蝸牛的小旅行
蝸牛的小旅行
あおぶた
自分でも思う。本当に、バカも程々にするべきだ、と。
そんな思いを日々、頭に浮かべていたはずなのだ。はずなのに、気が付けば私はまた、マキセが突然言い出した小旅行に同行していた。
「今回の旅はハンパじゃないぜ。もう、今から楽しみで仕方ねえ」
私の横で、マキセがニヤニヤしながら言うのだ。
「本当に美味いのか? その……じょう、なんとかこんとか酒って」
「上矢状洞溝酒、だ」
マキセが懐から、「幻の名酒一〇〇選」というタイトルのパンフを取り出し、私に寄越してくる。『Sulcus sinus sagittalis superioris――セレブが愛する禁断の逸品! 人間の頭蓋骨を割ると出てくる上矢状洞溝に、ワインを流し込んで一口啜ると、これがもう美味、美味!…… 』という説明。この紹介文に、私はそんなに嫌悪を抱かなかった。
(*上矢状洞溝とは、頭部において、静脈を入れるためにできた溝のことである。実際ここにワインを流し込んだ、という事例はまだ発見されていない。きっとこれからもされない。)
ただしこの酒は、私達貧乏人が入れるような店では絶対にお目にかかれない。パンフに載っている商品を見ると、平素の生活で目にする値段とは、桁が三つ違っていた。
「買えないならば」
提案してきた時の、マキセの不敵な笑みが頭をよぎる。
「自分らで作ればいいじゃないか」
マキセとはそういう男だ。
やや前方から、車のエンジン音が聞こえた。徐々に大きくなってくる。
時速四八メートル程度の私達には、乗り物の利用が必須だ――乗り降りの際は、多少命を賭けることになるが。
「じゃあ相棒、いっちょかましてやろうや」
辺りが静かになる。
「そっちこそ、死んだりしてくれるなよ」
私も言い返してやる。
一、二の……三!
「うわああああああ!」
「うおおおおおおお!」
私とマキセは木の枝から飛び降りると、トラックの屋根に向けて落下した。
マイマイのォ~、いのちはァ~、
梅雨のごとくゥ~、
後に残るはァ~、もぬけの殻さァ~!
マキセは、気分よく流行歌を口ずさんでいた。ミュージックのことは、私にはよく分からない。
トラックの荷台、その隅っこに、私達は腰を下ろしていた。少し蒸し暑いのがマイナスポイントだったが、湿気があるので程々には心地よい環境だ。
荷台の大部分には、人間が詰め込まれていた。老若男女問わず、みな血の気が無いような気がする。時々、どこからかすすり泣く声がした。それを特に咎める者もいなかった。
まあ、彼らも大変だと思う。もっとも、それ以上どうしようというものでもないが。彼らは私達の仲間を焼いて食べる。私達は彼らの仲間で酒を飲む。つまるところ、私達と彼らは相互的な関係なのだ。
「ルルル~ルル~」
そんな気はしていたが、案の定周りのことなどまったく気にしないマキセ。今日のマキセは機嫌が良い。
――良すぎるくらいだ。
私はすぐに、マキセの顔を確認した。なんとまあ、もう赤らんでいるではないか。
「マキセ! さては持ってきたワインを開けたな!」
マキセは、とろんとした声を上げる。
「すまねえなあ。あんまりにも美味そうだったんで、味見を、そう、味見をしちまったんだよォ」
私は、ただ黙って首を振るしかなかった。
「こんな安ワインでも、滅多に手に入るもんじゃないのに」
「ハハッ、まあよお、こんくらいのバカさ加減が、自由人って感じがして良いじゃねえか」
そう言うとマキセは、さっさと眠りについてしまった。こんな適当な奴でも、私より立派な殻を背負っているのが少し悔しい。
数日経っただろうか。私達の乗るトラックのスピードが、徐々にゆっくりになってきた。同乗していた人々が何やらおしゃべりを始めたので、もうすぐ着くのかもしれない。
トラックが止まった。と、荷台の扉が開く。そして体格の良い男が顔を覗かせると、乗客に降車するよう指示した。
「さあ、美酒をいただきにいこうじゃないか」
マキセの目は爛々としていた。きっと、私の目もそうなっているのだろう。
荷台の隅から降りると、人間が一列に並ばされていた。両サイドには、これまた体格の良い男が何人も、ただ黙って立っている。
列の先頭では、周りの男達よりも数段立派な服を着た男が、列の人間をひとりずつ眺めていた。彼は時々肩幅なんかを確認しながら、血色の良い人間を右に、残りを左に、と二列に分けた。最終的に、一割くらいの人間を右の列に分け、右手に見える建物へ誘導した。残り九割は、左の煙突付きの小屋へ行くよう指示を出した。
「さて」
マキセに問いかけてみる。
「どっちに行ったら、できたての頭蓋骨にありつけそうかな」
うーん。マキセもしばし首を捻る。
「左の方がいっぱいいたし、左に行ってみたら良いんじゃない?」
「よく分からない理論だけど……よし、そうしようか」
私達は、のろのろと動き出した。建物までは三〇〇メートルくらいだろうか。つまり、六~七時間は前進を続けた。これには私もマキセも、息が上がってくる。
その間、煙突からモクモクと、濃い灰色の煙が天へ昇っていく様子が何度か見えた。ただぼんやりと眺めていただけだった。
「ああ、長閑だなあ」
マキセが、大きく欠伸をした。
私達が煙突の下まで来た時には、既に日が傾いていた。
それでもって、私達は悦びの声を上げていた。
「おいマキセ、君の言う通りだった!」
「おうよ!」
私達の目の前には、人間の骨がゴロゴロと転がっていた。こうしている間にも、小屋の中からリヤカーを引く人が出てきて、詰められた人骨を外に捨てていた。
私達はそこから、ちょうど頭が割れた骨をひとつ選び出した。
「よしマキセ、まず私がこっちの端から上矢状洞溝に酒を注ぐから、君はそっちの端にいて口を開けていてくれ」
「よっしゃ!」
お互いにスタンバイを済ませる。
さあ、時間だ。
私は蓋を開けると、溝の中にそっとワインを注いだ。
刹那、煌めく。
ワインは鮮血のように、溝をつたって流れた。安ワインが、まるで生き物のようだ。ただ前へ、前へと手を伸ばす。怨嗟の声は聞こえない。やがて骨の頭頂部を通過する。ここまで来るといよいよ生き物は、いまにも溝を飛び出して世界を蹂躙するかとも思われた。生き物が鼓動を始め、膨張を開始せんとするその間際、ワインはマキセの口に吸いこまれていった。マキセの喉が動くのが見える。
「ど……どうだ?」
マキセは、しばらく動きがなかった。
そして数秒後、おもむろにマキセはウフフフッと笑い出したのだ。
「な、なんだよ、その気持ちの悪い笑いは」
マキセの笑いは止まらない。
「まあ飲んでみろって」
そう言うとマキセは、自分が持っていたワインを溝に流してきた。私は慌てて、口内へ生き物が入ってくるのを待つ。
スウッ。
それは驚くほど巧みに、私の喉を通過する。そして。
「――フ、ウフフフフッ」
「フッフッフッフ」
「フフッ……ハハッ」
「ハッハッハッハ」
アーッハッハッハッ。
バカだよなあ、と思う。やはり程々にするべきだ。




