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33 少女の変化、竜の覚悟(2)

2016.01.01 更新:2/3

 騎士団国境支部とその周辺地域を一時騒然とさせた出来事は、ほぼ終着を見せていた。

 けれど、それとはまた別に残されている事が一つある。

 採掘場跡地の広場の崩落事件だ。

 採掘場がそもそも閉鎖されてから時間も経過していた事や、天敵と言わしめる五メルタ超えの大猿《羽狂い》が非常に危険だったという事など、不安定な要素は多数あった。そんな中で、周辺地域に影響もなく、負傷者の数も少なく、危険な魔獣を漏れなく捕えたという結果は、非常に素晴らしいものであったと誰もが思うだろう。


 しかしながら、それはそれ、これはこれ。


 閉鎖されているとはいえ国の施設をぶっ壊した事も、覆しようのない結果である。


 この事は既に、支部長以上の上官や騎士団長にまで伝えられている。いわくつきで名高い国境支部の最速ペア、ひいては騎士団トップクラスの実力者であるアシルとテオルグなので、余計に情報伝達が速かった。

 崖崩れに遭いながらほぼ無傷の生還を果たし、率先して天敵と戦い捕えた功績は、採掘場を崩壊させた事よりも遥かに上回る。二人に謹慎や減俸などといった無粋なお咎めはないけれど、施設をぶっ壊しちゃった事は国に仕える騎士団においてあまり宜しくない。

 そんな事で、テオルグとアシルには、関連する諸々の報告書をまとめアルシェンドの王都にある騎士団本部にまで提出するよう、指示が出された。

 運搬用の小型竜などは使わずに、きちんと手渡しで。




「――早い話が要するに、はるーか遠くの騎士団本部にまで報告書だとか何だとか諸々を直接持って来いって、お使い命令されたんだ」


 あからさまにがっくしと両肩を落とす、アシルのその悲壮感ときたら。

 よほど彼は行きたくないらしい。猛烈に面倒くさがっている事がその表情から丸分かりだ。

 国境支部の第一部隊長であらせられながら、このフランクさ。

 対して、アシルの背後に佇む白竜姿のテオルグは、あからさまに面倒がるアシルに呆れ果てており、大きな溜め息を吐き出している。ハア、という可愛いものではなく、ブオオ、という表現が適した息遣いで。


 セシリーは苦笑いを浮かべたが、妹のルシェは辛辣だ。「生きている喜びを噛み締めとっとと行って来い」と清々しいまでにばっさりと言い放つ。


「テオルグさんの背中に乗って移動するんでしょ? 頑張るのはテオルグさんじゃない」

「そうだけど、面倒くせえ~……王都までどんだけ離れてると思ってんだよ。丸一日空の上だぞ?」

「毎年必ず一回は王都に行ってるじゃない。春先の総会だとか何かの任命式だとかで」


 大体、とルシェはチョコレート色の瞳を細める。


「国境支部から街まで走って来るくせに、飛ぶのは嫌とか、意味分かんない」

「……まあ、それはそれ、これはこれだ」


 とはいえ、文句を言ったところでお使い命令が消える事はない。むしろ、採掘場の広場を半壊させたのがそれで帳消しなのだから、喜ぶべきところでもある。



 騎乗用の装具と荷物を取り付けた白竜テオルグと、外套を羽織った旅装姿のアシルが喫茶店にやって来たのは、つい先ほどの事。

 営業開始前だったので客の姿はなく、セシリーとルシェは現れた彼らをお出迎えした。なんでも、これから我が国アルシェンドの中心地である、王都までひとっ飛びするらしい。採掘場広場を半壊させた罰として、報告書などを提出するためだそうだ。


「つうか絶対これ上の思いつきだって。これ見よがしに関係ない書類が混じってるもん」


 不満げに荷物を叩くアシル曰く、お使い命令だという。

 重い意味を含んだ罰ではなくて良かったと、セシリーはこっそり安堵した。


「騎士団本部と王都支部って、別々にあるんですね。一緒なのかと思ってました」

「本部には本部の重要な仕事があって、王都の巡回等は別で設立されたかの支部に一任されている」

「ちなみに王都の方の主だった仕事は、巡回だけでなく中心地特有の問題に昼夜当たる事だったな」


 テオルグとアシルの言葉に、セシリーは感心の声を漏らす。

 支部それぞれ、という事か。お馴染みの我らが国境支部は、周辺地域の巡回の他に国境線となっている山脈の監視、万が一の場合の前線基地という役割だった。


「本部に居るのは団長とか副団長とか、お偉い方ばっかでさ。もう本当、息苦しくて仕方ない場所なんだ」


 そう言って、アシルはまた溜め息をこぼした。恐らくきっと彼が渋っている一番の理由はそれなのだろう。

 セシリーは小さく笑うと、顔を上げた。竜に転変したテオルグは、今日も今日とてかっこいい。


「前に言っていた出掛ける用事って、これの事なんですね」


 白竜の頭部が下りてきて、セシリーの顔の横へと並ぶ。


「あの、お仕事で行くのに……本当に……」

「俺が好きでする事だ。迷惑などとは言ってくれるな」


 瞬いた青い瞳は、理知的な光を乗せて、静かにセシリーを見つめる。


「それに、仕事と呼べるほどではないのも事実だしな」


 アシルから「ほ~生真面目なお前にしてはめっずらしい~」と、にやついた茶々が入る。テオルグは当然、無視した。


「二、三日で戻る。その時には、調べたものと共にまた伺おう」

「は、はい。お待ちしてます!」


 セシリーは低い位置で背筋を伸ばした。

 テオルグが戻ってくる時に、長年ゴリラと思い込んでいたご先祖の正体が、もしかしたら判明するかもしれない。

 そう思うとセシリーの胸はドキドキと高鳴ったけれど、その一番の要因は、彼が戻ってきたらまた会えるという期待によるものだった。

 えへへ、とふわふわ微笑むセシリーの白い頬に、薄紅色が慎ましく浮かぶ。首を目一杯下げてその仕草を視界に収めるテオルグは、うっかり和んでだらしなく尻尾を地面に伸ばすものの、ちらちらと横切る存在に現実へ引き戻される。

 ニヤニヤと顔を緩ませ親指を立てる、アシルである。

 テオルグは猛烈にその横っ面を張り倒したくなったが、ぐっと堪えた。



「……じゃ、そろそろ行こうか。順調に進めば、王都に到着するのは夜かな」


 アシルはヘルムを被り、テオルグの前肢へ近付いた。真っ白な鱗に覆われたそこに軽く手をつき、片足を掛けると、しなやかな前肢がひょいっと持ち上がる。その動きに合わせ、アシルはテオルグの背に跨がった。

 彼の準備が整ったのを感じ取ったテオルグは、座り込んでいた腰を上げ、強靭な四肢で地面を踏みしめ立ち上がる。

 空を覆えそうな立派な翼が広げられるのを見上げ、セシリーとルシェは邪魔にならないようにと距離を取った。


「お気をつけて~」

「お土産よろしく~!」


 ちゃっかりとリクエストを入れるルシェに、テオルグの背にいるアシルが仕方なさそうに手を上げた。

 セシリーも勇気を出して手を上げると、遥か天辺にある白竜の頭が微かに上下し、青い瞳が笑うように細められた。


 そうして、アシルとテオルグは共に飛び立ち、アルシェンドの中心地――王都へ向かった。


 十メルタを軽々超える立派な白竜と、竜を模したヘルムを被った騎士が、澄み渡る空の中へ溶けてゆく。

 物語の竜騎士を体現した二人の姿を、眩しく感じながらセシリーは見送った。


「行っちゃったねえ」

「王都に到着するのは夜かあ……お使いも大変ね」


 しばらく空を見上げた後、喫茶店へと戻った。


「ところで……調べ物って? すっかりもう仲良しねえ~」


 何処か含みのあるニヤニヤした笑みが、ルシェに浮かんだ。その仕草は、実兄アシルと同じだった。


「別に、そ、そんな大した事じゃ……」

「こないだから急に仲良くなったものね~。あ~あ、恋する笑顔が眩しいなあ~」


 悪戯な言葉と共に、先の件――テオルグに指先を取られ、劣等感が全て拭われた事――が鮮明に思い出される。

 無意識の内に、セシリーの顔には熱が灯った。手のひらに巻かれていた包帯は外れたのに、そこにはまだ彼の筋張った手や長い指先の感触が残されていた。

 村にいた時は、生まれ持った力のせいで手を取ってくれる異性など全く居らず、身内しか知らない。こんな事でドキドキするのは、子どもじみているようで恥ずかしい事であるけれど……。



 ――誇れば良い、この手で竜を救ったと



 セシリーは脳内でキャーキャーと叫びながら、ルシェの背中を軽く叩いた。

 が、じゃっかん力が漏れてしまったようで、ルシェは「ぐふッ」と空気を吐きだし、喫茶店の扉へ勢いよく吹っ飛び張り付いた。

 比喩なくビターンッという音が響いたけれど、残念ながらセシリーは気付かない。



◆◇◆



 国境の街を飛び立ったテオルグとアシルは、振り返っても街が見えないところにまで既に進んでいた。


 地上にはない力強い風の吹く空は、果てまで青く澄んでいる。眼下に広る森林や山脈の豊かな風景も見晴らしよく、方角などを細かく確認するにも都合がよい非常に安定した気候だった。

 膜の張った白い翼を羽ばたかせるたびに、心地よい爽快感がテオルグの全身を包む。古くから空を根城としてきた竜にとって、やはりそこは神聖な領域であり、切っても切れぬ特別な場所なのだ。


「いやあ~すっかりもう仲良しなようで~」


 ……その心地よさを、背中に乗る存在が遠慮なく落としに掛かっているが。


 振り返らずとも、容易にテオルグも想像出来た。背に乗るアシルは、確実にニヤニヤと表情を緩めているだろう。

 せっかく飛び立つ前にセシリーの姿を見て、心が和んだというのに……。

 テオルグは小さく溜め息をつく。言ったところでこの男が直した事はないので、今更文句は言わない。


「……ま、それはさておき、良かったよ」

「何がだ」

「テオがセシリーちゃんへの態度を変えたりしなくて」


 ヒュウ、と耳の側で鳴った風の中に、アシルの声が自然に響く。


「彼女の、力の事か。知ったとして、それで彼女が貶められる理由はないし、俺が何かを変える理由にもならない」

「ぶっは、良いねえかっこいい。テオはそうだよな」

「お前とて、同じだろう」


 アシルは一呼吸置くと、「まあな」と声を弾ませた。


「ちょっと力持ちなだけで、あとは普通の女の子だし。偏見を持つ理由になんて到底ならない。ただ……悲しい事に、あの子の故郷の村はそうじゃなかったみたいだけど」

「……そういえば、お前は前から知っていたんだったな」

「セシリーちゃんの生い立ちも、力持ちの事も、少しね」


 その上で、アシルもあの気さくな態度でセシリーと接していたのだ。血が繋がった兄のように、自然に、親密に。

 肝心なところでは能天気な男だけれど、心の隔たりを越えて打ち解ける事に関してはテオルグも素直に称賛している。それを思うと、やはりアシルは竜人の背に乗って然るべき器なのだろう。

 まったく、妙に憎めない奴だ。


「……その彼女の生い立ちの事だが、王都に行って本部への任務を終えたら少し調べ物をする」

「お? そういやさっき、調べるのがどうのって言ってたな」


 そういう所はきっかりと聞き洩らさないアシルである。


「……お前は、あの娘の先祖が何の種族か、想像出来るか?」

「いやー? 勝手な予想だけど、筋骨隆々としたゴリラの獣人じゃないかと」


 セシリー本人とほぼ同じ事を言っている。こうなるとアシルの妹であるルシェに尋ねても、同じ言葉が返されるだろう。


「……やはり、人間には分からないものなのだな」

「え! もしかして、ゴリラの獣人じゃなのか?!」


 心から驚いた様子で、アシルが声を上げた。逆に、何故そこに行きついたのか、テオルグの方が問い質したくなってくる。しかし、アシルへの返答はひとまず止しておいた。薄っすらと予想はついているものの、確信出来る材料が手元にない今は話を広げるべきではない。


「……とりあえず、確信が持てるだけのものを調べないとな」


 呟いたテオルグの後頭部を、アシルはじっと見つめる。ふうん、と声を漏らした唇は笑みを描いた。


「優しいな、テオ」

「……俺が気になるだけだ。それに……セシリー本人も、気にしていたようだしな」


 そんな言葉に、ますますアシルは笑みを深める。

 それはもう、暗にセシリーのためであると明言しているようなものだ。

 アシルの表情を彩ったのは、企み事をする意地の悪い笑みではなく、お日様のような笑みだった。


 テオルグは変わった、本当に。

 人の感情の機微に関心が薄く、自らを鍛え竜の矜持を貫く事に重きを置いてきた、この竜人。良くも悪くも、昔から誤解されがちだった。彼の種族の本質が幾ら闘争にあると言えど情がないわけではないし、場合によってはアシルよりもずっと温厚で情も深い。ただ、その感情が表にあまり出ず隠れがちになってしまい、出たとしても正しく受け取られない場合が多い。だから過去に、竜の誇りをなくした者として《下竜(げりゅう)》などと呼ばれた事もあったのだ。

 テオルグが気を張り続けてきた事を、アシルは騎士の訓練生時代から知っている。背に飛び乗ってきた同期生を振り落とし、施設を半壊させるほどに暴れ狂ってから、余計に他人との線引きが顕著になってしまった。


 そんな彼が、最近になり変わったのだ。隠れがちだった感情が自然に前へ押し出され、張り続けた気が緩まり、鋼鉄の表情も和らいだ。《下竜》と中傷する言葉も、いつの間にか消えてなくなった。

 それがどれほどの事か、テオルグ本人は自覚していないだろうし――そのきっかけとなったあの娘も恐らくは知らない。


 願わくは、そんな二人がこれから先も滞りなくある事を。

 余計な手出し等はもうしないと決めたアシルは、胸中でそう願った。


 ……ただし。


(こりゃあ今後も、面白い事になりそうだ――!)


 当初の目的も、ぶれる事なく未だ健在ではあった。



「……いよーし! なら急いで王都に向かって、お使いを終わらせないとな!」

「何だ急に、やる気を出して」


 テオルグは首を振り返らせ、胡乱げに目を細める。頭をすっぽりと覆うヘルムを被っているのでアシルの顔は見えないが、ろくでもない事を考えていそうだとは見当がついた。


「お使いはどうでも良いけど、それ以外の事なら俄然やる気も出る! それに、せっかくの王都だしお土産を買っていってやらないと」

「土産、か」


 テオルグにふと浮かんだのは、セシリーの笑い顔だった。控えめだけど目を惹く、小さな花が咲くような穏やかな微笑み。淡い髪を揺らすそよ風のように、竜の心臓にまで自然と入ってくる温かさ。


「そう思えば楽しいだろ?」


 アシルの言葉に、テオルグはなるほど確かにと共感を抱いた。その事に自らで驚きながらも、テオルグは今一度大きく翼を羽ばたかせる。




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