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18 アルシェンド騎士団国境支部(3)

2015.08.20 更新:1/2

 空中訓練という名の死闘の後に残ったものは、空で戦ったつわもの達の萎びた後ろ姿だった。

 息遣いが聞こえてきそうなほど、屈強な身体は激しく上下し、疲労を露わにしている。空の戦いがいかなるものであったのかを、如実に語っていた。

 騎士の翼を務めた騎竜たちも、多少は息を乱しているようだが、竜という種族ゆえの納得の落ち着きを醸している。むしろ翼をバタバタと羽ばたかせ、まだ飛びたいも強請っているようにも見えた。


 銀色のヘルムと黒色のヘルムで分けられた二つのチームによる、空で繰り広げられた戦い(訓練)。

 何と表現すべきだろう。

 とても、アクロバティックだった。宙返りやほぼ直角の急降下は当たり前だし、ぐるぐるとスピンしたり仰向けに飛行したりと、竜の機動力の高さに驚かされた。そしてそんな体勢を取る竜の背で、騎士は当然のように武器を振るうのだ。

 強靭な筋力と精神力を、感じずにはいられない。一般人であればそのまま振り落とされ、様々な意味で終了している。よくあんな不安定なところで、不安定な体勢で、自由に動けるものだ。


 正に噂される通りの、おとぎ話の竜騎士のような戦いぶり。訓練である事を忘れかけてしまうほどに、凄かった。


 これが、国境支部名物の空中訓練です……。悟りを開いたキルテ青年の言葉が、妙に印象深く響いた。

 なるほど、これが空中訓練というものか。セシリーの中に、新たな単語が刻まれた瞬間である。




 休憩時間に入ると、さっそくアシルが白竜テオルグを伴い駆け寄ってきた。


「どうだったかな、初めて見た空中訓練は」

「何ていうか、凄かったね」

「うん、凄かったです」


 それ以外の語彙が見当たらなかったが、とにかく凄かったというところに感情を込める。アシルは満更でもなさそうに「そうかそうか」と頷いている。

 まあその凄かったという感想の半分を占めるのは、お日様のように笑うアシルと、その背面に座る白竜テオルグだが。

 集中砲火のごとき猛攻を、他のどの騎竜よりも大きな体躯でありながら華麗にかわす、白竜の機動力。激しく回転するその背に騎乗したまま、けしてふり落とされる事なくひょいひょいと相手のヘルムを奪い取る、アシルの武器さばき。

 あれ絶対目を回しているはずなのに、とセシリーとルシェは心の中で幾度も叫んだ。


「第一部隊長と第一副部隊長のペアは、国境支部最速、ひいては全騎士上位に有ると有名ですから」


 キルテ青年の言葉に、ルシェはちょっと嬉しそうだった。

 国境支部最速……初めて知り合った騎士が、まさかそんな大層な呼び名を持っているとは驚きだ。


「さて、第三部隊所属キルテ、説明役ご苦労様。第二試合もあるから、身体をきちんと温めて、騎竜を連れて待機。今度は参加して貰うからな」


 彼は直ぐに敬礼すると、訓練場へと入って行った。ありがとうございました、と礼を掛けると、肩越しに柔和な笑みを返してくれた。しかし軽快な足取りでキルテが訓練場に入るなり、休憩していた騎士達がまるで餌に食いつく猛獣のようにわさっと取り囲んだので、彼の姿はあっという間に見えなくなった。何を叫んでいるかまでは聞きとれないが、先ほどまでの疲弊ぶりが嘘のような、とても威勢のある声なのは確かである。


「あいつは役に立ったかな」

「はい! 丁寧に教えて頂きました!」

「それは良かった」


 アシルの視線が、実妹ルシェへと向いた。


「どうだお兄様の姿は。かっこ良かっただろう」

「まあ、うん、真剣に騎士のお仕事しているようで、良かったよ」


 なんて、ちょっと澄まして言ったけれど、楽しそうに兄の背を追いかけていたのはこのルシェだ。ふふ、とセシリーは微笑んで見守る。


「でも、凄かったです! 大迫力でした」

「そうかい?」

「はい! アシルさんも凄かったですけど、テオルグさんの飛ぶ姿も凄かったです、綺麗でした!」


 アシルの背後に佇む、大きな白竜の蒼い炯眼が一瞬驚いて丸くなる。


「あっもちろん、他の騎士様の訓練するお姿も凄かったです。こうして間近で見る事はないから、とても勉強になりました!」


 凄いですね、あんなに高い所で宙返りしたり剣を振ったり。興奮冷め止まず、セシリーは拳をきゅっと握った。


「セシリーずっと見上げてたものね。怖くなかった? 空からあんなに竜がべっしべっし落ちてきて」

「興奮したッ」

「……なんかセシリーって、意外なところで肝が据わってるね。血が騒ぐ、みたいな顔してるわよ」


 怪力という秘密の特技が、何か通じているのだろうか。

 とはいえこの背丈と細さなので、血が騒いでもその様子は、興奮して走り回る仔犬とさして変わらない。


「訓練をするのは義務だけど……いやあ、そう言われると、ちょっと嬉しいなあ。なあ、テオ」


 アシルは大きく振り返って、副隊長兼騎竜である白竜――テオルグを見上げた。

 頭上にある白竜の頭部は、何もない明後日の方角へ首ごと向いていた。

 あからさまなその反応に対し、一瞬の内に込み上げた笑いを噛み殺せたのはほぼ奇跡だった。


 竜の姿の時は人の時以上に表情が分かりにくくなるテオルグだが、訓練生時代の頃からの付き合いを舐めてもらっては困る。棘だらけの壁を躊躇う事なく突破し、なおかつそこから親友の関係を築いたアシルに掛かれば、言葉なくその本心が読み取れるというものだ。


 分かる、分かるぞテオ。ちょっこちょっこ動いて、見ていられないほど可愛いんだよな。


 ただでさえほのぼのとしている雰囲気がふんわりと温もりを帯び、物静かな大人しさがとびきりの微笑みに染まっているのだ。それだけでも小動物感が倍増しているのに、高四メルタ近い巨大な竜からしてみれば――足元をクルクル回る仔犬の光景に、脳内変換が起きているに違いない。

 現に、背後ぶいる仲間の騎士達も皆、和やかに表情を緩めている。街の子どもにギャン泣きされ、そういう日は決まってびしゃびしゃと泣き暮れる男達がだ。正直、緩み切った強面は、気持ち悪い以外の呼びようがない。


 大体な、ばれていないと思っているのか、テオ。

 さっきから目が盛大に泳いで、四本の脚が全部震えてるぞ。


 鋼の竜人と名高い友人の変化が想像以上に面白く、アシルは必死に笑いを噛み殺し続けた。

 そんな事には気付かず、セシリーは低い位置で満足げに息を吐き出す。


「今日は、とても勉強になりました。ありがとうございました、アシルさん、テオルグさん、他の騎士様方も」


 ぺこりと丁寧に頭を下げる。

 途端、訓練場に「えっ?」と疑問を含む空気が漂った。


「え、あの……セシリーちゃん? え……?」

「? 何でしょう?」


 狼狽を露わにするアシルに代わり、ルシェがさっと横から視界に入る。


「えーっと、セシリー。見学は止めて、帰っちゃっていいの?」

「え? うん」


 セシリーはこっくりと頷いた。


 その時、声こそ無かったが、明らかに「えェェェーーーー!!」と悲壮感溢れる絶叫が木霊していた。主に、アシルの背後から。


 そうとも知らず、セシリーは微笑み、ルシェへ言った。


「もう十分、見せてもらったから」

「私は付き添いみたいなもんだから構わないけど……良いの? 第二試合も、あるみたいよ」

「そ、そうだよ、セシリーちゃん。公開日だし、別に時間制限はしてないし、もっと居てくれても」


 醜いまでの実兄の必死さを半眼で見つつ、ルシェはどうしてなのかと尋ねる。セシリーは、ほんの僅かにしゅんと頭を下げ。


「その、じ、邪魔に……なりたくないので……」


 その時、セシリーの楚々とした緑色の瞳が、ちらりと動いた。

 未だ明後日の方向を見ている、白竜――テオルグへと。

 そして再び、しょんぼりと起こした頭を下げ、だからもう十分なんです、と囁いた。


 その微かな動きを、全神経を集中させ見ていた騎士達が、見逃すはずがない。




 き、貴様かテオルグーーーーーー!!!!




「――セシリーちゃん、ルシェ」


 アシルは、殊更に優しく、柔らかく微笑んだ。


「ちょっとだけ、待っててくれる?」


 その時、その場にいた全騎士の心が一つになった。





 精神力、戦闘力、騎乗力――どれをとっても精鋭が揃うトップクラスの支部であるが。

 ストイックな鍛錬の厳しさと花の無さもトップクラスな上に、個々の個性の強さもトップクラス。


 正直、誰も来ない国境支部が羨ましいよ――そんな残酷な言葉を浴びせられてきた夢見る男達は、涙を流しながらよりストイックに強く鍛えてきた。

 不名誉なレッテルも、鍛え直しの騎士が配属される暗黙の了解も、開き直って看板として背負ってきたが……それでもやっぱり、ちょっとくらいは花が咲く事を願った。

 そして今日、ようやくこの国境支部にも見学者という花が咲いた。たった二輪、されど二輪。


 なのに。


 それがよりにもよって、仲間の手で手折られようとしている――。




「――おいこらテオ、ふざけんなよお前」


 それを黙って見逃してやるほど、夢見る男達は優しくはない。


 訓練場のさらに隅っこへ引っ立てた白竜テオルグを、同僚(※彼に馴れている同部隊員)たちが取り囲む。全高四メルタ近い大きな竜に対して、成人男性の身長はどう足掻いても足りないけれど、この身長差を縮めるのは眼光の強さである。


「毎年必ず『誰も来ない国境支部が羨ましい』なんて皮肉られてオイオイ泣いている俺達が可哀相と思わないか……。いや、思わなくてもこの際構わない、だけどな、少なくとも俺が配属されてから初めて来た見学者をしょんぼりさせるなよッ」

「別に特別な事をしてやれなんて言わないし、しなくて良い。だけど、どうせなら気持ちよく見学して、気持ちよく帰って貰いたいじゃないですかッ」


 何で自分は今、同部隊の同僚たちから刺し貫ぬくばかりの視線を足下から浴びているのだろうか。

 テオルグはわりと本気で分からなかった。

 その上。


「妹達を呼んだのは俺だけどな……さすがにテオ、ちょっと帰らせんの早すぎだろ」


 普段は笑みの絶えない気さくなアシルの顔に、他の誰よりも濃い怒りのオーラが滲んでいる。

 何をこいつらは揃いも揃って顔を怒らしめているのだ。テオルグは太く長い首を傾ける。アシルがすかさず、握りしめた手綱を引き寄せた。


「こんな山中にまでわざわざ来てくれたってのに、お前ときたら! 妹達に、せっかくだからもうちょっと騎士の仕事を教えてやろうと思わないのかッ!」

「え、あの二人、アシル隊長の妹さんなんですか?」

「言われてみれば片方、そっくりだったな。もう片方は似てないけど」

「ルシェ嬢は実妹だが、セシリー嬢は違うだろう」

「ルシェの友達は俺の友達、ルシェの妹分は俺の妹分だー! じゃなくて!」


 うっかりと熱い妹論争に突入しそうになり、慌てて話の軌道を修正する。ごほんと咳払いし、アシルは声を落ち着かせて告げた。


「……お前、訓練の間ずっと浮かべてた険しさの程度、理解してるか」

「なに?」

「飛竜を十匹、いや二十匹くらい噛み殺してる猛者の顔をしていました」


 猛者の顔? 要領を得ずといった風に、白竜テオルグはその気品ある竜のかんばせを傾げる。


「つまりだ――お前がさっきからそんな顔してるから、せっかく足を運んでくれた見学者が帰ろうとしてんだよ!」


 アシルは猛然と、盟友の前足を殴った。ガチンッと頑健な鱗に阻まれ、逆にアシルの拳が痛んだ。


「こんな自然豊かな山際にまで足を運んでくれた見学者だぞ、お前そんなに追い出したいのかよ!」

「なッ」

「酷いっす! 見損ないました!」

「俺達にはいっくらでも厳しくしていいから、見学者には……いえ、天使には優しくして下さい!」


 天使って。

 しかしそんなつっこみを入れる余裕が、今のテオルグにはない。


「べ、別に、見学者を追い出そうなんて……ひ、一言も言っていないだろう」


 規則で定められているところに文句をつけるはずがない。まして、あの小動物をそこまで無碍に扱うような鬼ではない。

 テオルグは言外で訴えたが、しかし返ってくる仲間の眼差しはどれも冷ややかだ。


「残念ながらな、態度がそう言ってるようなもんなんだよ……」


 珍しく正論を口にするアシルの隣で、珍しくテオルグが動揺し震える。


「け、見学者を追い出してしまうような、顔をしていたのか……?」

「ああ、同業者が飛竜を十匹噛み殺している顔と間違えるくらいだ。うちの妹たち――いやセシリーちゃんからしてみれば、ガン飛ばされてるってもんだ」


 ガンを飛ばしている、だと。

 テオルグの四肢が、ふらりと崩れかけた。無言の硬直を見せた白竜の顔には、誰から見ても分かるほどの驚愕を浮かべていた。見開かれた青い瞳には、悄然とした気配すら宿っている。


 いつかの苦行パーティーに有無を言わさず突っ込まれ、最高潮に機嫌の悪かったテオルグは、心配してくれた店の従業員を思い切り怯えさせた。明らかに年下で、ちっちゃくて、普通によく出来た娘さん――セシリーを。


 あまりにも大人げなさすぎると戒めた失態、再び。


 テオルグの心に、グサリと刺さるものがあった。思わず無言になるテオルグへと、アシルの言葉はさらに続く。


「特別な事をしろとは言わないからせめて――妹の居る訓練を守ってくれ!」


 ……おい。最終的にはそこか。

 青い竜の目に、胡乱げな光が戻った。


「だって見ろよー! あんなしょんぼりさせる為に公開訓練を教えたんじゃないんだよー!」

「初めて花のある公開訓練を、もうちょっと味わいたいです~」

「こんな山際まで来たのをさっさと追い出す鬼畜なんて思われたくないっす~」


 同僚の泣きごとはほとんど聞いていなかったが、アシルの指差す遥か先では、確かに二人の少女の片方がしょんぼりと頭を下げている。竜の視力の良さをもってすれば、余裕でその落ち込んだ様子をはっきり目視する事が出来た。

 まさか本当に、見学者を追い出すようなろくでもない騎士に思われたのか。

 たじろぐ白竜を、アシルの笑みを含んだ視線が鋭く貫く。


「せめて、誤解は解けよ。俺の妹たちという事を忘れるな」


 アシルのこういうところがたまに、竜人の背に乗る騎者である事を思い出させた。





 何故か待つようにと指示を受けてから、しばらくした後だ。

 セシリーの正面には、見上げても全てが視界に収まりきらない、大きな白竜が再びやって来た。

 アシルを含んだ騎士達に囲まれて反対方向に向かった時は、先ほどの空中訓練第二試合の準備が始まるのかと思っていたが、そうでもないらしい。聳えるような存在感の向こうでは、アシルなどが監視に目を光らせているし、これは一体……。


「あー……セシリー嬢」


 グルル、という喉の音を含んだテオルグの低い声が、セシリーの頭の天辺に落ちる。そっと窺うと、長い首を少しだけ下げ、セシリーを見下ろす白竜の顔があった。勇猛な面持ちでありながら、決して乱暴さのない落ち着きが似合う彼を、緊張こそすれ恐怖を抱いた事は無かったのだけれど。


「は、はぃ……」


 声が裏返ってしまったのは、現在セシリーの心が後ろ向きになっているからだろう。

 目が合うたびの険しさは今は見当たらないけれど、内心でそう思われていたらどうしようかという不安は増している。

 あの、直ぐに帰ります。見学させて頂いてありがとうございました。そう告げようと、何度か言葉をまごつかせていると。


「……公開訓練日において、騎士の職を知ろうとする人々に対しては、受け入れ拒むべからず」


 静かなテオルグの言葉が、セシリーの思考に被さった。


「私達騎士に課せられた規則の一つに、そう明記されている。世間に正しく知って貰うという点では、私も同意する」

「え、あ、はい……?」


 セシリーの頭が、少しずつ傾げられてゆく。

 だから、なんだ、私は。ぎこちなく言葉を選ぶ白竜が、その巨体を小さく揺らす。


「見学者を蔑ろにするつもりは、僅かともない。もしも興味があるのならば……見て行くといい」


 あ、とセシリーは吐息に似た音をこぼす。ちらりと見下ろす青い竜の瞳と、視線がぶつかる。


「……空中訓練は怖かったか」

「い、いいえ! とても、とても凄かったです」


 そうか、と呟いた白竜の表情が緩んだように見えた。暗雲が晴れていくように、セシリーの心が軽やかに浮上していく。


「あ、あの、空中訓練、もう少し見学しても良いですか……?」

「……好きなように、していくといい。今日は、そういう日だ」


 けして大きな仕草ではないけれど――小さな花を咲かせたはにかみが、周囲の空気をほのかに染めた。


 その時、白竜テオルグは、ふらつかずに立ち続け毅然と応対した己の強靱な精神力を、初めて心の底より誉め称えた。これが自室であれば、膝を折って頭を抱えていただろう。間違いなく。


 ちなみにその時、訓練場の騎士達は。

 見学続行の交渉成功に、慌てず騒がず、しかし器用にも大きくガッツポーズを作り喜びに湧いていた。終始、無言で。



 言わずもがなであるが、その後行われた空中訓練第二試合は、先ほどの比ではなく各自のやる気が満ち溢れてしまい、さらに苛烈な戦いが繰り広げられる事になった。



◆◇◆



 空中訓練第二試合も、とても素晴らしい迫力だった。

 興奮の坩堝にあったセシリーはようやく落ち着きを取り戻したが、まだふわふわと高揚感が残っている。戦いの後に横たわるつわもの達の残骸(※死力を尽くし燃え尽きた騎士達)を目の当たりにして若干引いているルシェとは、対照的な反応である。


 いや、確かに凄かった。

 どうとは言わないが、凄かった。


 異種族との交流がそれなりにある街で生まれ育ったルシェ、それなりに驚く事など無くなったはずだったが、目の前にある竜と竜の決戦はさすがにド肝を抜かれた。興奮を通り越して呆然とする。あれを凄かったと終始目を輝かせるセシリーは、本当に意外なところでとても肝の据わっていると思う。


 地上に戻り整然と隊列を組んだ騎士達に、隊長達が終了の号令を掛ける。合同空中訓練は、これで無事に終わったようだ。

 先ほどまで大迫力の真剣な空中戦に投じた彼らは、空気をふっと緩めて「お疲れ様」「飯だな」等と汗を拭いながら声を掛け合う。咆哮を上げ牙や爪をかざした騎竜も、獰猛な片鱗はすっかり隠れ、のんびりと手綱を引かれていく。


「おーい二人ともー!」


 騎士達の輪から、テオルグとアシルが抜けて近付いてくる。テオルグは変身を解かず白竜姿のままで、その背にアシルを乗せのしのしと歩いていた。

 揚々と手を振るアシルにも、さすがに汗が垂れていた。あれほど空を自在に動くテオルグに、振り落とされる事なく、さらに集中砲火の猛攻を受け流し続けたのだから当然か。それでも浮かべた笑みには痛苦の類はなく、爽やかそのものだ。

 立ち止まったテオルグの背から、アシルが颯爽と飛び下り着地する。はあ、と吐き出した彼の息は運動後の熱さを帯び、肩も大きく上下した。


「お疲れ様でした」

「あの、訓練を丸々見させていただいて、ありがとうございました」

「いやあ、可愛い妹達に労われるなんて最高だなあ。こりゃ毎日公開訓練だったら良いのに。なあ副隊長!」

「……はあ、言ってろ。能天気男」

「何だよお前だって思ったくせ……ッあっぶな!」


 間一髪で飛び退いた場所に、振り上げられた白い前足が叩き付けられる。ブォンと鼻を鳴らし、テオルグは視線を外した。


「はあ、素直じゃないなあ。まあテオは置いといて、二人はこれからどうする?」


 セシリーとルシェは顔を見合わせ、空を仰ぐ。太陽は天辺へ昇っていて、もうそろそろ正午を告げる街の鐘が鳴るだろう。

 訓練を丸々見させてもらったので、そろそろお暇した方が良いだろうと思ったが、アシルは「ええー」と落胆を露わにする。集中砲火の猛攻をさばいた鋭い眼光は何処へ行ったのか、不満げに唇を尖らせる様は部隊長ではなく近所のお兄ちゃん。何とも可愛らしい兄上である。


「さすがに長くお邪魔は出来ないよ。兄さん達はこれから休憩でしょ? しっかり休まないと」

「そうだけどさあ。せっかく来たのに訓練だけって…………ん?」


 何かに気付いたように、アシルは口を閉ざして振り返る。それに釣られて、セシリーなどもその視線を追った。


 背後には、訓練に臨んだ騎士達が、恨めしげに揃っていた。


「アシルッいい加減こっちに紹介したらどうなんだ」

「その、か、可愛らしい見学者様は、何処の娘さんだ!」


 テオルグの巨体を挟んだ向こう側から、じりじりと騎士達がにじり寄ってくる。身体を動かして生まれる蒸気とは違う類の熱気が、彼らの鋭く光る瞳にあったような気がした。


「いつもは訓練終わると、さっさと昼休憩に入るでしょうに! 昼飯食ってきて下さい、しっしっ!」

「虫を払うかのような!」

「ちょっとぐらい良いじゃないか!」


 何とか近付こうとするが、アシルだけでなくテオルグの巨体が立ち塞がっている。テオルグの場合は、意識して阻んでいるわけではないようだけれど。

 結局二人には勝てなかったようで、渋々といった風に彼らは騎竜を連れ訓練場を去っていく。それでも去り際には、朗らかに笑い手まで振って友好を示してくれた。訓練を丸々見学して、お邪魔させていただいたのに。気さくだなあとセシリーはほわほわと微笑んだ。


 そしてその周囲に飛ぶ慎ましく可愛らしい花に、去り行く騎士たちは口元を緩めた。国境支部が花の無さに飢えている事を、セシリーは知らない。


「月に一、二回しかないからさあ。せっかくだから施設を紹介でもしたいけど」

「見られるところは限られてるって兄さん自分で言ってたじゃない」

「まあそうなんだが……」


 アシルは唸り声を上げて腕を組む。「訓練場の他に何処が公開対象だっけ」と呟くアシルの背後で、テオルグが大きく息を吐き出す。竜の口から吐き出された息が、各々の髪を揺らしていった。


「訓練場の他は、後はもう放牧地ぐらいだろう。建物内は、基本は禁止事項だ」

「まじかーそうだっけ。さすがにそんなところは、女の子には興味ないか」


 アシルは溜め息をついたが、セシリーは食い付いた。


「あ、あの、放牧地、というのは」

「……ああ、騎士の乗る騎竜を自由に放す場所だ。騎竜が普段過ごす大きな竜舎があって、その直ぐ外に広がっている。まあ、さしてこの訓練場と変わった点もなく面白味は」


 言いかけたテオルグの言葉が、ふと止まる。足元にちまっと佇んだセシリーの表情が、キラキラと輝いていた。何という、小動物感。一瞬、彼の四肢がぐらっと揺れた事には気づかず、セシリーは続けて尋ねる。


「もしかして今、騎竜が放してあったり……」

「ああ、訓練が終わった後は、大抵自由に放している」


 その途端、セシリーの瑞々しい緑色の瞳が、さらに光を帯びた。

 その瞳が明瞭に表す感情の名を、この場に居た誰もが察した。

 ああ、見たいんだな。ものすごく、見たいんだな。

 テオルグとアシルは静かに先導し、そしてルシェは自らよりも小さな背をそっと押した。




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