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21 羽狂い(2)

2015.10.19 更新:1/2

 ――――羽狂はねぐる

 有翼獣や竜といった、空を根城とする生き物や種族の多いアルシェンドでは天敵とも言える魔獣だ。外見は大型の四足獣で、体毛は艶のない漆黒、頭部から背中に駆けて赤黒い羽毛が生え揃い、奇異な外見の獣として知られている。

 また中型の飛竜――五~十メルタ程の大きさ――と同等の体格を有し、その程度ならば仕留め捕食する事が確認されている。

 この獣の最大の特性は、どういうわけか翼を持つ生き物、あるいはその血に連なる生き物に対して異常な執着と攻撃性を見せる事だ。その獣と羽毛が合わさった奇怪さが示すように、翼を得て空を飛びたいのか、それともかつてはあったが退化したと囁かれる翼に対し恨みでもあるのか。もとから獰猛な性質が輪に掛けて酷くなるため、この国では天敵の認定を受けていた。

 “羽狂い”とは、なかなか的を射る名称だ。


 アルシェンドのお家芸である、発達した空路による交易や輸送業ではたびたび姿を見せ脅かす存在であるのだが……。




「国内っつっても僻地から滅多に出てこない生き物らしいし、個体数は少ないし、一体どうやって連れてきたんだろうなあ」


 朝方の件から未だ警戒態勢を解かない、騎士団国境支部の一室。

 騎士達が額を寄せ神妙に唸っていた。その中にはアシルと人の姿に戻ったテオルグも含まれている。


「有翼獣を餌にしておびき寄せたって言ってましたよ、あの商人達。猛獣の縄張りに入るなんて、馬鹿なのか勇者なのか分かりません」

「そんなガッツあるならもっと別のところで使って欲しい」

「で、しこたま睡眠効果の高い薬を使って眠らせてあの大きな荷車で運んだは良いけど、ついに薬の在庫も切れてうちの管轄内で脱走か」


 騎士達は皆、揃って溜め息をつく。感心するほどに計画性が無さ過ぎる。

 しかも。


「そんな生き物を、二頭捕まえたとか……何なの、気合いの方向性が間違ってる」


 アシルは自らの明るい茶色の髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。能天気と普段は称される彼の顔も、さすがに今は苦々しさで歪んでいる。

 頑丈さは全く無かったが、大きな檻だった。中に居た羽狂いの体格も想像するに容易い。


「……羽狂いを売買の品として扱うつもりだったのなら、簡単には見逃せないな。これは明らかに国を貶める行為だ」


 テオルグの呟きによって、より空気が重く垂れこめる。

 有翼の生き物にとりわけの攻撃性を示す羽狂いを、意図的に捕まえ他国で売買しようとしていたのなら。騎士団どころかもっと上の、国の管轄で重い裁きを受ける事は免れないだろう。

 しかし現在の問題は、この近辺一帯に羽狂いが二頭も放たれたという点だ。


「訓練生の時にも、騎士団に入ってからも、羽狂いの怖さってのは叩き込まれた。実物にお目にかかった事はないが、住民に被害が出ないよう国境支部総当たりの徹夜覚悟で挑むっきゃねえな」


 アシルがニヤリと笑うと、全ての騎士が気合いの雄叫びをあげた。テオルグは呆れたように肩を竦めたが、彼の青い目も鋭く光っていた。



 その後、国境支部の大部分の主戦力を投入し、犯罪の証拠品であり危機の象徴でもある二頭の羽狂い捕獲作戦が決行される。

 まずは、街への通達と街道の厳重な監視が命じられ、この件を持ち込んだ他支部からも戦力を増援される事となった。


 既に陽は昇り、夜は明けている。未だ覆う緊張は街にも届こうとしていたが――街では普段通りの日常が送られようとしていた。



◆◇◆



 そんな事件があったとは露知らず、セシリーとルシェは今朝は共に広場へ足を運んでいた。


 まだ人影もまばらな憩いの場には、一段と涼しい風が吹き抜け、日中の光景とは一味違う落ち着きが見える。もうしばらく経てば、荷物を運ぶ有翼獣が訪れ、広場から続く商店通りからも朝の市場の賑わいが聞こえるだろう。


「あ、隣街行きの便はもう来てるみたい」

「ちょっと早めに乗せて貰おう! ねっむーい!」


 朝陽に照らされるルシェの言葉は、今日も清々しくよく通る。凛々しく進む友人の隣を、セシリーは相変わらずのポテポテとした足取りで並んだ。

 進む先には、青い塗料で彩られた長方形の箱型の乗り物が鎮座している。白い屋根が付けられ、一言で表すならば底の深い船の外見だ。その側には、四頭もの大きな有翼獣がお行儀よく座っている。荷運びに広く活用される温厚な力持ちの種族で、その顔立ちは牛によく似た牧歌的なものである。

 この国で移動手段として浸透し親しまれている、有翼獣による運行便だ。

 都会では頻繁に出るものだが、この田舎だと毎日片手で数えられる回数しか運行しないらしい。それすらなかったセシリーにとっては、未知の乗り物だ。

 のんびりとした鳴声の歓待を受けながら、セシリーとルシェは船に乗り込む。


「お、早くから可愛いお客さんが来た。今日はお嬢さん二人でお出かけかい?」

「そうよ、休みだから二人で隣街へ遊びに行くの!」

「今日は朝から大きな市場があるそうなので」

「そうかい、そいつは良いなあ。もうちょっとしたら出発するからな、それまで待っててくれよ」


 そう言って、齢四十から五十辺りの男性――有翼獣の操作をする人物――はニカッと気風の良い笑顔を浮かべる。船の外で出発の時間を待つスタイルに入った男性に習い、セシリー達も腰を下ろし楽にする。

 四人掛けの長椅子が縦に五つほど並ぶ船の座席は、頑丈ながらふかふかとして居心地が良い。外を眺められるよう腰掛けて丁度頭が飛び出る設計なのだが、残念ながらセシリーにはやや届かず中腰体勢は必須だった。しかしセシリーの笑みは全く褪せない。


「楽しそうだね、セシリー」

「うん。えへへ、運行便に乗るのは、実はまだ二回目だから」


 この街に一人暮らしの引っ越しをした際に、一度だけ活用したっきりだった。記念すべき初めてのカルチャーショックは、正にこの運行便という思い出。

 どれだけ田舎だったのだろう、私の故郷は。


「ドキドキしちゃって、放心してる間に着いちゃってたから。今日は行き帰りで堪能するの」


 ひょっこりと船から顔を出して、出発する前から上機嫌なセシリーである。

 緩やかな波を打つミルクティー色の髪に微笑ましい花が飛んでいる。何このかんわいい生き物~、と友人ながらルシェも和んでいた。


「――そういえばさ、セシリーは朝気付いた?」

「え、何が?」


 のほほんとした面持ちの有翼獣と視線を合わせていたセシリーは、ぱっとルシェへ振り返る。


「なんかね、うちの父さんと母さんが、陽も出ない内から外が騒がしかったって言ってたんだよね。セシリーは何か気付いた?」

「ううん、何もなかったと思うけど……」

「だよねー私も! 爆睡よ爆睡!」


 まあ大した事じゃないだろうけど、とルシェが言ったので、セシリーも笑って頷くだけだった。


 それから数分後、隣街行きの運行便は出発した。早い時間という事もあって、他に人も居ない貸し切り状態の船は、男性の合図のもと四頭の有翼獣に引き上げられて街の広場を飛び立つ。

 普段歩く地面が遠ざかり、見慣れた国境の街の並びが眼下を流れゆく。それほど高度はなく、地上二十メルタか三十メルタ程度だろう。けれど決して見る事のない視線の高さから臨む風景に、恐怖と好奇の入り混じる感情に胸を逸らせるセシリーであった。


 テオルグさんが見る世界は、きっと、もっと高い所なんだろうな。

 そんな事を、セシリーはふと思い浮かべていた。



 隣街に到着する時間は、予定では三十分ほどらしい。それまでは、短い空の旅となる。

 今この地域の何処かに、有翼獣の天敵――羽狂いが潜んでいるとも知らないままに。


 その情報が街に急ぎもたらされたのは、タイミング悪く、二人を乗せた運行便が飛び立った後だった。




 騎士団からの街への情報伝達は早かった。この街の出身であり隊長になってもクソガキ扱いの変わらないアシルの顔が、少なからず利いていたのだろう。

 「窮屈だろうけどさ、そんなわけで頼むよ」という外出への注意勧告に対して、「全く坊主に心配されちゃ世話ねえや」という言葉を笑い混じりに返すくらいには、住民には余裕があった。国境支部の騎士と近隣住民との距離が近かった事も幸いしたのだろう。

 天敵の出現にも目立った混乱はなく、頑張んなよ、と応援を掛けながら日常に戻る住民。あとは一部隊を街に置き、警戒に当たらせれば良かった。


「――運行便が今朝一つ出た?」


 だが、タイミングが悪かったらしい事は、直ぐに判明した。


「ええ、隣街行きの便らしいです。十数分前ですね」


 ふうむ、とアシルは頭を掻いた。彼の背面に悠然と佇む白竜テオルグが口を開く。


「この辺りの運行便を担う有翼獣は、確か温厚で戦闘向きではない。大事がある前に引き返すか、あるいは急がせた方が良いだろうな」

「それだよなあ。先行して警戒に当たってる部隊にも伝えとこう。乗ってる人は居るかな」

「ああ、それなんですけどついさっき――」


 街外れの喫茶店のオーナーが慌てて駆けこんできましたよ。うちの娘と娘みたいな従業員の子が、朝それに乗って出掛けたと。

 それを聞いた瞬間、アシルとテオルグは揃って目を見開かせた。





 街を出発した運行便は、涼しい風を切りながらゆったりと進む。草原の上に敷かれた街道には人影も無く、有翼獣の羽ばたきが静けさに響いた。

 もう十数分が経過する頃だろうか。隣街はまだ見えないが、「あの丘を越えたら直ぐよ」とルシェはセシリーへ言う。


「……んん? ありゃ……」


 四頭の内の一頭、先頭の有翼獣に座る男性が訝しげに声を上げた。どうしたのかと二人揃って尋ねると、思いも寄らぬ言葉が返ってくる。


「横から騎士団の連中が近付いてる。どうしたんだろうな」


 セシリー達も慎重に立ち上がり、その姿を探した。やや後方の側面から三、四頭の飛竜が近付いてくる。その背に乗っているのは、青い騎士服を身に纏う国境支部の人物だ。

 飛行する飛竜も、のんびりとした有翼獣と違いシュッとした凛々しさを放っているが……何やら緊張を帯びた空気も感じた。


「止まらなくて良いから、そのまま聞いてくれー!」


 有翼獣は少し驚いたように羽ばたきを荒げたが、落ち着きを取り戻して進む。その横に飛竜――騎士の騎竜も並び、並行して羽ばたいた。


「おう、国境支部の兄ちゃん達だな。どうしたんだい!」


 兄ちゃんて。とてもフランク。

 騎士も騎士で気にした様子はなく、同等の朗らかさをもって応じる。


「今朝方、ちょっと事件があって巡回しているんだ。隣街に行くんだろう?」

「ああ、そうだ。何だい事件って」

「詳しい事は後で説明するけど、この辺りには居ない“羽狂い”っていう魔獣が紛れこんじまったんだ」


 ……はねぐるい? 聞き慣れない単語にセシリーは小首を傾げる。だが、運行便の男性のさっと強張った反応を窺う限り、あまり良い意味ではないらしい。


「ルシェ、はねぐるいって何?」

「私も名前しか聞いた事無かったけど、確か有翼獣や竜の天敵って言われてる大きな魔獣よ。羽根が狂うって書いて、“羽狂い”。この辺りには居なくて、もっと遠くの場所に居る生き物としか分からないけど」


 ルシェは背を伸ばすと、並行する騎士達に何があったのかと尋ねる。騎士達は船を見やり、その中にセシリーとルシェが居る事に気付くとぎょっと表情を歪め「君達乗ってたの?!」と仰天した。すっかりと二人の顔は国境支部の騎士達に覚えられたようだ。


「とにかく、隣街に急いでくれ。運行便の往復には俺達も護衛につく。二人も、万が一があると怖いから、隣街に着いたら出歩かないように」

「別の地域から持ち込まれちゃってな、他の支部からも応援を呼んで警戒と捜索が行われてる」

「そ、そんなに、大変な生き物なんですか」

「うちの国じゃあ、ちょっと歓迎されない存在だ。どういうわけかそいつらは、有翼獣とか竜みたいな空を飛ぶ生き物に異常に執着してとんでもなく凶暴になるんだ」


 有翼獣や竜に対して。あまりにもピンポイントで迫る言葉だったために、セシリーはきゅっと口をつぐむ。

 それを怯えと受け取った騎士達は、先の言葉を口にした人物を器用に足で蹴りながら、慌ててフォローの言葉を入れる。


「大丈夫、危険が及ばないよう身体を張るのが俺達の仕事だから!」

「そうそう、こういう時の為にあの訓練を毎日生き延びてるわけだし!」

「むしろあの訓練の方がおっかねえしな! 主にテオルグさんとか!」

「お前そんな事思ってたのかよ、後でチクってやるからな! ……まあともかく、そう心配しないでくれって事だ! うん!」


 あまりにも必死な姿だったので、セシリーとルシェは表情を僅かに緩める。そうだ、目の前にいるのは荒事の本職の方々だ。怖がる必要なんてない。頼りにしています、と微笑むと、彼らからは力強い頷きが返された。

 ここで私達が騒いでも仕方ないし、大人しく座ってようか。ルシェの言葉を受け、腰を下ろしかけた。



 その時だった。



 船を持ち上げる有翼獣が、落ち着きなく身動ぎをし始める。ゆったりと羽ばたいた翼に慌ただしさが浮かび、セシリー達を乗せる船も左右に揺れた。バランスを崩し、二人揃って長椅子の上に倒れ込む。

 な、なに? 急に……。

 落ち着かせようと手綱を操作する、男性の声が頭上で響く。何事かと船の縁に縋り、顔だけを外へ覗かせた。並行する騎士達は、先ほどの和やかさを全て消し去り、周囲を警戒している。騎竜達もまた、何処か落ち着きなく長い首を動かしている。そんな風景が見えるせいだろうか、涼しい風が冷たく横切り、長閑な静けさが重い沈黙へすり変わる。

 何か、嫌な予感を感じずにはいられなかった。セシリーとルシェは互いに指を握り合い、息を詰める。


「……おいおい、言ってる側からかよ」


 誰かの呟きと共に、視線が一斉に地面へと向かう。地上から二十メルタ程度の低空飛行を取る運行便の後方――美しい草原の上に、明らかに異物と取れる“何か”が居た。

 距離は二百メルタといったところだろう。それなりの距離が空いているのに、はっきりと視界に入るのはその異様な容貌のせいかもしれない。


 それは、美しい草原にはおよそ不釣り合いな、濁った濃い茶色の毛皮を纏っていた。様々な色を無秩序に混ぜたあの不気味さを感じる色合いだ。正確な大きさは分からないが、遠目ながらも読み取れるという事は大柄と言えるのだろう。

 四足の獣のようではあるが……。


(……羽根……?)


 頭部から背中にかけて、羽根が生い茂っているように見えた。鳥が持つ綺麗に並ぶ羽毛や羽根ではなく、継ぎ足したような不気味な歪さが感じられる。毛皮の色に相応しい、暗い色に染まっているせいだろうか。


 朗らかな陽の下で、それはあまりにも奇異な存在感を放っていた。


 見た事などないのに、何故か理解した。あれが――。


「……ここから一番近くに居る部隊に要請かけろ。二頭の内の一頭が出てきたってな」


 ――羽狂いと呼ばれる、生き物。




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