変わりゆく思い4
今回切りどころがないのでアリアの回を超える長さになっています。
「わたくしの生家は小さな村にある医家した。家族は父母と年の離れた兄が一人おり、みな優しい人たちでした。ただ兄のマルセオはちょっと変わった人で、ふらりとどこかへ出かけたと思えば、その先で気に入ったものは何でも持って帰って来ました。よく父にお小言を言われていましたわ。でもそんなことはお構いなしに兄は出先で珍しいお菓子や花を持ってきては外の面白い話をしてはわたくしを笑わせてくれましたわ。わたくしはそれが何よりも楽しみにしていましたの」
懐かしそうに兄の事を語るエルダはとても楽しそうだ。なんだか微笑ましく感じ、リルの笑みを浮かべた。
「お兄さんが大好きだったんですね」
「ええ、とても。兄の運命はわたくしのせいで変わってしまったのかもしれません。あれはわたくしの5歳の誕生日の前日、兄がわたくしを少し遠くの野原まで連れていてくれたときのことです。わたくしはその景色に目を奪われました。銀の輝きを放ちそれは空へと登っていくとても幻想的な風景でした。今の世ならばそれほど驚くこともありませんが私たちの時代では違いましたから」
エルダが生きた時代、まだ魔法がなかったのであれば当然驚くだろう。地球でそんな光景を見たのと同じ感覚かも知れない。
「魔力が見えたとうことはエルダさんは、さっき言っていた”希な人間”だったんですよね。でも、大丈夫だったんですか?」
リルは遠慮がちにそう尋ねた。
それはそれらの人間が”異端者”という扱いであったと聞いたばかりだからだ。
辛いことが少なからずあったのではと思いエルダの方を見た。するとエルダはリルの顔を見てきょとんとしてからすぐに微笑んだ。
「ふふ、ありがとうございます。でもわたくしの父は先ほど言った通り医者で、村人みんなからしたわれていましたので、娘であるわたくしも大変良くしていただきました。それにわたくしに能力は魔力が見える以外には何もなかったので、村人からはちょっと不思議なものが見える子という評価でしたわ」
「そうなんですか」
ちょっと拍子抜けしたが、何もないならそれはそれで良いことだ。
それよりもエルダの発言には気になる部分があった。
5歳という年齢はリルの知るところで言えば魔力検査を受ける年齢である。
その年になれば体内の魔力を放出する器官がそのころにあるていどでき上がるからである。ただ魔力を感知する器官は胎児の時点でもう存在し、出生以降に大きな変化は見られない。つまり出生時に全てが決まってしまうのだ。
素養さえあれば赤ん坊でも魔力の存在は感じることだけはできる。
だが目視できるかどうかは能力だけでなく魔力の濃度に比例する。魔法を使う際に魔力を一点に集めると見えやすくただそこにあるだけでは見えない。
しかしエルダの話を聞くとはそうではない。エアリアの花から出る魔力の純度は高い。だから素養があれば見えるのだと推測できるが別の疑問が残る。
「エルダさんはエアリアの花を見たのは初めてだったんですか?」
世界中にあるのならそれまでに見たことがないというのも不思議な話である。するとリルの思ったとおりにエルダは首を振る。
「いいえ、初めてではありませんでしたわ。けれどそれは摘み取られたもので、地に生えているものは初めて見ましたの」
「やっぱり摘んだのと生えるのじゃ違うんですか?」
細かいことは分からないが、イメージとしては“摘んでしまう=死”で、魔力の放出を止めてしまうように思える。
「ええ、全く違いますわ。そうですね、こうするとわかりやすいでしょうか」
そう言ってエルダは優雅な動きで片方の掌を上にして前に差し出す。すると銀の魔力が集まり次第にひとつに固まり、頭上に人一人が多い隠せるくらいの雲のようなものを形成した。
「見ていてください」
エルダがそう言って先ほどのようにそっと指を横に振る。すると雲が一番近くに生えているエアリアの花の上へと舞い上がり光を遮る。すると花は光を放つのをやめた。
そしてその雲は濃灰色へと変化し、サラサラと雨が降り注ぐ。
「大気に紛れる魔力は雨に混ざって大地に降り注ぎます。そしてそれを花は根から吸い取り、茎を通って花の中心の子房の部分に取りこまれます。そして太陽の光を浴びると、ほら」
エルダの合図で雲がふわりと霧散した。
雲に覆われて、影となっていたところに再び光が差す。それに反応してかエルダが示した花の中心が、淡く光りだした。
そして、そこから光は支柱へと渡り、その頂きから再び銀の輝きを放った。
「エアリアの花はこうして魔力を浄化するのです。花と雨と土と日光。4つの要素が揃って初めて魔力の浄化が可能なのです。どれか1つ欠けてもいけませんわ。だから根っこごと引き抜いたとしても水差しの中では魔力を吐き出すことはないのですわ」
エルダに「お分かりになりましたか?」と尋ねられリルは頷いた。とてもわかりやすい説明だった。リルが口にしなかった疑問まで解消してくれた。
エルダが教えてくれたエアリアの浄化のサイクルはリルの考えとは前提が違ったようだ。
「なら、根っこごと摘んだらまた植えればもと通りということなんですよね」
「正解ですわ。ただエアリアの花はわりとどこにでも生える野生の花なので大変生命力が強く、中には茎を折っても再び根を張ることもあります。ただ浄化を行うのは群生しているもので、単体で生えているものはただの花としての機能しか働かないようですわ。単体だと割とすぐ萎れてしまいますからどこに植えるのかも重要ですわね」
エルダはが言っているのは魔力の濃度のことである。群生していれば分配できるが、周辺に花がなければその一本でその土地すべての魔力を吸い取ることになる。
どんなに生命力があっても一本では限界があるのだろう。
けれどふとリルはふとまた疑問が浮かぶ。
「そういえばエアリアの花はどうして魔力の浄化しているんですか?浄化するということは汚れているということですよね?」
リルが知っているのは死んだ人間の核が大気中の魔力で浄化されているというものだ。だが、大気中の魔力についてはあまり知られていない。
地球のように大気汚染のようなものがあったのであろうか。
エルダは少し首をかしげ考える素振りを見せながら質問に答える。
「外の世界では知られていませんのでしたわね。魔力は花以外の物質通るだけで汚れますあ。誰が何をしなくても世界がものあるだけで汚れるのです。ただひとつだけ、その汚れの違う性質のものがあります。それは”穢れ”といい、魔法を使うことべ生まれるものです」
「”穢れ”、ですか?」
本題である魔法が出てきてリルは少し身を乗り出した。
リルの時代から当然のように日常に使われてきたものである。けれどあの世界にエアリアの花などなかった。魔法を使うことで生まれる”穢れ”とはどんなものなのか。リルは少し不安に思いながらエルダの言葉を待つ。
「ええ、ただまだ人は魔法を使えなかったのでここはドラゴンだけの問題でした。ドラゴンたちの間では魔法を使ったあとに発生する赤い魔法の粒子を“赤い穢れ《ルべルハブラ》”と呼んでいたそうです。それらを再び銀色に浄化してくれているのがエアリアの花だということも感覚的に分かっていたので、彼らは花を食べたり踏み潰したりしないよう大切にしていたようです」
「でも人は最終的には魔法を得たんですよね?ドラゴンが大切にしていたというなら、人は違ったんですか?」
エルダが語ったエアリアの花にまつわる戦争その火種は人であったのだろうか。エルダは少し困ったように笑う。
「結論から言いますとどちらとも言えませんわね。見方によって違いますわ。ですから、まず魔法がいかにしてお話しますわね」
ついつい先走るリルをエルダがたしなめる。そう言われてリルは少し力の入っていた肩の力を少し抜いた。さきほどウィリアに言われたとおり、焦ることはない。そう思い直してリルが姿勢を正すとエルダが再び口を開いた。
「人間が魔法を得たのは、私がその野原を見てから5年後のことです。兄は父の跡を継いで医者になりました。ただそれだけでなく兄は薬の研究をしていました。先ほどでた“魔女の秘薬”ことですわ」
「“魔女の秘薬“ですか?もしかして作ろうとしたんですか?」
「ええ、もともと兄はいろんな噂話を聞くのが好きでドラゴンや呪い師の話を好んで聞いていました。その内容は“ドラゴンはエアリアの花を絶対に踏まない”とか、“先日呪い師がエアリアの花を摘んでいた”とかそういった些細なものです。けれど兄はたくさんの小さな噂を元に、わたくしの見ているものが魔力で、呪い師が作る薬がその魔力を感知する力を持ってして作られてのではないかと考えたのです」
「最初から魔法の研究をしていたわけじゃないんですね。それで成功したんですか?」
「ええ。わたくしも魔力の動きをみて研究を手伝い、花の子房の一部から抽出されてできたのが、宝石のルビーのような小さな結晶でした。万病に効く薬で後に“赤宝の妙薬”などという大層な名前がつけられましたわ。最初こそ一粒作るのに時間と手間がかかりすぎでしたが、少しずつ製法も安定して、村の中では万能薬としてもてはやされ、次第に村の外にも噂が出回り、薬を求める人間が時折やってくるようになりました。そんな中、わたくしの家にひとりの男がやってきました」
突然湧いて出た男の存在にリルは眉をひそめる。エルダはそこでやめることなくその男のことを話した。
「男は頭からすっぽりマントを覆い、マスクで顔を隠していました。けれどそんな怪しい風体なのに警戒心がわかず、わたくしは兄のとなりでその男を見上げていました。彼は兄に薬を作るのをやめた方がいいと言いました。ですが、薬はすでにだいぶ外に出まわっていました。わたくしたちの一存でどうこうできないくらいにはその存在が知れ渡り、花の採取や薬の卸売は別の土地と協力して行っていましたので、今更辞めるなんて出来ませんわ。それに効能は確かなのでなおさらです。兄はそれを丁重に断りました。彼はそのまま去って行きました」
「その男は一体何者なんですか?」
不審に思い尋ねるリルにエルダは首を横に振る。
「わかりません。でもその後直ぐに薬づくりでで忙しくなり、兄もわたくしもはその男のことを忘れました。”赤宝の秘薬”が出来てからさらに5年、わたくしは兄の薬づくりを手伝いながら日々忙しく過ごしていました。そのころから体に異変を感じたのです。それまであった感覚が冴え渡り、抑えきれないほどの力が体に湧いてきたのです。取るも眠れず食事も進まない日々が続き家族は心配しました。ですが私自身はそれとは裏腹に空腹感のなく馳せ細ることもなく至って健康なままでした。目に見えて異変が起きたのはそれからひと月後、黒かった髪の色が抜け落ち、代わりにエアリアの花と同じ赤を宿していたのです。けれど兄の診断では体に特に異常はなく、髪の色は“赤宝の妙薬”を作る段階で多くの薬を摂取したのでエアリアの花の色素が沈着したのではないかという結論に至りましたわ。男の言葉も思い出しましたが、自分の肉体の変化は好ましく感じられたのでわたくしはその時はさほど気にすることはありませんでした」
「エルダさんの髪が赤くなったことについてほかの人はどういう反応だったんですか?」
差別があった事を聞くとやはり気になるところである。だが、先ほど異端視されなかったとエルダの表情はどこかさえない。少し悲しげに微笑むエルダの胸にすこしばかり不安がよぎる。
「もし時が違えば全く別の道をたどったのでしょう。思えばわたくしは運が良かったのですわね。同時期に髪が赤く変化するという現象が各地で起こったのです。その変化を経た人間のうち大半は魔力を目視できるようになりました。わたくしの村でも同様のことが起き、そして中には髪の変化がなくても魔力の存在を感じるものも出てきました。そうすればもう髪の赤さなんてどうでもよくなってしまいました。進化だと唱える人間もいましたのよ?魔法はそんな中で生まれました。それはそれは自然に、最初からあったかのように魔法使いというものが生まれたのです。それから人は魔法を中心に社会を築いていったのですわ」
「そんなにうまくいくものなんですか?」
リルがその言葉通りどこか納得のいかない様子で首を傾けると、エルダは肩をすくめた。
「もちろん問題がなかったわけではありませんわ。ですが、もともと多くの人は魔法に憧れていたこともあり、人の4分の1ほどが少しでも魔法が使えるようになれば、流れに逆らうことはできませんでした。そして使えない人間もこれからの可能性に期待しました。そして瞬く間に世界は変化したのです。最初の魔法使いたちは力を持つ同士が婚姻を結び、次の世代に力が受け継がれもっと強い力を得ました。わたくしもその歯車に組み込まれ、魔法使いに夫を得て子どもを授かりました。その頃にわたくしの目は金色に変化し子どもたちも同じ色を受け継ぎましたわ。ほかにも同じ色を宿すものもいて魔法使いの中でも強い力を持つ証としてもてはやされ、異端としてはじかれることはありませんでした。それを繰り返せば魔法使いが世界の中心になるのはもはや分かりきったことでした。魔法使いは加齢速度も遅いのでそれが拍車をかけたのもあります。ただそれを面白くないと思う人間もいましたわ」
「魔法の使えない人間、ですか?」
いつの時代も世の中に不満を持つ人がいる。優遇されたものがいれば必ず不遇なものもいるのだ。
魔法というものは目に見えて彼らに格差をつけた。エルダはそれを肯定した。
「そうです。魔法彼らにとって住みにくい世界を生み出しました。代わりに異端視されていた呪い師が地位を得て今度は魔法お使えない彼らを唾棄すべく動き始めました。それが小さな争いの始まりです。弱者とされた彼らには真っ向から立ち向かう力はありませんでした。だから別の方法を考えたのです。その方法として最終的に選んだのが魔法使いの力の源である花を燃やすことでした」
「え、花を燃やしたのは戦争でじゃないんですか?」
リルが驚けばエルダは悲しげな顔で緩く首を振る。そしてその光景を思い出すかのように目をつぶって戦争のあらましを語る。
「戦争中でも燃やされましたが、最初は人間たちの間だけで起こった争いでした。けれどその行為は、花を大切にしていたドラゴンたちにとって、敵対行動と同じでしたわ。人はそれまで花を多く摘みましたがその分だけ花を栽培することにも力を入れていました。でうがそれに人が火をつけたのです。ドラゴンは人の何倍も感知能力が高いので、遠くにいても魔力の動きに敏感です。花が消失し蓄えられていた魔力を多くのドラゴンが感知し、人の行いを知りました。人と交流のなかったドラゴンからすれば人は皆どれも同じです。それをきっかけに人とドラゴンの間に大きな溝が生まれました」
「それで戦争に?」
「ええ、ドラゴン側でも人が世界に居るべきではないと考えもあれば、花さえ無事ならいいという考えもありました。けれど結局は初めに燃やした人間たちが魔法使いとドラゴン両者が滅びることを望み、花を燃やし続けたことで争いは止まる機会を無くし、最後は残った花の奪い合いです。ドラゴンからすれば世界の存続をかけた戦いなのでやめられませんし、魔法使いたちも手放せませんでした。その戦争はどちらも引くことはありませんでした。愚かだったのです」
そう言って変わらず悲しげに微笑む。エルダの言葉が胸に落ちてくる。
“愚か”と言う言葉にはエルダ自身も含まれているのだろう。エルダは戒めるように語る姿に胸が苦しくなる。
力を得た者はそれを簡単に捨てることはできない。戦争は人を不幸にする。言葉の意味がわかっても結局なくなることはない。リルも柚姫も戦争の只中にいたことなどないので、リルが今どんな感想を口にしてもそれは空虚だ。
そこに生きたエルダだからことその言葉は重く、それだけで意味を持つ。
だからリルは何も言わない、過去そう言う出来事があったことを受け止めて、その先に繋がる話を聞かなくてはいけない。
どのような決着を迎え、リルの知る今のヒイル・エアリアにつながっていくのか。
世界が分たれた理由をリルは再びエルダに問う。
「その戦争どうなったんですか」
「戦争自体は本当は結局決着は付きませんでした。戦争が泥沼化し、兄と夫はその最中で死にました。わたくしは子どもを連れて逃げました。そんな時またあの男が現れたのです」
リルは再び眉根を寄せた。事が起きる前に薬を作るのをやめるように言ってきた男だ。エアリアの花の役割を理解していた可能性がある。
リルは緊張した面持ちでエルダの次の言葉を待つ。
「相変わらずのマントで顔は見えませんでしたが、あの男であることはわたくしには分かりました。男は既になぜか兄がこの世にいないのをしていました。ですから血縁であるわたくしのもとに来たと。そして選択を迫りました。その先の未来について」
“忠告はすでに意味がない。花もろとも滅びるか、わずかでも未来の可能性に賭け気があるか。どうするかお前が決めろ。それがきっかけを与えた人間であるお前が背負うべき業だ”
男の言った言葉をエルダは静な声音で語る。それは今の状況を覆すだけの力ある者の言葉だ。
だけれど男の言葉はリルからすれば理不尽とも言えるものである。
「でも、エルダさんせいではないでしょう?」
確かにエルダがきっかけの一端を担ったかもしれない。けれどそれは色々な要素が重なってそういった結末を迎えてしまっただけで、誰も悪くないなど言わない。
だが、誰か一人に責任を押し付けるのは違うはずだ。
そう思うと言い知れない思いに胸が苦しく感じる。
リルの言葉にエルダは一瞬驚いた顔をすると直ぐに困ったように微笑んだ。それは何もかも受け入れたような笑顔だった。
「そう思ってくれるのは嬉しですわ。でもそれでもやはりあの時代に生きた人間としての責任からは逃れられませんわ。男が何者だかはわかりませんでしたが、その言葉が戯言ではないことは肌で感じていました。わたくしは可能性に賭けることを選びました。すると男はわたくしに一本のエアリアの花を渡しました。それは世界に残された純粋な魔力をすべて封印した花で、男はそれをもとに私に手で花を増やすよういいました。そのために最適した場所として連れてこられたのがこの神殿です」
そう言ったあとエルダは続けて言葉を発し用としてためらうようにそっと目を伏せた。
「どうしましたか?」
リルが問いかけるとエルダは初めて語るのを迷う様子を見せる。
「・・・これは言うべきかどうかわたくしにはわからない。聞いて後悔なさるかも知れないです」
唐突にそんなことを言われリルは少し戸惑う。ためらいの向こうにリルがショックを受けることがあるのだろうことを察したが、けれど、ここでやめる気はない。
「聞きます。聞かせてください」
リルは自分の鼓動が早まるのを感じた。けれどエルダを見て真っ直ぐそう願えばエルダは辛そうに目を閉じて告白する。
「あのあと、男はわたくし以外のドラゴンと人間を眠らせました。肉体はこの神殿の地下に、そして世界が元通りになるまでその核に夢を見せることにました。・・・そして生まれたのが、天と地、二つに分たれた今のヒイル・エアリアです」
語り終えたエルダは心痛な面持ちで俯いた。リルは息を吸うのを忘れたかのように、目の前のエルダを呆然と見つめた。
目の当たりにした事実に目の奥がキリキリと痛み、リルの頭に警鐘がなる。
けれどリルはそれを押さえこんでどうにか声を振り絞った。
「じゃあ、今のヒイル・エアリアは偽物なんですか?マオベリスタと同じ?」
放たれた言葉はなかったことにはできない。エルダはその問にまっすぐ答えた。
「世界と肉体で言えば、そうです。マオベリスタはこの天地の創造と同じことがなされています。けれど、最初にその天地に降りたのは紛れもなく本物だったはずです。だから、マオという人物も核を移動させようとしたのだろうと思います。どうやって子孫が生まれたのか私もよくわかっていませんが皆それぞれにちゃんと核が存在します。私がこれを言うのは卑怯かもしれませんが、私は外の世界の人が偽物だとは思いません。思いたくありません。体がなくてもそこに確かに心があるのです。それを否定するのは嫌ですわ」
エルダはどこか悲哀を秘めてそう言った。
それは哀れみだろうか。ふとそう思ったがリルは気がついた。机の上にそっと組まれたエルダのその手を見ればかすかに震えていた。
リルはもう一度エルダの顔を見た。
「・・・・エルダさん、エルダさんは2000年間ずっとここに一人で?」
初めに会ったときエルダはそう言った。2000年間ここを守っていると。エルダの瞳が少し揺れる。
「わたくしは・・・わたくしはずっとここに一人です。それが私の贖罪であり、使命ですから」
そういったエルダを見てリルは理解した。哀れみなどではない。あるはずがない。
自分以外の全ての存在が眠りに就いた世界でただひとり“外の世界”に連れて行ってもらえずに取り残された孤独な人。
もしエルダが“外の世界”に生きる人間を偽物だというのならば、エルダは世界に一人ぼっちだ。
いつ起きるかのかも分からないひとたちが目覚めるのを待ちながらただひたすら花を守り育てる。
2000年などリルからすれば想像もつかないが長い時間だが、一人は辛いということはどれだけ時間が経とうと、いや、時間が経つほどに辛いのではないのだろうか。
ここに来てからエルダは幾度もどこか子どもっぽい素振りをしていた。
彼女は寂しかったのだろうか。そしてこの事実を話してリルがどう受け止めるのかと、不安に怯えていたのだろうか。
リルはそう考えると心がすっと落ち着いていくのを感じた。そして心に浮かんだままの言葉をエルダに告げる。
「エルダさんがしたことが世界にとってどうだったのかは分かりません。でもエルダさんがいなかったら私も生まれてないってことですよね」
そう口にしたリルに対してエルダは不安げに俯いていた。
これまでのエルダは虚勢のようなものだったのだろうか。上品な年上の雰囲気はもはやなく下がった眉ががジェミクスとそっくりだった。
リルは基本的に排他的性格だ。ゆえに会ったばかりのエルダに心から同情しているわけではない。
リルだってこの複雑な現状にいきなり放り込まれて、振り回され、文句がないわけではない。さんざんうじうじして、泣き喚き、癇癪起こしたり、思い出してみればまるで幼子のようで恥ずかしい。
けれどリルの心には“生きたかった”という強い願いがそこにあった。
逆を言えばリルは生きていてよかったということがたくさんあったのだ。
生まれてきて良かった。幸せだった。そう思うから大切な人に生きて欲しかったし、彼らが生きる世界を守りたかった。
だからエルダには感謝こそすれ、咎める気など微塵も起きない。
むしろエルダの気持ちもわからなくないのだ。聞きたいことはまだ山ほどある。
マオやマオベリスタについては聞きたいことだらけだ。
だが、それが今のリルの紛れもない本心だった。
後どれだけ驚愕の真実を告げられてもそれだけは変わらかい。そう思えた。
無防備な幼子のような表情を浮かべるエルダの姿に、なんだかおかしくてリルはすこし笑った。そして感謝の言葉を声にのせた。
「エルダさん、世界をうんでくれてありがとう」
そう言って頭を下げた。数拍おいて頭を上げると、こぼれ落ちんばかりに目を見開いたエルダの姿があった。
だがその直後、今度はリルが目を見開く番になった。
見開かれたエルダの金の瞳から、唐突にボトリと大粒の涙がこぼれた。
それを見て今度はリルが驚いた。内心慌てていると、それまでずっと黙っていたウィリアがリルの肩をぽんと叩いた。
見上げればウィリアが優しく微笑んでいた。
「大丈夫。嬉し泣きですよ」
「うっ、うぇぇっひっく」
ウィリアの言葉は正しかったらしくエルダがぐずぐずと声を上げて泣き出した。上品さをかなぐり捨てた子どものような泣き方だった。白い袖で涙をぬぐいながらずずっと鼻水をすすっている。
ウィリアが困った子どもを見るかのようにくすりと小さく笑う。そして目が合うとぽんっと背中を叩かれた。
「泣かせちゃったら、慰めないといけなせんね」
ウィリアが意地悪くそんな事を言う。けれどその目は優しげにリルを見てエルダの方に視線を移す。
鳴き声が不鮮明になったかと思えばエルダが机の上に泣いて震えて泣いている。
困ったリルは思わず立ち上がる。そのせいで本が落ちたがウィリアが拾ってくれたので、そのままおずおずと近くに寄った。
前にリルが大泣きした時もレオとアリアのことを思い出す。
自分が悪いことをしていないと思っても、まの前で泣かれるというのは居心地が悪いものだなと思いながら、リルはそっとその頭を撫ぜてみた。
すると一瞬ぴたりと泣き声が止み、その直後、腰元に衝撃が走った。
「ぐっ!?」
思わず声を出すとリルの腰にエルダがしがみついてまた子どもみたいに泣き出した。
突然のことに驚いき戸惑って、ウィリアの助けを求めようとそちらを見ると微笑ましげに笑われる。どうやら今回ばかりは助けてくれる気はないようだ。
リルは目下のエルダに視線を戻す。
泣いている姿は2000年を生きているとは思えない、見た目はリルと同じ年頃の少女だった。
突然の豹変に驚いたが、リルはエルダのそのぬくもりは嫌ではなかった。
リルは腰元にしがみついたエルダをなだめるべく、その背を優しく撫ぜたることにした。




