変わりゆく思い10
久しぶりの投稿です。
ローテーブルを挟んで向かい合うようにソファーに座った女性が名乗る。
柚姫はその名前を聞いて少しばかり目を見開く。
吉村しほり。
「吉村さん、ですか?身内の方ですか?」
「しほりでいいよ。うん、吉村隆史の妻で栄史の義理の姉だよ。まぁ、もともとお隣さんで、小さいころから一緒だったから幼馴染っていうほうがしっくりくるんだけどね」
女性はそう言ってテーブルの上のカップをを手に取った。柚姫はさらりと口にされたそれに驚く。
「え、じゃあ、吉村さんたちとは、その頃からお互い転生者だって知っていたんですか?」
柚姫はずっと前世の記憶を共有できる人が欲しかった。しほりが言った言葉が気になって少しばかり身を乗り出す。
だが、しほりは首をゆるく降った。
「残念ながら、10年前に召喚されるまでは誰も気づかなかったよ。しかも召喚されてから気ずくまでも結構かかったしね」
「え、そうなんですか?それまでに誰も言わなかったんですか」
「今思えば笑うしかないけどその通りでね。普通に考えて前世に話なんて信じてもらえないと思っていたから。それに召喚されたあとは、”今世ではどうなっているのかはわからないから下手に個人情報は明かさない”ってお互いに決めてたんだ。でも結局話すことになった時に、お互いに正体を知って言葉も出なかったよ。まぁ、その時はいろいろとあって、最終的にはお互いさまってことで、そのことについてはもう何も言わないことに決めたんだけど」
「そう、だったんですか。ええと、でも、他の転生者が身近にいるのは、少しうらやましいですよ?」
どこか遠い目をしたしほりをフォローするように柚姫はそう言った。別にそれはその場限りの嘘ではない。うらやましいと思ったのは本心だ。
事実には少しばかり驚いたし、しほりの様子を見たところ相当気まずい思いをしたのだろう。
けれどお互いに前世という共有できる記憶というのは貴重なものであることを柚姫は知っている。
柚姫の言葉を受けて、しほりはどこか自嘲気味に笑う。
「そうだね。確かに恵まれているのかもしれないね。こっちの世界の知り合いがいたから、向うでもどうにか生き延びられた。それで最終的には縁を切ることができた。そう出来なかった人たちもいるからね。仲間がいてよかったよ本当に」
しほりは静かにそう語る。
柚姫は一人だった。けれどしほりたちのように、突然何も知らずに前世と似て非なる世界に放り込まれるといった体験はしていない。
命の危機にさらされることなく、ずっと地球で平和に暮らしていた。
そう思うと柚姫は返す言葉が見つからず、ただ黙ってしほりを見つめるしかなかった。
だが、すぐにしほりはその顔に笑みを浮かべた。
「あ、脱線しちゃったね、ごめんね!まぁ、その話は今言ってもしょうがないからね。とりあえずこれからの話をしよう」
しほりは気持ちを一瞬にして切り替えたたようで明るくそう言い放つ。そしてそのまま背を丸めてローテーブルの下に手を伸ばす。
何をするのかと柚姫が目で追うと、テーブルの下には収納があるらしくそこから一冊の本を取り出した。
「これは近日中に刊行される予定の『王女とドラゴンの最後の魔法』の2巻だよ。作者とかには少しばかり先に手元に届くようになっているんだ」
しほりが簡単に説明してくれた。そして柚姫は机の上にそれが置かれた本の表紙を見た。
そこにはあのポスターと同じ少女が描かれていた。けれどそれだけではなかった。
その隣を見て柚姫は目を見張る。それはよく知った少女だ。
目を見開いてしほりの方を見ると、真剣な目で頷かれる。
「察しの通り、その女の子のモデルは“リル・リトル”だよ。2巻では彼女が話のキーパーソンになっているんだ」
「え、でもリルは・・・」
しほりの言葉を聞いて柚姫はおかしいと思った。
先ほど、しほりはこの本は現実に近いと言った。名前や地名が違うのは最初から分かっている。それに売り物であるからには、それなりに脚色したり誇張したりはあるだろう。
だが”リル”はマオベリスタの出現の前に死んでいる。そしてマオベリスタに呼ばれることなく転生したはずだ。
だって柚姫の中にはそんな記憶はないのだから。
そう思い困惑している柚姫に、しほりは優しく声をかける。
「混乱させてごめんね。魔法のせいで柚姫ちゃん自身に届けられる情報は少ないんだ。下手をすれは朝の二の舞になるから。だから、疑問や驚きはたくさんあるだろうけど、私がこれから話すことはあまり深く考えず、なるべく客観的に聞いてほしい。それでわかるところだけ頭の隅にとどめておいてもらえると嬉しい」
しほりのそう言われ柚姫は少し間を置いて頷いた。それにしほりはもう一度「ごめんね」と言って再び本をその手に取った。
「まずこの本なんだけど、固有名詞や多少脚色によって違いはあるけど、大まかな流れはマオベリスタで実際に起きたこととらえてもらっていい。これはさっきも言ったとおり、刊行前に全部解決する予定で記録に残しておこうってことで書いたんだけどね。思いっきり目論見が外れてね」
「全部解決って?」
「うーん、これも話すと長くて言えない部分もあるから。とりあえずマオが捕まってもう干渉されなくなるっていうようなことだと思ってもらえればいいよ」
「わかりました」
柚姫は素直にうなずく。聞きたいが、多分聞いたところで全部把握できる気はしない。先ほどのしほりの言葉通りあまり深く考えず、今は聴くことに専念することにする。
しほりはそれをみて笑みを見せ、本を渡してきた。
分厚いハードカバーの本を渡された柚姫は、しほりの視線に促されるまま本を開く。
「うん、じゃあ、まずこの2巻なんだけど、大まかな内容はそのあらすじ部分に書いてある通り、ウィル達がリルと出会って幾度も危機を助けるんだ。それで最後には旅の一員になる、っていう感じだね。先に言ってしまうけどこのリルは精霊のような存在として描かれているけど、実際は核だけの存在だったみたいだよ」
「核って、フィリア様や今のマオみたいな?」
「多分、分類的には同じなんだと思うけどね。私も細かいことは分からないんだ。とりあえず幽霊のようなものだと思えばいいよ」
「・・・なら私、”リル”も幽霊になっていたんですか?」
何とも言えない気持ちでそう尋ねるとしほりは苦笑を浮かべる。
「隆史が言うには“リル”は確かに一時その状態だったよ。そこで問題になるのが記憶に部分だね。柚姫ちゃんもそこが引っ掛かっているんでしょう?」
「私が幽霊になっていたということは否定しませんけど、でもそうであった記憶はないです。幽霊って記憶が残らないものなんでしょうか?」
今更幽霊なんてありえないなんて言う気はない。それが自分のことであってもだ。
だからこそ気になるところだ。
「そうだね。私も幽霊の記憶はどうなっているかっていうのは分からない。でも核の性質という点で考えるとある程度の仮説は立てられる」
「核の性質、ですか?」
「うん、まず前提として私も柚姫ちゃんも転生者と言ってはいるけれど、転生者がどうやって生まれるのかは私もよくわかっていない。でもウィリアの縁切り魔法について聞いた話によると、核が肉体を離れ、別の肉体に入るときはそれを保護できるものがなければただの魔力の塊になってしまうらしい」
「魔力、の塊ですか」
「うん、元が核でも何らかの形で保護しないとただのエネルギーにしかならない。もっと具体的に言えば道標を形作る魔力と一緒ということだよ。転生者の場合、こっちの世界特有の力によって切り離されても核が守られている。だから向うに召喚されても個としての形を保ったまま生きていられるらしい」
「じゃあ、リルは?」
「彼女の場合、王女の魔力が核に混入していたからだろうね。それによって偶発的に保護されたんだと思う。今マオベリスタに派遣されている人たちも、王の魔力によって核が守られているからリルもそうである可能性が高い。守られているがゆえに、大気に放たれた後も浄化されずに取り残されてしまったんだと思う。でも器のない核だけの状態だと個を保つのは難しいらしい」
しほりの解説に柚姫はフィリアのことを思い出す。以前あったとき、確かのそのようなことを言っていた。
それに同じ状態であるマオも。人間離れした雰囲気を宿していた。
”リル”は特別な魔法を持っていたが、魔力の総量からして一般人と比べて少し高い程度のものである。
そう考えると、今ここにいるのは本当に奇跡的なことなのかもしれない。そう改めて思う。
「生前の記憶があるだけで本当はすごいことですよね。なんだか感覚が麻痺してますね」
柚姫は今更ながらにそう思った。それを聞いてしほりも同意して苦笑しを浮かべる。
「そうだね。本来なら前世の記憶を残したままというのは奇跡的なことなんたと思う。でも、もしかしたら私たちが転生したことを自覚できるほどに記憶を有しているだけで、マオベリスタの核を持つ“転生者”はもっとたくさんいるんじゃないか。そう前にウィリアが言っていたことがある」
「え、ウィリアさんが?」
「うん。マオの目的はずっと議論されてきたけみたいだどね。ウィリアは詳しいことは私たちにはいわない。でも一度だけこぼしたことがあるんだ」
「なんて言っていたんですか?」
柚姫は不安を覚えながら先を促す。しほりは静かに手を組んで先を語る。
「”あの人は生と死を超越する気なのか”って。誰に言ったわけでもなくて、思わずこぼれた感じだった」
「・・・どういう意味でしょうか?」
「うん、私も手最初は何のことかわからなかったふど、私が知っている情報を踏まえてその言葉から連想できたのは”転生”だった。そこからマオがマオベリスタを生み出したひとつの目的は“転生”について実験するためじゃないんだろうかっていう考えに至った。それでそのうちの成功例が私たち。でもそれも多分完全じゃなくて、私たちもきっと全部覚えているわけじゃないのかなって思うんだ」
真剣な面持ちで語られるその話に柚姫は息をのむ。そして愕然とする。
「実験場って、そういう?」
「まぁ、後半は私の推論だけど強ちはずれじゃないと思うんだ。今のところ転生者やヒイル・エアリアの住人の間で記憶の齟齬が起きていない。だからから記憶が全部嘘なんてことはないと思うけど、実際私たちをこうして転生させたのはがマオなら、彼の都合のいいように記憶が抜けたりしててもおかしくない」
そう言い切ったしほりから目をそらし、柚姫は俯いて思考に潜る。
確かに前世の記憶はある。そして、それが確かにあったことだという確信も。でもすべて欠けることなく覚えているかといわれると頷くことはできない。
そう認識して柚姫はいまさらながらに思い出す。
自分の持つ前世の記憶というのは、ほんの最近まで輪郭が薄ぼんやりとしていて言葉にすることのできないくらいに朧現ものだった。
だだそこに間違いなく会って、自分をひどく憂鬱にさせる、未練と後悔に打ちひしがれた記憶。
そう、“転生”してからずっとそこにあったものだ。
そのはずなのに。
柚姫のなかで何かが違うと叫ぶ。
不意に言葉にできない疑問が胸に湧きあがる。
耳鳴りがする。
それは前にも感じたことのある感覚だ。
「あ、れ?」
「柚姫ちゃん?」
困惑した柚姫が思わずこぼした声に、しほりが心配したように声をかけてきた。
けれどその声にすら違和感を覚えて柚姫はしほりをその目に映す。
柚姫の意識に映り込むのは黒い髪と黒い瞳だけだった。
誰かが胸の内でささやく。
“納得して命を差し出した。そのはずなのに、なぜ。そう思ったの?”
その声に柚姫は声なく応える。
“命が惜しくなったからじゃない。―――――――”
確かな理由がそこにあった。
けれどその自分の声は耳に届かない。まるでそこに見えない壁でもあるかのように。
なぜだかわからない。唐突にそう思い出す。
そして同時にそれ以上は無理だった。
沸き上がったそれは、柚姫の胸に言い知れない不安を呼び覚ます。
何かが胸の奥底でうごめいているような、そんな感覚に胸の奥がまるで締め付けられるように痛む。そう感じて柚姫は無意識に胸元に手をやる。
その指先にこつりとぶつかるものがあった。
ふっと意識がそこに向かう。視線を下す。
そこにあるのはさっきもその手に握った亀裂の入ったペンダントだった。
それを意識すると不意に耳から声が入ってくる。
「柚姫ちゃん?大丈夫。横になる?」
ぼんやりと視界が次第に明確に映し出す。焦点を合わせた先には、心配そうなしほりの顔があった。
柚姫は、はっとしてあわててに返事をした。
「大丈夫です。すみません」
そう言って笑みを浮かべると、しほりはほっとした様子で柚姫からそっと離れる。
「そう、よかった。でも無理はよくないから、今日のところはこれくらいにしておく?」
いたわるようにそうしほりが尋ねる。まっすぐこちらを見つめる二つの目は無理は絶対にさせないと語っている。だが柚姫はすぐに首を振る。
「本当に、大丈夫です」
様子をうかがうようこちらを見るしほりが言葉を発する前に、柚姫は再び言い募る。
「思い出さなきゃ、思い出さなきゃいけないことがある気がするんです。お願いします」
そう言ってペンダントをその手に握りしめる。
その感触になぜか懐かしさを感じる。
胸の奥底に得体のしれない暗い何かが潜んでいる。
それはこれまでに何度か感じたものだ。
でもそれと同じ場所に何か特別で大切なものがあったはずだ。今そう感じている懐かしさはその何かにつながっている気がした。
まっすぐと柚姫の言葉を受けたしほりは、しばらく黙っって柚姫を見つめる。それから大きく息を吐いて困ったように笑う。
「意志は固そうだね。まぁ、もとは私から言い出したことだからね。柚姫ちゃんさえ大丈夫なら拒む理由はないよ。でも無理は本当に駄目だよ。自分の命がかかってるんだからね」
「はい、あ、ありがとうございます。本当に無理だと思ったらちゃんと言いますから!」
柚姫の言葉に、しほりは少し驚いたような顔をした。よりどこか肩の力が抜けたようにしほりが笑う。
「お礼を言うのはこっちだよ。あとちょっとだから頑張って聞いてほしい」
そう返されて柚姫はほっとした。
今までも知りたいと思っていた。
かつてのヒイル・エアリア、エミリア、父と母。友人思い浮かぶ顔がある。
でもそれは本当に自分の知りたいことなのか。
今はもうかわからない。
何かはわからない。でも柚姫の中には先の見えない、先があるのかさえ分からない暗い道に、何かがある。
それが見つかる予感がした。




