夢と現を繋ぐもの1
柚姫の目の前にあるダイニングテーブルには辞書と教科書とノートが散乱し、テキストにかじりつくようにして数学の問題を解いている杏里がいる。
杏里は時々眉を寄せて唸り声を上げながら首をかしげる柚姫の方を見てきた。
「柚せんせー!これどうやってとけばいい?」
「ん?どれ?」
柚姫はページをめくる手を止めて、そのノートを覗き込んでから自分の教科書をめくり使う公式をシャーペンで示してやる。すると杏里はシャーペンの先を凝視して数秒後、「あ、そっか、ありがと!」と礼を言ってまた手を動かし始め、柚姫も読んでいた本に視線を戻す。
今いるのは柚姫の家のダイニングルームだった。
今日杏里が家に来る予定なかったが、急遽勉強会をすることになった。予定が決まったのは今朝のことである。
柚姫は目を覚さました時、無事に戻ってきたのだと思って安堵した。けれどそんな束の間、体の異変に気がついた。どこが悪いとは言わないがどうにも体が重かった。
そんな時スマートフォンのライトがチカチカと光っているのが目に入った。
そこに表示されたのはメール着信3通。
上から一つ目は利保からで『今日、栄ちゃんところに行くことになったから、今日本取りに行ってもいい?』とあった。
柚姫はなんのことかと寝ぼけた頭で考える。思い出したのは吉村の本のことだった。それから液晶に映し出された日付をみると寝てから2日経っていた。
向こうに2日連続でとどまっていたのだから道理かもしれないが、たった2日でこれほどまでだとするともしもっと向こうにいる時間が長かったらとおもうと背筋が寒くなる。
すぐ返信しようと思ったが、まず他のメールも見てしまったほうがいいかもしれない。
2通目のメールを見ると百華からで『随分早寝だったけど、大丈夫?ぐっすりだったから起こさなかったけど具合悪いならすぐ言うのよ』と書かれていた。文面から察するに柚姫がずっと寝たままだったことは気がつかれなかったようだ。多分良朋も多分遅かったのだろが、きっと百華が連絡しているだろう。
確実に心配されている。
さらに3通目のメールを開くと杏里からで『数学マジわからにゃい!!教えて!!』最後の猫の絵文字入りで送られてきていた。よくよく見ると日付は昨日である。
色々とまずいと思いそれぞれにメールを送る。まず百華に具合が悪いわけではないと弁解し、利保には了承のメールを送った。
杏里にはメールに利保が家に来ると打ったら会いたいとのことである。
そういった経緯で勉強をするのは柚姫の家になり今に至る。実際、利保は夕方に少し顔を出すだけなので今日のメインは勉強だ。これでもかというくらいに出されている宿題のテキストを消化することに精を出すことにする。
杏里は並々ならぬ集中力があるのだが一度躓くとなかなか先に進めないらしい。
だからこうやって唐突に教えてと言ってくるのはわからないというよりは、気分転換が目的だと柚姫は思っている。唸ったり聞いてきたりするが指摘すればすぐに解決すことが多い。柚姫としては代わりに苦手な英語を教えてくれたりするのでむしろ大歓迎である。
集中する杏里を見て柚姫もテキストに視線を戻す。集中力が切れないうちに今日のノルマを終わらせることにした。
2時間もすれば当然集中力もかけてくるもので杏里の唸り声が聴こえてくる。柚姫も問題を解くペースが遅くなってきたのを自覚していたので杏里に休憩を提案する。
「結構やったし、そろそろ休憩でもする?」
「賛成!喉渇いた!」
そう言って突っ伏す杏里を笑い。今いるのはダイニングなので冷蔵庫はすぐそこである。柚姫はジュースをだしてキッチンカウンターに並べた二つのコップに注ぐ。その手元をカウンターの向こう杏里が覗き込む。
「何ジュース?」
「益子さん特性レモンジュースだよ。すごい美味しいから」
笑ってそう言って杏里に差し出せば礼を言ってコップに口を付ける。こくりと一口飲み込んだあと、杏里は驚いたあと目を輝かせた。
「おいしー!なにこれ!?益子さんマジ神!」
「なにそれ」
感激したようにそんなことを叫ぶ杏里が柚姫は可笑しくて笑う。
それからしばらく益子さんの料理の腕前について話したあと、杏里は不意に思い出したように言った。
「あ、そういえば昨日買った本読んだ?」
「読んだよ。気になるの?」
「うん。茉莉花がその作家さんの本を集めてるみたいでさ。でもこれまでミステリーしか書いてないから買おうかどうしようか迷ってるって言ってた。で、どうだった?」
杏里の妹は茉莉花まだ中一だ。少ないお小遣いで集めるというのはよほど好きなのだろう。作家と話したと言ったら大騒ぎになりそうだ。
「よかったら貸すよ」
「そう、じゃ借りる!」
杏里はためらいなくそう言い、柚姫も笑って頷いた。
「わかった。忘れないうちにとってくるね」
「一緒に行っていい?」
「うん。ついでに前借りたいって言ってた本とか本棚からもっていっていいよ」
杏里は中学の時から数え切れないくらい遊びに来ているので部屋に入れることには全く抵抗はない。そのまま一緒に二階に上ってドアを開く。
「うはっ!暑いね」
「この部屋すごく日当たりがいいからね」
この部屋は冷房をつけないといられない。自室でなくダイニングで勉強していたのは冷房をつけなくても比較的涼しいからだった。
額に薄く滲みだした汗に手をやって机に近づく。机の上に本を手に取ると、杏里も立ち上がってその手元を覗き込んでくる。
「あれ、こっちも本は?」
視線の先には吉村の本があった。柚姫はその本に手をやった。
結局吉村やこの本について聞きそびれたことを思い出す。
アリアもとい隆史が小説家だというのだから、この本も隆史が書いたものかも知れない。でもなぜフェイル語なのだろうか。
単純に考えてアリアはドラゴンの領域に住んでいるし、あそこにはフェイルドラゴンらしいのフィフィリもいたのだから交流があってもおかしくない。
「ゆーずー。今どっか飛んでくの禁止―!熱中症になるー」
杏里に指摘されてまた思考に耽っていたことに気がついて柚姫はごまかすように笑った。
するとタイミング良くインターフォンの音が聞こえる。
杏里と顔を見合わせたあと、本を持って一緒に玄関に向かいドアフォンを覗き込めば、案の定、そこには利保がいた。笑ってこちらの手を振っている。柚姫はそのままドアの鍵をあけてドアを開いた。
「やっほー、柚、一昨日ぶり!杏里ちゃんは久しぶり!」
「利保さん、お久しぶりでーす!」
「いらっしゃい。あれ、そちらはもしかして」
利保の後ろに視線をずらす。そこにいたのは黒髪によく見れば少し薄い色素の瞳の柔らかい印象の男性だ。
柚姫の記憶違いでなければ昔写真でも見せてもらった顔だ。2年前の写真だが、そうそう変わったりはしない。
「旦那のレオだよ」
利保が満面の笑みで紹介し、男性もにこりと微笑んだ。
「初めまして佐々木レオです。宜しくね」
「あ、初めまして相川柚姫です」
にこやかに初対面の挨拶をされて柚姫も反射的に同じように返す。
昨日の今日で現世のレオと対面するとは思っていなかったので、柚姫は平常心をどうにか保とうと笑みを作った。
その横で、利保となぜか杏里が楽しそうに見守っている。
杏里こそ初対面のはずなのだからもっとリアクションがあってもいいのではないのだろうか。
少し混乱した頭の中でそんなことを思っていると目の前に白い紙袋が差し出される。
「これお土産です」
「ええと、ありがとうございます。とりあえず、中にどうぞ」
崩れぬ笑顔のレオを見上げる。当然だが完璧に初対面を装っている。
自分だけ慌てふためいているのがちょっと恨めしい。それが顔に出ないのだけが救いだ。
レオはただの付き添いなのだろうか。それとも。そんなことを思ったがこの世界で初対面の柚姫には面と向かって聞くことはできない。
予想外のお客に内心ドギマギしつつ柚姫はふたりを招き入れた。




