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22 羽狂い(3)

2015.10.19 更新:2/2

 直後、暗色を纏う四足獣が疾走する。爽やかな緑色の大地を猛然と駆け、その眼に定めたものは上空に居る騎竜と有翼獣だろう。


 いち早く、騎士達が動き出した。手綱を操り五メルタほどはある飛竜を翻らせる。彼らの全身から放たれた闘争心が、セシリーの肌をひりつかせた。


「さっきまで出てこなかったくせによ……! ご飯見つけたって顔しやがって!」

「全員、戦闘開始だ! 早く行け! 隣街に急げ!」


 その言葉と共に、騎竜が吼えた。響き渡る咆哮に、ハッとなった男性は有翼獣に指示を出して急がせる。背後から天敵が迫っている事を有翼獣も本能で察し恐怖しているのだろう。穏やかさから一変し、船は激しく揺れた。セシリーとルシェは立っていられず、長椅子にしがみつくように倒れ込む。


 隣街へ遊びに行こうと思っていただけなのに、まさかこんな事になるなんて。

 セシリーは青ざめ、ぎゅっと身体を強ばらせる。すると、柔らかい温もりが、セシリーの手を包んだ。ルシェの手だった。


「大丈夫、隣街は直ぐそこよ。それに他の騎士も来てくれる。兄さんだって、きっと」


 ルシェの細い指は震えている。怖くないはずがないのだ。それでも彼女は気丈に振る舞い勇気づけようとしている。

 こういう時にこそ、使うべき怪力だろうに。

 過ぎた力を持っていても、実際に使う事が出来なくなるなんて、情けない。セシリーはルシェの手を強く握り返し、揺れる椅子にしがみつく。せめて友人が怪我をしないようにと願って。




 船を運ぶ四頭の有翼獣は速度を上げた。その背後を守るように、騎士は騎竜を操作し間に割って入る。

 中型の竜も仕留めるという天敵の猛獣は、その巨体から考えもしない速さで迫り来る。奇異な容貌が、余計に不気味に映った。


 人里と野山の境界が曖昧で常に命の危機のあった昔、羽狂いによる被害は甚大であったらしい。今はその線引きがはっきりとされ、人々の暮らしを支える有翼獣が激減する事もなくなった。今はアルシェンドの中でも隔絶される僻地にのみ存在する生物だ。

 だが、脅威である事には変わりはしない。

 この一帯では見かける事のなかった生き物、知識として幾つかの情報は頭の中に叩き込まれているとはいえ……。それでもやるしかないと、騎士は騎竜を駆る。天敵を食い止めるべく、騎竜を急降下させて、猛然と強襲を仕掛けた。


 しかし一つ、分からない事が彼らにあった。あの姿で、何故有翼の生物の天敵なのか。頭部から背中に掛けて継ぎ足したような暗い羽根のたてがみは、確かに見るものへ恐れを抱かせる不気味さを放っているが、しかし四足の獣がどうやって空の生物を仕留めてきたのだろう。


 ――そう思った、その時だ。


 疾走する羽狂いはさらに速度を上げると、太い四肢で地面を蹴りつけ、高々と跳ね上がった。巨体を物ともしない二十メルタ以上の跳躍を見せ、自ら襲い掛かる騎竜の中へと突っ込んできた。


「はあ?!」


 先頭に居た騎竜の牙をかわし、暗色の羽根のたてがみの下に隠されていた口が開く。幽鬼が叫ぶような、甲高く不気味な咆哮が辺り一帯に響き渡った。

 五メルタ前後の騎竜を超える巨体が、眼前に飛びかかる。それよりも大きなものを普段見ているとはいえ、その迫力は息を飲むものがあった。

 しかし羽狂いは騎竜を攻撃せず、あろう事か踏みつけて飛び越える。その先の騎竜をまたも踏みつけ、跳躍を繰り返した。宙を回転し飛び上がる暗色の猛獣は――船を運ぶ有翼獣を狙っていた。


「くっそ、正確には四足獣じゃねえな! あれは!」


 空中で受身の回転を取り、崩された体勢を直ぐ様整える。再び急上昇した騎竜の背から、騎士達は羽狂いの奇異な容貌を改めて確認する。


 狼や猫などの、あの四足歩行の獣の類かと思っていたが、違う。暗色の羽根のたてがみを背負う上半身は逞しく隆起し、二本の前肢は大木に負けない太さを有している。引き締った腰の下の後ろ脚は短いがやはり逞しく、細長い尾が宙を叩いた。


 天敵の羽狂いは、四足の獣ではなく――どうやら中型の竜なみに巨大な、大猿らしい。


 特別な力は、一切持たない。だがその強靭な身体のみで、空を支配する竜と対等に張り合う。その獰猛な巨猿が、天敵の正体なのか。


「うちの竜を踏みつけるとは良い度胸だゴラァァァ……!」

「今気にするのはそこじゃないだろ……!」


 羽狂いと名付けられた不気味な大猿は、仕留めやすい有翼獣を選んだ。

 彼らが運んでいるものは、何か。

 それを思い出した時、全員の心臓が冷たい鼓動を鳴らした。




 飛び上がった羽狂いの巨影が、運行便へと覆い被さった。船に屋根がついているとはいえ、その迫りくる気配は中に乗るセシリーとルシェも察知出来た。

 長椅子にしがみついたまま隣街への到着を祈っていたが、一際大きくその船が揺れ、船の壁にまで滑り激突する。そしてそこからふと仰ぎ見た光景に、息を飲み込んだ。


 船を持ち上げる有翼獣の一頭に、暗色の獣がしがみついていた。


「ひ……!」


 その獣は、狂ったように暴れる有翼獣の、首でも胴体でもなく、翼を折ろうとしていた。

 耐えきれず、掠れた悲鳴がこぼれる。


 急上昇し割って入った騎竜達に取り囲まれ、羽狂いは煩わしそうに吼え腕を振り回す。その衝撃で、船は大きくバランスを崩し、前に進む力をなくし地面へ落下し始めた。

 その感覚を、セシリーとルシェは血の気の引いた思考で理解した。互いの身体を抱きしめ、長椅子にしがみつく。傾いた視界に、同じように傾いた世界がセシリーに見えた。


「あ――」


 再び、影が覆う。

 あの不気味な獣よりも、ずっと大きな、美しい影が。




「――退け」




 張り付いた獣は、純白の巨影に引き剥がされ墜落する。

 ごう、と突風が唸る中、白い翼が獣を追いかけてゆくのを見た。


 激しく揺れる船に、今一度衝撃が訪れる。しかしその後は、傾いた視界が水平に戻り、揺れも次第におさまっていった。


「……よっと! どうどう、落ち着けー。そのままゆっくり下がっていけー」


 場違いなほどに穏やかな男性の声が、セシリーらの頭上から聞こえた。乱した呼吸を必死に落ち着かせながら、その声を探して船の縁にしがみつく。


 バランスを崩してもがく有翼獣の背に、人影があった。明るい茶色の髪を風に揺らし、慣れた手つきで操る姿は――。


「アシルさん!」

「兄さん!」


 見上げる二人に、アシルの朗らかな笑みが返される。お日様のように暖かく柔らかい仕草が、今は大きな安堵を与えてくれた。


 アシルに宥められ、有翼獣はゆっくりと降りてゆく。遠ざかっていた大地が近付き、そこに船が下り、言いようのない安心感を抱いた。逃げ場のない空中での出来事は、思っていたよりもずっと緊張感をもたらしていたらしい。よろけながら船から下り、どっと息を吐き出す。そっと押さえた胸の向こうで、心臓がドクドクと動いていた。


「怪我はない? 二人とも」


 有翼獣の背から飛び下りたアシルが、大股で近付いてくる。


「怖かっただろ、ごめんな、もう大丈夫だからな」


 アシルは言い訳などせず謝罪を口にした。すかさず駆け寄ったルシェは、実兄の片腕にしがみつき、ぶんぶんと首を振る。その時のアシルは、騎士ではなく兄の面持ちで微笑み、ルシェの頭を撫でた。その手のひらはセシリーにも向けられ、同じように優しく撫でていった。


 いつの間にか上空には他の騎士が集い、運行便の船の周囲に降り立つ。アシルは再び騎士の顔に戻ると、即座に指示を飛ばした。


「数人は民間人の護衛、残りは副隊長が落とした羽狂いを捕まえろ! 絶対に逃がすなよ!」


 セシリーは思わずハッとなる。先ほど有翼獣に張り付いた獣を落とした白い影は、やはりあの人だった。無意識の内に見ようとし顔を上げた――その時である。


 甲高い獣の咆哮が、大気を震わせ響き渡った。


 先ほど聞こえた猛り狂う類のものではなく、悲鳴のような壮絶な大音声。その時、誰もが動きを止めた。


 運行便の船から十メートルほど離れたところで、暴れる大猿――羽狂いが草原の大地に縫い付けられている。否、押し潰されている。

 その真上に圧し掛かった、薄氷色を帯びた純白の竜によって。

 抜け出そうと激しくもがく大猿の四肢を、巨大な竜の四肢が容赦なく踏みつける。突き立てられた太く鋭い爪は、獣の肉体を貫いていた。


 濁った茶色の躯体に暗色の羽根のたてがみを生やす、奇異な外見の羽狂いより、ずっと勇猛で美しい白竜であるはずなのに。


(……テオルグ、さん?)


 高潔で誇り高く、冷静なテオルグが、今は。

 誰の目から見ても、暴威を揮う冷徹な生物であった。


「……やべえな、あれ」


 アシルの呟きには、微かな焦燥があった。


「……セシリーちゃんとルシェは、動かないでくれ。絶対に」


 絶対に。

 念押しするアシルの言葉が、いやに重く響いた。



◆◇◆



 有翼獣と竜などの翼持つ者に対し、異常な執着と攻撃性を見せるという魔獣は、古くからアルシェンドでは忌み嫌われてきた。現在では人里に現れる事は滅多にないが、それでも被害が全くないわけではない。騎士団の中でも従事して長い者は、対面した事もあろう。

 頭部から背中に掛けて覆う、羽根を継ぎ足したような暗色のたてがみ。竜に匹敵する巨体は強靱で、猿といえど非常に凶暴な存在であるという事ははっきりと窺える。四足獣と間違われても無理ない、判断するほど呑気に見ていられる時間は僅かもないはずだ。


 人間たちの間で知られるように、竜人の間でもその名は聞かされていた。翼を持つものに対し異常な執着を見せるという種族性は、長らく空を根城としてきた竜や竜人にとって、まさに宣戦布告と同義である。

 テオルグにとっても、そうだった。抱いた感情は恐怖ではなく、怒りである。


(羽狂い――随分と、大それた名前だ)


 自らの巨体の下に押さえつけた大猿を、テオルグは冷たく睥睨した。羽狂いが暴れるほどさらに圧力を加え、その暗色の四肢を強引にねじ伏せる。

 命の危機に際した獣の声と力は、平常時を大きく凌駕する。狂ったように甲高く咆哮を上げるのは、痛みによるものなのだろうか。それとも、最期にあたりこの翼を奪おうとしているのか。


(……いい度胸だ)


 テオルグは牙を剥き出し低く唸った。幾久しく沸き起こる激情が、普段は冷静さをもって塗り固めた“竜の本性”を引きずり出してゆく。

 彼の眼下で仰向けにされる羽狂いの目に、生物としての恐怖が過ぎった。


「どうせ言葉など分からないだろうが、猿、貴様は何を襲おうとした」


 ぎりぎり、と鈍く軋む音が響く。


「“何”を、襲おうとしていた――!」


 踏みつけた四肢に、なお力を込める。未だ耳障りな鳴き声を上げる獣の喉笛を噛み切ってくれようかと、テオルグは無意識の内に鋭い牙を擁する顎を開いた。

 思考を染め上げるその怒りは、空を制してきた竜人という種族の誇りによるものではない。もっと別の、何かに対して――。



「――止めろテオルグ!!」



 聞き慣れた友人の声と共に、顔面へ衝撃が訪れたのは直ぐだった。殴られたか、あるいは蹴り飛ばされたのだろう。テオルグは痛みを感じたりはしなかったけれど、


「俺たちが命じられたのは殺す事じゃなくて捕らえる事だ! 忘れたのか!」


 激情に染まったテオルグの思考に、一瞬の静けさが戻る。


「鎖を掛けろ、急げ!」

「は、はい!」


 テオルグの足下を、国境支部の騎士たちが行き来する。押さえつけた羽狂いに鎖を掛け渡し、左右から騎士と騎竜が渾身の力で引く。既に抵抗の力は薄れているようで、巨大な大猿は呻くだけであった。

 それに合わせ、テオルグも自らの巨体をそろりと引かせる。


「……気持ちは、分からないでもない」


 そう告げたのは、アシルだった。足下で激しく肩を上下させていた。恐らくは全力で止めにかかったのだろうと、テオルグは他人事のように思った。


「でも、これ以上不安にさせてやるな。お前らしくない」


 足下のアシルを見下ろすと同時に、テオルグは己の前肢も見た。いつの間にか随分と力が入ってしまったようだ。生え揃った爪や前足は、羽狂いの血でべったりと紅く染まっている。白い鱗であるから、その色はよく目立った。視界にも、風景にも。

 テオルグはふと首を起こし、ゆっくりと振り返る。


 運行便の船から数歩足を進めたところで、力が抜け座り込む小さな少女の姿が見えた。


 草原を覆う緑の上に広がった柔らかいスカートと、陽の下で輝くような淡い色合いの髪が、そよ風に吹かれ揺れる。これがもっと別の場面であったなら、何とよく似合う光景かと思っていただろうに。


「テオルグ、さん」


 控えめな野花のような微笑みはなく、差し伸ばされてきた指先は地面へと落ちる。震えた唇の紡いだセシリーの声音に、テオルグの心臓が陽の下で凍り付く。剣の切っ先を喉元に突きつけられたとしても、恐らくはこうならないだろう。


「セシリー……――」


 テオルグは駆け寄ろうとし、直ぐにその四肢を止めた。

 あの怯えた眼差しは、一体“何”に向けられているのか。

 それを考えた瞬間、冷静さを取り戻した白竜の横顔に強ばりが滲んだ。

 決して隠せない赤い爪から、鼻につく血錆の匂いが漂っている。そよ風に乗り、きっと彼女にもその不快な匂いは届いているだろう。



 怯えさせたかったわけじゃない。けれど、表情を失い硬直する彼女に、獣の血で爪を染めた己がどうやって。

 どうやって――触れるつもりだったのだろうか。


(……ああ、そうだったな)


 自分は、人間ではなく、竜なのだ。

 少なくとも、闘争本能と激情に我を失い、血の匂いに気が高ぶる程度には、獰猛な――。


 掛けるべき言葉も失って、テオルグは立ち尽くした。今になって気付いて良かったのかもしれない。これまでもそうだったのだから。

 けれど、それでも。

 出来るものならば、彼女には、セシリーには――慣れていたはずのその眼差しを、向けて欲しくはなかった。



羽狂いのイメージは、某狩りゲーの怒髪天をつく凶暴な黄金猿。

奴は拳と蹴りだけで竜を倒せると信じています。

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