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変わりゆく思い9

 夢を見た。ずっと見続けている懐かしい夢。

 けれど、それはこれまでの平凡な日常とはかけ離れたものだ。


“私”はひどく怯えていた。住んでいた小さな家を飛び出し、森をかけ抜け、知らない土地へ。


“私”はずっと心の中で父に助けを求めていた。けれど、もう分かっていた。助けになど来ない。


“私”何も知らず、ただ逃げていた。


“私”にとっての便りは道標だけ。唯一の心の拠り所だ。


“私”は父が名づけた道標の名前を呼んだ。




『ウィル』



 名前を呼んだ。”彼”の名前。意識はそこで途切れ目の前が真っ白になった。















 柚姫ははっと目を覚ます。そして無意識にその名前を呼んだ。


「・・・ウィル」


 ぼんやりとした視界に映る天井はいつもと違う。それに気がついて起き上がるとパサリと何かが落ちる。

 それは毛布だった。


 周りを見渡すとそこはまるで知らない部屋。


「・・・え、ここは?」


 見知らぬ部屋で目が覚めてひどく動揺した。

 そこは10畳ほどのフローリングの部屋で、柚姫はソファーに上に寝かされていたようだ。


 辺りをもう一度見回すと、そこは家具以外に余計なものが何もないリビングルームだった。まるでモデルハウスのようで生活感がない。

 家具も部屋の中央にあるおしゃれな4人がけテーブルと椅子と柚姫が寝ていた大きめのソファーだけだ。 

 家電は一切おいていないのでモデルハウスよりも閑散としている。

 

 柚姫の脳裏に”誘拐”の二文字が頭に浮かぶ。

 

 慌てて記憶をさらう。

 自分が覚えているのは家の玄関で意識を失う前までである。

 そういえば玄関の鍵を占めた記憶がないと思ったところで顔が青くなる。


 とにかく状況が全くわからないがこれは逃げ出すべきかと思ってドアを見た。それは横スライド式のドアだ。足音を立てないようにそっと近づいてドアノブに手をかける。


 触れば普通に開いた事に驚きつつ、緊張した手でドアを少しだけ開けて覗き込む。

 ドアの隙間から見えたのは今いる部屋よりも大きく明るい部屋。

 部屋の内装に柚姫は少し面食らう。


 そこは一言で表現するのならばそこはさながら美術室のようだった。

 壁の棚に置かれた石膏像、棚の中にはスケッチブックであろうものがぎっしりと収納された。

 そしてイーゼルの横に備え付けられたテーブルの上には画材らしきものが散乱している。


 その部屋を見ればひと目でここの家主が絵を描いているのが分かる。


 ドアをもう少し開けてさらに覗き込むとそこにはイーゼルがあり、そこに向かう人の存在を目に映したところで柚姫はその人物の姿をその目に映しまた驚いたように目を見開く。


 それは女性だった。

 女性は長い黒髪を無造作にお団子にしてグレーのスモックを身につけて黙々とイーゼルに向かって絵を描いている。


 優しげな風貌に華奢な体つきで、見た限り誘拐をするような人には見えない。


 けれど、こうして柚姫がここにいるということは、誰かしらがあそこから柚姫を運び出したことになる。

 どうしたらいいのかと当惑していると不意に女性の視線がこちらを向いた。


 ぎくりと肩を揺らす柚姫と裏腹に、女性はこちらを見てぱっと顔がほころばせる。そしてこちらに駆け寄ってきた。


 柚姫は驚いて思わず扉を閉める。そして近くにあった箒をつっかえ棒にしてドアを閉めた。

 ただの反射的である。


 思わず締めてしまったがこの後どうしたらいのか柚姫はわからない。

 するとドアががたがたと動き出し、柚姫はびくりと身構えた。


「あれ?開かない。柚姫ちゃん開けて!」


 驚いたような声の後に名前を呼ばれ柚姫はさらに混乱する。だが、いつまでもこのままでいるわけにもいかないので柚姫はドアの向こうの女性に恐る恐る質問した。


「なんで私の名前を知ってるんですか?」


 すると女性は今気がついたと言わんばかりに声を上げた。


「あっ、そっか。ごめんね、うっかりしてた。私はレオの友達で転生者なんだよ。前世はフィフィリって言えばわかってもらえるかな」


 女性の言葉に柚姫は特徴的な笑い声の白くて小さなドラゴンを思い出す。


「あのフェイルドラゴンの?」


「そう!縁切りしたけどまだ色々やらなきゃならないことがあってね、レオと一緒にマオベリスタに行ってたんだよ。天上界で会った時一応フィフィリの中にはいたんだよ」


「そうなんすか?」


目を見開く柚姫に女性は笑顔で頷く。


「そうそう、あの時は接続がうまく行かないせいで、中から見てるだけしかできなかったんだ。それで接続がうまくいったかと思ったら今度はエミリア王に追い出されちゃって今は待機中って感じなのさ」


 柚姫はその名前を聞いて動揺する。


「あなたは、どこまで知っているんですか?」


 柚姫の問いに女性は少し考えるように首をかしげるようにしる。


「そうだね、一応レオと同じくらいかな?でもやっぱりもう縁を切っちゃたから全部理解しているわけではないけどね」


「・・・私はなんでここにいるんですか」


「柚姫ちゃん玄関で倒れたでしょう?あそこではどうにもできないから応急処置のためにここに連れてきたの」


「応急処置?」


 不穏な言葉に柚姫は訝しげに反復する。


「なんて言ったらいいのかな?ええと、柚姫ちゃんの核はいろんな人の魔法が重複してかけられていて、それをウィリアのペンダントで負担を軽減していたみたいなんだ。それで今朝その許容量を超えちゃって核が危険な状態だったの。ウィリアがそれに気がついて私たちに協力要請したんだけど、転生者に魔法は使えないんだよね。だから代わりに魔法具で抑えようと思ったんだけどそれも難しくてね。緊急事態だったからそのままここに連れてきたの。この家の中はちょっと特殊な作りで魔法の効果を抑制できるの。ちょっと調子良くなったでしょう?」


 そう言われてみれば確かにあの強烈な眠気はなく、頭もすっきりしている。そっとペンダントに触れると僅かな亀裂が入っていた。

 事情が分かると今度は別の心配が湧いて出る。


「あ、今、何時ですか?」


「ええと、今8時12分だね。あ、倒れてからまだ2時間くらいしかたってないからおうちのことは心配しなくていいよ。いきなりで驚いたかもしれないけど本当に緊急事態だったから。でも本当にどうにかなって良かったよ」


 そう言って申し訳なさそうに言う女性の声には安堵の色が浮かんでいるのが分かる。柚姫はそれを聞いて先程までの警戒心がだんだん萎んでいくのを感じた。


 すると女性は窺うように話しかけてきた。


「とりあえずドアを開けてもらっても、いいかな?もし心配なられここにレオを呼ぶし」


 ドアの向こうで女性が動く気配がする。多分ケータイか何かで連絡を取ろうとしているだろう。

 そこで気がついた柚姫はそれを慌てて遮る。


「す、すみません今開けます」


 箒を取り除きドアをスライドさせる。女性に向かって頭を下げた。


「すみません。お世話になったみたいでありがとうございます」


 そう言うと女性は数度瞬きをしたあと破顔した。


「ふふ、どういたしまして。顔色もいいし。本当に良かったわ」


 愛嬌のある笑顔は見た目より幼げだ。少しばかり居心地悪げに女性を窺っていると笑顔のまま女性はちょっとだけ困ったように眉を寄せる。

 

「ま、とにかくいろいろ聞きたいことだらけだろうから座って話そうか。お茶入れてくるからちょっと待っててね」


 そう言いながら女性は部屋を出ていく。柚木は無意識に肩の力を向いた。

 女性が誘拐犯でなくてひとまずほっとした。


 そしてそういえばまだ名前を聞いていなかったと思い出す。戻ってきたら聞こうと思いながらなんとなしにもう一度室内を見渡す。


 やはり初めてきた場所で少しばかり落ち着かない。

 不意に視界にひとつだけ異なるものを発見した。女性が出て行った方の扉の上の方にポスターが貼ってある。

 何もない部屋のせいでそのポスターは異様に目立つ。

 柚姫は思わずドアに近づいた。

 そのポスターを見て柚姫は目を見開いた。


 そしてそれに手に掴んだ瞬間、急にドアが近づいてきて、ゴンっと小気味いい音が響く。

 それと同時に柚姫は頭に走った衝撃に思わず後ろによろめく。そしてビリっという音が後から聞こえる。


「えっ、柚姫ちゃん?」


 思わず頭を押さえると前方から驚く声が聞こえる。


「もしかしてぶつけたの?ごめんなさい、まさかこんな目の前にいると思わなかったから」


 お茶を近くにあったテーブルに置いて女性が心配そうに柚姫に額を覗き込む。それで初めてドアにぶつかったことに気がつく。

 女性の心配をよそに額はそこまで痛くなかった。そのため恥ずかしさが際立つ。


 赤くなった顔を隠しながら「大丈夫です」と返事した。

 それから自分の手元を見て青くなる。


「あっ!ご、ごめんなさい。これ・・・」


 柚姫にその手にあるのは敗れたポスター。

 ドアにぶつけた衝撃で掴んでいたポスターの下の辺りが敗れてしまったようだ。

 慌てて謝るが女性は特に起こることなく笑った。


「大丈夫だよ。これ腐るほどあるから」

 

 そう言いながら壁に残ったポスターを取り外した。


「柚姫ちゃんはこの絵が気になったから見てたんでしょう?」



 そう言われて柚姫は思い出した。

 カレンダーの描かれていたその絵の人物。

 長い黒髪の少女。

 柚姫は静かに頷いた。


「これは、私の前世の記憶をもとに描いた絵だよ。私はイラストレーターで今は主に夢羅隆史のカバーや挿絵を描かせてもらってる」


「・・・やっぱりモデルはアリアさんですか」


 柚姫の口から自然とこぼれた問に女性は首を縦には降らなかった。


「いいえ、これはアリアじゃないよ」


「え、」


 予想外の返答にもうひとりの人物を思い浮かべる。


「きっと思い浮かべている人物は半分正解で半分はずれかな。アリアはあの本がフィクションだといったかもしれない。でも本当は限りなく現実に近いものだよ」


「あの本って、あの児童書の?」


「そう。本当なら君の目に触れる前にことが片付く予定だったらしいけどね。でも結局ダメだったみたい。本当なら私にこれを伝える権利はないんだと思う。ウィリアは君を守るために全てをかけてる。何があろうと譲る気はないと思う。でもやっぱりこのままじゃきっとダメだと思うから」


 そう言いながら女性はまっすぐこちらを見つめる。

 その目はなにかの決意を秘めていた。


 柚姫は同じくまっすぐ女性の瞳を見返しながら胸元にあるペンダントをきゅっと握り締めた。

 そこには求めていた真実がある。そう感じたのだ。


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