思い出に変わる日常1
静寂に包まれた広い神殿の奥。
透ける光にまぶたが痙攣する。薄く目を開けば美しい夕焼けの空が飛び込んでくる。
眩しさに目を細めるとその光が不意に遮られる。視線を上げればそこには影がひとつ。
『こんなところで寝ていたんですか?』
低く優しい声が耳に届く。目を向けた先には人がいた。逆光で顔は見えない。けれどそのシルエットと声からそれが成人した青年であることはわかる。
寝ぼけ眼でぼんやり青年の方を見ていると青年が小さく笑う気配がする。
『寝ぼけてますね』
そう言いながら近づいてきた青年を見上げればその頭を優しくなぜられる。
それが嬉しくて思わず顔が緩む。
とても優しい穏やかな夢。
優しく撫ぜる手が心地よく再び目を閉じればまたまどろみの中に落ちて行く。
その眠りを妨げるように体を揺すられた。
次第にそれは激しくなり、 聴き慣れた声が耳元で名前を呼ぶ。
「ゆーずーきー。おーきーろー!」
「・・・あんり?」
まぶたを開けて、目の前には見慣れた顔。その顔をみて寝ぼけた声で名を呼べば声を上げて笑われた。
名前を呼んだのは杏里だった。
覚醒したばかりの始めた頭で、今の状況を思い出す。
今の自分は相川柚姫。今いるのは学校で、今日は美術部の活動部があり、確か部室で杏里と一緒に昼ごはんを食べていた。食べ終わったところまで覚えているがそのあとは空白だ。
周りにいる部員もこちらを見てちょっと笑っている。
「私もしかして寝てたの?」
「爆睡だったよ。それはそれは健やかに。まぁ10分くらいだったけどね。なに?寝不足なの?」
「そんなことはないんだけど」
毎日きちんと寝ている。ただ、事情により精神はほぼずっと起きている状態なので疲れやすくはあるのは自覚している。だが、うたた寝するのは初めてだ。
すると、柚姫の言葉に杏里は思い出したように手を叩く。
「あ、ちょっと前に言ってた夢見が悪いとかってやつ?鬼島先輩にアロマ借りる?」
杏里がそう言うのと同時に柚姫の肩を誰かが掴む。驚いているとすぐに言葉が降ってきてその手の持ち主が誰だか知れる。
「相川ちゃん、おはよう!アロマならいつでも貸すわよ!」
部長の鬼島である。それに柚姫は慌てて首を振った。
「夢見は悪くないんです。むしろ・・・いい夢?」
柚姫はマオベリスタでのことを思い浮かべた。すると杏里が興味津々といった顔で聞いてくる。
「そうなの?どんな?」
「ええと、覚えてないけどいい夢だった気が」
柚姫がそう濁す。杏里は意外にも「残念」といってそれ以上の追求はしてこなかった。その代わりにやりと笑う。
「まぁ、確かにさっき寝ている時もものすごく幸せそうな顔してもんね。いつにないくらい表情筋が緩みまくってたよ」
杏里がわざとらしく笑顔を作る。微笑んでいるという表現がしっくりくる表情である。柚姫は思わず両手で頬を隠す。
柚姫はマオベリスタのことを夢に置き換えていたが、先程の僅かな眠りについては別である。先程まで見ていた夢はさきほど言ったとおり覚えていなかった。
いつの間にか話がすり替わっていたが、気にするものなどいない。
寝ながら笑っていたのだろうか。だとしたらなんだか少し恥ずかしい気がして柚姫は杏里をちらりと覗う。
「そんな顔してた?」
「してた、してた。さっきまで皆なんの夢見てるんだろうねって言ってたよ。まぁ幸せな夢ならいいことだねー」
杏里が肯定し、柚姫が両手で顔を覆う。
みんなという事はつまるところそういうことである。先ほど聞こえた笑いもその対象は自分だったということなのだろう。
笑いの種類としては悪い雰囲気ではなく、むしろ生ぬるいく好意的な笑いだ。だが恥ずかしいには変わりなかった。
すると鬼島がその背中をぽんと叩く。
「そうよ、いいことよ!アンニュイな相川ちゃんもいいけど、今なら幸せいっぱいな相川ちゃんならではの作品もできるかもよ!その幸せな気分を糧に作品作り頑張ってちょうだい!」
にっこり笑顔でそう言って柚姫を激励した。ちょっとからかい混じりだったがに、悪気がないので柚姫は「頑張ってみます」と素直に返事をした。
鬼島のおかげでその話はそこで終わった。
なんだかんだで皆いい人たちである。
それを合図に各々午後の活動に移行し始めた。
柚姫たちもランチボックスを片付ける。益子の作りおきの料理を詰めた弁当はたいへん美味しかった。
片付け終われば午後の活動を開始した。いつもどおりの部活風景である。
あの日からは少しだけ時間がたち、柚姫の心はいくらかの変化をもたらした。
何がそうさせたかと言われても具体的に何かと答えることはできない。ただ柚姫はこの世界がまえより少しだけ近くに感じるようになった。
今夜またいつもどおり眠りにつき、次に目を開けばマオベリスタに召喚される。
16日目の始まりである。




