモトカノってわかった時点で、否定するだけに留めなかったんだよ」

 確かに、犯人が分かったところで釘を刺すだけなら意味はない。

 背びれ尾ひれがつきすぎた噂だ。発信源を立たなくとも、一月もせずに消滅するのは分かりきっている。

 弥彦に頼めば、噂を消す手伝いくらいしてくれた。それで十分とはいかないものの、八分くらいにはなったはずだ。

「なんで、目線が合っただけのモトカノ追いかけたよ?」

 そんなこと帥嗣自身、走っている時点で気づいていた。

 自分の中にある、よく解らない衝動を。

 自分の中にある、よく知らない感情を。

 青年は忍び笑いをしながら、シニカルに帥嗣へと止めを刺す。

「なんで、お前そんなに辛そうな顔してんだよ」

「〜〜っ!?」

 帥嗣は声にならない悲鳴を上げた。

「はん!何が、未練タラタラなのが分からない、だ。お前の方がよっぽど未練タラタラじゃねぇか!馬鹿らしいにもほどがあんだよ!」

 周りの客がこっちを見てるのは気にならなかった。

 店員が注意しようとしているのに気付かなかった。

 あまりに的を射た青年の指摘に、帥嗣は身動きも取れない。

 今すぐ走り出したかった。逃げるためにではなく、会いに行くために。

 帥嗣の――好きな人に。

 白前均時のもとへ。

 なのに、一歩もここから動けない。

「まぁ、いまさら焦ったってお前のモトカノが何処にいるかなんて知らねぇだろうが。落ち着けっての。最後に一つ質問が残ってるしな」

「質問ですか?」

「あぁ、ここまで背中押してやったんだ。きっちり答えろよ?」

「……はい、わかりました」

「なんで、未練タラタラ同士のくせして、別れたんだよ、お前ら」

 背中を押されたのは確かだが、適当にはぐらかされたり、嘘をつかれたりで釈然としない帥嗣だったが、素直に質問に答えることにした。

「このまま続けてたら、誰かを傷つけるって思いましたから」

「はぁ?」

「あいつは――均時は独占欲が強いですから……。ちょっと話しただけでもすごく怒るんですよ。尋常じゃないくらい。それが俺に向くならいいんですけど……いつも、相手向きなんです」

「んで、被害を防ぐために別れたのか?」

「いいえ……被害が起きたから、別れたんです」

 苦々しく、帥嗣は続ける。

「あいつが他人を傷つけたから、別れました。幸いほんのかすり傷程度で済みましたが」

 しかも、傷つけようとした本人ではなく、ちょうどその場に居合わせて止めに入った弥彦が。

 その後、泣いて謝った均時を弥彦は快く、傷つけられそうになった女子生徒は渋々ながら許した。

 均時自身も停学三日で済んだ。

 その停学の三日間の間、俺は考えて、三日後に均時と別れた。

「はぁ?他人を傷つけて、別れて彼女も傷つけたのか?」

「えぇ、その通りです」

「そんなことして、誰が傷つかなくなんだよ。そんだけ重たく愛してた奴なら、別れたところで止めるとは思えねぇし、そいつ自身、自殺しかねないだろ。振ったお前も傷ついたし、停学明けなんて変な噂が流れるかもしれない時期に守ってもらえるはずの彼氏から突き放されたそいつも傷ついた」

「えぇ、その通りです」

「馬鹿だろ、お前」

「えぇ……その、通りです」

「なら、馬鹿なお前にもう一回聞くが……」

 青年は呆れたようにため息をひとつ吐き、顔を伏せて目を閉じてからもう一度、ゆっくりと尋ねる。

「お前、なんで彼女と別れたんだよ」

「それは……」

 帥嗣は痛々しく眼をきつく瞑ってから、見開いた眼で決してこちらに視線に向けない青年をしっかりと見据える。

「俺が……俺があいつから、椥辻帥嗣が白前均時から、逃げたかったからです」

「あぁ、それでいい!」

 青年はニッカリと満面の笑みを浮かべる。

 心地よくて爽快な、心癒される笑顔だ。

「なら、馬鹿なお前はどうするか分かってんだろ、あん?」

「えぇ、もちろん」

 帥嗣は立ち上がり、駈け出そうとする。

 だがその脚はぴたりと止まって、青年の方を振り返る。

「焦ったら駄目、なんですよね」

「あぁ」

「なら、ひとつだけ聞いてもいいですか?」

「あぁ、なんでも聞いていいぜ?そういう年頃なんだろうからな」

「名前、教えてください」

「あぁ、喜んで教えてやんよ」

 青年は左手の中指を帥嗣に向かって立てて、堂々と名乗りを上げる。

「俺の名前は霧崎雀空キリサキジャクク。職業は殺人鬼だ」

「へぇ、そうですか。将来子供にでもつけますから覚えておきます」

「うげぇ、キモ!しかも後半は無視かよ」

 そんな青年――霧崎雀空の言葉を聞かないで、帥嗣は歩いて出て行く。

 胸を張って堂々と。

 それから、帥嗣が翌日の二時に町の外れにある公園に呼び出す為、均時の家の前に立ったのはそれから五時間後、午後六時になってからのことだ。

 ちなみに、霧崎雀空が帥嗣が勘定を払っていないことに気づいたのは、それよりそれより少し遅いくらいだった。



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