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24 本当の臆病者

2015.10.24 更新:2/2

 思い出して良かった。

 不思議な香りを纏う小さなあの娘は人間で。己は竜であるという事を。




 追い縋るような視線が背中にぶつけられている事には気付いていたが、テオルグは決して振り返らず足早に喫茶店を去った。人目のつかない場所で竜に転変し、ただじっと待機した。

 街の中でも外れにあるこの場所は、商店通りなど人の往来の多い場所と比べると雑音は少なく静かだと言える。けれどその静けさに心を落ち着かせる事も出来ず、テオルグは乱れる心臓に言い聞かせた。あれで良かったのだと、みっともなく自身を正して。


「――テオ!」


 しばらくした後、アシルがやって来た。大きく動かす手足とその歪められた表情に、彼の感情が透けて見えるようだった。


「状況確認は終わったな」

「ああ、今、一応帰るとは言って……じゃなくて!」


 アシルはドカドカと音を立て、テオルグの足下へと近づいてきた。全長は十五メルタを越え、全高は四メルタ近い巨竜を前にしても、アシルは物怖じした様子はない。さすがはこの背に乗る唯一の盟友である。


「お前、セシリーちゃんに何言ったんだ。すっごい落ち込んでたぞ!」


 落ち込んでいた、か。それは少なからず、こんな自分でもセシリーの心に居られたという証拠なのだろうな。

 それを蔑ろにしたのだから、責めるように投げ寄越すアシルのひりつく眼差しは、当然の事である。まして彼は、セシリーを実の妹と同じくらいに可愛がっていた。テオルグは瞑目し、否定せずそれを受け入れる。


「……ついさっき、思い出したんだ」

「思い出した?」

「俺が竜で、あの娘は人間だと」


 アシルは怪訝そうに首を傾げる。そんなの当たり前だろう何を今更、とでも言いたそうな顔をしていたが、テオルグは小さく笑う。


 そうではない。そういう、広い意味ではない。


 テオルグは前肢を伸ばし、文句を言いたそうにしているアシルを掴む。竜の姿では騎乗用の装具を自ら取り付ける事が出来ないので、手に友人を握りしめて街を飛び立った。

 普段はあの小さな姿が見送りに来てくれるが、今回はそうもいかないのだろうな。

 いつの間にか期待していた事に驚きながらも、テオルグは決して喫茶店を見下ろさなかった。見下ろしてはならないと、訳も分からぬ命令を言い聞かせていた。



◆◇◆



 テオルグの翼は国境支部へと向かったが、降り立った場所は支部の敷地外であった。

 そのまま真っ直ぐと帰還しても良かったが、現在片手に握りしめている存在は、恐らくそれを許さないだろう。


 テオルグは空から降り立ち、前肢に捕えていたものを開放する。案の定、アシルは不機嫌な顔つきだった。むしろ時間を置いた分、先ほどよりも酷くなっている気さえする。


「……で? 要領が掴めないんだけど、何をやらかしてきた?」


 俺は納得するまで動かないからな! と胡坐を組んで座り込む姿から、がんとして動かないだろう意思が本当に見える。そういう風に率直に言えるアシルが、何処かで羨ましくも思えた。

 テオルグは翼を折り畳み、その場に腹這いになって身を伏せる。向かい合う騎士と巨大な白竜の間に、風が横切る。

 僅かな沈黙を挟んだ後、テオルグはその口を開いた。


「……羽狂いを取り押さえた時な、久しぶりに思い出した」


 目の前が染まるような、暴力的な衝動を。


「いつぶりだったかな、あんな事になったのは。自分が強いからといい気になった子どもの時か、それとも俺の背に飛び乗ってきた馬鹿を叩き落した訓練生の時か」


 眼下のアシルも覚えていたようで、不機嫌な表情を少し変えた。


 テオルグとアシルが、騎士の訓練生だった頃。

 背に乗るものを選ぶ竜人の性質を無視し、白竜に転変したテオルグの背へ高台から飛び乗ってきた馬鹿がいた。その人物は普段から竜人の背に乗りたいと公言していたが、まさか本当にそんな方法で乗ろうとするなんてと大いに周囲を蒼白させた出来事だった。

 根本から何か勘違いしていたのだろう、竜という存在そのものを。

 テオルグはその時、施設を半壊させるほどに酷く暴れ狂い、飛び乗った人物を叩き落として踏みつぶそうとしていたそうだ。そうだ、というのは、その時の記憶が怒りのあまりに飛んでいるせいである。寸でのところでアシルが宥め止めてくれたが、気付けば崩れかけた施設の中央でその訓練生は全身を震わせていた。記憶がないとはいえ、その表情を見て直ぐに察した。よほど恐ろしい目に遭ったのだと。

 その時の事は大きな事件になったが、誰もテオルグを責めたりはしなかった。特に、騎士団に従事していた教官などは。竜にとってその行動はどれほどの侮辱であったのかと、彼らはよく理解してくれた。けれどテオルグは、我を失うほどの怒りを爆発させた後、ぞっと恐怖していた。


 あの時の感覚は、今もテオルグに残っている。


「……アシル、俺達の、竜の本質は、飛ぶ事じゃない」


 美しい姿で優雅に空を飛ぶだけだったら、竜という名称が現在で特別視される事はなかっただろう。


 どの種族にも屈する事をよしとせず、長らく空を支配してきた――獣以上に獰猛な狂暴性。

 それを隠す為に高潔さが生まれたのであって、竜の本質は、間違いなく優しいものではないのだ。


 そう告げれば、アシルは「そりゃあ知ってるけどさ」と返す。たったその一言だけで済んでしまうのは、このアシルだからだ。

 しかし多くの者はそうでない事を、テオルグはよく知っている。


「……あの娘は、俺の事が綺麗だと、触りたいと言っていた。さっき」


 アシルの表情が、明るい驚きに染まる。しかし。


「だから、触るべきではないと返した」


 再び表情が苦く歪んだ。先ほどのセシリーも、これくらいに分かりやすく悲しみを浮かべていた。


「おま……ッそんな酷い事言ったのかよ」

「酷い、か」

「当たり前だろ! あんなに懐いてたのに、そんないきなり突っぱねられたら」


 アシルは憤慨し、テオルグに向け身を乗り出した。

 その通り、なのだろう。あれだけあの小さな少女に気を揉んだくせに、こうも容易く出来たのだから、やはり酷いのはテオルグの方である。


 けれど。



 ――ほ、本当です、怖くなんてないです



 懸命に言ってくれる彼女だからこそ、ああ返す他なかった。


「……で、そんな事をのたまった理由は」


 ぽつり、と吐き出されたアシルの声は普段になく低かった。


「竜人の教えとか、竜の誇りとか、言うつもりじゃないだろうな。まさか」


 教えと誇り。それはテオルグを再三戒めてきた言葉であるが――これは、そんなものではない。


「……誇りや教えのせいにするつもりはない。これは俺の――個人的な感情だ」


 挑むように身を乗り出す恰好のまま、アシルは動きを止めた。


「あの娘は、それでも俺の事を恐ろしくはないと言ってくれた。羽狂いと大して変わらない、本来の竜の姿を見たにも関わらずだ」


 テオルグは長い首を下げ、自らの体躯を見下ろす。

 白い鱗に覆われた身体は頑強で、両手足に生え揃う爪は鋭く尖っている。折り畳んだ大きな翼の向こう、細長いしなる尾が地面を叩く。

 空を飛ぶだけでなく、空を根城にする強者であれと鍛えてきた竜の肉体。戦いの中でこそ真価を発揮するのだと、自覚しているというのに。



 ――テオルグさんは恐ろしい人なんかじゃないですよ



 背丈も厚みも己の半分、竜の姿にもなればいよいよ小粒な、小動物のような少女が脳裏で微笑む。

 毛先が緩やかに波打つ、ミルクティーのような淡い色の髪。まなじりの柔らかい、楚々とした緑色の瞳。細く小柄で、何とも似合う穏やかな空気を纏っていて。物静かで控えめだが、くすぐったそうに頬を緩めたり、ほのぼのと花を飛ばしたり、よく笑う優しい気質。

 そう、控えめな性格ながら、よく笑う方なのだ。

 鋼と称されたテオルグにも、何度も笑ってみせたように。


 息を吹きかければ飛んでゆき、少し視線を離せば見失うだろう、何処までも対極の位置にある存在。あれが日常の中に居座って見慣れたのは、いつからだったか。

 小さな小動物だから怯えさせぬようにと振る舞っていたが、“セシリー”だから怯えさせぬようにと振る舞い始めたのは、いつからだったか。


 テオルグは静かに瞑目し、牙を擁する顎を小さく動かした。


「……とてもじゃないが、俺には無理だ」


 ……以前から感じていた、認めきれない疑念の正体を、今になって知ったような気がする。


「……セシリーを、これ以上怯えさせたくはない」


 あの丸い瞳に映る己が、“高潔な綺麗な竜”であるのなら。

 その姿のままでありたかった。


 テオ、と愛称を呟くアシルは、酷く複雑そうな顔をしている。人間には分かるものだろうか、この感覚は。


「だからって、お前……」


 アシルは、しばし口をまごつかせる。


「良いのかよ、本当に」


 そう尋ねられ、テオルグが返す言葉は最初から決まっているようなものだった。それで良いのだと、自身にも言い聞かせて頷く。


「馬鹿だろ、お前……」


 苦く呟いたアシルの言葉にも、テオルグは頷いた。

 まったくその通りで、実際、馬鹿でしかない。勢い余った様子だったが、恐ろしくはない、触りたいと言ってくれたセシリー。触るべきではないと否定しながら――死ぬほど歓喜していたのは、テオルグだったのだ。



鋼の竜人、自覚する。

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