予期せぬ兆し
「おば様?」
玄関に入って靴を脱ごうとした柚姫だが、その片腕は利保に取られたまま離される気配はない。
違和感を覚えて利保のほうを見やる。
だが反応はなく、突然手を引く力が思いのほか強く、慌てて投げるように靴を脱いでそのままリビングまで連れていかれる。
さすがにおかしいと思い、利保が立ち止まった瞬間抗議の言葉を口にする前に、つまずきそうになりたたらを踏み、小さく悲鳴を上げる。
するといきなり利保が振り返る。それに柚姫はぎくりと身を固める。
何故だかわからない。けれど体は無意識に距離を取ろうとした。けれど腕を取られたままでそれはかなわない。
だが捕まれた腕はすぐに解放された。
「焦っちゃった!ごめんね?ちょっと力加減が難しいな」
そう言いながら謝り、里穂は握っていた片手を不思議そうにグパーを繰り返す。そんな利保にまた違和感を覚える。姿は利保なのに違うと思った。
「そんな顔をされるのちょっと悲しい。“わたしたち”、もうちょっとしたら家族になるれるのに」
“利保”は不満げにほほを膨らませてそう言う。
柚姫は茫然とその笑顔を見つめた。わけがわからない。ふざけている可能性も考えたが、利保はこんな悪ふざけはしないという結論に至る。
「・・・あなた、誰なの?」
柚姫は思わずそう尋ねた目の前にいるのは間違いなく利保だ。けれど話し方も、その顔に浮かべられた表情もよく知る利保ではないと感じる。
それに対して“利保”はきょとんとした顔をして子どもっぽく首を傾げた。
「あれ、わからないの?」
「え?う、うん」
「そう、なの?そっか、ちょっと残念」
“利保”はあからさまにしゅんとしてという様子で肩を落とす。
どこかかみ合わない会話は心地が悪い。だかといってどうにも悪意があるようには見えなかった。
手を強く引かれた時は驚いたが、目の前の“利保”は言葉の通り残念そうな表情でこちらを見ている。
何と言っていいかわからないが、どこか幼い雰囲気とその言葉から彼女が“利保”ではないことはもう明白だった。思い至るのは前世関連のことしかなかった。
「ええと、それであなたはいったい何なの?もしかして・・・ヒイル・エアリアに関係する人?」
「あてて!でもヒントをあげないよ。だって最初に言った言葉はほぼ答えだから」
そう言いながら“利保”はいたずらっ子のように笑みを浮かべる。それは先ほどと違い“利保らしい〝笑みだった。
少しばかり毒気を抜かれ、最初に言われた言葉を思い出す。
けれどほんの少し間をおい柚姫はゆっくりと目を見開く。
「あれ、もしかして、え、でも」
困惑して声を出して目の前に“利保”を見る。
するとその視線の先を見て“利保”嬉しそうに頷いた。
「正解だよ。”わたし”はまだ名前はないけど、ちゃんと“ここ”にいるよ」
そう言って“利保”のまだ膨れていない腹をそっと撫ぜる。
「こうして言葉を交わせるのはきっと今だけで時間もほんのちょっとなんだ。もしかしたら意味が分からないとこもあるかもしれないけど、これだけは言いたいから聞いて欲しいな」
そう言葉を区切って、握っていた腕をずらし、その手を両手で握りこむ。
先ほどまでと打って変わって不安げな顔で見つめられ、柚姫はもう何も言う気は起きなかった。
それが利保の姿であるせいもあるが、それ以上に目の前に“利保”に対して警戒する必要性を感じなくなっていた。むしろ親近感を覚えるものであった。
その沈黙を了承ととって、“利保”はうれしそうに笑い、それから静かに口を開く。
「こうやって”わたしたち”の気持ちが伝えられるのをずっと待ってたんだ。“わたしたち”はあなたにとっても感謝してんだ。あなたがいたから“わたしたち”の世界はあったんだもん。消えるはずだったのにずっと守ってくれて、苦しいこともあったけど、最後までがんばって、生きててよかったと思えたから。全部あなたのおかげなんだよ。だから皆の分もたくさんたくさんありがとう。こうしてまた生まれてこれて、覚えていない人がほとんどだけど、でもすごく幸せだって伝わってくるんだ。だからあなたの絶対に幸せになって。幸せになるって約束だよ」
両手に包まれた掌に“利保”の額がふれる。それはヒイル・エアリアで何か誓を立てるときにするもので、柚姫はなぜか胸の奥がひどく傷みだす。どうしようもなく心がざわめいた。
つたないながらも真摯にむけられ言葉が自分に向けられる理由は分からない。
応えられるはずもなく黙っていると視界がどんどん歪みだす。
不意に驚いたような声を上げられる。
「大丈夫?」
“利保”がこちらを見てそしてひどく心配そうに顔に手を伸ばされる。
柚姫は驚いて瞬きを繰り返す。
「あれ?なんで?」
目から涙がこぼれ、柚姫は自分泣いていることに気が付いた。“利保”はまるで自分が悲しいかのように眉を下げた。
「泣かないで?あなたが泣くのは”わたしたち”も悲しい。でもこれから起こることはきっと辛くて、もっと泣いちゃうかもしれない。”わたしたち”はその時そばにいられないけど、でも絶対に不幸になんてならない。そんなことさせないよ。あの人もきっと助けてくれる。だからもし思い出したら、今言いった言葉も一緒に思い出してね」
そう言って彼女は再びその手をぎゅっと力強く握りしめた。
「あなたが忘れてもいてもいなくても”わたしたち”はあなたが大好きだよ」
満面の笑顔で浮かべ愛しそうにそうそう言った“彼女”を知っている。
何も思い出してはいない。けれどそれはきっと気のせいなんかではきっとないのだろう。
柚姫は握られたその手にもう片方の手を添える。そしてその手にそっと額を寄せた。




