大賢者相談所 -バジリスク編‐
この世のあらゆる知識を網羅したと自負する大賢者様が、高い高い塔の天辺に住んでいる。高いといってもエレベーター完備なので近所の道具屋にやくそうを買いに行くのも、お茶の子さいさいだ。
そんなワケで、お高くとまっていない庶民派の大賢者様の塔には、結構お客さんが多い。恋の悩みからカジノ必勝法まで、老若男女どころか人間じゃない者達まで遊び半分で相談に訪れる始末である。
まぁ大半は、一緒にお茶でも飲んでひとしきり話でもすると、悩んでいたことすら忘れて帰っていくような能天気な客人ばかりだったから、大賢者様が頭を捻って難問に答えることは滅多になかったけれど。
でもたまに、本当に悩みを抱えてこの塔を訪れる者も、僅かにだが存在する。ここの大賢者様を頼るなんてよほどのことだ。医者や神官が匙を投げたとか、そんな者達である。とはいえ、こんなダメ――ではなく大賢者様でも誰かの役に立てるのだから、世の中というのは広いと言わざるを得ない。
「で?」
近所の道具屋で売っている一番安いお茶を振舞ってから、いつもの椅子に座りつつソファに腰かけた客人へと目を向け――ようとして慌てて逸らした。
本日のお客人はバジリスクの若者である。元の姿はトカゲだが、今は魔力を駆使して人の形をしている。ただその大きな特徴である眼力、異様な輝きを放つ石化の眼差しだけは健在だ。うっかり目を合わせたら、その瞬間にカチンコチンである。
「それがですね、先生」
膝の間で組んでいる指先を落ち着きなく動かしながら、視線を泳がせつつ言葉を選ぶ。
「最近、彼女ができまして」
「そりゃおめでとう」
「はは、どうも。ですがその彼女、同族じゃないんですよ」
「……なるほど」
話は読めたとばかりに大賢者様は頷いた。
「まぁつまり、そういうことでして」
同族なら大して問題にならないことでも、種族が違えば問題になる。異文化コミュニケーションはどんな時代でもどんな世界でも大きな問題である。
「しかしなぁ、コカトリスとのハイブリッドなら大して見た目的にも性能的にも驚きはないんじゃないのかね?」
「……えっと、何の話でしょう?」
「え、新種の名前をどうしようって話じゃないの?」
「違います。そんなことで悩んだりしません。というか、あんなニワトリに心を奪われるつもりもありません」
爬虫類と鳥類の間には深い深い溝があるらしい。
「そうか。どっちもそれなりに可愛いと思うが」
趣味の範囲が広いのは大賢者様の数少ない自慢である。
「実はできた彼女ってのが人間の女の子なんですけど、もうこれが何て言いますか、ホントに可愛いんですよ。単純に見た目がって話じゃなくてですね、いや見た目も結構イケてるんですけど、仕草っていうか気持ちの溢れる態度っていうか、そういうのを見ているだけでもう――」
「のろけはいいから」
「はい、すいません。要するにですね。この前デートしてた時にうっかり目が合っちゃいまして、石化しちゃったんですよ」
「つまり、石化を治す薬が欲しいと?」
「あぁいえ、治すのはもう治したんですよ。というか、彼女の実家が薬屋なんで石化治療薬には困ってないです」
「じゃあ何が問題なんだね?」
何となく予想はできたが、大賢者様はあえてそう聞いた。
「それはもちろん、石化しちゃうのを何とかしたいんですよっ。せっかくいい雰囲気になったっていうのに、目が合っただけで石化しちゃったんじゃムードも何もないじゃないですか」
空気どころか相手が固まる(物理)という最悪の事態である。
「いや、それって要するに相手を見なきゃいいんじゃ」
「それは無理っす」
バジリスクは断言した。
「もう好きになっちゃうとね、無意識に相手を目で追っちゃうんですよ。彼女も僕が初めての彼氏らしくて、バジリスクだってことを忘れて見ちゃうらしくてね。タイミングが合ったらもうアウトです。ちなみにこの前のデートは五分もちませんでした」
わかりやすい目印で待ち合わせたら新しい目印ができたでござるの巻。
「それは酷い」
「はい、さすがに怒られまして。もう見るなって言われました」
「でもつい目で追っちゃうと」
「ですからこうして相談に伺ったワケでして」
「よし、諦めよう」
「早いですよっ。せめて考えてください!」
「えー、他人の恋路なんて応援してもなぁ。邪魔するのは楽しいけどぉ」
「おい大賢者」
大賢者様はラブエッチよりNTRの方が興奮できるタイプである。
「……まぁそうだな。せっかくここまで足を運んだんだ。お茶を飲んだだけで帰るというのも物足りなかろう」
「何か策がありますか?」
食いついてくるバジリスクに、大賢者様は意味ありげにニヤリと笑う。
「まぁ、それなりの努力は必要だがな」
「ぜぜ、ぜひ教えてください。お金なら払いますんで」
「いやいや、別に報酬などいらんよ。まぁ、くれるというものを拒むつもりもないがね」
相変わらずいやらしい大賢者(笑)である。
「あ、すいません。50イェンしか持ち合わせがありませんでした」
「あ、そう……」
何となく虚ろな目で、テーブルに置かれたお賽銭を見つめる。ちなみに50イェンというのは現代の価値に換算すると48円50銭くらいだ。
「それで先生、その策というのは?」
「ん、あぁ、そうだな。その前に君は魔法の心得があるかね?」
「まぁ、簡単なものなら使えますけど」
簡易魔法は社会人の基本スキルである。現代で言えばウインドウズみたいなものだ。このバジリスクはもちろん人間ではないが、人の姿をしている彼が人間社会、あるいはそれに近い場所に暮らしていることは明白である。大賢者様は、その程度のことならギリギリお見通しなのだ。
「それなら話は早い。必要なのは幻術だ」
「幻術……つまり、それを彼女にかけて僕の姿を別人にすれば、視線の位置がずれると、そういうことですか?」
「いやいや、それでは彼女にばかり負担をかけることになるだろう。そもそも、そんなことを繰り返していたら君の顔を忘れてしまうぞ」
元々人間に化けているのだから素顔などあってないようなものだが、彼も今の姿を気に入っているのか、それを見てもらえないのは少しばかり不満のようである。
「確かに、それは少し残念かも。彼女との出会いはこの姿でしたから」
「だろう? であればこそ、おススメの策だ」
「ぜひご教授いただきたい!」
意気込むバジリスクに、大賢者様は幻術の初歩テクニックを伝えるのだった。
いつもの安いお茶を飲みながら、何となく窓から外を眺めてみる。といっても、究極インドア派の大賢者様が外の天気や人の流れなど気にする道理もない。もちろんそれは、目的があってのことだ。
例のバジリスクが今日、この大賢者の塔の前をデートの待ち合わせにしているのである。そろそろ彼女が来る頃合だろう。ちなみにバジリスクの彼は一時間も前にスタンバっている。
遥か眼下に、辛うじて彼とわかる程度の姿が見える。こうして見る限りは、さして変わった様子は見られない。だが間違いなく、大賢者様の用意した策は使用しているハズだ。
お茶をすすり、そのまま様子を見守る。
大賢者様が彼に伝えたのは、実に単純なものだ。そもそも幻術とは、視覚を操作する術の総称である。見えないものが見える。ないものがある。あるものがない。そういう術だ。だが、一般的に知られている幻術、すなわち幻影を見せるという術は存外に高度なものだ。まずは細部まで作りこまれたビジョンを用意し、それを角度まで考慮に入れて相手の頭に叩き込むのである。実に高度な計算と絵画的な感性が必要になる。だが、相手の目を騙すというだけであれば、そんなことをする必要はない。
視覚をずらせば、それで良いのである。これが幻術の初歩だ。ただ今回のケースが本来の幻術と違うのは、その対象が自分であるということである。つまり今、バジリスクの彼の視界は右側に15度ばかりずれていることになる。彼は彼女の顔を見詰めているのに、実際にはちょっとずれた場所を見ているのである。これならば、彼女を見続けている限り目が合うことはない。
大賢者(笑)らしくもなく、実に理にかなった策である。
「お、相手が来たか」
彼が大きく手を振り、駆け寄ってくる女性を出迎える。そのまま自分も駆けていって――
側溝に足を突っ込んで転んだ。
せっかくのおめかしが泥で台無しである。もちろんこれは、ずれた視界のせいであることは言うまでもない。
「ぷぷぷっ、ざまぁ」
計画通りである。
さすがは大賢者様、カップルの味方なんてするハズもなかった。