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17 アルシェンド騎士団国境支部(2)

2015.08.02 更新:2/2

 《碧空と竜翼の国》と呼ばれているアルシェンドと、隣合う他国の間には、国境線となっている山脈が構えている。その雄大な景観を一望出来る場所には、国境を季節問わず常に監視し、また有事の際にはいち早く行動を起こし防衛する、重要な騎士団の支部が存在していた。与えられた任務上、その外見はとても厳格で一切の華美さはなく、さながら要塞のよう。


 その施設は、アルシェンドの騎士ならば誰もが知っているほどの、騎士の界隈では非常に有名な支部だった。


 周囲を自然によって取り囲まれ、心身の強化を必然的に義務づけられる、とてもストイックな環境と。

 この支部に所属している最速ペア――全騎士憧れの王都支部さえ含んだ引く手数多の配属先を全て蹴って僻地の国境を選んだ、全騎士トップの希代の実力ペア――による、苛烈極まる空中訓練によって。



 ――己の力と技術を高めたいならばここへ。


 ――ただし生半可な覚悟で行くな、生ける屍になる事を心得よ。



 そんな恐ろしい謳い文句が囁かれ、鍛え直しが課せられる騎士が毎年配属されては絶望に染まる、公然の秘密が渦巻く曰く付きの支部。


 その名を、アルシェンド騎士団国境支部。

 全支部でトップを争う飛竜操作術と戦闘力を勝ち取った、くせ者揃いの濃い騎士が肩を並べる巣窟である。


 それが良いか悪いかは分からない。そんな風に呼ばれている事は、一般国民に知られる事はないため。


 しかし、一方では――そんな内情と立地環境により、慢性的に華やかさが欠如しているとも全支部トップで有名になってしまい。

 しかも公開訓練日にもなれば、見学者ゼロという理不尽な現実により、屈強な騎士たちが揃って悔しがる異様な光景が広がるのだ。


 それについては、良いか悪いかといったら――間違いなく後者なのだろう。




 そしてついに、毎月二回訪れる公開訓練日――施設の一部解放を認める日――が、やって来てしまった。

 国境支部に従事する騎士たちは前日の内に恨み言を吐き尽くし、ほとんどが悟りの境地に至った顔つきで訓練に挑もうとしていた。

 だが。

 彼らはこの日、初めて神に感謝したという。慢性的な華不足に悩まされる僻地の国境支部は、見放されてはいなかったのだ、と。



◆◇◆



 国境支部敷地内の、広大な訓練場。そこから見える雄大な山脈も、大河も、果てまで続くような風吹く蒼天も、全て見慣れたものであったはずなのに。

 今日広がる風景は、なんと色鮮やかな事よ。いつの間に忘れていたのだろう、この地にはこれほどの風光絶佳の眺めがあったのだ。


 などと、くせ者揃いの国境支部所属の騎士たちは皆、似合いもしない爽やかさに包まれていた。彼らが現在立つ訓練場は、他支部では類を見ない激烈な試練が与えられる場所であるというのに、そこに整列した彼らの表情には稀に見る清らかな静けささえ浮かんでいた。


「俺、ここまで安らかな気分で訓練に挑むの、初めてだ……」

「俺もだよ……今日はなんか、国境支部に花が咲き乱れてる気がする……」


 呟く彼らの視線の先には。


 訓練場の片隅に、ちょこんと佇んでいる二人の少女の姿があった。


 一人は、明るい茶色の髪を丸く束ねた、利発そうなすっきりとした笑みを浮かべる少女。

 一人は、毛先が柔くうねる淡い色合いの髪をリボンで結った、何とも言い難いほのぼの感を纏う、背丈のちっちゃな少女。

 何処か正反対な印象を受ける二人は、時折顔を見合わせ微笑み、興味深そうにキョロキョロと見渡している。


 夢じゃない。本当にこの国境支部に、公開訓練見学者がいる。

 その姿を見るたびに、良い年した男たちは皆、ふわあっと和んだ。


 思い出すのは、今も胸を抉る残酷な記憶だ。

 全騎士が一度は憧れる、華やかさが一番人気の王都支部。そこに所属する騎士は皆、煩わしそうにこう言うのだ。


 公開訓練に押し寄せるお嬢さん方は、毎回大所帯だよな。

 差し入れは駄目だって言ってるのに、置いていくし。

 正直、誰も来ない国境支部が羨ましいよ――。


 そんな事をのたまいやがった王都支部の騎士は、例外なくボッコボコに叩きのめされた。嫉妬と羨望が爆発した、あまりにも残念過ぎる国境支部の騎士たちに。


 だが、それも今日という喜びを深い味わいにさせるものだったのかもしれない。

 たった二人、されど二人。この数字は、とても大きな意味を残す事になるだろう。


「全くアシル隊長も人が悪いぜ、言ってくれりゃあ俺は昨日泣かずに済んだのに」

「王都支部の奴らを『爆発しろ!』って延々呪ってたのになーハハハ」



 ――誰一人としてつっこまないが、世間では一般的にこれを“気持ちが悪い”と言う。



 現在、この僻地の支部に訪れた天使――いや見学者の側には、既知の関係らしいアシルとテオルグ佇んでいる。説明等をしているのだろう。ぴしっと背筋を伸ばし耳を傾ける様子からは、微笑ましさすら感じる。

 何処かで見た事があるような二人だが、しかしそれ以上に気になって仕方がないのが……。


「……なあ。テオルグさん、普段に増してとんでもなく険しい顔してないか」

「ああ、あれは飛竜を軽く十匹噛み殺してる猛者の顔だぜ……」


 普段からお世辞にも愛想が良いとは言えないのに、今のテオルグはその三割増しくらいに険しい面持ちをしていた。眉間の間にはしわがぎっちりと刻まれ、薄い唇は僅かとも開かずに固く閉ざされている。竜人の特徴とも言える、額から伸びた角や肌に散りばめられた白鱗には、まるでこれから戦いに挑むような緊張が浮かんで見えた。

 要するに、普段以上におっかない顔をしているのだ。

 人の姿で既にあの威圧感。この上で竜に転じたら、討伐対象に勘違いされても文句は言えまい。大の大人達は揃ってゴクリと喉を鳴らした。


 だというのに。


「……そのわりには隣のアシルさん、あの笑い顔が謎すぎるんだが」

「ああ、うん……もうほぼ爆笑手前だな」


 唇どころか頬を噛み、カクカクと顎を震わせているアシルが、テオルグの隣に並んでいる。その様子は、端的に言ってあまりにも不気味だった。


 各々で困惑の感情を浮かべながらも、彼らは本日の訓練の開始を待つ。

 部隊がいくつか集まり行う合同空中訓練――またの名を国境支部名物、阿鼻叫喚の空中訓練。

 もう間もなく始まるところであった。





「――さてと、それではこれより合同空中訓練を行う! 全員注目ー!」


 セシリーとルシェの側から離れ、テコテコと訓練場の中央にまで歩いていったアシルは、号令を掛けた。屋外でありながらよく響く声で、お日様のような朗らかさが一気に引き締まったように感じた。


「その前に、先にちょっと注意させてもらう。全員見て分かると思うが、今日は公開訓練日で見学者が二名いらしている。二名もだ。が、やる事は普段と変わらない。腑抜けた態度でやった奴は俺と副隊長、それと第二から第四の部隊長が遠慮なく叩き落とす。良いな」


 アシルの言葉に、整列した騎士たちが一糸乱れぬ返事を響かせた。


「それと、騎士の仕事を知りたいと言ってくれた、真面目な子たちだ。説明役を一人つけたいんだが、俺でお願いしたい」

「おお……お? 駄目に決まってんでしょ! あんた指導者の一人!」

「お願いしたいじゃないっすよこんな時ばっかり! じゃあ俺でお願いします!」


 勢いよく挙手が上がり、チッとアシルは舌打ちをしたが、その後ろ頭に絶対零度の視線が突き刺さった。普段よりも三割増に険しい、テオルグの眼光だ。その背景に怒り狂う暴竜が見えるのは、きっと錯覚ではない。自分に向けられたわけではないのに、その場にいるほとんどの騎士が青ざめた。

 ただ一人アシルだけは苦にも感じず「はいはい分かってますよー」と肩を竦めていた。


「説明役の方は、各部隊の隊長でもう決めてある。第三部隊のキルテ! 確か勉強が得意だったよな、見学のお嬢さん方に説明諸々を頼む」


 キルテという名の騎士――実は国境支部に初めて配属された騎士の青年――は一瞬呆けたように瞬きを繰り返したが、慌てて返事をした。

 よし、とアシルは頷くと、キルテを早速見学者のもとへと走らせた。その途端、悲壮感の滲む落胆の声が、各所より上がった。


「ええー! アシル、ここにベテランが居るだろー!」

「街の子ども達に笑いかけてギャン泣きされたの忘れたんですかーベテラン方」


 何人かが胸を押さえ「うぐっ」と苦しそうに呻いた。

 そうなのである。国境支部の騎士はどういうわけか、強面、筋肉、大雑把という繊細さからかけ離れた位置に居る騎士ばかりが肩を並べているのだ。


「それに、年近い方が緊張しないだろ? まあ本音を言えば、俺かテオが説明役になりたかったが、テオがさっきからこんな調子だし……ぶぷっ」

「アシル」

「いだだだだ腕の肉が千切れる! ま、まあどっちかが欠けたら訓練にならないし、仕方ない。というわけで説明役はキルテ!」


 何かを言いかけたアシルの言葉を、テオルグの低音が遮った。険しさが増して、彼の纏う空気がさらに重くなる。

 騎士たちは不思議そうに小首を傾げたものの、さて、と一度手を叩いたアシルにその表情を引き締める。アシルの気さくな声に、部隊長の風格が再び滲んだのだ。


「お喋りはこれで終わり。それでは――これより訓練を開始する!」




 おお、とセシリーは声を漏らし、感心に心を弾ませた。

 いよいよ、国境支部の騎士達の訓練が始まったようだ。

 膝上にまで届く丈の長いコート状の騎士服を脱ぎ、動きやすい身なりになってゆく。その場でストレッチをし、走り込みに移行する。

 訓練場の片隅で見つめるセシリーの胸は既に躍っていた。


「おおーっまさにトレーニングですね」

「はは、これはまだ身体を温める運動ですよ」


 セシリーやルシェとも年の近そうな青年が、隣で笑った。声や物腰も柔らかく、温厚そうな雰囲気の彼は、その姿の通りに騎士である。アシルやテオルグが持ついかにも騎士といった空気はあまり無く、居心地の良い空気を感じさせる人物だった。

 実は先ほど、アシルとテオルグが「せっかく見学に来たんだからあとで説明役をつけるよ」と言ってくれたのだ。なるほど、正しい知識を身に着けて帰るのも重要だ。そうしてやって来たのが、彼――キルテである。

 答えられる範囲でなら何でもお答えしますよ、と告げた彼は、普通に人の良さそうな青年で、こんなに年が近そうな人が騎士にいるのかとほんのちょっぴり驚いた。


 騎士達は走り込みを終えると、今度は筋力トレーニングを始めた。見ているだけで筋肉痛になりそうなメニューをこなすまでが準備運動だと、キルテ青年は告げた。

 これで準備運動って、凄い。私だったら一周ももたない。セシリーは純粋に感服した。


「戦闘訓練だと、この後は組み手だとか剣、槍の一通りの演習をしたりします。合同だと、勝ち抜き試合だとか集団試合とかもやったりしますね。けれど、今日は空中訓練なので、対人試合の代わりに……名物と言われる、うん、凄いのやったりします」


 妙に含みのある言葉に、セシリーらは揃って小首を傾げる。彼は「もう直ぐ見れますよ。きっと驚きます」とその時には言わなかったけれど、浮かべた苦笑いはあまりにも濃かった。


 ……だが、今セシリーが気になっているのは。


 ちらりと、間近で繰り広げられるトレーニングを眺める。見知らぬ人よりも見知った人を探してしまうようで、アシルを追いかけるルシェと同じく、セシリーは無意識にテオルグの姿を見つめた。

 息を乱した様子のない長身の竜人は、時々セシリーの視線に気付いたように青い瞳を動かす。距離はあるけれど、視線が確かにぶつかった。

 け、決して疚しさはありませぬ、大人しく真面目に見学しております!

 そんな心で、セシリーは小さく会釈をする。だが、テオルグは途端に表情を苦々しく歪め、明らかな険しさ浮かべてると、勢いよく顔を逸らすのだ。

 しょんぼりと、肩が落ちてしまう。

 騎士という仕事にとても真摯な人だから、いくら公開訓練という日であっても、あんまり歓迎していないのかもしれない。テオルグは一見すると冷酷そうな人物であるが、その実とても優しい一面を隠している事をセシリーは知っている。本当は言わなかっただけで、迷惑なのかもしれない。現に先ほど、騎士のキルテを寄越すとアシルが言った時も、テオルグは終始ほぼ無言だった。


 ……ちょっとだけ、浮かれ過ぎてたのかな。


 騎士様がどんな事をしているのかとか。テオルグさんが普段どんな事をしてるのかとか。もう一度、あの白竜姿が見たいとか。そういった感情も、少なからずあったのだ。真面目にお勤めを果たし鍛錬に臨む騎士に対して、そんな浮ついたものを持っていては駄目だ。セシリーは自らの頬をぺちぺちと叩く。


「ん? セシリー、大丈夫?」

「な、何でもないよ、ルシェ」


 セシリーは微笑んだが、ふっと重くなった心は、誤魔化せなかった。思ったよりもずっと、テオルグの険し過ぎる表情に心が沈んでしまっているらしい。




 訓練場の片隅で見学するセシリーが、そんな風に思っているとは知らずに。

 そのテオルグは現在、苦々しさを織り交ぜたとんでもなく険しい顔つきで訓練に挑んでいた。同僚達がさすがに険しすぎると狼狽え、飛竜を噛み殺す荒くれ者の顔だと揶揄するほどの、過去最高の表情を張り付かせながら。


「……おい、テオ、いい加減その顔をどうにかしろ」


 見かねたように、アシルが小さく囁いた。


「……そっくりそのまま返しても良いか。お前もそのふざけた顔をどうにかしろ」


 唯一騎乗を許した友人の顔は、腹立たしくなるほどの笑顔を輝かせていた。

 訓練中でなければ、確実に張り倒していただろう。

 しかしこの顔で、テオルグが異常なまでの険しさを張り付かせている理由に気付いているのだ。不平を表しているわけでもなく、不機嫌に腹を立てているわけでもない、ただ本当にこんな顔になってしまう、鋼の竜人テオルグの本心を。


「やー、可愛らしい見学者がいると、いつもよりも訓練に力が入るなあ」


 ちらりと動いたアシルの視線を、テオルグもつい追いかける。

 訓練場の片隅に佇んでいる、二人の少女と、一人の騎士。そのうちの一人の視線と、テオルグの視線が、不意にぶつかった。


 そよ風に揺れる、ミルクティー色の髪。物静かで大人しい、けれど耳に心地よい声は清楚で。まなじりの穏やかな緑色の瞳が、ゆっくりと瞬く。華奢で小柄な彼女の周囲には、ほのぼのとした柔らかさが漂っていた。

 堅牢な要塞を彷彿とさせる国境支部の無骨な敷地内にある、見慣れない柔らかな色彩。緊張したように華奢な身体を真っ直ぐとさせるその様子は、やはり小動物とほぼ等しくて――。


 顔が情けなく緩んでしまわないよう、表情筋を引き締めた結果。

 引き締め過ぎて、とんでもなく険しい面持ちになってしまった。


 曰く、飛竜を十匹噛み殺している猛者の顔だが、これが彼にとっての《照れを隠した表情》というやつである。


 分かるわけがない。


 テオルグも、まさか狙ってこのような顔になっているわけではない。全く自覚のない、無意識の産物である。

 ふとした拍子、テオルグの視界の片隅に映り込む、あの細くちっちゃな小動物。国境支部にはおよそ似合わないその生物はちょこんと佇み、時折興味深そうに緑色の瞳を煌めかせ、テオルグも既に知っている柔らかい小さな手をきゅっと握りしめ――。


 いや、だから違う! そうではない!


 テオルグの中の小動物像が高まり、猛烈に角の生え際が痒くなっていく。そうして緩みそうになる顔のあらゆるパーツを食い止めようと力んでは、片っ端から険しさが深まっいくという、表情の悪循環だった。


 くせ者揃いの国境支部で、最速を誇る白い騎竜、鋼の竜人。

 にこにこ笑えば不気味極まりないけれど、斜め下をいく誰にも理解されない照れ隠しは、あまりに残念すぎた。


 周囲からは次第に、あんなに可愛い見学者を邪険にする鋼の顔面という揶揄までされ始めた現在、テオルグの本心に気付いているのはアシルだけであり。

 そしてチビとデカを見比べ、一人ニヤニヤしているのもまた、アシルであった。




 筋力トレーニングは、つつがなく終了した。

 アシルやテオルグを含む隊長達は互いに目配せをし合うと、騎士達を今一度整列させた。


「基礎メニュー終了、これから空中訓練の準備に入る。各自、自分の騎竜を連れて来て、騎竜になる竜人は変身しておくように」


 ――それと。

 付け加えるように続けたアシルの声には、にこやかな笑みが滲んだ。


「騎乗用装具と訓練用のヘルム、あと剣と槍を忘れるなよ。今日は合同の空中訓練だ、とびっきりのを行うからな」


 応、と答えながらも、全ての騎士の顔が、苦笑、または絶望のいずれかに染まっていく。

 この界隈では有名な国境支部名物、鬼の空中訓練がいよいよ始まるのだ。




「あ、移動、ですか……?」


 何やら動き出した騎士達が、揃って同じ方向へと流れてゆく。片隅で見学するセシリーとルシェの視線は、自然と彼らを追いかけた。


「基礎が終わったので、空中訓練がいよいよ始まるんです。騎竜――騎士が乗る小型の飛竜を連れてきて、装具を取りつけるんです。普段は始まる前に着けていたりするんですけど、今日はちょっと特別に最初から行うみたいですね」


 すかさず、柔和なキルテ青年が説明してくれた。なるほど、とセシリー達が頷き、しばし待つ。

 やがて、いくつもの竜の鳴声と、翼の羽ばたく音が聞こえてきた。騎竜を伴った騎士が、訓練場に戻ってきたのだ。

 広大な敷地を有した訓練場が、騎士だけでなくそのペアを務めるたくさんの飛竜によって埋め尽くされる。騎士が騎乗する飛竜は、人里で繁殖されよく人に慣れた小型の種らしいが、小型といえどもその体長は三メルタほど。成人男性よりも遥かに大きな身体をした誇り高い佇まいは、やはり竜と呼ばれるだけのものがある。


 普段は仰ぎ見る空でしか見ない騎士の龍が、こんなにたくさん。


 わあっと、セシリーは無邪気な声を漏らした。こまで竜が揃うとその風景は圧倒的で、見慣れているルシェも驚いた様子だ。キルテは、ちょっぴり得意げに胸を張っている。


「騎乗用に繁殖されている小型の飛竜は人に慣れていますが、竜という種族共通の気性の荒さや気高さは失っていません。なので、あそこに居る騎者つきの竜はそれ以外の人間を絶対に乗せませんし、他人にはあまり懐きません」


 なるほど、言われてみれば確かに、小型ながらとても凛々しい面持ちをしているように思える。どれも似たり寄ったりで個々の区別は全く付かないが。


「かっこいいと言えばかっこいいけど、結構面倒ね!」


 そして、実にルシェらしい、あっけらかんとした感想だった。後には引かない清々しさが今日も光っている。


「まあ、そうですね。でもそれ以上にやはり乗りづらいと言われているのは、竜人の方々でしょうか。この国境支部にも所属していますが、背中に乗る事を許した騎士は、全体を通しても本当にごく少数なんです」


 隊長クラスの、それもたった一握りなのだと、キルテは言った。

 そしてその一握りの中にあるのが、アシルとテオルグのペアなのだ。


「何でそんなに背中に乗せるのを嫌がるんだろ。理由とか、あるんでしょうかね」

「んー……それは、実はまだあまりよく分かっていないんです。異種族が共存の道を選んでから長い歴史が経っていますが、竜の種族は特に他種族と線引きをしてきた種族みたいで」


 人に慣れた小型の飛竜でさえ、おいそれと人に尻尾は振らないという。逆に同じ竜という種族にはよく心を開くらしい。

 今は有翼の種族による飛行船や空輸業が発達し、翼を持たない者も空へ上がる事が叶うけれど、その昔から空の世界に君臨してきたのはこの竜という種族だ。けして背後を取られる事が無かった強者ゆえの、今も連綿と続く矜持かもしれない。


「でもだからこそ、竜に乗る事を許された人は皆、誇らしくて頑張ろうって思うんです。特に、竜人の背に乗る事を許されるのは、とても名誉な事で……」


 呟くキルテからは、憧憬の想いがうかがえた。


「竜人の人達が持つ竜の姿は、体格から大きさ、鱗の色艶まで全部違うそうです。テオルグ副隊長は、やっぱり綺麗ですよね。騎士団の騎竜の中でも、トップの速さと美しさって言われていて……」


 キルテはそこまで呟くと、ハッとしたように言葉を止め、慌てて言い繕った。深い意味はないですよ、純粋な憧れですよ、とあたふたしている。その姿は何とも親近感を抱かせるもので、セシリーはほのぼのと微笑んだ。似たようなものをセシリーもテオルグに感じているので、彼のその憧れがとても共感できる。


「テオルグさんは、凄い人ですからね」


 うんうんと、セシリーは低い位置で頭を上下させる。キルテは同意したけれど、柔和な面持ちに、不意に影が過ぎった。


「ええ、本当に。凄い人です。僕なんか、どれだけ頑張っても及ばない……」


 何か気になる言葉であったが、キルテはそれ以上言わなかった。


「あっほら、装具の取り付けをするみたいですよ」


 キルテが訓練場を示すと、そこには小脇に抱えた道具のようなものを飛竜に着けていく騎士達の姿があった。

 そしてその中で特に目立ったのが、やはり巨大な白竜――竜に転じたテオルグ――だった。

 いつか見た記憶と全く同じ、十メルタを軽々と超える体長を有する、美しい竜。膜の張った一対の翼は、その体躯を空に飛ばせるだけの強靭な造りをしており、そしてとても大きく立派だ。四本の角を持った竜の顔、太く長い首、がっしりとした胴体、地面を力強く踏みしめる四肢と細やかな尾……どの部分からも気品のある勇猛さが放たれている。その身に宿す鱗が、涼やかな純白の色だからだろうか。本能的に強者の威を感じるのに、暴力的な恐怖は全くない。

 周囲の小型の飛竜たちが渋い緑色の鱗のため、その白鱗はなおさら目映く輝いていた。


 ああ、やっぱり綺麗。

 ゴリラの私とは大違い――。


 思わず自分で心の傷を抉ってしまったが、セシリーは大きな白竜をキラキラと見つめた。

 すると、その側にいるアシルが肩越しに振り返り、小さく手を振った。セシリーとルシェも目立たないよう、こっそりと小さく振り返した。四本の角を有した白竜もちらりと顔を動かしたが、青い炯眼は険しく細められ、直ぐに逸れてしまった。

 しゅんっと下がったセシリーの頭を、ルシェの手が撫でる中、キルテの説明が流暢に響く。


「騎竜につける装具は、おおよそ馬具と同じですが、とても頑丈に作られてます。竜の機動力や運動量は、並大抵ではないですからね」


 四肢を折り地面へ腹這いに伏せたテオルグの周囲を、アシルがテキパキと動き回っている。竜の背、というよりは、長い首の根元に鞍を乗せていた。テオルグを立たせると、がっしりとした胸部と前足の脇に頑丈そうなベルトを通し固定する。それが済むと、今度は太い首に手綱を取りつけ、長さを調整する。口に取り付けないのは、むざむざ攻撃手段を潰さないだめらしい。

 最後に装具を引っ張り、緩みの有無の確認し、終了だ。


「……あれ? キルテさん、皆さんが持っているのは、何ですか?」


 全員が小脇に抱えている何かに目が留まる。


「あれは、顔当て……いわゆる、ヘルムです」

「ヘルム、ですか」

「訓練用のです。飛んでいる時は、風が凄いので。見回りの時には持ち出さないのですが、訓練時は……着用必須です」


 遠く彼方を見つめるような、空虚な瞳と声音だった。


「国境支部の空中訓練は、合同になると……もう訓練ではなく実戦なので」


 その言葉の真意を知るのは、もう間もなくである。




 全ての騎竜の準備が整った。騎乗するための装具を取り付け、さらに勇ましくなった竜の背に、騎士達が颯爽と跨る。

 彼らのその姿は、まさに噂される通りの、おとぎ話の竜騎士だった。

 陽の下で、その存在感はよりいっそう研ぎ澄まされているように思える。


 脇に抱えていた訓練用のヘルムを、全員が頭に被る。ただ、形状こそは同じだが、色違いのようだ。鈍い銀色のものと、混じりけのない黒色のものと、二色に分かれている。まるでチームを区別するような……。


「準備が整ったな――それでは、飛翔開始!!」


 アシルの声ではなかった。おそらく、他の部隊長だろう。号令が掛けられると同時に、竜の咆哮が上がる。一番手の鳴き声は、巨大な白竜だった。その大気を震わす勇猛な声に続き、小型の飛竜たちが一斉に吼え叫ぶ。

 広げられたいくつもの翼が羽ばたき、天を目指して飛び上がる。巻き上げるような突風が、足下から吹き上げた。


 セシリーの細い背中に、ぞくぞくと高揚が駆け巡った。激しく風に揺らされる髪をそのままに、空に広がった竜の翼を仰ぎ見る。一際大きな白い翼が、セシリーの頭上で羽ばたいていた。


「うっひゃー凄い数……それに凄い声」

「竜の声は、普通の獣の声と違って全身に響くと言われています。慣れない人には、至近距離で聞かされると確実に腰を抜かすって言われるくらいに。生物的な本能でしょうか、学術的に解明されていませんけど」

「ああ……ちょっと分かる。身体がなんか、ぶるぶるってして、気持ち悪いっていうか怖いっていうか」


 隣のルシェは、自らの両腕を抱くように擦っている。キルテも苦笑し、騎士は必ずその洗礼を受けますと言った。


「セシリーは、意外と平気そうね」

「うん、何だろう、びっくりしたけど……怖くはなくて、何と言うか」


 懐かしいというか。楽しくなるというか。

 この不思議な高揚感を、どう表現したら良いだろう。


 ……ハッあれか。ゴリラの獣人(推測)の血が流れている可能性があるから、異種族的な何かとか……。


 ゴリラと竜とでは同じところなんてまるで無いけれど、と思いつつ、セシリーは空をじっと見つめた。


 飛翔した二十頭以上の騎竜は、しばらく自由に旋回していた。それから号令が掛けられ、陣形を組んだり、複雑な変形を取ったり、さらには上下に移動したりと、圧巻の光景が繰り広げられた。

 急降下の後に地上すれすれの飛行だなんて、あの速さでよく乗っていられるものだと思う。

 キルテ曰く、国境支部はこの地域全般と国境線となる山脈を見回る任務を請け負った場所。変則的に大気が動く山脈上空を、季節問わず常時飛び、時に悪天候の中も見回りに出るらしい。地上よりもさらに荒れる空を、だ。他の支部とは一味違う技術を求められるので、ここまでアグレッシブな訓練になるらしい。


「竜に乗るだけでも十分なトレーニングになります。ですが……ここからが、国境支部の真骨頂です……」


 遠い彼方に想いを馳せるような、キルテの静かな声が聞こえた、その後。

 空を覆ういくつもの竜の影が、静止した。


「さあて、いよいよ合同訓練特別メニューを始めるぞ! 白いヘルムはこっち、黒いヘルムはあっちに分かれてくれ!」


 ぞろぞろと騎竜が移動し、二つのチームに分かれた。この光景は、まるで。


「知ってるとは思うがおさらいだ。白と黒、それぞれに分かれたこのチームで、一つでも多く相手のヘルムを奪い取れ。武器を使うもよし、竜を使うもよし、ただし故意的な怪我は絶対に狙うな」

「正々堂々と――序列無用の実践演習を生き残れ」


 竜の背に跨がった騎士達は、一斉に腰の剣――もちろん訓練用のものだ――を引き抜き、胸の前に構える。その剣の切っ先は、真っ直ぐと天に向いた。


「アシルとテオルグのペアを叩き落した奴とその所属部隊には、全部隊長が今度飯を奢ってやる!」

「全員、今日こそは最速の座からあの二人を引きずり下ろすぞ!」


 今日一番の気勢に溢れた怒号が響き渡り、空中訓練――という名の実戦演習が開始された。



 最速ペアの片割れを実兄に持つルシェは、実兄も含まれる訓練風景に「うわあ……」と声を漏らし。所属するキルテは、「わあー客観的に見るとまるで戦争ですね」と普段は自身も混ざっている風景を遠い目で比喩し。そしてセシリーは、可愛らしい小さな口をぽかんと開けて見入った。


 開始の合図が響いた直後、二つに分かれたチームが一斉に衝突し、竜は牙を、騎者は武器を交わす。牧歌的な空を激しく切り裂く翼が、上へ下へと飛翔する。

 全ては聞き取れないけれど、とても感情のこもった言葉が、竜と共に飛び交っていた。



「うおー! アシル隊長かぁくごぉぉぉおおおお?!」


「ゴルァァ! 逃げんな新米ィィィィ!!」


「ギャァァァー! やっぱり速ァァァァー!!」



 アシルが先日、竜の鳴声と悲鳴しか聞こえないとぼやいたその真実を、垣間見た気がした。思ったよりも、強烈に。


(えっと、うん、やっぱり騎士様って凄いんだな……)


 迫力ある風景に、地上の見学者は圧倒されるばかりであった。




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