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05 ぐるりと繋がる、出会いの縁(1)

 街外れの喫茶店から、静かに明かりが落ちた。

 この日の営業も無事に終わり、これからは家族の団欒の時間になる、そんな時であった。喫茶店に横付けされた、一家の住居の玄関――裏口に近い――がコンコンと叩かれた。


「ルシェー、ごめんね出てくれるー?」

「はいはーい」


 風呂場から聞こえる母の声に返事をし、ルシェは玄関に向かった。小さな明かりを灯した扉に駆け寄り、どちら様でしょうかと尋ねる。

 その向こうからは「俺だよ、俺!」という詐欺まがいの返答が返ってきた。

 名前は聞かずとも大体察しの付く、非常に覚えのある声音だったが、そこはあえて鍵を増やし対応した。


「おいィィィィ! 今、ガチャンとか聞こえたぞ! お兄様は悲しい!」

「警備するのを本職にする人とは思えない台詞だったのでそうしました」

「くッ! 身内に対しても……さすがの対応だな、妹よ……」


 涙ぐみながらも関心したとばかりに揚々と頷く姿が、扉の向こうに見えるようである。ルシェは肩を竦め、あからさまに掛けた鍵を直ぐに外した。ガチャリと扉を開け、そこに佇んでいる男性を見上げる。

 街灯の灯る夜を背にしてもなお鮮明な蒼い騎士服を着込んだ、しなやかな長身。その天辺には、精悍というより優男の印象を受けるかんばせがあった。首筋を掠める程度の明るい茶色の短髪と、鳶色の瞳――ルシェと同じ色を宿したそれが、視界を埋めた。


「急にどうしたの、兄さん」

「ちょっと仕事の用事で街に来て、その帰りのついでにな」


 ルシェは扉の前から身体をずらし、家の中へ男性を招いた。

 勝手知ったる何とやら、自らの生家に踏み入れた彼は、アルシェンド騎士団国境支部の第一部隊長、竜人の背を許された一握りの騎士の一人――アシルその人である。


 リビングに進んだ彼は、風呂上がりの母とマグカップ片手に寛ぐ父に出迎えられた。直ぐに国境支部に戻る事を先に告げ、近くの椅子を引っ張り腰掛ける。


「急に来るなんて珍しい、どうしたの。お勤めは?」

「仕事はもう終わってる。夜勤もないし、後は戻って寝るだけだ」


 こないだのガーデンパーティーの事とか、聞きたくなってな。アシルがそう告げると、父母は途端に表情を緩めて勢い込んで言った。


「初めての事だったけど、喜んでもらえたわ~。それにあれからお客様も増えて、騎士様達もお昼ご飯を食べに来てくれるの」

「いやー! こりゃいよいよ一ヶ月に一回は会場提供をしようかなと母さんと話してるんだ」


 心より喜ぶ二人の姿に、アシルもほっと笑みを返す。


「それなら良かった。こないだいきなり『集まり事とかない?!』なんて詰め寄られた時は驚いたが……ちょうど同僚達も探してたし、あの後も楽しかったって言ってきたし。成功したならそれでなによりだ」


 で、来たついでだし、何か街で困った事とかないか。変わった事とか。

 アシルがそう話題を変えると、身辺の事について一家で談笑をした。時間にして、それは数分程度の短いものだった。

 アシルがこうして生家に姿を見せるのは、珍しい事ではなかった。妹ルシェの贔屓目を除いても彼は身内思いで、部隊長になり顔を見せる回数は減っても止めなかった。接客業を傍らで育ち、人と人の繋がりの重要性を知っている彼の信念にも近い。


 忙しいだろうから、気なんか使わなくて良いのに。


 顔を見せに来て直ぐ帰る兄に、呆れながらも少し嬉しく思うルシェだった。

 それを口には出さず、国境支部へ戻るアシルの見送りに、ルシェは共に玄関へ向かった。


「お勤め、きちんとするのよ」

「お前は肝心なところでいっつも能天気だからなあ」

「わー日中も友達に言われたよそれ。俺そんなに能天気かなあ」


 アシルは苦く笑い、頬を掻いた。腕は滅法立つがそれに中身が伴っていない事は、身内公認済みである。ルシェも常日頃そう思う。


「ほら兄さん、街灯が点いてる間に支部に戻らないと」

「ああ」


 アシルの背を押して、ルシェは玄関を出た。お勤めしっかりね、と最後まで言う父母の声が扉の向こうで響いた。

 住居の玄関を離れ、通りへと肩を並べ向かう。すっかりと夜を迎えた街には、涼やかな風が吹いていた。静寂を運ぶ夜風にルシェの茶色の髪が揺れ、ごく自然な手の運びでそれを撫でつけ押さえつけた。


 ……そうだ、せっかくだし。

 ルシェはふと思い出し、騎士服に身を包む兄を見上げた。


「ねえ兄さん、聞きたい事が――」

「なあルシェ、聞きたい事が――」


 ほぼ同時だった。しかも、ほぼ同じ言葉だった。

 被さった互いの発言に驚き、顔を見合わせて目を丸くし合う。


「え、何、兄さん」

「え、いや、ルシェも」


 お前から先にとアシルが言うので、じゃあ遠慮なくとルシェは息を吸い込んだ。


「こないだのガーデンパーティー、国境支部の内緒の婚活だったんでしょ?」

「ん? ああ、そうだけど……何、お前誰かに言ったの?」

「言わないよ、お客様の事だもん。そうじゃなくて、うちの従業員であり私の友達の女の子と話をしていた騎士が居たんだけどね」


 アシルの表情が一瞬動いたけれど、ルシェは気付かずに続けた。


「無理矢理に参加させられたらしいんだけど、でもあんな良い子ほっとくなんて馬鹿としか言えないんだよね。兄さん知らない? そんな竜人の騎士」

「え、お前じゃなかったの?」

「え?」


 ルシェは素っ頓狂に目を瞬かせる。同様に、アシルもまた素っ頓狂に表情を変えていた。


「すげえ小動物みたいな可愛いお店の子と仲良くしてたって、うちの副隊長がもっぱら噂で。俺はてっきりお前の事かと……」

「え?」

「え?」


 首を傾げて見つめ合う兄妹の間を、ヒュウッと夜風が過ぎ去った。





「なるほどなーようやく分かったぞ。ルシェの事を言っているにしては、小動物とか可愛いとか盛りすぎだと思っていたんだよー」

「私が小さくて可愛いわけないでしょ。友達の事よ」


 闇夜を照らす、街灯の側。植え込みの影に小さく隠れたルシェとアシルは、傍から見ると完全に不審者の密談であるのだが、当の二人は気付いていない。影に身を潜めうずくまり顔を見合わせる彼らの表情は、真剣そのものであった。


 どうやらアシルが生家に顔を見せたのは、先日のガーデンパーティー……の中であったとある件をルシェへ確認しに来たらしい。対するルシェにも、騎士である身内のアシルへ聞きたかった事があり、情報を照らし合わせてみたところ……双方の疑問が解決するに至った。


 喫茶店には、ルシェの他にも年の近い少女が働いており、先日のパーティーでもせっせと働いていた。そしてそこには、強引に投げ込まれた竜人の騎士が参加させられていた。よほど不服だったのか庭園の外れに避難していたらしいが、終わる頃には親しげに少女と話をし、笑みを交わしていた。

 それが、すっかり話のタネとなっている、もの凄く小動物みたいな少女――ルシェの友人であり。支部で話題持ち切りの、竜人の騎士――アシルの騎竜であり高潔の副隊長である。


 アシルは、この少女――ルシェの友人を。

 ルシェは、この竜人――アシルの副隊長を、探していたのだった。


「ところで、そんな子が働いてるなんて、お兄様知らなかったんだけど」

「家にいないとはそういう事だよ兄さん」


 大体、従業員が増えたくらい、わざわざ教えに行くわけがない。


「控えめな良い子でさー、変な虫がつくよりかは良いけど、もったいな……何その図体で傷ついてるの兄さん」

「いや、身内の本音は心に突き刺さると思ってな……まあそれは置いといて」


 なるほど、なるほど、そうか。しきりに頷くアシルの顔に、ニヤリと意地の悪い笑みが浮かぶ。周囲の暗がりも煽り立て、兄の悪人面がルシェの前に広がっていた。


「何を企んじゃってるの兄さん」

「失礼な、俺は常に家族と仲間と友人を想う男だ」


 アシルはそう告げると、植え込みの影から立ち上がる。それに習い、ルシェも両膝に手をつき腰を上げた。


「……なあルシェ、俺がその竜人と、友達の子を、もう一度会わせてみたいと言ったらどうする」

「会わせてみたい?」

「そう」


 ルシェは思案しつつアシルを見上げた。会わせてみたい、という事は、その竜人の騎士は好意的な感情を、彼女に抱いているのだろうか。ルシェはじっと、兄の、己と同じ色の瞳を見つめる。兄は肝心なところで能天気であるが、これでも隊長の地位に就く事を許されている男性。その彼が認め、また認められている竜人となれば、決して悪い人物ではないだろう。ルシェも年頃の娘であるし、そういった男女仲を取り持つ内緒の画策にだって興味もある。

 けれど。

 その女の子は人一倍努力家であり、反面、人一倍“人と違う事”を気にしている子である。

 貶められる謂われなんてないのに、育った環境の差違はあまりにも大きかった。不憫な境遇で過ごし、それを抜け出したくて彼女はこの街にやって来た。

 それを知っているルシェとしては……。


「その子が頷いたら、ね」


 これは、ルシェが決める事ではない。もしも頷いたならば全力で後押しに掛かるが、今はそれだけだ。

 ルシェの言葉も至極当然で、最初から分かっていたようにアシルは「そりゃそうだ」と笑って頷いている。


「ああ、そうだ。その子って明日、店に働きに来るか?」

「? うん、来るよ」

「よし」


 頷くアシルは満面の笑みだった。不思議そうに首を傾げるルシェへ、彼は言う。


「さっきの話は抜きにして。あの仏頂面の副隊長を笑わせた女の子、俺も一度会ってみたいんだよ」


 兄さん……。

 ルシェは何とも言えぬ呆れを含んで、小さく笑うしかなかった。



◆◇◆



 ――昨晩、そんな話があったなどとは、露知らず。

 主に騎士達の間で話題になっているとは思ってもいないセシリーは、いつものようにルシェ一家の営む喫茶店へと向かった。しかしこの日、出迎えてくれたルシェは、普段とは異なる神妙な面持ちを宿していた。


「仕事が終わった後、少しうちに残れるかな」


 セシリーは首を傾げる。彼女から仕事終わりに「ちょっと話していこうよ!」と誘われる事はたびたびあったけれど、今日のような顔で言われた事はなかった。

 もしや、何かあったのだろうか。

 セシリーが尋ねると彼女は少しだけ曖昧に笑って、「実はこないだのパーティーの事で、少しね」と明かした。


「セシリーに会いたいっていう人がいて……あ、悪い人じゃないからね?! ちょっとお話したいんだって」

「私に……?」


 あのパーティーの中に、知り合いなんて居なかった。一体、何だろうか。

 不安が表に出たセシリーへ、ルシェは慌てたように手を振り「大丈夫よ!」と笑った。


「別に、何もセシリーを虐めに来るわけじゃないんだから! 私も一緒にいるから安心してよ。アイツも少しだけって言ってたし」


 アイツ、とルシェは気さくに呼んでいる。彼女と親しい人物なのだろうという事は、うっすらと理解した。「嫌だったら良いんだ、そう伝えるから」とルシェは言ったが、セシリーは頷いて了承した。ルシェの人となりについてはセシリーだって知っている、彼女が言うのだから悪い人ではないだろう。

 ルシェは少しだけ安堵したように口元を緩めた。ありがとう、と笑う仕草はお日様のように明るく、そして眩しかった。


「さ、準備しよっか。今日もお客さん、たくさん来ると良いね」


 セシリーは頷き、準備を開始する。

 そうして喫茶店の営業がお昼時に合わせて始まると、従業員の仕事に精を出す内に夕方会う事になる人物について、深く考える事は無くなっていた。

 先日のガーデンパーティーの件が効いているのか、昼食をしにやって来る客の顔ぶれの中には、覚えのある顔がちらほらとある。口コミは、じわじわと広がっているようだ。すっかりここのお店の味と庭が好きになったの、と若い女性客達から言われると、セシリーも自らの事のように嬉しくなる。

 けれど、ついつい笑みがこぼれてはにかみがちに「ありがとうございます」と礼をすると、何故か「可愛い~!」と歓声が上がるのが、ここ最近の疑問である。都会のお世辞文句は洒落ていて、まだまだ慣れそうにないセシリーだった。




 太陽が中天から傾き、昼食時の賑やかさは午後の穏やかさへと変わっていった。

 喫茶店も客足がゆったりとしてきたところで、セシリーはオーナー夫妻から仕事を賜る。つい先ほど、店の裏側の庭先に小麦粉の袋が届けられたらしいので、厨房の中の保管庫に入れて欲しい。他にも食材が混ざっていると思うが、お願いしたいとの事だった。

 それくらいなら、お安いご用である。細い腕を掲げて「任せて下さい」と笑うセシリーは、端から見ればだいぶ危険な事を言ってしまってる少女だけれど、問題ないのは事実である。


 なにせ昔から、ゴリラ級怪力女と言われてきたので。


 ……いや、ゴリラ以上の怪力ではあるけれど。


 セシリーは自問自答しながら、ルシェにフロアを任せて裏口へと向かった。

 食材を搬入したり大量の薪を用意する広い裏庭には、件の小麦粉袋や野菜などの入った木箱が幾つか運び込まれて鎮座している。先に野菜を厨房へ入れておこうと、セシリーは腕を捲って今にも折れそうな細い腕をぶんぶんと回す。

 華奢な少女が重量物を持ち上げるなんて普通は無理であるが、そこはセシリーだ、木箱を二つ重ねて鼻歌混じりに優しく運んでいく。ものの数秒でそれを終えると、今度は小麦粉袋だ。同じようにそっと二つ重ねて、重量感の溢れる巨大な麻袋を持ち上げた――その時である。


 裏門をドバーンと蹴り破る派手な音が、唐突に響き渡った。


 びっくりして動きを止めたセシリーが振り返ると、謎の外套姿の男が庭先に滑り込んでくるところだった。


「ふーッよし、見つからないで来れたみたいだな!」


 外套に全貌を隠されているが、身長の高い若い男性のようだった。外套から覗く足は長く、ほんの少しだけ見える顎の輪郭はシュッとしている。

 だがしかし、顔も見えない外套姿であるから、セシリーがまず真っ先に思い浮かべたのは――。


「……ん? あれ、君は……」


 外套男に声を掛けられた、その瞬間。

 セシリーは小麦粉袋を全て落っことし、細い全身を強張らせる。ドッスンドッスンと、重厚感ありすぎる音を立てた大きな麻袋(二つ)に、外套男の方がギョッとして身を竦める。

 だが、半泣きのセシリーはそれどころではない。突然侵入してきた、外套姿の不審人物。それに連想するものといえば――。



「ど、ど、泥棒ォォォォォー!!」



 近くにあった丸太の輪切りを一つ掴むと、外套男に全力投球していた。

 とても華奢な少女が投げるとは思えない超高速ストレートに、外套男は真後ろに吹っ飛んだ。



 騒音に気付き駆け込んだルシェと夫妻の前に広がったのは、頭にお星様を回しながら卒倒している外套男と、それを揺すりながら半泣きしているセシリーという、謎の光景であった。




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